恋を紡ぐ指先   作:ぽんぺ

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#12

 

 カチャリ、と最後の皿が乾燥機の中に積まれる。

 スイッチの入れられた食器乾燥機が、中で温風を吹き出し始める。

 

 同時に、絶え間なく聞こえていた水の流れる音が止んだ。台に飛び散った水を布巾で拭き取って台所を綺麗にする。これにて、夕食の後片付けは終了。僕の今日のお役目もこれにて御免だ。

 

「…………………」

「…………………」

 

 静寂。互いに背中合わせのまま喋らない。

 二人の指先が触れあって以降、ずっと黙ったまま片付けをしていた。

 もう何回目になるか──もう一度、チラリと隣を覗く。彼女がが僕を見たタイミングもほぼ同時。

 

「………っ」

「………………うぅ…」

 

 さっきから、チラリと隣を見ては山吹さんと目があってしまう。そしてまた赤くなって目を逸らす。そんなことをこの短時間に何回も繰り返していた。

 二人の顔はずっと赤いままだし、心臓もまだまだうるさい。頭が、山吹さんに支配されているみたいに働いてくれない。

 外で鳴いている鈴虫の声も、リビングから響く元気な声も聞こえているのに、僕らの周り、この台所だけ時間が止まっているようだった。

 

「そろそろ片付け終わったかしら~?」

「……っ!? ……お、終わりましたー」

「……う、うん! 終わったよ!」

 

 突然近くから聞こえた声に、いつも以上に過敏に驚く。

 声の正体は千紘さん。確認に来てくれたようだが、それに対してしどろもどろな対応をしてしまう。

 二人の対応は明らかに変で、「なんでもない」じゃ済まされないものだった。

 

 僕らの表情と様子を見た千紘さんが「あらあら、うふふ」と笑う。

 

「そろそろ八時になるけど……どうせだし、友也くん泊まってく?」

「かっ、母さん!」

「い、いやいやいや、流石に遠慮しておきますって……!」

 

 二人して千紘さんに抗議する。全く否定になってないけど。

 

「うふふ、仲睦まじいようでなにより~」

 

 僕らの反応がおもしろいのか、千紘さんはニコニコしたまま台所を去っていく。

 後に残された僕らは、千紘さんが引っ掻き回した空気のおかげで、更にいたたまれない気分になっていた。

 

「……も、もうすぐ八時だっけ?」

「……うん、母さんはそう言ってたけど……」

 

 ちょうどいい頃合いだ。そろそろ帰るとしよう。

 一刻も早く、この空間から脱出しなければならない。

 

「じゃあ、時間もいい頃だし……」「……わ、私はキミさえ良ければ……」

 

 二人が言葉を発したのは全くの同時。互いに発した言葉を聞いて、互いに驚く。

 みるみるうちに赤くなる山吹さん。

 

「……山吹さん今なんて言おうと「きっ! ……キミさえ良ければ…良ければ……そう! キミさえ良ければ、今日のお礼にパンをもらってほしいって言おうとしたの!」

 

 僕の質問が届く前に大声で弁明する山吹さん。

 お礼は夕飯でたっぷり貰ったし、そもそもパンは売り切れているはず。

 

「………山吹さん……」

「……ごめんね………今日の私、ちょっとおかしいや……熱でもあるのかな……?」

 

 先程の弁明がおかしいことなど、二人とも気づいている。彼女が言おうとしたことなど、あの前の千紘さんの発言から見ても明らかだろう。

 

 本日何回目になるかわからない赤面。全身を巡る血潮の温度すら上がっているのではないかと錯覚する。

 

「……と、とりあえず僕は帰るよ。山吹さんも疲れただろうから、早く休んでね」

「……う、うん」

 

 顔から溢れ出る熱を抑えながら、台所を出る。

 出たときに、リビングにいた千紘さんたちから目線が送られたが、一旦無視。なるべく顔を見られないように荷物が置いてある空き部屋へと向かう。

 

 トイレに駆け込むかのように空き部屋に入った僕は、一度大きくため息を吐いて、ドアに体を預けたままズルズルと音を立てながら床にへたりこんだ。

 

「……今日は、僕もおかしいな……」

 

