キリングミュータント   作:糸冬いずく

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十二月

  1

 

 前の席から奥田さんが呼んだ。振り返って、問題集とノートを机に置く。赤色で複数の回答が訂正されていた。

「順番にお願いします」

 彼女は迷わず口にした。

 席が前後という程度の付き合いから、よくここまで打ち解けたものだ。模範解答と解説を並べて、いつかのことを懐かしんだ。――十二の月、再び期末テストが迫っている。

 夏の日とは違って皆長袖の制服で、大抵教室か廊下に詰めている。目標ももはやラッキーチャンスなどではない。最初の中間テストに立ち返って、今度こそ五十位以内を目指している。これが最後のテストなのだ。三学期から、内部進学の本校舎と外部進学の旧校舎とでは授業が変わって、テストも全く異なってしまうから。クラスメートも先生もあまりに必死で、担任の分身などは形を乱すほどだった。深くは考えるまい。

「どうかしましたか」

「ううん。ええと、この記述問題だけどね。大体設問にヒントがあって――そう、今回はこれとこれがキーワードだったんだ」

 ペンを握った手が、意思とは関係なく、しかし適当に動いた。奥田さんは長文の一部を指し示して、悩ましげに線をなぞる。大抵はこの付近に、問われていることの最重要フレーズがあるもので――。また口から適当な解説を吐き出して、

「これは特殊解に持ってくやつ」

 耳は別の科目を教えるクラスメートの声を拾っている。私が奥田さんに英語を教えるように、隣の席でも誰かに数学を教えていて、奥田さんもまた誰かに理科を教えて。――これも夏とは違う光景だった。先生が提案した新手の勉強法は、今のところうまくいっている。朝に昼休みに放課後に、総合一位を期待される赤羽カルマなどは引っ張りだこだ。

 更に月をまたいでも、一緒の登校は続いている。わざとらしく参考書をしまってみせるくらいなら、さっさと教室へ向かえばいいものを、彼は一度もそうしたことがない。

 特に会話が増えたり減ったりもしない。ただ、期末テストでの個人的な勝負については、学園祭以来まるで忘れられたかのように、話題に上がらなかった。

 彼にしてみたら目標は総合一位で、それは他からも期待されるほどで。まるで不利な勝負ではないか。相手は当然に勝てるのだ。精々モチベーションの維持、向上につながれば良いところ、くらいの。

 私はどうして、こんな勝負を引き受けてしまったのだろう。いや改めて考えるまでもない。理由はわかっている。ただ一つの命令権が、どうしようもなく魅力的だった。

「――だから、後はやることは同じだよ。先生が教えてくれたとおりにやれば、部分点でも取れる。離れてると焦っちゃうけどね」

「はい! ありがとうございます」

「うん。私もがんばらなきゃ」

 これで最後なのだ。ちかちかと一瞬、目の前が光った。ペンを置く。ぐっと体をほぐすように伸びをすると、今度は血管に熱を感じた。

 私も全力でいかなくては。――理由を問う者は、どこにもいない。

 

  2

 

 期末テストの翌日、結果が出てから個人的な約束が果たされるまでに、少しの事件があった。

 三年E組は目標を達成した。すなわち、クラス最下位・寺坂君の名前が、成績上位者の表の下から数えた方が早い所にあったのだ。それは椚ヶ丘学園のシステムの崩壊をも意味した。そこに端を発したのだが、一つ二つの騒ぎを起こして、平和裏に終結した。

 日の沈むころ、生徒はようやく解散となった。スクールバッグを片手に、赤羽カルマと私は顔を見合わせる。言葉はない。それでも二人で向かったのは裏山だった。ちょっと人目を忍んで話をするなら、ここしかない。突き刺すような寒さに構わず奥へ走り、隠れるように幹を背にする。

「おめでとう」

 どちらからともなく口にした。乾いた言葉があった。先に満足げに笑ったのは、赤羽カルマだった。――上から二番めに、私の名前。一つ下に浅野君、更に下に同じクラスの中村さん。私は負けたのだ。

