Fate/Grand Order 幻想創造大陸 『外史』 三国次元演義   作:ヨツバ

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過去sideも終盤に進んでいきます。
どんな展開になっていくかは物語をどうぞ!!


孫堅の誘拐

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この外史は数えきれないくらい複数の外史がある。それは並行世界が何百通り以上もあるのと同じだ。並行世界ということで何か少しだけ違うというだけである。

少しだけ違うだけで最終的な結果、未来は同じとなるものが編纂事象と呼ばれている。完全な別世界になる場合が剪定事象と呼ばれている。

これは藤丸立香たちのいる世界における並行世界の運営概念である。これがどの時空の世界にも当てはまるかと言われれば、否と言う他無い。

 

藤丸立香たちがいる世界と于吉や貂蝉たちいる世界は違うのだ。于吉や貂蝉のいるの並行世界の運営概念も別な法則があると予想される。

別な運営概念があると言っても基本的な概念は同じだと思う。並行世界は鏡合わせのような世界で少しだけ違うと言う部分は同じだ。

 

貂蝉たちのいる世界は外史と呼ばれている。より詳しく言うのならば『三国志の外史』と呼ぶべきだろう。

この外史の並行世界の中には剪定事象のような未来がいくつか存在する。だからと言って完全に別世界になっていずれ滅びる枝葉の並行世界になるとは限らない。

 

これが藤丸立香のいる世界と貂蝉のいる世界の並行世界の運営概念の違いだ。

そういう意味では三国志の外史の並行世界は藤丸立香のいる世界の並行世界の運営概念にある『並行世界は雪だるまのように増え続け、やがては次元の容量を超えてしまう』というものは存在しない。

 

「今のところ私の知るこの外史の並行世界の運営概念はそうだと思ってますね」

 

語ったのは全て仮定にすぎない。並行世界について誰も解明していないのだから。

 

「この外史は増え続けている。その1つのこの外史にいるのが私にあの筋肉たちにカルデアの者たち」

 

このような考えをしているならばカルデアのいるこの外史も並行世界としてどんどん増えている。

 

「ですが基本軸世界は間違いなくこの時空です。ここが基点なんです」

 

本当の基本軸世界である外史は別にある。それが始まりの外史とも言うべき世界。それについては別の物語である。

 

「その世界はリセットしましたが本当の意味で消すことは失敗してしまった。あれさえ完全に消えてれば良かった……そうすれば新たな外史が誕生するなんて事は無かった。まあ、過ぎた話ですよね」

 

もう過ぎた事を後悔している場合ではない。

 

「並行世界は複数ある。何かが違うだけの世界が並行世界……この三国志の外史をいくつも見てきましたがコレは恐らくこの外史が最初かもしれませんね」

 

並行世界は基本軸世界に対して何かが違う世界。だが何が違うかは並行世界が見える者しか分からない。

 

「まあ、コレは私が仕掛けたから新たな並行世界として派生する事になったのですがね」

 

炎蓮の投げた槍が黄祖の心臓に突き刺さった光景が于吉の目に映った。

 

「本来ならば外れるはずだった。あの槍が黄祖に命中する外史は今まで無かった」

 

この光景は本来は無かったのだ。本当ならばここで大きな傷を受けたのは孫堅だけであったが、黄祖も絶体絶命に陥ったのだ。

藤丸立香たちがいるこの外史でしかあり得ないルート。

 

「まあ、長々と語りましたが簡単にまとめると私の手でこのルートが発生したということなんですけどね」

 

ただそれだけだ。

 

「それにしても、やっとですね」

 

于吉はこの瞬間を待っていたのだ。この瞬間のためだけに黄祖の元に仕え、戦の最前線にまで出てきた。

この瞬間こそ于吉の策がやっと始まるのだ。

相打ちになった炎蓮と黄祖。

黄祖は槍で心臓を貫かれて普通では助からない重症。炎蓮は矢を額に受けて瀕死の状態で死はもうすぐそこ。

 

「さてと」

 

後ろで黄祖を囲んでいる兵士たちを気にせずに動く。彼にとってもうどうでもいい存在。最初からどうでもいい存在。利用していた存在。もしかしたら何かに使える存在。

 

