キリングミュータント   作:糸冬いずく

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七月、又は期末テスト

  1

 

 木の葉がさわさわと揺れる。目の前で、先生が教科書を開き、もう一人の先生がノートに赤ペンを入れた。更にもう一人は、生徒の中心で黒のバインダーを持って、

「みなさん、一学期の間に基礎ががっちりできてきました。この分なら、期末の成績はジャンプアップが期待できます」

 そうしながら、横の奥田さんの周りにも、先生は国語の教科書を持っていて、また別の先生は和歌を書いている。

 どれも、たった一人の担任の分身だ。自律思考固定砲台を除く全クラスメートの周りに、二から三の分身を、彼は立たせていた。マッハ二十のなせる業、とても器用で芸の細かい分身だ。と、不審点からは目をそらしておく。

 夏季休暇が迫っていた。当然、同じだけ期末テストも迫っている。最近はほとんどの授業が今学期の復習にあてられていた。こうして外で授業をやるのも、もう珍しくない。

「今回は、この暗殺教室にぴったりの目標を設定しました!」

 中央の先生が、大きな口で複数の単語カードをくわえた。同時に、周りから分身がいなくなる。

 前回、中間テストの目標はクラス全員が五十位以内に入ることだった。諸事情により達成されなかったものだが、事情を抜きにしても焦りすぎたと反省しているらしい。それで、今回は「ラッキーチャンス」というわけだ。口元の単語カードのアルファベットをつなぎ合わせれば、そう読める。

「前にシロさんが言ったとおり、先生は触手を失うと動きが落ちます」

 単語カードの替わりに、彼はピストルを持った。教室のどこにでもある、対触手武器を、――脚に向けられた銃口から、鋭く弾丸が飛び出した。あたりまえに命中して、足が落ちる。彼は笑顔を崩さない。

「一本減っても、影響は出ます」

 先生は生徒に分身の様子を見るよう促した。すると、どうしたことだろう、何体かが小柄になっている。彼はそれを子供の分身と表現した。

 更に先生は、もう一つ足を撃ち落とした。

「御覧なさい。子供分身が更に増え、親分身が家計のやりくりに苦しんでいます」

 かえってエネルギーの負担が増えそうなものだが、最後に三本めを落とすと、()()が蒸発した。もう、何も言うまい。

 ともかく、そうして失われる運動能力は、触手一本につき二十パーセント。

「教科ごとに学年一位を取った者には、答案の返却時、触手を一本破壊する権利をあげましょう」

 

 こうした経緯があって、クラスメートは目の色を変えてペンを握った。テストをがんばって、あわよくば百億。得意教科も評価される、ということも理由としては大きいだろう。E組落ちに関しては、総合点のみならず、教科ごとの得点も見られた。苦手がたたって落とされた者は少なからずいるのだ。例えば奥田さんとか。

「理科だけなら、私の大の得意ですから! やっと、みんなの役に立てるかも!」

 そう喜んだのが先日で、

「目標は同じです! 私は理科で満点を狙います!」

 こう意気込んだのが今日。昨日の放課後、ついに図書室にまで行き(校風由来の特殊な事情により、特にテスト期間の学校図書館利用は非常に困難である)、言い争いをして帰ってきたのだった。

 奥田さんの他に、彼女を誘ったクラス委員の磯貝悠馬と四人のクラスメートがいて、対したのは通称・五英傑の四人だ。五英傑というのは、校内で有名な五人の三年生のことで、いずれもA組で特に成績が良い。それぞれ五教科に秀でていて、中でもリーダーの浅野学秀は全国模試ですら一位を譲ったことがない。学業だけでなく、何かをできることよりできないことのほうが驚かれるような人物だ、と、さして関わりもないのに、私も思うほどだ。――彼は現場にいなかったそうだが。

 さておき、英語・国語・理科・社会の四人との戦いは熾烈を極めて、クラスのテスト事情を少しだけ変えた。テストの成績で勝負をつけようというのだ。主要五教科の学年一位の数を競って、勝った側――つまり一位の多かったクラスは、負けたクラスへの命令権を一つ得る。内容はどんなものでも構わないときた。

「夏休み、楽しくなるね」

 奥田さんは答えるようにほほ笑んだ。

 E組の命令は決まっている。特別夏期講習、離島リゾート二泊三日の沖縄旅行の権利だ。例年、三年の最優秀クラス、つまりA組が行くことになっているものである。

 

  2

 

 ――E組が勝った。

 英語は中村莉桜が満点で学年一位、国語は生徒会長が満点で、社会は磯貝君が九十七点、理科は奥田さんが九十八点。数学では再び生徒会長が満点を取った。

 総合点一位も彼だ。四九一点である。ちなみに私は、遠く及ばないが四五〇点と、狙いどおりなので良しとする。

 返却を終えて、先生はうれしくてたまらないという顔をしていた。というか、なめていた。緑の横しまの顔の先には、旗の立った三本の触手。すなわち、ラッキーチャンスの御褒美だ。