「あれ、やっぱり、そういうしくみだったの」

「そうだったのかな。先生の教え方が上手だったんだと思うよ」

 平然とした声が出た。私の自己暗示はいつだって完璧だ。

「――あ、信じてない顔だ」

「ばれた?」

「それがあの命令?」

「まさか!」

 彼はおもしろがって叫んだ。二人で話した中で最高の笑顔だった。

「もったいないじゃん、こんなわかりきってるの」

「そっか」

 勝負を彼は忘れてはいなかったのだ。私は全力を出して、たった一つの命令のために全てを棒に振った。

「後悔してる?」

「うん」

「即答かよ」

「だって、何を命令されるのかわからないもん」

「悪い悪い」

 そうとは、かけらも思っていないだろうけれど。だが、なぜか、苛立つよりかえって安心した。命令がわからなくて後悔していることは本当なのに。

 いつからだったか忘れてしまいたいほど、もう赤羽カルマの考えがわからなかった。奥田さんの思考など手に取るようにわかるのに。先生の心の内だって。

「夏祭りに行ったじゃん」

「夏休みの最後の日だね」

「あそこで言ったこと覚えてる?」

 忘れるはずがない。もうずっと、この男の気まぐれに振り回されていて、沖縄ではむかつくと言われて、何も似合っていないと言われて、嫌な人間だと言われて、

「それが今だって?」

「そう。おまえは今殺す。ここで殺す」

 三月まで後三箇月。巻きに巻いて、彼は私を見た。目が合う。強い風が皮膚を刺した。

「隠してること、あるでしょ」

「スリーサイズとか」

「気にならなくはないけど、俺がそんなこと言ってんじゃないの、わかってるだろ」

 それには、この私は黙り込むしかなかった。この期に及んで完璧な自己暗示が、何よりの答えを差し出す。

 

「あんたの秘密を教えてよ」

 

「私しか知らない秘密なんてもの、明かしたとして、赤羽君は信じるの」

「信じるよ」

 後ろで赤羽カルマがうなずいた。カサカサと音がする。

「あれだけ嫌なこと言ってきて、それなのに信じるだなんて、変わってるよね」

「おまえも相当だって」

「そんなこと初めて言われた」

「だろうね。ま、何にしたって、俺はおまえというか、考え方を信じてるよ」

 なんとも赤羽カルマらしいやり口だ。そういうところが嫌なのだ。土を踏みながら、考える頭はらしくもなく穏やかだった。

 過程を大切にして、そのうえで結果を出す人間だった。信用、信頼、そうした社会の最重要事項をよく理解している。彼が初めて先生を暗殺したとき、いち早く「先生をやること」を天秤にかけさせていた。――私は今きっと「三年E組でただの生徒をやるということ」を天秤にかけさせられている。ずっと天秤にかけてきた。ミュータントでなく、ヒトをやるということ。

「一緒に登下校するの嫌だったでしょ。何でとか言わないでよね、俺にはばればれだったから。で、あんたは一度もやめようとか言わなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()からだろ。――別にさ、理由なんてたった一つで十分じゃん。嫌だって言えば良かったんだ。嫌だって言われたら、俺だって引くしかなかったんだからさ」

 クラスメートからの誘いを断ることを、ありきたりな人間としてずっと考えていた。普通のクラスメートらしく断る方法をずっと探していて、そこに舞い込んできたのが護身術の訓練だ。磯貝君に誘われて、私はこれ幸いとばかりに飛びつき。そうしてようやくのことだった。文化祭準備期間に入って、すぐに意味をなさなくなったけれど。

「普通、嫌でしょ。俺のせいで――まず俺のせいだと思わない? 何も関係ないのに、ただ居合わせただけでE組落ちに停学沙汰。巻き添えだぜ」

「――わかった」

 いつしか目的地に着いていた。場所を帰る提案が一も二もなく承諾されてしばらく。制服だからと、ただ歩いて。

 先生は今、旧校舎にいない。気配がない。いつものように海を越えたのだろう。信じない道理はない。もうしばらく時間がある。烏間先生もイェラビッチも、他クラスメートも周辺にはいない。どれだけ急いでも、駆けつけるには十数分かかる。

 赤羽カルマの所持品のうち注意すべきはスマートフォンだろうか。

 ――もっとも、どれも杞憂に済むのだが。

「命令、それでいいんだね」

「もちろん」

 赤羽カルマはにこりと笑った。そして指し示された方向を見て、

「意外と大胆だね」

 そんな軽口を私は無視した。

 

 裏山ほど内緒事に向いた場所はない。隠れやすく、隠しやすく、明るく、暗く、広く、狭い。この環境を、E組の面々は熟知している。だからこそ。

 例えば、多く見積もって定員三名の洞穴、だとか。

「何持ってんの」

「気にしないで。先生はいないから。それとも、こんなことに権利を使う? 私はそっちの方がうれしいな」

 奥は行き止まりで、出入り口はたったの一つ。そちらに赤羽カルマの背を向けさせると、そこは真っ暗になった。狭くはない。二人で座る程度の余裕はある。私はスマートフォンのライトで周囲を照らした。

