秘封倶楽部(仮)   作:青い隕石

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 最近、イラストにも挑戦を始めました。ジャケ子×レベ子CP絵が少ないので、それなら自給自足しちゃると意気込んでペンタブ買いましたが、めちゃくちゃ難しい・・・。


変わりゆく価値

 

 生きてるって素晴らしい。

 

 

 今の私の心からの感想である。

 

 絶体絶命、九死に一生からの生還を果たした時、心はこんなにも晴れやかになるのか。何気ない日常にあって忘れがちな、生きているということ。あれが欲しい、これが欲しいと欲を追い求めることができるのは気持ちに余裕があるからだ。生きるか死ぬかの瀬戸際では、自らの生死以外に意識を向けることなど不可能と言っていい。

休日ということもあり、人がまばらな図書館の中で私は大きく息を吐いた。椅子にもたれかかる姿勢をとっていたため、反動で頭が少し下がった。

 

 「だらしないわよ、蓮子」

 

 メリーの呆れた声が向かい側から聞こえてくるが、生返事で返すことで対処した。

 

 広テーブルに積み上げられた本を眺めながら、欠伸を噛み殺す。つい先程人を怒らせた者の態度ではないと言われそうだが、まあいつもメリーに怒られた後はこんな感じだし・・・。

 

 

 決死の謝罪案件(2ヶ月連続n度目)の末、私の命は二人行きつけの喫茶店の看板メニュー、ストロベリー・タワーパフェとの等価交換となった。安くない出費だが、命と比べれば安いものだ。

 

 そもそも私もメリーも入学する際に入試点数最上位で入ったため、学費を始めあらゆる面で金銭的な補助を受けている。普通に大学生活を送る分には十分余りある額をもらっているため、多少の支出は問題ない。

 

 「そんな考えだから過ちを繰り返すのではなくて?蓮子の財布を管理したほうがいいのかしら・・・」

 

 「待ってごめんなさい反省してます許して」

 

 口に手を当て、不吉な言葉を口にするメリーを見て本日何十度目かの低頭を決行する。日常における私達の力関係が如実に現れた一コマである。

 

 窓から差し込む日差しに目を細める。人間が活動する上で最適な温度、湿度に保たれた室内だが、余計なはずの陽の光をありがたいと思うのは何故だろうか。完璧を追い求め続けたはずの人が不完全さを望む・・・これを矛盾と捉えるか人の性と見るかは意見が分かれる所だろう。

 

 光が小型ノートPCの画面で反射していたため、角度を調整する。メリーに頼み込んで始めた共同レポート作成だが、私の画面はほぼ白一色で統一されている。自由度が高すぎる課題のせいか、逆にどう取り掛かっていけばいいのかが決まらない。

 

 もちろん候補はいくつか考えているのだが、どれも甲乙つけがたく一歩を踏み出せないでいる。サークル活動時には暴走気味とも言える即断即決力が、何故か普段は顔を引っ込めてしまうのだ。

 

 待ち合わせ場所をここに指定したのは、そんな状況を打破できればという願望が込められていたからだ。

 

 

 『酉京都大学ライブラリーセンター』

 

 

 たかが一大学の建物が、国立図書館と肩を並べるほどの書物収蔵施設であるなど、数十年前の人が見れば驚愕するだろう。

 

 21世紀初めには電子化の発達によって、大量の情報を手に入れられる時代となっていた。それから百年以上たった今、ネットワークの進化は既に終着点を迎えており座ったまま瞬時に求める情報を入手することが可能となった。

 

 量と速度。かつては莫大な価値のあったそれらが、科学世紀においては路傍の石程度の価値しかなくなってしまった。むしろ京都においては国によるクリーン活動が行き届いているため、小石のほうが貴重と言えるかもしれない。

 

 逆に大きく価値を上げたのが質である。誰でも労せず普遍的なものを入手できるようになった事で、一品物に値段が付くようになったのだ。面白いことに、優れた性能を持つ量産品より平凡な性能である一品物の方が数倍、数十倍の価値が出ることも珍しくない。

