恋を紡ぐ指先 作:ぽんぺ
二月、風は冷たい。
道行く人々は皆マフラーやコートを着込み、寒さを凌いでいる。
吐く息は白く、暖かいところを求めて足を急がせているようだ。
本日の最高気温は五度。
猛暑なんて言われていた半年前など数年前のように感じる。
太陽光が当たる面積だけで夏とここまでの気温差が発生するのだから、まさに太陽様々である。
「はぁ…」
手に息をかける。
手袋をしていても指先は悴む。既に沈みはじめた太陽は未だに暖かいが、どうにも体を暖めるには至らないようだ。
せめて小銭を出すときには動くようになるといいのだが、なんて思いつつ歩幅を大きくした。
あのパン屋まで、あと百メートル。
硬いブーツ底がコンクリートに当たる硬質な音と共に歩みを進め続ける。
つい二週間前に降り積もった雪は未だに溶ける気配を見せず、雪かきされたまま道端に積もっていた。
今年は例年より降雪が少ないとニュースで聞いた。
この地域は元々あまり雪が降らないところではあるが、今期は特に初雪が遅かった。
積もる量も必然的に少なくなり、交通に関してはかなり楽になっている。
もちろん相当に降り積もる年もあり、そういう日は大体商店街全体に雪かきの音が響いているものだ。
幼少期、雪であんなにはしゃいでいた自分はどこへやら、最近では雪かきが大変だとしか思わなくなってしまった。
成長するに連れてあの時のような無邪気さは失われていくばかり。気がつけばもう中学卒業間近である。
「しかしまぁ、受験前に呑気なことで」
帰り道に寄り道とは、受験を三週間後に控えた生徒とは思えない行動である。それだけ重要な場所だと納得していただきたい。
通りをぬけていくと、お目当てであるパン屋の看板が見えてきた。
看板に書かれた文字は「やまぶきベーカリー」
去年の夏休みあたりに見つけたお店だったが、味の良さに取り憑かれてからというものほぼ毎日通っているお店だ。
近づくに連れて漂ってくるいい匂いに心を弾ませながら進む。
店の前にたどり着くと、窓から中を覗く。
地域でも有名な店であるから、やはりこの時間になると品薄になってくる。
客足も多いが、この分ならいつもの奴が買えそうだ。
窓を覗くのをやめ、扉に向かう。
おしゃれな作りの扉を開けると、扉の上についていた鈴が鳴った。
それと同時に、暖かい空気が身を包む。2月の空気で冷えた身体にはやはり良く効く。
鈴の音で店員がこちらに気づいた。
「こんにちは。山吹さん」
「お、キミかぁ。いつもの、あるよ」
柔らかく笑って山吹さんが迎えてくれる。
ここの娘で長女なのだそう。僕と同じ歳でお店の接客の殆どを担当しているそうで、本当に同年代なのか疑問に感じることもある。
しかし、内面はやはり女の子な模様。僕が通いはじめた頃からよく話をしている間柄だ。
「本日も繁盛しているようでなにより。僕も一ついただいていくとしましょう」
「うん! 毎度あり!」
いつもの食パンを取ってレジに持っていく。
チョココロネやあんぱんも美味しいが、シンプルな味を好む僕としては食パンが一番なのだ。
このスタイル、始めの頃は山吹さんにも不思議な顔をされたもので、今でも時々他のパンを薦められる。
まぁ、実際に買ったことがあるのは塩パン位だが。
会計を済ませながら、世間話に華を咲かせる。
最近はもっぱら受験の話。
山吹さんは中高一貫校のようで、受験について聞かれるのは大抵僕なのだが。
「キミもそろそろ受験なんじゃない? こんなところに寄り道してて大丈夫なの?」
「それさっき考えてた。まぁ、受験勉強よりもここのパンを食べる方が僕にとっては重要だと捉えてくれれば」
「お、嬉しいこと言ってくれるね。それで、高校どこ受けるんだっけ?」
「隣町の公立高校。ほら、吹奏楽が有名なあそこ」
学力のレベルもそこそこで、自分に良く合っていると感じていたから、中二の頃から目をつけていたところでもある。
「あそこかぁ。遠くない?」
「そうでもないさ。僕の家は駅から近いし、そこも駅から近いから、実質の移動時間とか疲労とかは今より少ないかもしれない」
まぁ、ここには進学しても来ますけどね。
「なるほどねぇー……っていうか、キミ見てると受験が甘く思えてきちゃうんだけど」
「いやいや。僕が緩いだけで受験の時期は皆ピリピリしててね。特に難関校なんか行く人は見るたび勉強してるよ」
「キミはもう少し危機感を持つべきじゃないかな……」
他愛ない話も、続けば続くほど華が咲くもの。
…それも、唐突に終わりを迎える。
「っと、後ろ後ろ」
「わ、ごめんなさい」
振り向くと既に次の客が並び始めていた。
謝罪をして、レジから離れる。山吹さんが作業に戻る前に声をかけた。
「それじゃあ山吹さん、またね」
「うん。またね」
店に入ってから出るまで、一〇分と満たない短い時間。その中で、山吹さんと会話するのは、僕の楽しみだった。
「またね」と、約束するような挨拶をして店を出る。
最初は「ありがとうございました」
次は「いつもありがとう」
そして今は「またね」
少しずつ短くなる距離は心地のいいもので、自分も常連客になれていると感じる。
「さてと。帰って勉強でもしますかね。あんなこと言っておいて受からなかったらなんて言われることか」
さっきより傾いた太陽は、既にその身を地平線に隠し始めている。
気温は更に下がり、東の空に星が輝き始めた。暗くなる前に帰ろうと、パンを大切に抱えて帰路を急ぐ。
何気ない日常の一幕。変わり行く環境の中で作り出す、幸せな一時。
───指先はもう、悴んではいなかった。