 彼はようやく私の持ち物を目にする。

「きのこじゃん」

「覚えてる?」

「あー、それは――」

 拾ったうちの一つに、思い当たった名を答えさせる前に、

「――タマゴタケだよ」

 口へ放り込む。きのこ特有のやわらかな食感を、歯で捉える。かむ。傘が大きくて、全ては口に入らない。構いやしない。かむ。また、かむ。ハラタケ目テングタケ科テングタケ属。

「馬鹿!」

 強い衝撃に体勢を崩した。柄の部分が、まるっと手からこぼれる。だが、もう大事なところは口の中、食堂を通り抜けている。

「吐け! 早くこっから出て――」

「落ち着いてよ」

「それはベニテングタケだ!」

「知ってる」

「なら!」

「――先生が言ってたもんね、タマゴタケに似てるけど、毒キノコだから気を付けろって」

 そんな、狂気を見るような目をされても、いたって正気なのだ。――いや正気ではなかったかもしれない。生で食うものじゃない。調理されるから、きのこはうまいのだ。少なくとも、私の味覚はそうとらえたようだった。

 それと、

「ちょっと重い」

 言葉にしてやって、けれど赤羽カルマは自身の体勢を見直そうとはしなかった。私の肩をつかんで押し倒したまま、びくともしない。言っていることとやっていることが真逆だと、そろそろ気づいてほしい。

「いや、でも、どいて。それに先生を呼ぶ必要もないよ。これには下痢や嘔吐、幻覚なんかを引き起こす作用があるらしいけど、何時間したって症状は出ないだろうからね。それに、そもそもスマホは使えないだろうし」

 そこで一つ、手が肩を離れた。右手だ。ポケットに伸びて、たった今指摘されたものを取り出す。いくつか操作して、それでも画面が光ることはない。

「これも、おまえの仕業?」

「そうだよ。あと、私のも使えないからね。それはライトだけつくようにしてあるから」

「これだけじゃないよね。なに? きのこに強いって?」

「私は命令に従って自分の体で証明しただけ」

 また一つ、手が肩を離れた。顔が離れて、体が離れて、ようやく私は自由になる。背や腕やをはらいつつ、私たちは最初の姿勢に戻った。

「全部、話して」

 

  3

 

 蚊の鳴くような声だ。赤羽カルマは、自分の声のそこまで頼りないのを、久しぶりに聞いた。だが無理もないことではないか。ただ秘密を知るための勝負事で、まさか死を選択されるとは思ってもみなかったのだ。――どうも本人にそのつもりはなかったようだが。

 足元に、土の付いたきのこが幾つも転がっている。一つは柄だけ、傘は胃の中。ベニテングタケ。この狭所に誘い込んできたクラスメートの体を、毒でむしばんだ。疑う余地なく。

 初対面は入学式のはずだ。カルマは一年D組で、そこには潮田渚がいて、だから同じように三年間同クラスと記録されているこの彼女もいたはずだった。記憶がそのように曖昧なのは、まるで印象が薄かったからである。付き合いもなかった。男女の別もあった。そもそもカルマは、あの頃、自分で言うのもなんだが遅刻・早退・欠席の常習犯だったのだ。ますます、わからない。

 だから、二年に進級したときも、連続して同じクラスであるうちの一人らしいことを認識するやいなや、また関心をなくしたのだろう。一クラス当たり四十七人、そのおよそ四分の一・十二人も似た存在があったのだから。

 一方、()()のことはよく記憶していた。一年の夏頃、映画をきっかけに話してから、進級時にも付き合いは続いていた。話しが合わないわけでなし、警戒しなければならないでもなし。休み時間に話して、放課後を過ごして、時々は休日にも遊んで。――いや、一番は、彼の持つどこか得体の知れない不気味さを、目の届かない所にやりたくなかったのかもしれない。同じ理由で疎遠になっていたのだけれど。こんなクラスになって初めて、殺しの才能だと気づけたそれが。

 警戒心は、カルマの交際における重要なファクターの一つだ。このクラスなら、例えば奥田愛美は付き合いのしやすい一人である。何も考えずに動く寺坂竜馬もそう。不本意ながら渚君も。そして彼女も。

