ある程度まとまりましたので、早めて投稿。今回は繋ぎ回です。
こちらの小説に関してですが、裏で少し進めている事があります。年内には報告できると思いますので、よろしくお願いいたします。
結論から言うと、私たちは完全に浮かれていた。
人類が回収不可能と結論づけ切り捨てた場所に、鳥居をくぐっただけで立っているのである。これで平常心を保てるような人間がいたなら、それはもう研究対象として大学へ連れて行きたいところだ。
もっとも、浮かれる前に一つだけ確認はした。帰り道である。
「メリー、入ってきた綻びはどこ?」
「ここには無いわ。こっちに出てくる時、向こうの方で一瞬だけ見えたの。出口が少しずれたみたい」
彼女が指差したのは、密林のさらに奥だった。綻びの出口がずれるなど、この数年で一度も無かった。背筋を嫌なものが撫でていったが、方角が分かっているなら問題は無いと自分に言い聞かせ、私たちはそちらへ向かって歩き出す?
「蓮子、この葉っぱ触ってみて。ゴムみたいよ」
「本当ね。多肉化してるんだわ、これ。水を溜め込む方向に進化してる。……でもおかしいわね、この湿度で貯水機能を強化する理由なんて無いはずなのに」
私は掌ほどもある葉を裏返しながら唸った。
高温多湿の環境に置かれた植物は、むしろ余分な水分を排出する方向へ形質が向かうのが自然である。それを思えば、この厚みは明らかな過剰適応といえる。
……ということは、この船の内部が常に今の状態だったわけではないのだろうか?
乾燥した時期もあったのだろうか?それも非常に長い期間。人の手を離れてからの数年のうちに、循環系が一度おかしくなったのかもしれない。この子たちは一度死にかけて、それを生き延びたものだけが今ここに繁茂している。そう考えると少しだけ背筋が寒くなった。人類が全滅と結論づけた生態系は誰の管理も観測も受けないまま、環境の激変を乗り越えて姿を変えていたのである。
これを失敗と呼ぶべきなのか、私には判断がつかなかった。少なくともこの箱庭で生き抜いてきた植物達は、自分たちが失敗作として扱われていることなど知りもしないだろう。
「蓮子、また難しい顔をしてる。眉間に皺が三本」
「三本は多いでしょ大袈裟よ」
抗議しつつ葉から手を離し、私は歩みを再開した。
ところでこの船の低重力というものは、想像していたより遥かに厄介な代物であった。最初の数分は素直に楽しかったのだ。歩幅がやたらと伸びるし、軽く踏み切っただけで身体が浮く。私が当然のようにはしゃいだのは、人間として極めて正常な反応であったと今でも思っている。問題は着地の方にあった。
「あなたさっきから何回転んでいるのかしら?」
「メリーが器用すぎるだけよ。これはね、身体が記憶してる落下速度と実際の落下速度が食い違ってるのよ。脳が予測を誤って着地姿勢を作るのが間に合わな……」
「はいはい。ほら、手を貸すから」
腐葉土から身を起こしながら滔々と述べた理論は、実に丁寧な無視をもって迎えられた。差し出された手を取って立ち上がると、彼女は当たり前のような顔で私の袖についた土を払い始める。
こういうところなのだ、この相棒は。散々からかっておいて最後には必ず手を伸ばしてくるものだから、私はいつまで経っても彼女に頭が上がらない。
そのまま歩き続けていると、天井付近を何かが横切った。掌ほどの大きさの蝶が、宙をゆっくりと旋回している。照明の光を受けて、その体表が虹色に反射した。
綺麗ではあった。ただ、綺麗という言葉だけで済ませるには彩度が高すぎる。自然界でこの手の派手な配色を持つ生物は、大抵の場合、毒を持っているか毒を持つふりをしているかのどちらかである。
しばし、その危うい美を眺めていると彼女がポツリと呟く。
「あの子たち、名前はあるのかしら」
「無いでしょうね。地上に存在しないんだもの。誰も見たことがない生き物に名前がつくわけないわ。……つまり私たちが最初の発見者よ。理屈の上では命名権もあるわね。どこに報告すればいいのか分からないけれど」
話しながらゆっくりと歩みを進める。開けた場所に出たのは、それからさらに10分ほど歩いた頃だった。
広場と呼ぶには狭い。おそらく巨木が倒れた際に周囲の植生を薙ぎ払ったのだろう、円形に近い形で緑が途切れており、その分だけ壁面の窓が大きく露出していた。