 

 例を挙げるならばお酒が当てはまる。味が整っており身体への悪影響が少なく、二日酔いになる心配もない新酒が安価で手に入る一方、かつては主流だった旧型酒を飲もうとするなら1週間はひもじい生活を送る覚悟が必要になる。全てにおいて新酒が優れているというのに、価値の逆転が起きているのだから不思議というほかない。

 

 物は試しで一度飲んでみたことがあるが、味のクセが強い上に翌日見事に二日酔いとなり昼過ぎまでベットに籠城する羽目となった。休日だったのが不幸中の幸いだが、万が一平日に飲んでいたらと思うと今でも冷や汗が出る。

 

 似たような物としては合成食品もそうだろう。私達の世代では、土の中で作られた作物を口にするなど「ありえない」という認識が一般的となっている。私は昔ながらの方法で育った野菜とか米とかをもっと食べてみたいんだけど・・・・・・。

 

 まあ、私一人が声を上げた所で何にもならないことは分かっているけど。天候、気温の影響を受けずに安定した供給を保てる合成食品の出現は、文字通り革命だった。今では他国にも普及しており、すべての国で合成食品が主流となる日も遠い未来の話ではないだろう。

 

 (・・・でも、また食べたいなあ)

 

 脳内に浮かぶのは昨年訪れたデンデラ野。宿泊した旅館で出された夕食は、お米、味噌汁、主菜副菜全てが天然物だった。

 

 それまで数えるほどしか口にしてなかった天然物。合成食品とは明らかに違う食感や香りによってどんどん箸が進み、気づけば皿が空になっていた。これだけのスピードで食事をしたことは記憶にない。

 

 おいしい、とは違う。お酒と同じで、どちらかと言われれば合成食品の方が万人受けするだろう。何より値段を考えればどちらを選べばいいかは明白だ。

 

 それでも私は躊躇する。選べと言われたら、恐らくすぐに決められない。そして、その理由も分からない。

 

 

 

 ・・・話が逸れた。このライブラリーセンターが日本有数の存在となった理由としては、先程述べた『質』が関連してくる。

 

 紙媒体から電子への転換。スマホ1つの中に何万冊もの著書を貯蔵できるようになったことで、本自体の価格が低下した。これは決して価値が下がったという話ではない。紙媒体で販売するよりも、電子式の方が安い原価で取り扱えるようになったのだ。

 

 著者へ払う印税を増やしても余裕で採算が取れると分かり、出版社はもちろん、作家も舵を切った。結果として紙の本は緩やかに部数を減少させていき、その数字分を電子書籍がかっさらっていった。むしろそのお手軽さから、トータルの販売部数で見れば増加傾向にある。

 

 昔は本1冊が喫茶店のコーヒー2~3杯分の値段だったらしい。驚きだ。今ではほぼ同額なのだから。

 

 誰でも多数の書物をその場で購入でき、常に持ち歩ける。相対的に過度期における書店、図書館の価値は下がり、書店に至っては電子化の波に乗り遅れた店から順番に潰れていってしまった。

 

 このまま紙媒体は淘汰されるのか・・・そんな考えが世論に蔓延する中で酉京都大学は時代の逆を目指した。大金を投じてそれまでの図書館を改築し、何倍にも膨れ上がったスペースに学術書、学問書を中心として本を埋めていった。

 

 時代遅れに何故金を使う、電子で十分だろ・・・そんな声があちこちから聞こえてもなお、大学は止まらずに購入を続けたのだ。

 

 何十年も前から続けてきたその行為は次第に形となって表れてくる。話した通り、一品物や数の少なくなった物はそれだけで価値のある存在となった。では、『元々の数が少なかったもの』がその対象となったらどうなるか?