 ずっと関心の外にいたそのクラスメートを、内側に入れてしまったのは――

 カルマはよく喧嘩した。喧嘩っ早かった。性分に逆らうことをしなかった。その冬も――昨年もそうだった。目の前の光景がひどく腹立たしくて、気づけば手を出していた。それが年上だとか、同じ学校の先輩だとか、それもエースのA組らしいとか、そうした事情はどうだってよかった。

 一つでも思いとどまっていれば、カルマは本校舎にいただろうか。少なくとも彼女は、間違いなくそうしていただろう。

 カルマが意識の外に追いやった要素は、巡り巡って彼自身を追い詰めて、

「おめでとう、赤羽君。君も三年からE組行きだ」

 担任だったあいつは全てを覆した。俺が正しいと、俺の味方だと言っておきながら。そんなことを言った。怒りに任せて教員室で暴れたことを覚えている。けがはさせないでやったのに、みっともなく肩を震わせていたあいつは、おれが背を向けると途端に勢いを取り戻して、停学だと喚いた。――で? だから?

 だから。そう思っていられたのは、彼女とすれ違うまでのことだ。カルマが教員室を後にしたとき、とっくに授業は始まっていた。だというのに、教員室へ続く廊下を、同じくらすの女子生徒が、――名前はそこでは思い出せなかった、しかし彼女は確かに、昨日、あそこで遭遇した、あのクラスメートだった。

 彼は翌晩、三つのことを知らされた。一つは正式な転級通知。一つは、停学でなく自宅謹慎処分となったこと。もう一つは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 いざ謹慎明け、始業式を僅かに遅れて登校してみると、非日常がこれでもかと積み上がっていたわけだが、連続三年めの二人めを忘れてはいなかった。よりにもよって隣の席だったが、さしたる問題はない。ただ少し気まずいだけで。

「久しぶりだね」

 あちらは、ちらとも、そうは思わなかったようだが。平然と繰り出された言葉に、カルマは意気を削がれた。

「おー、久しぶり」

 決して忘れやしないが、だからといって結局は、気に留めるまでもないクラスメート。二人の付き合いは、まるでかつてと変わらなかった。

 今は違うけれど。

 驚くほど弱々しい声を出して、最低限に暗くないだけの空間で、目前の彼女は口を開いた。

「超能力者なんだよね、私」

 何となしにらしくないと感じる口ぶりは、しかしいつもどおりだ。そのはずなのに、やけにゆっくりと音の響きを感じた。

 今この女は何と言ったか、何を言ったか。反芻するまでもない。でも、する。超能力者。ちょうのうりょくしゃ。ちょうのうりょく。

 ちょうのうりょくしゃ。

「うん、そう。ミュータントともいう」

 いや、いったい何の映画だよ。それは。それって。おまえ、アメコミも守備範囲だったわけ?

 顔を上げると、いつもの平然とした顔が、カルマを見ていた。

 

 自称ミュータントは視線をそらしもしない。それで一つ得心がいった。

「沖縄で、ほんとは気づいてたわけだ」

 鷹岡明という犯罪者の卑劣な策略を、カルマは思い出した。忘れようとして忘れられるものではない。トラウマでもないが、それはあちらに理性的な大人がそろっていただけで、もしやつのおもわくどおりに事が進んでいれば、今頃クラスは崩壊していただろう。

「ただのジュースじゃないことはね」

「耐毒スキル?」

「それゲームみたい。でも、ちょっと違うかな。()()()()()んだけど、あの時はどっちかっていうと、唇から消化器にかけてが丈夫だったのが良かったんだと思う」

「京都でのことも気づいてたんじゃない?」

「あんまり超能力とは関係ないけどね」

 おや、と眉が上がった。いつになく素直だ。例えば昨日なら、彼女はここで白々しく首をかしげただろうに。

 しかし彼の思考を知ってか知らずか、彼女は素直に続けた。

「でも、あの高校生たちにはやったよ。テレパシーってわかる? あれとマインドコントロールの応用でね。いつもミュータントパワーは使わないようにしてるんだけど、あの時は茅野さんと神崎さんが役立たずになるかもしれなかったからね」

 ほら、また。役立たずになるだなんて、語彙にあっても、普段の彼女のフィルターなら絶対に阻んでいたはずの言葉だ。やはりカルマの見込んだとおりの人間だったのだ。この女は。