「孫堅。貴方は私の駒になってもらいますよ」

 

于吉は瞬時に孫堅の元に移動する。粋怜たちは孫堅の近づく死に対して警戒を少し緩めてしまっていた。それが于吉にとって十分な隙なのだ。

 

「な、誰だ!?」

「どいてくださいお二人とも」

 

2枚の符が粋怜と明命に張り付き、衝撃が発生して吹き飛ぶ。そして対面する于吉と炎蓮。

 

「まだ生きてますか孫堅?」

「き、貴様…もしかして于吉か。近くで見て分かるぜ……貴様は絶対に悪者で敵だな」

 

炎蓮は直感で目の前の男が藤丸立香が探していた道士だと分かってしまった。理由は特にない。本当に直感だけである。

これには于吉も「直感スキルでも持ってるのか?」なんて心の中で思う。

 

「よくわかりました。ええ、于吉です。敵ですよ。貴方はその敵に利用されるんです。まだまだギリギリ生きてますね。本当にギリギリ」

 

于吉が炎蓮の周りに多量の符を展開させて囲むように覆った後、彼女は消えた。

 

「なっ…!?」

「貴様…炎蓮様をどこにやった!?」

「何処かですね」

 

怒りの言葉に飄々と返す。もうここには用が無いというばかりの声質である。

 

「貴様!!」

 

粋怜が武器を振るうがまるで幽霊のように当たらない。

 

「黄祖の兵士たちよここは一旦退きますよ。彼女の傷は私が治しましょう」

「于吉殿、黄祖様の命を助けられるのですか!?」

「ええ、任せてください。私は于吉の名を名乗っていますからね」

「待て、逃がすか。炎蓮様を返せ!!」

「ははははは、ちょっと借りますよ。ちゃんと返しますよ…その時はきっと驚くでしょうが」

 

粋怜と明命が迫るが傀儡を召喚されて道を塞がれる。斬っても斬っても手応えがなく、邪魔するだけの存在。その間に于吉は黄祖の軍に戻り、撤退していく。もう追いつけない。

孫呉の軍は炎蓮が死を悟った瞬間に士気が消えた。同じく士気が消えている黄祖軍が撤退しているのに目を向けてすらいないのだ。それほど炎蓮の死は孫呉にとって最悪すぎる痛手だ。痛手という言葉で表してはいいのかと思うくらい孫呉にとって最悪な事なのだ。

兵士たちの気持ちは分かる。粋怜も明命はもっと最悪で絶望な気持ちなのだ。

忠誠を誓う主君を守れなかった、死なせてしまった、攫われてしまった。その複数の言葉が彼女たちの思考を埋め尽くす。

 

「く、この…炎蓮様を返せ!!」

「何か言ってますねぇ。ヤレヤレ…あの2人に矢を討って近づかせないようにしなさい」

 

出来るだけ言葉を発しても届かない。怒りを込めても于吉は受け流す。

孫呉軍が勝ったのではない。黄祖軍が勝ったでもない。両軍の痛み分けでもないのだ。

これは于吉の1人勝ちに近い。ここからが孫呉の運命が歪む本番である。

 

 

178

 

 

撤退後の黄祖軍の陣地にて。

 

「まだ生きてますよね?」

「……ああ、どうやらオレは生き汚いらしいな」

「ははは、私が治療したからです」

「その割には…まだ死にそうなんだがな」

「そりゃあ完全に治療して暴れられたら困りますし」

 

今も炎蓮は重症レベルでまだギリギリ生きている。彼女は謎の符で張られて動けない。そもそも暴れるほど動けはしない。

そして今なお生きている自分に驚いているのではなく、生き永らえさせられている于吉の腕に警戒してしまう。自分は死を悟ったというのに今も生きているのがあり得ないのだ。

彼は医者ではない。怪しい道士である。

 

(オレが生き永らえているのもこいつの怪しげな術か何かか)

 

于吉は炎蓮に何か怪しい水を飲ませ、妖術を掛けて流れる血を止血した。さらに額の傷も彼女が理解できない方法で治療した。分かったのは額にある傷からに何か肉塊のような欠片を埋め込まれたことだ。

痛みも最初の頃より引いている。冷え切っていた肉体も少しだけ温かみが戻っている気もする。

 