 

 先程、コーヒー1杯で電子書籍が購入できるといったが、例外がある。学術書、学問書という紙媒体の時点で部数小、高価格だった本については電子化してもそれなりの値段をキープしている。

 

 専門的な本というものは作成する期間が長くなり、買い手も限定される。複数人が協力して執筆する例もあるため、必然的に値段を高くしなければ算盤を弾くことが出来ない。通常の本の数倍、ものによっては十倍の値がついても珍しくないのだ。

 

 大衆書物はともかく、学問書に関しては電子書籍といえども懐事情の厳しい学生としては二の足を踏まざるを得なかった。

 

 そんな中、大量の専門書を無料で読める施設があるとなればどうなるか?課題の難易度も最高峰の酉京大生徒からすれば、こんなにありがたいものはない。

 

 以前より『質』が高かったものが、『量』を揃えて置いてある。大衆向けの国立図書館と専門向けの酉京都大学ライブラリーセンター。時代に逆行したやり方で唯一無二の存在となったこの場所にて、私の行く末を決める素敵な一冊と巡り会えたらと思ったが・・・

 

 

 どうやら現実はそんなに甘くないようだ。

 

 

 若干だらけ気味の私の前に置かれている複数の書物。複数の候補から決められない中、最後のひと押しをと思い関係がありそうなタイトルを引っ張り出してきだのだけれど、そこで止まってしまった。

 

 今特に力を入れて学んでいる超ひも理論。故ホーキング博士が残した遺言、マルチヴァース。その他どれもが魅力的に映ってしまい、決めきることができない。

 

 一旦万遍なく薦めてみようかという意識が徐々に台頭してきている。決断の先延ばしだとは理解しているが、白紙のまま無駄に時間を浪費するよりはマシだろう。

 

 「そんな訳で全く決まらないからメリーの課題も参考にしたいの!」

 

 「そろそろ言われると思ってたわ、そのセリフ」

 

 助けてメリえもん!との懇願に呆れた眼差しを向けてくるメリー。私がだらけてた時もうんうんうなっていた時も、涼しい顔で小型PCに文字を打ち込んでいる。

 

 まあメリーを呼んだのもこれが目的だし。調べ物だけなら一人でも可能なため、声を掛けた時点でメリーは私が何を求めているか察しただろう。それなのにどうして遅刻した私。待ってくれていた彼女には本当に頭が上がらない。

 

 専攻分野が違うため丸ごとは参考にできないとしても、何かしらの発見や閃きがあればそれだけで儲けものだ。カップラーメン開発者が天麩羅からヒントを得たように、自動改札機の開発者が流水からヒントを得たように、まるっきり関連の無さそうな事象同士でも思わぬ化学反応が起きる場合がある。 

 

 願わくば、その内容が一筋の光と成らんことを。そんな軽い(?)気持ちで反対側に周り、メリーのPC画面を覗き込んだ。

 

 私のと違ってかなりの文字が打ち込まれている。ふんふんと文字を目に捉えて文章として読んでいく。そのまま読み進めて読み進めて・・・。

 

 「・・・・・・メリーごめん。タイトル見せてくれないかしら」

 

 「はーい」

 

 のんきな声で私の要望に答えるメリー。その目はいたずら成功!という感情が宿っていた。

 

 ただ私には、それを十分に認識するだけの余裕がなかった。文章を読んで、彼女が取り組んでいるテーマを予測してしまったからである。

 

 軽いタッチで画面がスクロールされていく。程なく最初に戻り、そこに映し出されていたタイトルを見た。瞬きしても文字は変わらなかった。

 

 「・・・わぉ・・・」

 

 なんてものを選んでくれたのか、この人は。そこには予想通りの言葉が書いてあった。 

 

 

 

 

 

 

 『クオリアについて』

 

 

 

 

  

 

 

 科学によってありとあらゆる世の中の事象が解明された、科学世紀。それは、『クオリア』も言及された。

 

 2000年代終盤、科学における最大の難問と言われたこの事象に世界の頂点、科学学術団体は声明を出したのだ。

 

 

 

 

 「クオリアは、科学において解明できないことが証明された」

 

 と・・・。






今年中には第二部まで進めたい
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