「洗脳かあ。俺もされちゃったり」

「心配しないで。私の超能力は万能じゃないから」

「俺のスマホはどうなってんの」

「今だけ壊させてもらった。あー、心配しないで、すぐ直せるから」

「一度も触ってないのに?」

 尋ねる体を取りながら、ほとんど軽口だった。目の前のクラスメートは、絶対にそうとわかっていて、たたみかけた。

「それが証拠になるでしょ」

 風が吹いた。カサカサと落ち葉が騒いで、静けさが訪れる。

 まるで映画のような話に、カルマの心は浮足立たなかった。いざ自分の身に降りかかれば、というより、もっと別のことに頭を巡らせていたからだ。あるいは、やはり映画のように典型的な展開をなぞったからか。

 どうしてこのミュータントは、ただのクラスメートにここまで正直に話したのだろう。一方の映画で、秘密を知らされた()()()は、果たしてどうなる?

 ――させるかよ。

 不思議と嫌悪感はない。あれだけ陰湿にいがみ合ってきて、それだというのに。――成果が得られたからだろうか。

 だとしたら、なおさら。これはカルマがやっとつかんだラッキーチャンスなのだ。絶対に逃すわけにはいかない。

 カルマは拳を固く握る。爪の食い込んだところが、少しだけ痛い。

 

  4

 

 律儀に暴露してやるこの私は、「私しか知らない私の秘密」に、もちろんアルファコンプレックスでの過去を含めていた。赤羽カルマは、そのいたく痛々しい妄想めいた話まで、おもしろおかしくミュータントパワーの一環ととらえたらしい。

「何歳だったの」

 簡単に、死んだ年齢を聞かれた。

「十四歳」

「で、()()()()()()()()ジュニアってのが十四歳までだっけ? 何箇月だよ」

「そこらへんは、ちょっと()()()でね」

 レッドに昇格したときのことを、あまり覚えていない。ただ二箇月はかからなかったように思う。薬の影響で、脳の働きは限界に近かったから、本当にぎりぎりだった。

 下から二番めのレッドの下、つまり最低のインフラレッドは、この中学と同じく、待遇も最悪だった。衣食住も娯楽も、とにかくコストパフォーマンスが重視される。服は共通のジャンプスーツでも、住居は衛星も不衛生もない、不衛生以外の何ものでもない、大部屋にすし詰め。ただ寝るだけ。

「食事はとにかく栄養価重視だった。というか、最低限の栄養しか考えられてなかったんだよね。おいしくなかった。まずくしようとしてじゃなくて、ただそういう味だったんだよね。一番安く済んだのが」

 娯楽も推して量るべし。そんな環境では満足するどころか、士気の維持も難しい。なんてことは、あの()()()()()にもわかっていた。だから手っ取り早く、おくすりだ。満足できる薬。あるいは満足のことを考えられずにいる薬。そんなものだったと思う。

 処方されたものを飲むしかなくて、環境は最悪で、飲まなければやっていられなくて、けれど頭が働かなくては良い環境も遠のいていく。十四歳になるまで、私はいかに早く昇格するかを考えていた。できるだけ脳の働くうちに、つまり速やかに、数箇月で、反逆者を密告しまくる。それが手っ取り早い一番の方法だった。

「かなり速かったんじゃない」

「ものすごくね。何十年も扉に貼りついて、それでもインフラレッドのままクローンを使い切るやつも、いっぱいいたよ。――そうそう死んだのはね、それから三箇月くらいだった」

「任務ってやつ?」

「うん。普段のしごととは別にね、レッド以上の市民には不定期に任務が与えられるんだ。私はその二回めで、一気に六つのクローンをなくした」

 複数名、大抵四名程で一つのチームが作られて、任務はその突発的なチームに与えられる。一度めは新レッド市民ばかりが集められていた。どいつもこいつも、よりコンピュータ様の役に立てるこの機会をうんぬんと、自己PRに一生懸命だったのだから、間違いない。かくいう私も、昇格から一週間もたっていなかった。

 任務と同時に始まったのは、驚くほど稚拙な足の引っ張り合いだ。皆、全員がミュータントであることを、口にしないまでも当然承知していたから、誰かが綻びを見せるのを待った。それとも、自分の手柄のために輪を離れようとした。

 自分より数十も年上の人間がそろいもそろって幼稚なやりとりに身を入れてくれたおかげで、私はつい一人勝ちしてしまった。一度も死なず、仲間だった反逆者にまつわる完璧な証拠を押さえ、得たものはすぐにでもまた昇格できそうなほどの評価だ。

