恋を紡ぐ指先 作:ぽんぺ
「「おいしーい!」」
「それは良かった。おかわりもあるから沢山食べてね」
朝と変わらず賑やかな昼食の時間。
なんとかペペロンチーノが完成した後、他に買ってきていた野菜でサラダや和え物を作った。朝に千紘さんが作った料理は朝のうちに皆食べきってしまったようで、今食卓に並んでいる料理は全て僕が作ったものとなっている。
「ホントに良くできてるわね。美味しいわ」
「前から料理ができるとは聞いていたが、ここまでとはね。流石だよ」
「口に合ってたなら良かったです。今回は結構上手く作れたつもりなので……」
千紘さんや亘史さんにも好評な模様。気合いを入れて作った甲斐があるというものだ。嬉しい。
「む、おいしい……」
なにやら難しい顔でフォークを回している山吹さんもおいしいと言ってくれている。……いや、おいしいと言ってくれているのに、なぜそんなに難しい顔をしているのか。
「…どうかしたの、山吹さん。なんか食べにくかったりした?」
「あ、ごめんね。そういう訳じゃないんだけど…」
そこで言葉を切ると、もう一度うーんと唸る彼女。え、やっぱりなんか入れるべき隠し味とかあったのだろうか。好物だからこそ、アレンジしているところとかあったんじゃなかろうか。
「……なんか、女子として悔しいなって…」
……割とかわいい悩みだった。
そんな彼女の様子を見て、千紘さんが口を開く。
「これなら、夕食も友也くんに任せちゃおうかしら」
みんなに好評だから、ということだろう。
まだ財布には幾らか猶予はある。もっと作りたいものもあるので異論はない。
「ああ、別に僕は構いませ「待って! 夕食は私が作る!」
僕の言葉を遮って山吹さんが名乗り出る。
勢いよく言い放った彼女は、そのまま僕の方にぐるりと向き直ると、
「友也くん。好きな料理は何?」
と。
その謎の対抗精神はなんですか。乙女心と言うやつですか。わからない。
まあ山吹さんの料理は食べたことがないので是非とも食べてみたいけど。
好きな料理か……。特に決まったものはないかもしれない。あえて言うならパンだが、それはこの場で言うには違うだろう。あ、あとで売り切れないうちにコッペパン買っとこ。
「……和食……かな」
「和食……何が品名とかは?」
「……ごめん、思い付かないや。折角だし、そこは山吹さんにお任せするよ」
考えたけれど、残念ながら具体的な品名は思い付かなかった。僕はレストランで頼むときも決まったメニューはないからね。
そういうわけで、夕飯は山吹さんの和食フルコースに決定した。
「夕御飯、お姉ちゃんが作るの?」
「そうだよー。楽しみにしててね」
「姉ちゃんの料理、久しぶりだー!」
純くんと紗南ちゃんの様子を見るに、彼女の料理もとても美味しいのだろう。期待できそうだ。
「確かに、沙綾が作るの久しぶりになるわね」
「愛娘の手料理か……楽しみだ」
「楽しみにしてるよ」
「ふふん、任せて!」
期待に応えるように胸を張って言う山吹さん。
夕食もこんな感じで賑やかなのだと思うと、今から夜が楽しみになってきた。
───────
「友也くん、こんにちは。今日も繁盛してるかい?」
「はい、おかげさまで。いつもありがとうございます!」
午後になって、僕の仕事の時間が回ってきた。
休日だからなのか、やまぶきベーカリーは午後の開店時間から多くのお客さんで賑わっている。
「ごめん友也くん、レジお願い!」
「了解。任せて」
山吹さんと協力して接客を行う。ピークは過ぎたようで、少しずつお客さんの数は少なくなってきていた。
夕方近くになればまた増えてくるが、それまでは二人とも楽ができそうだ。
「ひとまずお疲れ様ー」
「うん、お疲れ様。こういう時はやっぱりキミがいてくれると凄く助かるよ」
結構な量のお客さんをさばいたが、僕も彼女もそこまで疲れは見えていない。二人の仕事の量もバランスよく配分できている辺り、彼女も僕のことを頼ってくれているのだろうか。
時間と共に減っていくお客さんを眺めながらレジを行う。すっかり顔馴染みになった常連客の人々と言葉を交わすのも、もう慣れたものだ。
「───ちゃん、チョココロネ買っていっていいかな……?」
「いいね! 私もパン買ってこー!」
「ついでに沙綾たちに挨拶してこっか」