「トップの三人は、どうぞ三本ご自由に」

 なめくさって差し出したが、事は素直に運ばなかった。

 教室の隅で四人の生徒が椅子を引いた。ガタ、と同時に音を立てて、乱暴な所作で教壇の前に出ると、

「五教科のトップは三人じゃねえぞ」

 などと言う。寺坂君と、彼と仲の良い三人だ。彼らは一斉に、紙を一枚ずつたたきつけた。

「五教科っつったら、国・英・社・理、――後()だろ」

 寺坂君が得意げに笑った。満点の答案用紙は、疑いようもなく学年一位の証である。それが四人となると、なんて足し算を始めた生徒たちを他所に、

「ちょ、待って‼」

 先生は叫んだ。

「家庭科のテストなんてついででしょ‼ こんなのだけ、なに本気で百点取ってるんです、君たちは‼」

「だーれも()()五教科とは言ってねえよな」

 寺坂君も引きはしない。クスクスと、彼らの笑う声ばかりが教室に響いた。私も笑いそうだった。もう少しでも気が緩めば、そうしてしまうだろう。何だかおかしな気分だ。こんなのは道理に合わない。だが確かに、先生は五教科としか言わなかった。五英傑なんかだって、主要五教科と定義付けてきたのに!

 家庭科のテストなんて。ついで。こんなのだけ。慌てに慌てた先生の失言を、赤羽カルマが隣でつついた。要領を得て、クラスメートも続く。勢いに乗り切った彼らが、約束を守れと騒ぎ出すと、先生は弱りきった。もはや、くわえて四本を減らすことは確定だ。先生の顔に、既に横しまはない。なるほど七本ともなると、相手が素人だとしても油断できなくなるものらしい。

 フフ、と、笑みが漏れた。とっくの昔に、緊張感など失われていた。ただ声を出さずにいられただけで。我ながら、らしくないことだと思うが、不思議ではない。うれしいことがあったから、喜んでいられるから、だからここまで幸福な心地でいるのだ。当然、常に幸福だけれど、今は殊更のそれを、胸の内に抱えている。

 最後に、磯貝君がとどめを刺した。

「これはみんなで相談したんですが、この暗殺に、今回の賭けの戦利品も使わせてもらいます」

 

  3

 

 今学期最後のホームルームを終えて帰り道、赤羽カルマと共に教室を出た。意図したものではない。何となしに立ち上がったら、彼も立ち上がっていたのだ。他に用事もなかったようで、同じだけの道のりを、同じだけの速さで歩いた。校門を抜けるのも、だから一緒だった。

 というのは私だけだったらしい、と、下り坂の途中で気づく。

「あんたさ、おれに言いたいことがあるんじゃないの」

 わざわざ横に並んでまでされたのは、意図のつかめない質問だった。以前も、同じことを尋ねられた。あの時は彼の暴力沙汰に始まりE組落ちに終わった冬の話をしたのだったが、今回は皆目見当がつかない。

 歩く速さが、つられて少し遅くなっていた。だが、特に気にかけるほどのことでもない。今日は機嫌が良い。だから、疑問を返したときも、正直な気持ちでいた。

「何のこと」

 合わせて隣の顔を見る。そうしたところで、腹も立たない。周りはクラスメートだらけで、色々な所で誰もが誰かと話していて、奥田さんははるか前で茅野さんと話しているのに。

 隣の顔は、正面に向けられたままだ。

「そんなにうれしそうなとこ、初めて見た」

「ふふ、そんなこと」

 笑ってしまう。いや、今日はもうずっと笑っていたか。だって、おかしいのだ。まるで緊張感をなくすくらい。寺坂君たちの行いが琴線に触れたように、赤羽カルマの言葉もどこかに響いた。だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、もしかして気づかれていたとしたって、ちっともさっとも顔色を変えずにいられるのだ。

 私は今、久しぶりにこんな顔で笑っている。

 口から飛び出した音も、よどまなかった。

「あのね、テストの成績が上がったの。すごく難しくなってたのに」

「あー、そうだったね」

「一位じゃなかったけど」

 この話し相手にも届いてはいない。彼は四六九点で十三位だった。数学だけは私の方が良かったが。彼の八十五点に対し、私は九十点だったのだ。

 また温かい感情がこみ上げた。今日は赤羽カルマのことを考えるだけで、どこかが何かで満たされていく。いつもとは真逆だ。

 思いついて横の顔を見てみると、彼は無表情を浮かべていた。いつも、受け答えに退屈を感じたときにする顔だ。そんなことなら、声などかけなければいいのに。そうしてくれたら、どれだけありがたいことだろう。

 今だけは、何をされても、幸福以外を感じることはないけれど。

 視線を外す。少しの沈黙が流れて、しかし雑音に注意を払おうとするより先に、彼は尋ねた。

「それでも幸せなわけ」

「うん、私は幸せだよ」

 答えて思う。いったいどうして、その尺度がでてきたのだろう。脈絡がないように感じられた。だが、その問いへのこの答えに意味がない以上、考えることにも意味はないのだろう。たとえ、このときばかりは本当に幸福だったとしても。

 もう一度、横へ目を向けた。多分、偶然、目が合った。感情を映さない瞳は、すぐに正面へ戻る。

 返ってくる言葉はない。

 あたりまえに私の気分は害されない。それは赤羽カルマの気持ちを慮って制御された感情ではない。今や何者も私に水を差せないというだけのことだった。

 確かに私は幸福だった。

 だって、もし本当に、総合点一位を期待されながらはるかに下回る成績を出してくれたクラスメートへの気遣いが、今の私に一分でも存在したなら、

 

「赤羽君はどうなの」

 

 こんなことを聞けたはずがないのだ。

 ――今はただ、この幸福に、より多くの幸福を重ねたかった。

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