「言っときますけど不老不死になったわけじゃないですからね。望むならやってみますけど……まあ肉塊の化け物になりそうですが」

 

死を悟ったのに自分が生きているというのが不思議な感覚である。

死の淵から呼び戻された患者とはこういう気持ちなのかもしれない。

 

「オレを何故生かした?」

 

どうせ禄でも無い答えが返ってくると分かっていても質問をする。

 

「そんなの貴方を利用するに決まっているからですよ」

 

やはり禄でも無い答えであった。

 

「オレを利用するだと。こんな死に体のオレをか?」

「ええ。貴方を駒にする場合は意識があった方が効果的ですからね」

 

何を言っているのか分からない。分かりたくもない。

 

「私の目的を達成するには呉はいずれ消えて欲しいんですよね」

「呉は滅ばねえよ。なんせオレの娘たちがいるからな」

 

自分の娘である雪蓮たちの顔が思い浮かぶ。彼女たちなら自分が居なくとも孫呉を引っ張って行けるはずだと確信できる。

 

「そうかもですね。貴女の娘である孫策も孫権も王として十分な素質を持っています。きっと彼女たちなら呉を発展させていくでしょう」

「敵のくせに分かってるじゃねえか」

「ははは。よく知ってますからね」

(よく知ってるだと?)

「でも、それもここでは意味を成さない。どうせ滅びますからね」

 

于吉は孫呉が滅びると言い張る。何故、彼が孫呉が滅びることが確定のように言うのか。

 

「何をしやがるつもりだ」

「簡単ですよ。貴方自身で孫呉を滅ばせてもらいますので」

「はあ!?」

 

炎蓮が孫呉を滅ぼす。そんなことは絶対に無い。

 

「んなことする……まさか!?」

「察しが良くて素晴らしいです」

 

炎蓮はすぐに理解できた。相手は怪しげな道士で本物の妖術の使い手。

自分自ら孫呉の地を滅ぼす事はしない。ならば、于吉が妖術で彼女を操るということだ。

ここぞと言う時に自分の直感が良いのか恨めしいのか分からないモノである。

 

「いやあ本当に直感が良いですね。その察しさが逆に貴方を苦しませますが」

 

太平妖術の書が開かれ、不気味な光が発行する。更に手には封と書かれた符で張られた小瓶を持っている。

于吉にとって炎蓮は兵馬妖の将になってもらうための操り人形にしたかったのだ。于吉は新たな戦力が欲しいためにここまで待っていたのだ。

彼女はこの外史では特別に強い存在だ。于吉はそこに目を付けたのだ。于吉の妖術と太平妖術の書によって彼女を強化もとい改造すれば恐ろしいほどの強さになると仮定している。

普通の状態でも炎蓮は恐ろしいほど強い。それはこの外史にいるカルデアの英霊と戦えるほどの強さと才能があるほどなのだから。

これこそが于吉が考えた呉での策。

 

「安心してください。貴方はより強くなれる。なんせ自分で呉を滅ぼせるくらいに」

「てめ…え!!」

「見物ですよ。呉の礎となった人物が自らの手で呉の滅ぼすというのはね」

 

治療と称した肉体改造が始まる。

これから于吉の手によって孫呉は間違った歴史が進んでしまう。

 

 

179

 

 

炎蓮が于吉によって誘拐された後、雪蓮たちはようやく合戦の地である海昏県に到着。

その合戦の地に入ると戦は既に終わっていた。大地に横たわる膨大な数の敵味方の死体がここで行われた激戦を物語っている。

戦場はひっそりと静まり返っており、何故か生き残った兵士達は虚ろな面持ちで地面に座り込んでいる。

静まり返っているからか、ある一ヶ所から悲痛さと怒気を含んだ声が明確に響いてきた。

 

「この声は粋怜?」

 

急いで声のする方へと向かうと、粋怜が荊軻によって何故か組み倒されていた。その様子をどうしたものかという顔でアワアワしている明命もいる。

 

「離しなさい荊軻!!」

「離したらどうせ1人でも追いかけに行くつもりだろう。そんな命を捨てるような真似をさせるわけにはいかん」

「離しなさい荊軻。邪魔するというなら貴女でも容赦しないわよ!!」

「まだ言うか。落ち着けと言っている」

 