ある程度お客さんが減ってきたところで、店の外から聞き覚えのある声がいくつか聞こえてきた。
「ふふ、来たね」
「チョココロネ足りそう?」
「ストックあるから大丈夫」
「メロンパン」
「十分余ってるよ」
ちょっとだけ微笑みながら山吹さんと言葉を交わす。その会話から少しとしないうちに、扉のベルが鳴った。
チョココロネ、メロンパン、その他諸々の準備は万端だ。いつでもかかって来なさい。
「こんにちはー!」
「か、香澄ちゃん、お店だから大きな声は……」
「こんにちは」
扉から入ってきたのは、戸山さん、牛込さん、花園さん。三人ともいつも通り、というか、いつも以上に元気なようだ。ただ、少し違うのが……
「いらっしゃい、皆。……その背中のは……」
「あ、ともくん! こんにちはー! ……で、後ろのこれ?」
戸山さんはそこで言葉を切って、おもむろに背中のそれを肩からおろした。
「ふっふっふ……これはね……」
で、少し自慢げに微笑むと黒いケースからなにかを取り出す。それを肩に掛けると、ポーズを決めてドヤ顔になった。
ああ、もしかしてこれ、勉強会の時に言っていた……
「じゃじゃーん! ランダムスターなのだー!」
「ギターか! なるほどね……」
全体を赤でカラーリングした星形のギター。いわゆる「変形ギター」の一種だろう。とても鮮やかな赤と、ボディに散りばめられた小さな黄色い星が戸山さんによく似合っている。
音楽、ひいてはバンドに疎い僕でも、これがとても高いものだと瞬間的に理解できた。
……少しだけ、本当にバレないように山吹さんの方をチラリと見る。勉強会の時に見せたあの表情が気になっていたが、今は顔を曇らせることなく戸山さんのギターを見ているようだ。
安堵と、やっぱり少しの引っ掛かりを胸に覚えて目線を戻す。
「……他の二人も、背負っているのはギター?」
「私はギターだけど、りみりんはベースだよ」
「……はて、ベース」
なるほどベース。残念だがよく知らない。今度調べて見るべきかな。
でも確かに、牛込さんが背負っているケースは花園さんが背負っているケースより少しばかり大きい。
「ベースは低音を支える楽器だよ。バンドとか見る機会があったら、低い音に注意して聴いてみると分かりやすいかも」
「あ、もしかしてイヤホンで音楽聴いてると響いてくるアレ?」
「それだね」
スピーカーで流すのと、イヤホンで流すのとで聴こえる音が増えたように感じることがあったけど、あれがベースなのか。納得。
「私の心はチョココロネ~」
「牛込さん、ご機嫌だねー」
その話題の牛込さんといえば、チョココロネを前にウキウキと歌を歌っているが。
牛込さんの手に取られたチョココロネは全部で六つ。……市ヶ谷さんも含めて配るとなると牛込さんが食べるのは三つだろうか。
「私もメロンパン買っちゃおうかな。テスト頑張った自分へのご褒美」
「お、ありがと。毎度ありー」
本日もやまぶきベーカリーの売り上げは順調。戸山さんもチーズのパンを買ってくれるようだ。
そういえば、花咲川もテスト終わってたんだね。
「戸山さん、テスト終わったからなのかやけに元気だね」
「ふふーん! テストが終わった私に敵はないからねー!」
心なしか、戸山さんの髪のセットの一部、通称猫耳もピコピコ動いているような気がする。
「ああ、妙にテンションが高いのはそういう……」
「香澄、出来は大丈夫なの?」
「ふっふっふ……この前の勉強会で私の学力は大幅に上がったからね。今回は補習もない! はず!」
どうやら自信もある模様。「あの時はありがとね! ともくん!」と眩しい笑顔を向けてくる戸山さん。「どうってことないよ」と返しておいた。……山吹さんの目線が感じられた気がしたけど、きっと気のせい。
三人とも目当てのパンを取ったのか、まとめてレジに出してくる。それをさばいている間も、山吹さんたちは仲良く話していた。
「はい、じゃあこれレシートね」
「ありがとう! じゃあ私たちそろそろ行かなくちゃ!」
やがて三人のレジを終えると、そろそろ出ていくのか戸山さんがギターをケースに収め始めた。まだしまってなかったんですね。
「…そういえば聞いてなかったけど、皆はこれからどうするの?」