「その時にオレンジになれてたら、それが一番だったんだけどね」

「うわ、もしかして次のチーム、一つ上のオレンジばかりだったりした?」

 イエス。

 隣で赤羽カルマはけらけら笑った。

「身分差は絶対、上級市民の命令も絶対。チームだからって見逃されることは絶対にない。まあ死ぬよね」

 狂った支配者・コンピュータは、よく狂った指令を出した。新しい武器(今まで爆発したことしかない)をテストしろだとか、ここからあそこまでこれだけの時間で移動しろ(今まで事故したことしかない乗り物を使わなければタイムオーバーする)だとか。明らかに狂っていて、その致命的な矛盾に気付かない。いつでも()()こそが完璧だった。だから挙げ句の果てには、完璧な自分の指令も完璧で、完璧な自分の統治も完璧で、完璧に統治される市民も完璧で、だから完璧な指令は完璧に遂行されるはずで、それを放棄はもちろん失敗することもありえない、などと考える。

 そうしたむちゃくちゃの犠牲になるのが、同じチームの弱者だ。あのとき私は明らかな弱者だった。どいつもこいつも、死にかねない状況に、ためらいなく私を投入して、ついに六度死んだ。あっけない最期だった。

「じゃあ二十八くらいか」

「合わせれば、まあ」

「同じくらい、いや、ちょっと長生きしてるんだ」

「結局もうすぐ死ぬんだけどね」

「ぽろぽろしゃべったね」

「命令されたから。大きな弱みを握れたと思うんだけど、どうする」

 これで全てだという合図を、赤羽カルマは完璧に理解した。

「あはは、冗談でしょ」

 そうして笑った。

「弱みは弱みだけどさ、俺がそんなことのためにこんな勝負を挑んだと思ってるの?」

「――それが、ずっとわからなかった」

「おまえ、どうせ記憶を消すつもりなんじゃない?」

「そうだよ」

 痛いところを突かれた、とは思わない。私が律儀に話した時点で、すぐ勘づいたことだろう。

「消さないでよ」

「もう命令は聞いた」

「命令じゃない」

 真剣な声だった。と、思う。逆に、そうとしか、わからなかった。ここでスマートフォンの小さなライトは、きちんと表情を見るには不十分だったのだ。

「よく――わからない」

 不意に声が揺らいだ。あっと口を押さえるけれど、なかったことにはならない。

「誰にも話さないって約束する。何ならそう洗脳してくれたっていい」

「だから、わからないんだって。意味がわからない。わけがわからない。理由がない。義理がない。そんなことして、おまえに何の得があるんだよ」

「記憶を消されない」

「そんなことのために――」

「そんなことのために。それでも信用できないなら交換条件にする? 一つ」

「私のこと嫌いだって言ってなかった? 私、記憶を消して、なかったことにしてあげるつもりなんだけど」

「あ、二つかも」

「聞いてねえよ」

「今後、気持ち悪いしゃべり方やめてよね」

「は?」

「今みたいにしゃべれってこと」

 そう、ではない。全く話がかみ合っていない。何をどうしてそこまでするのだろう。何のために。どうして記憶を消されたくないのか。

 私は早くこの関係を終わらせたい。記憶を消してあげて、少しだけ記憶をのぞいて、適当につじつまを合わせる。以前の低俗な妄想を流用しよう。それでうまくいくのなら。赤羽カルマは奥田さんのことが好きで、私に彼女のスリーサイズをしゃべらせたくて、このくだらない勝負を持ちかけた。よし、これでいこう。ほら、

「で、俺のことは名前で呼んでよね。赤羽君っての、別に不自然じゃないけど、いい加減他人行儀じゃない?」

 そんなことは、まずおまえが渚君との関係を見直してから言えよ。

「あ、あとさ、その白いのやめてよ。タイツとかさ」

()()もうそかよ。

「よし、こうしよう。白タイツを黒タイツにする。三つめだけど、些細な問題だよね」

 そうだろうか。

「どう? 悪くないでしょ」

 悪い。

「あしたからでいいよ」

「別に黙っててくれなくていいんだけど。――どうせ消すんだから」

 

「じゃあ消しなよ」

 

 エ、とか、ア、とか、そんな音すら出なかった。冷たい声だった。相変わらず顔はわからない。けれど、まっすぐにこちらを見ている。そして、そこに普段の、警戒心を隠そうとかより親しみやすく振る舞おうとか、そうした処世の術は働いていない。

