昼休みになった。
北村は用があるからとどこかへ消えた。
一人寂しく自分の席で牛乳を飲んでいたら、放送で呼び出されたので職員室に向かう。
「失礼します」
「あ、来ましたね」
俺を呼び出した担任がカップラーメンを啜ってた。げっぷをしながら「こっち来い」と手招きしている。
「これ昨日の分のプリント」
「あ、どうも」
昨日休んだ分だ。
タイツを履いた担任はしきりに足を組み替えて、プリントよりむしろそっちが気になった。
それから昨日あったと言う生徒会の緊急の議題と言うのを聞かされた。
「は? 痴女被害?」
「そ」
担任はタイツを引っ張りながら言う。
「最近集団痴女って言うのが蔓延ってるらしくてね。警察からも注意喚起が届きました。犯人集団はまだ捕まってません。電車に乗る人は注意してくださいってお話」
「それがなんで生徒会の仕事になるんですか」
「ポスター作りをお願いしたんです。金折さんは美術部に入ってますから」
「そんなん美術部に頼めばいいじゃないですか」
「もちろん頼んでます。ヴァリエーションは欲しいですからね。ただ、美術部にいい感じに生徒会長がいたので、生徒会執行部もお手伝いってことで協力をお願いします。学校一丸となって頑張りましょう」
「はあ」
生徒会なんて名前だけで基本的に雑用係でしかない。
こういう面倒くさい仕事を振られることが多い。
おかげで下校時刻が伸びる伸びる。醸すブラック企業感。
「あなたも他人事じゃないですよ。男の子でしょう」
「ま、そうですけど」
痴漢被害なんて縁がなさ過ぎて実感がわかない。
いや、今朝がた遭ったけど。あれは変質者って感じだったな。
「そういえば、うちにも被害者っているんですか?」
「んー。いや。今のところ報告はないですね。ただ、警察に届けてないだけで被害に遭ってる子はいるかもしれません」
「泣き寝入りですか」
「そういう子もいるそうです。もし被害に遭ったって子がいたらこっそり教えてください。メンタルケアしなきゃいけないんで」
「わかりました」
プリントを担いで出て行こうとする俺を、担任は「待った」と止める。
「君心配ですね」
「なにがですか」
「他人事なのが」
本当に心配そうな顔で覗き見られる。
「被害が集中している路線、君確か使ってたでしょう。朝何時ぐらいに乗ります?」
「たしか7時半過ぎぐらい」
「時間もぴったり。うーん。大丈夫?」
朝のことが頭に過る。大丈夫だと思うけど。
「出来る限り友達と登校するようにして、もし被害にあったらすぐ言いなさい。私に言いにくいなら保健室の伏見先生に言いなさい」
「伏見先生?」
「同性ですから、私よりは安心できるでしょう」
保健の先生が男?
保健医って言ったら白衣の似合う美女って相場が決まってるのに、夢壊れるなあ。
「ま、あんまり四の五の言っても仕方ないけど、君はどこか無防備だから人一倍警戒するように。なんでも相談に乗るから。そのつもりで」
それでその場を後にした。
よくよく考えれば朝痴女に遭いましたって言った方が良かったかもしれない。
とっさに思いつかなかったのは、被害者意識が皆無だからだ。
痴漢行為よりも気になるのは、あの目がイったOL。思い出してもやっぱり気色悪い。顔は良いのに、なぜだろう。
教室に戻る。
北村も戻っていた。弁当を広げている。
「それどうしたの」
明らかにそれは誰かのお手製だった。
一昨日まで、こいつは俺と同じくパンを食べていた。
「どうしたって……なにが?」
「お前いつも弁当だっけ?」
「そうだよ」
いーや。絶対違ったから。俺が知ってる北村は購買でパンを買うのに命かけてるやつだったから。
スーパーで前もって買っとけと言っても「購買で買うのが楽しいんだ」って歯牙にもかけない。
スリルの意味を履き違えてる危ないイケメンだったのに。
「誰作ってんの」
「俺」
この世界は、本当に……。
「……男子力たけえな」
「普通だろ? 男なら」
普通ですかね。
でも考えてみれば俺も簡単な料理ぐらいならできる。
男子力を磨こうなんて意識は当然ないが、必要に駆られて最低限食うものは用意できる。
「パンってさ。乳化剤だっけ? なんか怖くない?」
「なにが?」
「発がん作用とか」
決して知らないわけじゃなかったし、耳を塞いでいたつもりもなかったけど、知り合いに大真面目な顔でそんなことを言われて食う気が失せた。
「気にしてたら外食できねえだろ」
「そうなんだけどさ。まあ、健康に良いもの食べたいじゃん」
これは引っくり返った影響なんだろうか。
単純に北村がきにしーなだけな気もする。
でも引っくり返る前は「添加物がなんぼのもんじゃーい!」とか言ってたんだよね。
北村が弁当を突っつくのを見ながら牛乳を啜る。
「職員室でなんか言われた?」
「プリント渡された。後は特に何も。そう言うお前はどこ行ってたの?」
「ちょっと野暮用」
「ふーん」
言いそうな気配がない。無理には聞くまい。
それ以上特に話題もなかったから、先ほど仕入れたばかりの新鮮な話題を振った。
「そーいえば、今集団痴女って流行ってるらしいぞ」
「……らしいな」
「こわいよなー」
「……」
無言の北村は弁当を食べる手を止めている。微妙に顔色が悪い。
この反応。こいつ被害者だったりするんだろうか。ちょっと探っておきたい。
「お前さあ」
「生徒会長の金折早織っているだろ?」
そうしたかったのだが、俺の言葉は遮られて北村は話題を変えてきた。
「いるねえ」
忘れられるはずがない。
ほぼ毎日顔を合わせている。
三年生で、背が高くて、髪が長い。そんな人。
「あいつに頼んどいたから」
「なにを?」
「お前と一緒に登下校してくれるように」
「何してくれてんの?」
子供の面倒見といて的なノリでお前何言ってんの?
