葵先輩を泣き止ますのは簡単ではなかった。
どれだけ会長が謝っても、どんな言葉を重ねても泣き止むことはない。駄々っ子みたいにイヤイヤと首を振っている。そんなことをしている間に人は集まり始めていた。時間がない。さて、どうやって言うことを聞かせてやろうか。
「先輩情けない姿見られちゃいますよ」
「……」
反応がない。死んでるみたいだ。
「後輩に見られていいんですか?」
これでも反応がない。まじで死んでる。
「こんちはー。……あれ、葵ちゃんどうしたの?」
「いつものあれです」
「あれかぁ」
いよいよ他の役員たちが集合してしまう。案外慣れている三年生はともかく、二年生の好奇な目が突き刺さっている。いい加減泣き止んでくれないと会議の進捗にも影響する。くっそ困る。
会長の助けを求める視線を受け、俺は袖をまくって一肌脱ぐことにした。
とは言っても、引っくり返ったこの世界でこれがどれだけ有効なのかはわからない。一か八か賭けの要素があった。
「……会長」
「……なに?」
「……葵先輩の好物はイチゴパフェですよ」
「……え? お肉じゃなくて?」
「……前にこっそり食べてる所を見たんです。間違いありません」
青い空高く、日差しは強いが風が涼しい日だった。
美味しいものが食べたくて、ちょっと遠めのレストランに行った。
そこで鉢合わせした。
イチゴパフェを食べていた葵先輩と昼飯を食いに来た俺。
見つめあう俺たち。数奇な運命で結ばれた俺たちはそのまま昼食を共にして、それどころか奢ってもらった。
先輩としての見栄があったのだろう。固辞する俺に「いいからいいから。奢らせろっ」と快く奢ってくれた。
……は? 口止め料? 知らない知らない。そんな情けないことしない。先輩は。
奢ってもらったお礼にと、後日イチゴパフェを差し入れで持って行って、結果念願のボディタッチだ。
思えばあれが初めてのボディタッチだった。イチゴパフェは俺たちの関係を深めてくれたキューピットなのだ。
当然だが、そんな事情は省略した。
半信半疑な会長は顔を伏せて沈黙を保つ先輩にこっそり耳打ちする。
「……今度イチゴパフェ奢るから泣き止んで」
直後、先輩は勢いよく立ち上がる。座っていた椅子が倒れた。派手な音がした。
気にすることなくぐるりと頭が回転する。俺を見る。涙はない。カラッカラに乾いていた。
一拍見つめあう俺たち。俺はニコッと笑い、先輩は大きな口を開けた。
「言うなって言ったろおおぉぉぉぉぉ!?!!??」
いよいよ先輩は俺に掴みかかってきた。やってみるもんだ。カモン、ボディタッチ!
しかし、やったーなんて思っている余裕はなかった。呆気なく押し倒されたから。
あれ? そう思った。いつもなら先輩に倒されるなんてことはない。このぐらいの勢いならどうってことないはずだった。
けれど現に今、先輩は俺の上に馬乗りになっている。その顔は涙目で、眦は赤く、頬は紅潮している。なんかエロい。
いや、そこじゃねえ。それも重要だけどもっと考えなきゃいけないことがある。
あれ? 俺こんなに弱かったっけ?
先輩こんなに強かったっけ? あれ?