 発端が何だったかなど、最早わからない。

 朝はパン作りを学べることへの嬉しさでここに来た筈なのに、今の頭の中はほぼ全て山吹さんの事で埋め尽くされている。僕の彼女に対する意識が変わったことなど、僕が一番よくわかっているつもりだ。

 

 今日は明らかに、山吹さんのことを一人の女の子として見ていた。顔面を巡る熱がその証明だった。

 

「……ああ、ちくしょう……」

 

 これは恋なのだろうか。こんなことなど初めてだと何度も言っているだろう。誰かどうか、この気持ちを教えてくれないか。

 答えが知りたい。そうすれば、この苦しさから解放される気がするから。

 

 心を縛るこの感覚の正体を、僕はまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────────

 

 

 

 

 

 

 

 パタン、と丁寧にドアが閉められる音。

 急いでいるのにドアは大切に扱う辺り、やっぱり彼らしいな。

 

「……はぁ……」

 

 疲れと安堵から、大きく、大きくため息をつく。

 台所の床にしゃがみこんで顔を覆った。顔から伝わる熱さで手のひらがじんわり暖かくなる。

 

「……あ~……もう……」

 

 少しばかり悪態をつく。別に彼のせいじゃないが、ここまでやられてしまうと偶然なのか疑いたくもなってしまう。

 朝からずーっと彼のことばかり。同性の友達でも起きたときから一緒だなんてこと無かったのに、彼はどんどん私の中に入ってくる。

 

「こんなだから母さんにもからかわれるのかな…」

 

 心臓が一回、トクンと跳ねるごとに、体に熱が広がっていくのが分かる。思考が彼に染まっていくのが分かる。彼のことを考えるだけで、心が跳ねるのが分かる。

 彼が異性であるなんて当たり前のこと、どうして今まで意識しなかったんだろう。

 

「……まともに顔合わせられないよ……」

 

 朝の時と同じ事を言いながら、ブンブンと頭を振る。

 彼の事で思考も心も埋め尽くされた私が、せめて彼を送り出そうと考えられるようになるまでに、結局10分程費やすハメになってしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 ─────────

 

 

 

 

 

 

 一〇分。

 

 僕の顔が落ち着いてくれるまで、それだけの時間を要した。まだちょっと顔は赤いのかもしれないけれど、それは目覚ましに頬を叩いたのだとそういうことにしておく。

 あまりいると心配されるだろうと、荷物をがさつにまとめてバッグに詰めた。そして、ドアの前で大きく深呼吸をして空き部屋を出る。

 リビングに出ると、山吹さんを除いた千紘さん、亘史さん、純くん、紗南ちゃんが迎えてくれた。

 

「あら、友也くん帰る?」

「ええ、今日は本当にありがとうございました」

「またパン作り教えるよ。近いうちに」

「ありがとうございます。また家でも勉強しておきますね」

 

 パン作りもまだまだ精進しなければならない。また教えてもらえるなら嬉しい限りだ。

 

「お兄ちゃん、今日は遊んでくれてありがとう!」

「兄ちゃんのスパゲッティおいしかった!」

「二人ともありがとう。また遊びに来るからね」

「「うん!」」

 

 純くん、紗菜ちゃんにもさよならを言う。今日はたっぷりと遊んであげられたから、二人も満足してくれているようだ。

 

 最後にチラリと、台所の方を見る。

 山吹さんはまだそこにいるようで、明かりが煌々と点いている。

 彼女にも挨拶をしようかと思ったが、今会ってしまったら、今彼女の顔を見てしまったら、折角10分間かけて引かせた頬の熱が戻ってきてしまいそうで、十数秒の柔順の後帰ることを決意した。

 

「……それじゃあ、行きますね」

 

 千紘さんたちにもう一度だけ挨拶をして、リビングを去る。少しだけ寂しさを覚えたけれど、どうせまた明日にも会えるのだ。そう思えば痛くはない。

 というか、そう思わなければ今にも踵を返して台所に突っ込んでいってしまいそうだった。

 

 リビングよりも気温の低い玄関。暖かなオレンジ色の電灯を頼りに靴紐を縛る。誰も見ていないのに、もたもたしている振りをして。

 こうやって靴紐を縛っている間に、彼女が見送りに来てくれないかな、なんて、他力本願に考えながら。

 

「………これで、よし…と…」

 

