目が覚めたらあべこべってた   作:紺南

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第21話

日曜日は朝早くから駅前に出かけた。

別に電車に乗ろうと言うつもりはない。ただ、その近くの店に用が出来たから、出来てしまったから、嫌々家から出たのだった。出たくないけど、出たのだった。

 

本当は一日家にいるつもりだった。

昨日は北村の家に遠出をしたし、ここ一週間でちょっと色々ありすぎたので、英気を養うついでに引き籠る予定だった。元々引き籠ることが日常生活の一部だったから、自然と身体もそれを望んでいた。

だと言うのに、朝早くから駅前に出発し、雑踏を掻い潜って本屋に出向き、料理本を捲っている訳と言うのは昨夜の電話が原因だった。

 

「はい、もしもし?」

 

『おー出た出た』

 

ひたすら無視していた着信が5~6回を越えた辺り。夜の7時を越えてなお勢いを増すばかりだったので、さすがに観念して受話器を手に取った。

電話向こうの声は直に聞くものと少しだけ違っている。そう言う仕様なんだと、マメ知識程度に覚えていた。

 

『バカ息子ぉ。何回かけたと思ってるんだい?』

 

「どちら様?」

 

夕飯のカップラーメンを気にしながら淡々と聞く。

今お湯を入れたばかりだから三分だけ時間がある。

別に三分だけ待ってやるなんて言うつもりはない。一分でも一秒でも、その時が来れば即座にブチ切る心積もりがあった。

 

『あっはっは! どちら様だってえ!? わたしの名前覚えてないのお!?』

 

テンションがおかしい。言語中枢にも問題があるようだ。

これは、多分脳みそがアルコールに犯されている。その時が来てしまった。

 

「お疲れ」

 

受話器を置いて台所に戻る。

まだ出来てないカップ麺を片手にリビングへ。

テレビの電源を入れて、映った番組をぼんやり眺めた。

画面の中では、10年以上前から人気のある芸能人がなんか上手いことを言って笑いを誘っていた。

ひな壇に並ぶ芸能人が笑い、後付けらしき観客の笑い声が響く。

それを見て別に笑うでもなく、感心するでもなく、感情を動かすことはせずにただ画面を眺める。

 

テレビの音に混じって、背中に固定電話の着信音が聞こえてくるが、それはやっぱり無視した。

その代わり、予定の三分まで少し残したカップ麺を啜る。固めの麺が好きなのだ。

 

何十回と鳴る着信音はそれだけかけ直されている証拠だったが、慣れてしまえば雑音とすら感じなくなってしまった。

日常の横で普通に発生する生活音。例えるなら、車道で聞こえるエンジン音や学校で聞こえる話し声のような、そこにあって当たり前のものだと錯覚してしまう。

 

絶えず着信音が鳴り響く生活なんて絶対に嫌だが、諦めの境地の先には仙人のような達観が待っていた。

悟るのって案外簡単なんだなあ。

そんなことを思いながらカップ麺を啜る。

 

やがてついに諦めたのか、電話は留守番電話サービスに接続された。

内心で勝利の美酒に酔い、どんな世迷言を残すつもりなのかとそっちに意識を集中する。

内容は次の通りだった。

 

『うーす。出ないなら出ないでいいや。お前に言っておきたいことがあってねえ。日本に帰るの、もうちょい後になるぅー。一か月後ぐらいかなあ。待っててねん。ちゃんとアーニャも連れてくからぁ。あ、アーニャはいまあたしの隣で飯食ってるよー。……まっずそうな顔してんなあ、お前。そりゃあ、こんな所で食う飯が美味いわけないかあ。そう言う私は昼からうっまい酒飲んでご満悦ぅー!』

 

「ぐわっはっはっはっ!!」とゲスイ笑い声を響かせて留守電は終わった。

静かになった固定電話を見据え、こっちから電話をかけてやろうかと散々迷った。

しかし、所詮酔っ払いに何を言ったところで暖簾に腕押しにしかならず、『暖簾』という単語だけで日本酒飲みたいとかほざかれるのは目に見えてたから断腸の思いで見送った。

 

酒の飲みすぎて死ぬなら勝手に死んどけと、その程度の感想しか抱かなかったが、ただ一つ気がかりなのはまだ見ぬ妹(仮)のことだった。

あの酔っ払いに付き合わされているのもそうだが、そもそもちゃんと食えているのかも怪しい。

酒のつまみになる脂っこいものばかり食べてるんじゃないかと少々不安になった。

妹と言うからには15歳より年下だろう。その年頃で偏った食生活は気の毒に思う。

 

……一か月後ねえ。

ずっと先のことのように思えて案外早い。

30日後なんてあっという間に訪れるだろう。その時に備えて何か準備は必要だろうか。

 

