その夢は、どこか懐かしい感じがした。
そのユメは、どこか知っている感じがした。
ふわふわとした感触。子供が母の腕の中にいるときに感じるような、無防備に体を預けられる心地よさ。
私の足が、一歩一歩勝手に進んでいく。目的地など分からない私の感情と対極にあるような、確信の籠もった足取り。まるで見えない壁があるかのように、突然直角に曲がったり、大きな半円を描いたりと足跡は複雑な模様を描く。
辺り一面、見渡す限りの黒。
もし、足跡が自分の意志で動くようになってしまったら、寿命が尽きるまで彷徨い続けるだろうと思うくらいには、目印もなにもない場所。
ああこれは夢なんだ、と自覚したのはいつだろうか。行き着く先も、いつ醒めるのかも分からないまま、現の裏側で意識を紡ぐ。
怖さはなかった。元々、夜が好きだ。成績くらいしか取り柄のなかった少女時代で、私が世界で唯一の『特別』な存在になれる時間。太陽が沈み、夜が降りてくる瞬間は当時、何よりも輝かしく、眩しいものだった。
暗くても平気だった。夜空に広がる無数の小さな光が、暗闇を照らす夜の太陽が、絶対的な事象を伝えてくれるから。私という存在がいる場所を、時間を教えてくれる。その輝きは、私を導いてはくれない。ただ、そこに存在するだけ。
だが、それだけで十分だ。何百万年、何千万年、何億年前かの光が、私にスポットライトを当ててくれるから。
じゃあ今は?星の輝きも月の導きも視えない、きつく目を閉じたかのような黒の世界。当然のことながら、時間も場所も把握できない。それなのに、恐怖心というものが一切湧いてこない。
夢と自覚しているから?足が勝手に動いているから?
違う。そんな理由をつけられるものではない。もっと感情的な、心の底から感じられる安心感がある。理屈では説明が付けられない、どこまでも曖昧な何かが私を包み込んでいる。
「・・・メリー?」
口から相棒の名前が漏れる。何故、この言葉が出てきたのか分からなかった。
どれだけの距離を歩いただろうか?どれだけの時間が経ったのだろうか?終わりは唐突に訪れる。
ずっと歩みを続けていた足が急に止まったのだ。
「うわっ」
自由になった体を制御できず、勢い余って前に倒れてしまった。どこまで自分はどんくさいんだ、と思いながら立ち上がろうとして、力が上手く入らないことに気づく。
ずっと感じていた心地よさが、より強く私を縛り付けていた。
動くことが好きな自分からはまず出てこない思考が心を埋め尽くす。何なのだこれは。何故こんな私らしくないことを思うのだ。何故この『場所』にずっと留まっていたいと思うのだ。
腕に力を込める。反動をつけて立ち上がろうとして、手まで力が伝わらずに両腕が崩れ落ちる。足が、胴が、全身の力を振り絞っても少ししか動かせない。
いや、違う。動きたくないのだ。全身を絡め取る安心感が、私の行動を阻害する。
「何なのよ、これ・・・」
やっと出た声は、消え入りそうなほどに小さいものだった。
ずっと、死ぬまで倒れたままでいたい。
嘘偽り無い感情が心を支配する。私の人生においてこれ以上に幸福を感じることがあっただろうか。
それこそあの人に、幻想という存在そのものに会った時と同じ程の・・・・・・
と、そこまで考えた時、反射的にバッと顔が上がった。
音が聞こえたのだ。長らく自分の声と足音しか受け取らなかった耳に、久しぶりに入った第3の音。顔だけとはいえ、甘く優しい糸を引きちぎるくらいの意志を湧き立たせた。
目の前に広がる景色は、一変していた。
目に飛び込む、無数の光。私が見慣れた小さな輝きが、漆黒の世界を彩るように視界一面に広がっている。
だが、私はその星の光を見ていなかった。
遠くに浮かぶ、一つの星。所々に白色と緑色の模様をまとった、蒼色に染まった星が視える。
ずっと、ずっと見ていたくなるような光景。それは、私の故郷。数十億年という歴史を刻んできた、生命の星。
(これが・・・私の住む星)
一目見て胸に飛来したのは、そんな当然のことだった。綺麗だとか、美しいだとか、偉大だとか、そんな安っぽい造形語では言い表せない、どこまでも絶対的な事実が私の心を埋め尽くす。
宇宙が生まれ、星が生まれ、やがて誕生した無数の命。それが広大な海で肌を青く染め、群を成す。海での生存競争に敗れかけた種族は、種を絶えさせないため地上に上がり、適合した。地上の王者から逃げるため、手足を発達させ木から木へと飛び回る者もいれば、王者の牙が届かない、広大な空へ活路を求めるものもいた。
果てなき生命の歴史を、その群像劇をありのまま受け入れてきた星、地球。
見惚れているうちに、一つの疑問が浮かび上がった。
(あれ・・・こうやって地球が視えるのであれば、この場所は?)