「実は、今度有咲の家の蔵でおたえに認めてもらうためのライブをするんだけどね。その練習をするからって……」
と、そこで言葉を切る戸山さん。ハッとしたような顔をしてから、みんなに向かってこう言った。
「…そうだ! ともくんもクライブに招待しようよ!」
……はぁ。くらいぶ、とは。
「いいね。友也にも私たちのこと、知ってもらいたいし」
「私も賛成だよ」
状況が掴めないままどんどん話が進んでいく。くらいぶ、なるものがどんなものなのか理解できない僕はただただ困惑するばかり。
混乱している僕の様子を察して、山吹さんが一声入れてくれた。
「ちょっとちょっと。友也くん混乱してるって。ちゃんと説明してあげなきゃ」
「……うん、そうしてくれると助かるかな」
困ったような仕草を取ると、戸山さんが少しだけ眉を潜めて申し訳なさそうにしてきた。
「ごめんね……いきなりすぎたかな?」
「大丈夫、だいじょうぶ。ちゃんと説明してくれればいいから」
戸山さんの表情が明るくなる。それと同時に、戸山さんが「クライブ」ひいては、バンドの結成について、一から説明してくれた。
──────
「………っていうわけで、今度クライブをやるから、ともくんにも来てほしいなってことだよ」
「…うん、ありがとう。よくわかったよ」
あれから二十分程、戸山さんの話を聞き続けた。
戸山さんが子供の時に感じた「星の鼓動」の話に始まり、高校生になってから「バンド」というものを知ったこと。
市ヶ谷さんと出会って、星形のギター「ランダムスター」を見つけたことや、初めてアンプに繋いで音を出したの時のこと。
初めて見たライブで感動して、ライブハウス「SPASE」でライブをするためにメンバーの募集と練習をしていること。
そして、花園さんがバンドに加入するために突きつけた条件を達成するために練習している、という話まで説明してもらった。
「しかし、こうやって聞いてみると皆やっぱり個性的だな……」
「あはは! やっぱりキミもそう思う?」
「そ、そんなに個性的かな……?」
「確かに香澄は個性の権化って感じかな。うん」
「それは褒められてるの!?」
花園さんに抗議する戸山さん。
戸山さん、経緯から思うに「個性の権化」という表現もあながちどころか間違ってない。
しかし、クライブか……。折角だし見に行きたい気持ちはやまやまなのだが、いかんせん千紘さんの負担が怖い。
「あ、そうそう。クライブには私も誘われちゃってるんだ」
「山吹さんもなのか。……うーん、じゃあ僕は遠慮した方がいいな……」
説明してもらったクライブの日は、別にやまぶきベーカリーが閉まっている日ではない。山吹さんも行くというなら、一人くらい残っていないとマズイだろう。
「え!? ともくんクライブ来られないの?」
僕の発言を聞き取った戸山さんが、心底悲しそうな表情で見てくる。後ろにいる花園さん、牛込さんも同様の顔をしていた。
「いや、山吹さんもクライブに行くなら僕ぐらいは残っていないとまずいかなって」
山吹さんがすかさずそれに反応する。
「だったら友也くんが行かなきゃ! バイトに店を任せて遊びに行くなんて、私には出来ないよ!」
「でも……」
まずいな。このままじゃ平行線は免れない。「山吹さんが行くなら」の一言は抜いておくべきだったか。
戸山さんたちも考え込んでくれているようだが、打開策が見つからない。ごちゃごちゃと考えていると突然、背後から声を掛けられた。
「はいはい、それには及ばないわよー」
「千紘さん!」
「母さん!」
まるでタイミングを図ったかのように店の奥から出てきた千紘さん。ちょうど昼食の片付けが終わったのだろうか。
続けて、千紘さんが切り出す。
「私は一日くらい大丈夫よ。二人とも楽しんでらっしゃい」
「そうはいわれても……」
やっぱり不安だ、と続けようとしたところで、千紘さんが制止するように人差し指を立てる。
「沙綾にも友也くんにも、いつも助けられてるんだもの。たまには、大人として、母親として頼ってちょうだい」
微笑んでそう言う千紘さん。
そこまで言われて、「どうしようか」と山吹さんの方を見る。
山吹さんも「これは譲らなそう」というように諦めた表情をしていた。この分だと、ここから覆すのは無理だろう。