テーブルの上のカップ麺に目を向ける。テレビでは胃痛薬のコマーシャルが流れていた。

この世界は引っくり返っている。本来、男が受け持っていた役割の大部分を女が受け持っている。

逆に、女が受け持っていた役割のほとんどが男の役割になっていたりする。

 

最近では男女平等だとか言われているけど、まだ根強く役割分担の概念は残っている。

思い返せば、北村の家には父親はいたけれど母親はいなかった。

昼飯の焼きそばを作ったのも、どうやらあの丸顔の父親らしい。

炊事洗濯掃除を始めとした家事はこの世界では男の役割のようだ。

 

元々あの酔っぱらったおばさんにその辺の能力なんか期待してはいなかったが、この世界では余計に期待できそうにない。

高々10歳そこらの子供に酒場で昼飯食わすような人間だ。親としてはとっくに論外で、人としてすら終わってる。

健康的な食生活ということであれば、俺が頑張るしかないのだろう。俺にしかできないことなんだろう。

 

「一緒に暮らすなら、仲良くする努力は必要か」

 

やらなければいけない理由を口にして、日曜日からほんの少しやる気を出すことにした結果が、朝早くから本屋に足を運んだ理由だった。

 

適当に手に取った料理本。塩適量。砂糖お好み。みりん少々。

ふわっとした単語が並ぶこれは本当に金をとっているのかと疑わしい。

実は無料配布じゃなかろうかと裏表紙を見れば、中々良い値段が書いてある。

とりあえず、料理研究家とか言うよくわからない職業人が書いている本は買うのを止めた。

 

ふわっとした本の中からある程度具体的に書いてあるやつを見つけ、一冊だけあったロシア料理の本をめくる。

ボルシチやビーフストロガノフなんて料理の作り方が書いてあった。

写真を見ると、ビーフストロガノフはどう見てもシチューで、ボルシチに至っては給食で食ったことがあるような気がした。

レシピを読む限り、初心者でも比較的簡単そうな料理だ。

これも一緒に買うことにしてレジに向かった。

 

それから、食材を買うためにスーパーに向かう。

家から一番近いスーパーでは肉は100g150円とか書いてあった。部位にもよるのだろうが、これは果たして安いのか高いのか。

どうなんだろう。主夫生活初日の若輩者には判断がつきにくい。

 

肉を手にして立ち尽くす。

そもそもこれ今日使うんだっけ?

買いだめして冷凍庫に入れておこうなんて玄人ぶったことを考える必要はないはずだ。

とりあえず必要な分だけ買っておこう。まず、今日何を作るかだ。

ハンバーグかな……。ハンバーグでいいや。

ハンバーグに使うのはひき肉か。

 

行き当たりばったりにその場その場で決めていく。

とてもじゃないが褒められた行為ではない。

この頃になるとすでに少し面倒くさくなっていた。

会ったことはおろか、見たことすらない妹のために何を頑張っているのだろうと頭の隅で思い始めていて、料理に対するやる気はやや削がれていた。

なんなら妹の存在を疑ってすらいた。酔っ払いババアの狂言の可能性を強く支持していた。

アーニャなんて名前、ロシアじゃよくある愛称だそうだ。酔っぱらった勢いで驚かしてやろうとあのおばさんが考えることに何の違和感もない。

 

それはともかくやりかけたことは最後までやってしまおうと、その辺の疑念から目を逸らす。

ひき肉の並ぶ一角で「合いびき肉ってなんだ」と自分の無知さをひしひし実感していた。

そんな時だった。聞きたくない声が後の方で聞こえたのは。

 

「あれ……? 七瀬?」

 

突然呼ばれた声には聞き覚えがあった。忘れたくても忘れられないぐらい記憶にへばりついてる。

百歩譲って、学校ならともかくこんなところで関わりたくなかったので、第一声は肉に集中しているフリで無視した。

そのままどこかに消えてくださいと信じてない神に祈ってしまった。困った時の神頼み。

 

「七瀬だよね?」

 

次に聞こえた声はさっきよりも近づいてきていた。

これはスルーするのは無理だ。最終的に肩でも叩かれるんじゃないか。

リストラに怯える社員みたいな心境で振り向く。

クソ短いショートパンツに、タンクトップみたいな袖の無い上着。清楚とはほど遠い格好をしたやつが、カートを押しながらこっちを見ていた。

 

「やっぱ七瀬じゃん」

 

「奇遇ー!」と笑顔を浮かべるそいつの横に、小学生ぐらいの男の子が胡乱気な顔で立っている。

いつだかこいつが言っていた、弟がいると言う言葉を思い出した。弟に弁当を作らせているとも言っていた。

なぜここにいるのかと言う疑問は、頭の中で勝手に解決してしまう。

 

「菊池って、この辺住んでたの……?」

 

「めっちゃ奇遇!」

 

満面のその笑顔は、俺にとっては死神の笑顔にしか見えなくて、とりあえず溜息を吐いた。

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