 そんなことは叶う筈もなく、いつもより何十秒も遅く、丁寧に靴紐を縛っただけとなった。

 立ち上がり、ドアノブに手を掛ける。外気から伝わった金属の冷たさが手のひらを覆う。

 

 その時か。後ろからスリッパで駆けてくる足音。

 

 うわべでは、なんだよ来ちゃったのか、なんて思っているのに、僕の心は正直に心臓を跳ねさせる。

 一瞬だけ、あの熱が、彼女の指先が恋しくなって、振り返ってしまった。

 

「……山吹さん」

「全くもう、挨拶もせずに帰っちゃうなんて、私の部下としての自覚がないの?」

 

 口では怒っているような声をあげるくせに、声色と表情が伴っていない。

 山吹さんは演技派とはいえない性格だな、なんて下らないことを考えながら、適当に返事を返す。

 

「僕はやまぶきベーカリーの正社員じゃありませんよー。……それでも、挨拶しなかったのはまずかったね。うん。……また明日、山吹さん」

「よろしい。……また明日、友也くん」

 

 短く、小さな声で別れの言葉と約束を交わして、今度こそドアノブを回す。

 押し込んだドアの向こう側から流れ込んでくる外気に一瞬だけ表情を歪めて、元に戻す。

 

 最後、ドアを閉める直前に山吹さんにそっと笑い掛ける。

 置き土産のようにそれを残して、家の光から離れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 ─────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 外から響く靴音が離れていくのを聞いて、私も踵を返す。向かうのは自分の部屋。

 

「姉ちゃん、顔赤くなってるー!」

「あらあら、友也くんに何かされたのかしら?」

 

 リビングを通るところで家族が何か言ってるけど、全部無視。今の私はそれどころじゃない。

 

 暗くなっている二階の廊下の電気もつけずに、自分の部屋に入る。続けて、廊下と同様、電気をつけることもなくベッドに倒れ込んだ。

 

「…………反則っ」

 

 何の仕返しだろうか、彼が最後に向けてきた微笑みは私をおかしくするのに十分な力があった。

 おかげでまた顔は熱いし、心臓もさっきから凄くうるさい。

 彼といると、自分がどんどんダメになっていくような感じがする。「らしくない」ってこういうことを言うのかな。

 

 

 

 

「らしくない……」

 

 冷えている筈の空気の中、いつもならポケットに手を突っ込んで歩くのに、無意識に手を出したまま夜道を歩く。

 今更になって、最後のお土産が恥ずかしくなってきた。顔が熱い。家に戻るまでに治っていればいいんだけどな。

 今日一日、本当に色んな事があった。でも、そのほとんどに山吹さんが関わっているのだ。今日だけで、僕が見たことのなかった彼女の姿をいくつ発見したのだろう。

 

 

 

 

 顔と頭を冷やそうと思い切り窓を開けてベランダに出る。

 六月直前の夜風はもう冷たいとは言い切れないのかもしれないけれど、今の私には十分過ぎるほどの冷却材だった。

 彼も今頃、同じ星空を見上げているのかな、なんてロマンチストみたいに考える。

 

 

 

 

 彼女も同じ景色を眺めていたら嬉しいなと、空に輝くおとめ座を見上げた。

 山吹さんと夜の商店街を歩くときは、いつも星空を見上げていると思い出す。

 

 

 

 

 夜の商店街は暗いから、星の明かりがよく見えて。二人揃って、空を見上げるのだ。

 彼は星座にだって詳しいから、あれは春の大三角、あれはうしかい座、なんて教えてくれる。

 

 

 

 

 そのたびに彼女は僕の指先が指す方を向いて、星座を見つけて。見つけたことに感動しては「よく知ってるね」と言ってくれて。

 

 

 

 

 私の喜ぶ様子を見てはそのたびに、彼は自慢気に「ロマンチックなことは好きなんだ」と語って。

 

 

 

 そうやって二人して笑い合うのだ。

 

 

 

「「ああ、もう………」」

 

 

 

 気がつけばお互いの事ばかり考える。また一段と指先が熱くなって、続くように顔が熱くなって。

 

 ──僕らの指先に灯った熱は、私たちの心拍を加速させて。

 

 

 

 

「「熱いなぁ……」」

 

 

 

 

 夜風は冷たく感じるのに、二人の指先はいつまでも、熱を放ち続けるのだった。

 


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