当たり前といえば当たり前の疑問なのだが、非現実的な体験のせいですっかり頭から抜け落ちていた。
その考察を始める前に、再び大きな音が右から聞こえた。
力を振り絞って、顔を捻り傾ける。変に力を入れたせいで少し首に痛みが走ったが、そのおかげか視点をしっかりと向けることが出来た。
視線の先、どこまでも続く無機質な岩肌の先に二人の人物が見えた。
二人は飛んでいた。黒く光る宇宙という海の中を泳ぐように、舞踏会のフィナーレを務める主役のように舞っていた。
片方には見覚えがあった。特徴的な帽子に、紫と白を貴重とした服と、無地の傘。
八雲紫。幻想と共に存在する者。半年前、私達に大きな夢を魅せてくれた人が、宇宙を舞っていた。
彼女の姿を見た瞬間、また胸が高鳴った。再び会えた喜び、ではない。もっと別の何かが、彼女という存在に対しての感情が、私に流れ込んできた。
八雲さんが、宙を駆ける。縦横無尽に動き回り、もう一人の人物に対して、輝く球体やレーザーのようなものを放っている。
およそ人間業ではない行いだが、彼女であればそれくらいのこと出来て当然、と根拠もない肯定をしていた。いや違う。『私はそれくらいの力があることが分かっていた』。
二人は、戦っているのだろうか?もう一人の人物は、飛んできたものを交わしながら、同じように球体を八雲さんに向かって飛ばしている。目を凝らしてみるが、靄がかかったように霞み、具体的な姿を捉えることが出来なかった。
二人共、私のことは全く気にかけなかった。私などは眼中にないように、そもそも気づいていないかのように二人だけの世界を築いていた。
舞う姿。きらびやかな球体とレーザー。二人を包む、漆黒のソラ。要素一つ一つが主役を張れるそれらは、合わさることで調和を生む。違和感など無い、一つの芸術を作り出していた。
観客の私は、ただ見ていることしか出来ない。動けない身体なのだから当然だが、仮に動けたとしても割って入ることなどするはずがない。劇の最中に、舞台に乱入する無粋な真似ができるだろうか。
この光景は、間違いなくユメだ。それでいて、どこか知っている感じがした。
二人が織りなす舞台を、私はただ、じっと目に焼き付けていた。
「蓮子っ!!」
覚醒の時は突然やってきた。意識が深淵から引き戻され、身体が自由を取り戻す。
ガバっと顔を上げると、呆れ顔の親友と目があった。
「おはよう。随分と熟睡してたようね」
既に寝間着姿から着替えているメリーがため息をついた。スマホで時間を確認すると、朝か昼か決めがたい時刻が表示されている。
予想以上に眠っていたみたいだった。昨日、ムキになって夕食後もメリーに勝負を挑み、5連敗を記録するまで夜更ししていた弊害が早速現れたみたいだ。
ついでに言うならまだ眠い。脳がさらなる睡眠を求めているのか、鉛が入ったような感覚がある。
「おはよう・・・メリー。・・・ごめん、あと2時間」
「駄目」
慈悲もない一言と共に、強引に布団を持っていかれる。どいて、と言われて部屋の隅に寄ると、メリーはテキパキと自分の布団を片付けていった。昨日同じ部屋で寝たはずなのだが、自身の布団は私が起きる前にもう綺麗に整理されていた。
ものの1分で、布団で占領されていた部屋の床、が広域を取り戻した。
あ、メリーいてくれるとホント便利・・・という考えを頭から振り払う。もう昨日の時点で外堀埋められてる気がするのだ。実家でメリーに頼り切りの姿を晒してしまってはいよいよ本丸に手がかかることになってしまう。
「蓮子、実家だからってダラけててちゃダメよ。しっかり体を動かさないと」
「はーい・・・お腹すいた・・・」
「はぁ・・・とりあえずご飯食べましょう。もうお義母様が用意してくださってるわよ」
「メリーごめんイントネーションおかしくなかったかな?」
身の危険を感じてとっさにツッコミが出たが、メリーはどこ吹く風で下へ降りていってしまった。
一人になった部屋で、深呼吸をする。
変な夢を見た気がする。見知った人物と会った気がするし、ひたすらに何かに見惚れていた気もする。
しかし、思い出せない。情景は朧気ながら頭の中に描かれるのに、霧がかかったように抽象的な光景となってしまう。
とても重要なことだったはずなのに、鍵が掛けられたのか、いくら開こうとしてもびくともしない。頭を抱えて記憶を手繰り寄せようとするが、途中で糸が切れているようでそれ以上引っ張ってくることが出来ない。
うーん、と考えて、ひとまず保留することにした。
後からふとした拍子に思い出すこともあるだろうし、結局忘れたままであればその程度のことなのだろう。
クローゼットに歩み寄りながら、一つ大きな欠伸をした。