どんな状況なのかさっぱりの雪蓮たち。何故、荊軻が粋怜を組み倒しているか分からない。

そもそも炎蓮がいないのだ。彼女がいればこの状況を止めていたはずだ。

 

「な、何があったの荊軻!?」

「そうよ。粋怜もどうしたのよ!?」

 

藤丸立香と雪蓮が2人を止めようと駆けよる。荊軻は冷静だが粋怜は冷静ではない。その冷静の無さは雪蓮にとって見た事が無いほどだ。

 

「おお、主に雪蓮か。ちょうど良い。お前らからも粋怜を留まるように言ってくれ」

「まずは説明。戦はどうなったのよ。そもそも母様はどこなの?」

 

雪蓮が炎蓮に関して聞くと粋怜が黙る。明命はより暗い顔になる。

その顔は先ほどまでの孫呉の兵士たち以上に暗く痛々しい顔であった。その顔を見た雪蓮と冥琳は嫌な感覚に陥る。

 

「それは私が説明しよう。心して聞け。特に雪蓮はな」

 

荊軻の真剣な空気に雪蓮たちは身体が強張る。

 

「はっきり言おう。炎蓮は黄祖の矢によって額を射られた」

「なっ…そ、んな!?」

 

荊軻の言葉が信じられなかった、信じたくなかった。何故ならそれは炎蓮の死を意味していたからだ。

雪蓮たちが耳を疑った。そんなのは悪い冗談でも言っていいものではない。だが荊軻が嘘を言っているわけではないのだ。

 

「だが炎蓮は最後の力を振り絞り黄祖を討った」

 

炎蓮は道連れにと槍を投げて黄祖の胸を貫いたのだ。だからこそ黄祖軍が撤退したのかと藤丸立香は思った。

黄祖軍も孫呉軍も大将を失ったからこそ戦を続ける必要がなくなったから戦場は静まり返っている。だがそれは少しだけ違う。

その違いについては荊軻がこれから口にする。

 

「そんな、母様が。嘘でしょ…」

 

雪蓮は動揺が隠せない。殺しても死なないような母親が殺されたなんて信じられないのだ。

頭の中が整理できない。何を思えばいいのか。どうすれば良いのかすら分からない。

 

「か、母様は…?」

 

黄祖の矢に射られた炎蓮。ならばその遺体は何処にあるのか。

悲しさで上手く口に出来ないがせめて母親の最後の姿を見たいと思うのは当然だ。

普通ならば粋怜も明命も炎蓮の遺体の傍にいるはずだが2人の近くには遺体は安置されていない。

 

「炎蓮は拐かされた」

「なぁっ!?」

 

またも信じられない言葉を荊軻の口から聞いてしまった。何故、炎蓮を誘拐するのか分からない。

だが荊軻が粋怜を組み倒した理由は察することが出来た。彼女は炎蓮の遺体を取り戻すために動こうとしているのだ。

 

「黄祖軍の誰かが炎蓮さんを誘拐したってこと荊軻?」

 

黄祖軍が何故、炎蓮の遺体を奪ったのかが分からない。話によると黄祖も討たれたのならば炎蓮の遺体を奪っている暇なんて無い。寧ろ、黄祖の遺体を江夏に持って帰還させる方が黄祖軍として動くべきだ。

本当の答えは誰もが予想できないものだった。

 

「于吉によって奪われた」

 

于吉。それは藤丸立香たちが追っている道士である。

その名前は雪蓮たちも頭の片隅に残っていた。だが、まさかここで登場してくるなんて思いもしなかったのだ。

 

「于吉って太平道での…それに立香たちが追っている道士だったかしら?」

「ああ、そうだ。2人は顔を見た事が無いから于吉と分からないが怪しげな道士であったのは確かだったろう?」

 

荊軻は明命と粋怜に尋ねる。

 

「は、はい…」

「あいつは妙な術を使ってきたわ。白装束を出したり、札を使ったりね。そのせいで炎蓮様は…」

「私も白装束に襲われ、粋怜たちと切り離されていた。遠くからだったが確かに于吉であったぞ」

 