 全部が剝き出しだった。

「いつまで俺の言葉を聞いとくつもり? 消せよ。今すぐ消せよ。消せば終わりじゃん。俺のスマホを触りもせずに壊したおまえに、それくらい、わけないよね。ねえ、何で消さないの」

 それは――なぜ、だろう。()()()()()()()()()()()

「ねえ、俺の記憶は何でまだあるわけ」

 消えていないからだ。

「もしかして消せなくなった?」

 違う。ミュータントパワーは、ミュータント相手ならまだしも、ただのヒトにはより効果的に働く。

「それとも俺が特異体質?」

 違う。おまえにミュータントパワーに抵抗するすべはない。

 ――私が消さないからだ。私が消そうとしないからだ。

「そういうとこが、むかつくんだよ」

 夏以来何度となく聞かされた言葉を、彼はここでも口にした。

 そうして、距離を詰められていたことに気づいた。それが見かけより大分近いことに、私はあらがえなかった。あらがわなかった。

「いい加減、気づいたらどう。毎朝鏡見てる? おまえキモいよ。だーれも気にしないけど、キモすぎ。鳥肌が立つ。まだシロみたいにされた方がよっぽどマシ。すりゃー良かったのに。なに気遣ってんの」

 更ににじり寄られていて、それでも声は出なかった。まるで出し方を忘れてしまったみたいだ。反論の言葉は、すぐそこまで来ているのに。ただ出せない。

 喉元の反逆に気づいたように、彼は続けた。

「ばればれなんだけど。そこまで()()にやって、何でもできそうな力があって、何で点落とせるわけ? 二点も! なあ、完璧な記憶力で、完璧な演算力で、どうしてそれだけ落とせるの? 答えろよ、答えてみなよ!」

 そこで言葉が途切れると、一転、しんと静まり返った。そうしたところで、ようやく辺りの気配を感知することを思い出す。身動きはとりづらいが、問題はない。誰もいない。そのことに安心するより先に、そもそも人よけの結界を作っていたことを忘れていた。

 ハ、と、そうして、ようやく息を吐けた。ついで、かすれ声。それも大した音にはならないが。

「バッカじゃないの。フェアじゃねーとか、思ってんなよ」

 だが、ずっと、そう思っていた。あの時、ありきたりに考えてみても勝負は見えていた。私が勝つ。間違いなく勝つ。そこに全力は要らない。今までどのテストでも、ペンを握っているだけで満点は取れたのだ。ミュータントパワーがあるから。あるいは()()()()()のお陰で。

「だからキャパオーバー寸前までパワーを使いまくって、頭を鈍らせたって?」

「そんなこと言ってないじゃん」

「茶番も、そろそろ終わりにしようよ。ごく普通に、平凡に、ありきたりにって、そんなすることないと思うけど」

 向かいで赤羽カルマがため息をついた。

「ねえ、手抜かれてたのむかつくからさ、やっぱ後一つ命令聞いてよ」

「消すなって? 断る」

「どうせできないのわかってて、そんな命令するかっての。それに命令じゃないって言ったじゃん、取り引き」

「嫌だ」

 訂正する気も起きない。少なくとも今は。――そう付け加えてみたのは、保険のつもりだろうか。

「いや、わかれよ」

「だから何を」

「俺、偉くなるんだけど。おまえのことも助けてやるって言ってんの」

 

 ぐらりと視界が揺れた。

 

  5

 

 気づけばベッドに身を沈めていた。部屋だ。自分の。自宅の。帰ってきたのだ。

 部屋着に身を包んでいた。制服はハンガーにかかっている。合わせるブラウスや靴下は、すぐには見当たらない。かわりに軽度の満足感があった。もう入浴も夕食も済ませたようだった。

 何を食べたかも、いつ体を洗ったかも、そもそも、どこを歩いて、何をして、どう歩いて、どうして、なぜこんなに時間がたったのだろう。最後、私の記憶は何か返事をしたところで途切れている。いや、それとクラスメートの所持品を直したのと、どちらが先だったか。

 体を起こしたくない。そのめったに抱かない怠惰に、だが今だけはあらがわなければならなかった。クソダルい。ああ、こんな言葉は内心に浮かべることすら禁じていたのに。

 やっと座ることをしてみると、今度はスクールバッグが目についた。机の側面、フックにかかっているのは不自然ではない。けれど、確認しなければ。私は明日の持ち物を入れただろうか。そんなことも思い出せない。また禁じていた言葉が、素直に心にこぼれ落ちた。