うーむ。仕方ない。折角の厚意を無下にするわけにもいかないだろう。
「……じゃあ、お言葉に甘えさせていただきます。でも、くれぐれも無理はしないでくださいね」
「そうだよ母さん。頼るのは今回だけだからね!」
「うふふ。二人ともそれでいいの」
結局千紘さんに押しきられてしまった。なんだか申し訳ない気持ちと、感謝の気持ちが混在している。
「それじゃ、香澄ちゃん、二人ともお願いね」
「はい!」
ここまでの会話から、僕がクライブに行けることが分かったのであろう戸山さんが元気よく、笑顔で返事をする。
「よろしくね、二人とも!」
「ああ、こちらこそよろしく。…皆もよろしくね。演奏楽しみにしてるよ」
「まかせて。最高の演奏にするよ」
「わ、私もがんばるね!」
花園さん、牛込さんにも声を掛けるとこれまた言い返事が。言い演奏が期待できそうな眼差しに、思わず気持ちが踊る。
……割と流された気がしなくもないけど、そんなこんなで僕のクライブ鑑賞が決定した。
「それじゃ、楽しみにしててね!」
「了解。ありがとね」
戸山さんたちが店を去る。
僕が来るとわかって、また練習に気合いが入ったのだろう。今すぐにでもギターを弾きたいという顔をしていたように見えた。
「香澄、相変わらずだなぁ」
「……山吹さんの時もそうだったの?」
「私の時はまた特殊だったよ~」
「と、いいますと?」
話を催促するように合いの手を打つ。
山吹さんのことだから、パン絡みで誘われたりしたんじゃないだろうか、なんて予想。
「入学式の時、クラスの確認してたら香澄とぶつかったのが初めてだったなぁ。そしたら突然「パンの匂いがする!」って」
「あっはは! 予想した通りだなー」
見事予想的中。正直斜め上だったけど。
「こうやって聞いてみると、僕の時とは正反対なんだね」
「あー、確かにそうかも。キミは話しかけるとかあまりしてくれなかったものねー」
ジト目で意地悪にこちらを見つめる山吹さん。
実際そんな感じで、やまぶきベーカリーに通い始めた当初は彼女と必要以上の会話はしてなかったと思い出される。
「……仲良くなりたいとは常々思ってたんだけど、なかなか行動に移せなくてね……」
「あれ?じゃあ話すようになったきっかけって何だっけ?」
え、忘れたんですか。
「あれだよ。食パンが売り切れてたときの」
「ああ! キミが珍しく閉店直前に来たときの!」
「そうそう、それが話すようになったきっかけ」
中学時代、部活引退後だというのに下校するのが遅くなってしまったときがあった。
その日も閉店直前になってやまぶきベーカリーに行ったのだが、その時にはもう食パンが売り切れていて。
すっかり意気消沈してしまった僕に、山吹さんが笑顔で「いつも食パンとるから、ひとつだけストックしてありますよ」と話しかけてくれたのが、今の関係の始まりだった。
「……今思うとそこまで大きな出来事じゃなかったって思えるかなー」
確かに、ほとんど一緒に行動するようになった今では、あの出来事は小さなものかもしれない。
「でも、あれが僕らの関係を変えたのも事実でしょう?」
「それは否定しないけどね~」
人との関係を作るのには、僕と山吹さんの時、戸山さんと山吹さんの時の様に時間の掛かり方に違いがあるけれど、その「きっかけ」は非常に些細なものだったりするのだろう。
山吹さんと知り合って、半年が過ぎた。
緩やかに変化する関係にも、急に縮まる距離にも、彼女との出来事全てにドキドキしながら、二人の関係は進んで行く。
「じゃあ、これからもっと色んな出会いがあって、皆との関係も変化していくのかな」
「……ま、僕には未来のことなんてわからないから、今を呑気に過ごすだけだけどねー」
「キミはそういうところ変わらないなぁ」
「アイデンティティーと言ってよ」
お互い軽口を叩いて、その内容で笑いあって、日々を過ごす。
「それはそうと。山吹さん」
「ん? なーに?」
「夕食、楽しみにしてるよ。是非とも僕が作ったペペロンチーノを越えてくれたまえ」
「む!」
不機嫌そうに頬を膨らませる山吹さん。そんな彼女をつついているうちに、扉のベルが鳴った。
「ほーら、お客さん来たよ」
「むー……いらっしゃいませー!」
現在時刻、午後二時。まだまだ始まったばかりの「今」を僕らは駆け続けている。