荊軻は白装束たちに囲まれて動けない状況であったのだ。今更ながら白装束に襲われたのは于吉が炎蓮を誘拐するのを邪魔されないようにするためではなかったのかと考えてしまう。

だが于吉は何のために炎蓮を誘拐したのか分からない。しかも死にかけの炎蓮を奪う必要性が考えられないのだ。

 

「な、何で道士なんかが母様を奪うのよ!?」

「分からん。彼の考えなぞ読めんさ…っておっと」

 

荊軻はどうにか脱出しようともがく粋怜をまだ組み倒したままにしている。

 

「私のせいで炎蓮様は黄祖から矢を射られた。私が油断していたから于吉なんか言うわけの分からない道士に拐かされた。ならば奪い返しに行かないといけないじゃない!!」

「それを貴殿1人でさせるわけにはいかんと言うのだ。少しは落ち着いたかと思えば…まったく」

 

荊軻が粋怜を抑えておかなければ今にも1人で黄祖軍に突っ込んで行きそうな勢いである。冷静に考えてそんな事をさせては無駄死になってしまうのが当たり前だ。

敵軍の大将である黄祖も討ち取ったとして相手側の数は六万はくだらない。孫呉軍は豫章城の方へ分けた軍と合流しても三万弱がいいところである。もしも、黄祖軍が戻ってきたらひとたまりもない。

 

「どうする雪蓮よ」

「え、私?」

「そうだ。総大将の炎蓮がいない今、全軍の指揮権は君が持っているんだぞ」

 

炎蓮が居ない今、決定権は自動的に雪蓮に移行される。これからどうするかを決めなくてはならないのだ。

今の雪蓮には酷かもしれないが早く孫呉軍を立て直す事が最優先。どの兵士たちも魂が抜けたように虚ろになっている軍団が迫られたら何も抵抗できずに終わってしまうからだ。

 

「っ、まずは…」

 

考えが浮かばない。冥琳を見ても彼女もまた冷静になるのに少し時間がかかっている。それほどまでに炎蓮の存在感は強かったのだ。

雪蓮も冥琳も粋怜も明命も冷静ではなかった。冷静であったのは藤丸立香たちだけ。

 

「撤退しよう雪蓮さん」

 

これからどうするかについてはっきりと提案した。その言葉を聞いて全員の視線が藤丸立香に注がれる。

 

「り、立香?」

 

雪蓮は「え?」という顔をしてしまった。

 

「な、何言ってるのよ立香。炎蓮を助けに行かないといけないでしょ!!」

 

更に粋怜は彼から発せられた「撤退」という言葉を聞いて食って掛かる。そのような事は断じて出来ない。

追いかければ黄祖軍に追いつくのだから炎蓮を助けに行くのが粋怜たちの心情である。敵軍の大将である黄祖も討ったならば士気だって同じように低い。

もしかしたら奪い返す可能性だってある。

 

「向こうには于吉がいる」

「于吉が何だって言うのよ!!」

「落ち着いて粋怜。相手は得体の知れない力を持っているし、黄祖軍の数は約六万。なら今の状態で立ち向かっても危険なだけだ」

 

ここにいる戦力は雪蓮隊と合流しても黄祖軍の六万には敵わない。そもそも士気が絶望的に落ちている兵士たちを動かしても陣形はままならない。

于吉には兵馬妖を持っており、別の力も隠し持っている。更には彼ならば黄祖軍も上手く利用できる可能性だってあるのだ。

 

「今の最善は雪蓮さんを守ることだ。炎蓮さんを助け出すために今から黄祖軍に突撃することじゃない」

「な、何を言ってるのよ立香!?」

 

粋怜は藤丸立香の言っていることが理解できなかった。炎蓮のことを何も思っていないかと聞き出したくなるほどだ。だが何も思っていないわけではない。

藤丸立香だって炎蓮を助けに行きたいと思っている。しかし今は撤退して雪蓮たちを、孫呉軍を無事に帰還させることが優先なのだ。

今ここで無謀にも黄祖軍に突撃して雪蓮たちの身に何かあれば目も当てられない。雪蓮まで失えば孫呉は瓦解する。

状況を確認して撤退という判断はおそらく炎蓮も考えるはずだ。

 