両腕を掴まれる。
覆いかぶさるようにして、先輩の顔がすぐ目の前にある。
恥辱を耐えて歯を食いしばっている。ふーっふーっと荒い息が顔にかかった。微かにレモンの匂いがした。
拘束された両腕に力をこめる。
一瞬持ち上がりそうになる。すぐにそれ以上の力で押し返された。期待しただけ落胆も大きい。まったく敵わない。男の矜持が粉々だ。
いくら運動部とは言え、いくら上から圧されてるとは言え、いくら葵先輩とは言え。
まさか本気で抵抗してまるで歯が立たないとは思わなかった。これが男と女の力の差なのか。
知らず唾を飲み込む。先輩の険しい顔が俺を見ている。これだけの至近距離だから、その目に反射した俺の顔がはっきりと写った。
先輩が何かに気づいて目を見開く。「あ」とか細い声が声が漏れた。同時に腰を浮かす。
「ご、ごめ――――」
言っている途中で、会長が先輩を背後から羽交い絞めにした。
「何してるの葵っ!!」
すぐに引き剥がされる。
ほとんど間を置かず、三年生も二年生も俺たちの間に割って入った。
主に女子が葵先輩に、男子が俺の元に。
女子は口々に先輩を諌めて叱り、男子は俺に心配する声をかけている。
何も答えられず呆然としていると、二年生の男子が肩を強く掴んだ。いてえっ。顔を顰める。
「平気か!?」
「いや、痛いっす」
いつもやる気がなさそうに見える人だ。
実は中身は全然熱い人で、時々会長と意見の食い違いから口論している。皮肉屋の気質も相まって激戦になること請け合いだ。
「平気です」
「本当に?」
「うい」
立ち上がる。埃を払う。
会長に羽交い絞めされている先輩は、今にも崩れ落ちそうに脱力している。実際、会長がいなかったら崩れていただろう。
その表情は後悔に苛まれてる。死にそう。こんなことで死ぬな。生きろ。
「葵先輩」
呼び掛けに先輩は顔を上げた。
「すま――――ごめんなさい」
たぶん「すまん」と言おうとしたんだろう。
先輩はいつもそう言う口調だから。
けど言い直した。もっときちんとした言葉遣いに。
そこまでするほどのことか?
疑問に思う。
周りの空気が冷えている。それほどのことなのだろう。
「いやー、気にしてないっす」
一瞬先輩の顔が輝いた。
でもすぐ暗くなる。周りの目が突き刺さる。
「……ほんとうに?」
「ほんとうに」
チラチラと上目遣いなのが非常に愛くるしい。
それだけでなんでも許せる気がする。実際許す。
「ていうか俺の方が悪いでしょ。約束守らなかったんだから」
「それは……だけど……」
約束が何なのか、周りの役員たちは首を傾げた。
俺は先輩の目の前まで歩み寄ってその肩に手をかけた。
何をされると思ったのか、目を瞑った先輩は小動物みたいにびくっと怯える。
「今回は俺が悪いから許すも何も俺が謝らなきゃいけないでしょうよ。すみません先輩。約束守らなくて」
「いや……。そんなこと、別に……」
「今後はキッチリ守らせていただきます」
息を吸い、その場の皆に聞こえる音量で断言する。
「先輩がイチゴパフェ好きなことは誰にも言いません!」
時が止まった。止まったのは先輩だけだ。
他の皆は怪訝そうに俺たちを見ている。「え、そんなこと?」と誰かが呟いた。
「ましてや知り合いを避けてこっそり遠くの店まで食べに行ってるなんて、口が裂けても言いません!」
先輩は俺を見つめるばかりで何も言えない。続ける。
「パフェ食べてる時の顔が本当に可愛くて可愛くて、こっそり写真とってますけど、これも誰にも見せません! 俺だけで楽しみます!」
言いながら携帯を背後の役員に渡した。
先輩の口がパクパク開き始めた。
「お、お……」
「パフェだけじゃなくて甘いものなら大体なんでも好きなことも秘密です!」
「お、お……!!」
羽交い絞めを解こうと暴れる先輩を会長がきっちり抑え込む。
後ろでは男子役員たちは大体見終わったらしく、俺の携帯は女子役員に手渡された。
誰かが言った。
「かわいい……」
「……っ!? ……っ!!」
先輩はじたばた暴れている。
真っ赤に染まった顔を両手で隠そうと頑張るが、会長が絶対許さない。直視させる。現実を。
「かわいい」「可愛い」と連呼され、息も絶え絶えの先輩。
止めはこの人が刺す。
「かわいいっすね先輩」
皮肉屋の二年生が、鼻笑混じりにそう言って、葵先輩の羞恥心は限界に達した。
ずるずると崩れ落ちる。両手で顔を覆っている。耳まで真っ赤だ。
俺は繰り返す。
「任せてください。誰にも言いませんから!」
親指を立ててサムズアップ。
そう言えば、これって外国では侮蔑のジェスチャーになるらしい。
いや、そんな意図がないことは先輩も分かっているだろう。
先輩、俺マジ先輩のこと尊敬してますから。
まじ好きっすから。だからまじ気にしないでください。
ほんとかわいいっす先輩。