俺は小学生じゃねえんだぞ。
「野暮用ってそれかよ」
「そう。うん。幼馴染だからさ。頼みやすかった」
何気に初情報。でもそれどころじゃない。
「なんだよそれ。余計なことすんなよ。あっちにも迷惑だろ」
「家近いだろ? 別に迷惑じゃないって」
「それはお前が言うセリフじゃない」
確かに生徒会の仕事終わりとかよく一緒に帰ってるけども。
なんなら歩いて5分の位置に家あることも把握してるけれど。
それにときめいたことも否定しやしないけどさ。
「いいよ。遠慮する。別に痴女とか、一人で撃退できるって」
「お前は痴女の怖さ知らねえんだよ」
「今朝知ったよ」
全然怖くなかった。
手叩けばびくつくような奴らだ。そもそも嫌じゃないし、相手になんないね。
「いいから、一緒に帰っとけ。な? そうした方がいいって」
「あのなぁ……」
あんまりにしつこい。
多分本当に被害に遭ったことがあるんだろう。
もしかしたら集団痴女に悪戯されたのかもしれない。
うらやま……いや、かわいそうだけど。
「会長も仕事あるし、なにより受験あるし。俺のために手煩わせるのはほんといいって」
「早織は推薦で進学するから大丈夫」
お前は推薦の何を知っているんだ。
「大丈夫とは言ってもさあ……」
渋りに渋って何とか断ろうとしていると、段々北村の顔が暗くなってくる。目に怪しい光が帯びて、固い口調で問いただしてくる。
「お前、痴女に遭ったんだろ……怖くないのかよ……」
「ぜんぜん。手叩いたら逃げてったぞ」
「……なんだ、それ」
予想外の言葉にがっくりと力が抜けたようだ。
「俺の空回りか?」
「次会ったらグーパンで撃退だな」
「ははっ」
北村は力なく笑った。
「お前すげえよ。俺なんて。俺なんてさぁ……」と顔を覆って背中を丸めてしまう。
おいどうしたとその背中を叩くが、微かに嗚咽が聞こえてきて、これはやばいと悟った。
「おい、立てるか。保健室行くぞ」
肩を貸して保健室へ向かう。
異変に気づいた同級生が「どうかした?」と聞いてきた。
「腹壊したんだってよ」と嘘を言う。本当のことなんて俺にもわからない。
碌に歩けてない北村を連れて階段を下るのは難しそうだった。
じゃあなんだ。お姫様だっこか?
男一人担げる自信ないぞ。
そうは言ってもやってみた。やっぱり全然軽くない。けど案外いけるもんだ。
筋肉がないってことは体重もないってことだから、それを考えればこんなもんなのかもしれない。なんとかいけそう。
俺が北村を担ぐのに苦労していた間に、教室の扉付近が混雑し始めていた。
昼休みだからか、急病人が1人出ただけでも噂が飛び散るのが早すぎる。周りにいた奴が興味本位で集まったのか。
ほとんどが遠巻きにしていたが、野次馬を掻き分けて数人やってきた。女子だった。
「保健室行くんだよね? 手伝うよ?」
「まじで? あ……いや、いいわ。俺が連れてく」
筆頭に立つ茶髪は何を気負うこともなくそう言う。
あんまり見覚えのない顔でも手伝ってくれると言われて嬉しかったが、よくよく考えれば女子に手伝ってもらうのはまずいかもしれない。
「どいてくれ。おい、どけって。……どけオラァ!!」
野次馬してるやつらに怒鳴る。
「緊急事態だ! 見りゃあ分かんだろ、跳ね飛ばすぞっ!!」
こういう時、集まってる奴に性別なんて関係ない。
怒鳴ってようやく道が出来た。走る。
「どけどけどけ!! 急患だ、どけっ!!」
人のたむろする廊下を目いっぱい叫びながら保健室に走った。
途中他クラスの先生に呼び止められたが、この際最後まで走った方が早いだろうと無視した。
必要なら勝手に追いかけてくるだろう。
「先生っ急患というか、ちょっと聞いてください!!」
保健室の扉をほとんど蹴破って入室する。
白衣の男性医、伏見先生は眼鏡をずり下げて俺を見ていた。