「俺だって助けに行きたいさ!!」

「っ…なら!!」

「でも、これ以上被害を出すわけにはいかない。雪蓮さんを守らないといけないだろ!!」

 

大切な人が死に、奪われた。そのような事が起きれば誰だって絶望して何をすれば分からなくなる。その状態を責めるのはお門違いだ。

だからと言ってより危険な行為をさせる事は許すわけにはいかない。

 

「粋怜さんは雪蓮さんの事どうとも思ってないの!!」

「そんな筈ないじゃない!?」

 

彼の言葉に「ハッ…」とさせられる。自分が起こそうとしていた行動を恥じてしまう。

 

炎蓮を奪い返すために他の仲間を危険な目に合わすことは出来ない。特に次期当主の雪蓮を危険な目に合わすなんてもっての外だ。

 

「………っ」

「落ち着いたか粋怜」

「……ええ、頭が冷えたわ」

 

やっと荊軻は粋怜を開放した。今の彼女ならば勝手な行動はしないと判断できたからだ。

 

「雪蓮さん」

「…ええ、そうね。立香のおかげで私も少し冷静になれたわ」

 

ここまで藤丸立香が食って掛かる姿は初めてだった。それが逆に雪蓮たちを冷静にさせたのかもしれない。

本当は泣いて泣いて崩れ落ちたかった。だが、それはまだ出来ない。

これからどう動くかを早急に決めないといけないのだ。

 

「…現実的に考えて今は黄祖軍と戦う事はできない」

「冥琳。じゃあ立香の言ったように撤退しかない?」

「そうなると手は2つ。強引に突っ切って丹陽へ撤退するか。あるいは豫章城まで撤退して籠城するかだ。だが可能性としては後者が良いだろう」

 

前者の丹陽を目指すというのは兵の士気があればの話だ。残念だが今の孫呉の兵士たちは絶望的に士気が下がっているため突破するのは難しい。

 

「なら豫章城に撤退するしかないか」

 

豫章城に戻り、建業からの援軍を待つことが今の最善の行動だ。敵軍の大将である黄祖を討っているが向こうの将の誰かが攻めてくる可能性は大いにある。

 

(そもそも過去に渡る前、孫呉は黄祖軍に滅ぼされたという事になっていた。ならば黄祖軍がここで退く可能性は低い…)

 

恐らく于吉は残った黄祖軍を利用してくるはずだと嫌な予想をしながらも警戒するしかなかった。

 

「豫章城まで退却するわよ」

 

雪蓮たちは心も身体も深い傷を負いながら豫章城まで撤退するのであった。道中で穏と祭に合流した後に炎蓮の件で一悶着はやはり起きてしまった。

特に炎蓮を殺され、誘拐されたと聞いた時の祭は冷静さを失っていたほどである。やり場のない怒りを粋怜に向けてしまう程に。

粋怜は炎蓮の傍に居ながら主君を守れなかった。その部分が祭が粋怜に対して怒りを向けてしまう理由になってしまったのだ。粋怜だって炎蓮を守れなかった責任を感じている。

だが今は仲間同士で争っている暇は無い。祭を落ち着かせるために藤丸立香や雪蓮たちは苦労をしたものである。

炎蓮を失ったのは誰のせいかなんて決めるのはくだらない話だ。それでも誰かのせいかと決めたいのならば仲間のせいにするのではなく、せめて敵軍である黄祖軍に怒りを向けるのが妥当というものである。

特に炎蓮を誘拐した于吉にするべきだ。

 

(それにしても何で于吉は炎蓮さんを?)

 

于吉が炎蓮を誘拐した理由は近いうちで分かる事になる。それは最悪な形で分かってしまうのだ。

 

 




読んでくれてありがとうございました。
次回はGW中に更新できたらなって思ってます。それが駄目ならGW明け後くらいですかね。

さて、今回の場面が原作とズレてオリジナルルートに進んでしまう分岐でした。
于吉の策とは前々から言っていた質のある駒を用意したかっというものです。
それこそが恋姫世界でも呂布の次に異端の強さを持つ孫堅を操り人形してしまうというものです。

これからどうなっていくかは次回をお待ち下さい。

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