腐葉土の匂いと湿った空気、遠くで絶えず流れている水音、頭上を舞う名前の無い虫。そして窓の外に広がる、何一つ存在しない黒。
どう考えても異常な取り合わせであるのに、倒木に腰を下ろしてしまえば不思議と落ち着くのだから、人間の適応力というのも大概である。
窓越しに、月が見えた。
「大きいわね。ねえ蓮子、あそこにも誰かいるのかしら」
「無人の観測基地ならあるわよ。有人のものは無いけれど」
「そうじゃなくて。もっと昔から、いるんじゃないかしら」
膝を抱えた彼女は、窓の外を見上げたままそう言った。この手の話を持ち出すときの彼女の目はいつも少しだけ遠くて、オカルトを語っているというより、見えているものを淡々と報告しているような色をしている。
「かぐや姫でも住んでるって?」
「案外そうかもしれないわよ。夢を見るのは私の担当でしょう。……そういえばその姫君、地上に不死の薬を置いていったのよね。帝に渡して、帝はそれを山で燃やしてしまった」
「それで不死の山、富士山ね。私、あの話を初めて読んだとき、帝は大馬鹿者だと思ったわ。燃やす理由が無いでしょう、あんな貴重なもの」
「愛する人がいない世界で永遠に生きても意味が無い、というのが理由だったはずよ」
「そこが分からないのよ」
私は身体を後ろへ倒し、倒木に肘をついた。葉の隙間から降ってくる人工の光が、やけに白く感じられる。
「ねえメリー。不老不死って、素敵だと思わない?」
好奇心が口から溢れる。ひとたび言葉にしてしまったらとどまる所を知らない。
「生きているわけでも死んでいるわけでもない状態でしょう。生きているという状態はね、死という終点を前提にして初めて成立するの。始まりがあって、終わりがあって、その途中の区間を指して生と呼んでいる。……だから終点を取り払ってしまったら、その言葉はもう使えなくなるのよ。かといって死んでもいない。どちらの箱にも入らないの」
「境界の上にいる、ということ?」
「そう、それ。生と死の狭間に立って、どちらにも分類されない在り方。世界のどこにも該当する項目が無くて、名前すらついていない。それってつまり、幻想みたいなものじゃない? 確かに実在しているのに、既存の枠組みでは説明がつかない。さっきの虫と同じよ」
誰も見ていないのに指を一本立ててしまうのは、講義の悪影響かもしれない。調子に乗った私は、そのまま赴くままに言の葉を紡ぐ。
「死という幻想、とでも言えばいいのかしらね。あるいは生と死の境界かしら……ネクロファンタジア、ボーダーオブライフ、なんて。どう? 格好良くない?」
「……蓮子って、時々そういう言葉を思いつくわよね」
「今度どこかで使おうかしら?論文の題名とか」
「止めときなさい。中身はともかく、タイトルだけでスルーされるわ」
メリーが眉をひそめたが、私は知っている。この顔をしているとき、彼女は割と面白がっているのだ。
「まあ理屈はともかく、私は素敵だと思うわよ。分類不能な存在として、いつまでも在り続けるの。メリーは? もし目の前に薬があったら」
「そうね……私は飲まない、かな」
少し悩んで答えたメリー。その回答に少しだけ驚いた。
この手の思考実験において、彼女は大抵の場合あれこれと条件を並べ立てた末に結論を保留する。
優柔不断は彼女の数少ない短所の一つであり、私が愛すべき欠点として個人的に認定している部分でもある。その彼女が、迷いこそあれ言い切ったのだ。
「あら意外。理由を聞いても?」
メリーはしばらく答えなかった。人工の風が頭上の葉を揺らし、名前の無い虫が一匹、私たちの間をゆっくりと横切っていく。やがて彼女は窓から視線を外し、いつも通りの穏やかな表情でこちらを向いた。
「……一人で残るのが、嫌だから」
控えめな笑みと共に告げられた答えが、ストンと胸に落ちた。ああ、メリーらしい答えだな、と。
彼女は会ってからずっとそうだった。私が無茶をすれば止め、危険な場所へ踏み込もうとすれば袖を引き、一人で先へ行かせることを何より嫌う。
永遠の時間を手に入れたところで隣に誰もいなければ意味が無いというのは、彼女にとって極めて自然な結論なのだろう。
「なら、二人分あればどうかしら?」
「そうね、それなら考えてもいいわ。蓮子と永遠の愛を育めるものね」
「言い方ぁ!!」
先程の儚さはどこへやら。熱っぽい視線を送られタジタジとなるしかなかった。