 たいそうな時間をかけて、足を床に着けた。授業の準備は済んでいた。予習と復習は不要。本は読みかけで、しおりが挟まれている。今朝、教室で閉じたときから、ページは進んでいない。音を立てて閉じて、慣れない手触りのカバーを指でなぜた。

 バッグを定位置に戻して時計を見る。午後十一時。とうに寝ていい時間だ。だが、身を横たえる前に、――最後に、私は床に放置された紙袋を見た。カジュアルファッションブランドの有名なロゴが入っている。今朝にはなかったそれ。店に立ち寄ったことも、帰り道のことも、返事の内容も、何もかも忘れてしまいたいけれど、どうして中を見てなければならない。

 結局、私はどちらを選択したのだろう。

 帰ってすぐ、メッセージを確認した。それから怠惰に身を任せるまで、私宛てのものは一つもなかった。今とて、なおのこと。

 口のテープが貼り直されていた。色の付いたそれを、今度こそ剝がしてしまう。面倒になって手のひらで燃やす。できない灰には構わず、そして薄く開かれたその奥に、一面の白色を見た。

 

  6

 

 翌朝、およそ二箇月ぶりに一人で登校した。自宅から最寄り駅まで、電車に乗って椚ヶ丘まで、駅から旧校舎まで。静かな道のりだった。クラスメートとすれ違いもしない。元々そうした時間帯を狙ったのである。誰かと約束でもしないかぎり、偶然にだって道を共にする者はいないはずだったのだ。

 それもしばらく、次第ににぎわいに押しやられた。登りきって、ついにクラスメートを見かけた。冬の朝だというのにグラウンドでスポーツをしている。誰からも声はかからない。だが教室には、窓越しにもクラスメートが大勢見えた。

 昨日とも、もちろんテスト前とも、教室の様子は違った。誰も彼もが参考書を開いているわけでなし、ノートもなし。手放しに誰かの机にたむろして、ニュースや娯楽の話に興じている。随分と昔のことのように思えるけれど、確かに一つの戦いが終わった後なのだった。

 左隣のイトナ君も、前の席の奥田さんも、いつもどおり教室にいて、電子工作や専門書に向かっていた。荷物を置いてみると、特にどちらもまずい雰囲気ではない。声をかけると、二人共が顔を挙げて、同じ言葉を返した。更にイトナ君だけが、あっさりと続けた。

「イメチェンか」

「そんなとこ」

 何でもないように返したら、それきりイトナ君は作業に戻る。

 奥田さんはまだ私を見上げていた。椅子に座れば、視線は追従して下がる。

「何読んでるの」

「えっと、はい。血液学の本です。テスト勉強中に急に気になっちゃって」

「でもテスト前だから迂闊に読めないっていう」

 学術書だ。先生のおすすめらしい。英語で書かれている。だが先生のおすすめというからには、理解できる内容なのだろう。彼は生徒別の小テストを用意する程度には、それぞれの学力を把握していた。つまり詳細に。

 奥田さんは首を大きく縦に振って、こちらに開いてみせた。記述について、一つ興味深いところを話す。なかなか要領を得ており、前後と合わせれば大まかには飲み込めた。相づちを打つと、更にページが前後して、思わず感心する。専門的な話題をこうも広げてくるとは。――この席では珍しくもないことだったけれど。

 ひとしきり盛り上がって、奥田さんはあっと口を開いて、閉じた。尋ねたいことがあったのを思い出したようだ。相手が、まさか承知のうえで話題をそらしたとは、考えてもみないのだろう。

「あの、そういえば――」

 打って変わって控えめな声だった。

「――今日は一緒じゃなかったんですね」

「いつも一緒ってわけじゃないもんね」

 俺ら。と、付け加えて、教室へ来たばかりのクラスメートが返した。間の良いやつだ。顔は見ずとも声でわかる。それに、ちょうど右の席に荷物を下ろしたところだった。

 赤羽カルマは挨拶もそこそこに、上から下まで値踏みするように眺めた。

「カーディガンまで黒くしちゃって、イメチェンのつもり?」

 まるで悪巧みがような顔をするので、

「それ、かぶってんだけど」

 できるだけ嫌そうに答えてやると、想定どおりカルマはますます楽しげに笑った。

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