恋を紡ぐ指先   作:ぽんぺ

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#13

 

 コツン、と。

 

 靴底がコンクリートにぶつかって、軽快な音を立てる。人混みに吸い込まれるその音を聞き流し、一歩足を進める度に変化する景色を見渡しながら、商店街を進み続ける。

 今日はクライブの日。いつもより一本早い電車で帰って来た僕は、十分余裕を持って市ヶ谷さんの家に向かっていた。

 半ば強引に取り付けられた約束だったけれど、いつも頭の中にはあった辺り満更でもないのかもしれない。

 

 商店街の喧騒が、一段と増す。見慣れた四つ角が見えてきたところで、ふと漂ってくる美味しそうな匂いに反応した。

 

「……あー、差し入れとか持っていくべきかな」

 

 匂いの根源はやまぶきベーカリー。今日も変わらず賑わっているようで、入り口の扉はせわしなく開閉を繰り返している。蝶番の負担が、軋む音となって現れていた。

 山吹さんたちは学校が終わったら直接市ヶ谷さんのところに行く、と言っていたので、まともに差し入れなど準備してないだろう。パンを学校に持っていったりしたら戸山さんと牛込さんが食べてしまいそうだ。

 

 と、そこでポケットに突っ込んでおいたスマホから口笛の軽快な通知音。恐らくメッセージアプリだが、一体誰からだろうか。

 

『そろそろ商店街に着いた頃かな? できれば、母さんからパンを受け取ってもらいたいんだけど……』

 

 液晶に表示されたのは山吹さんからのメッセージ。

 やっぱりあの人は用意周到だな、と思いながら片手でスマホを操る。

 

『了解。ちょうどやまぶきベーカリーの前にいたよ。受け取っておくね』

 

 手慣れた動作でメッセージを送ると、すぐに既読がついた。……まだ何かあるのだろうか。

 

『皆が、楽しみにしてて欲しいって』

 

 なるほど。

 

『めちゃくちゃ楽しみにしてるって言っておいて』

 

 そう送信してから画面を閉じて、やまぶきベーカリーの入り口の前に。扉に下げられた「OPEN」表記のプレートの奥に、多くのお客さんの姿が見える。

 扉を開けて、中へと入っていく。いつも通りのベルの音。かわいらしい音も、お店の賑わいへと溶けていった。

 

 いつもの食パンのところには行かず、直接レジの方へ。ちょうど会計が終わった千紘さんに声を掛ける。

 

「千紘さーん!」

「あ、友也くん。来たわね。沙綾から連絡もらったの?」

「そうです。差し入れのパンを受け取ってくれって、さっきちょうどに」

「あら、もうすっかり行動を把握されてるのね」

「……それはそれで怖いですけど……」

 

 確かにタイミングは良すぎた。ほぼ毎日通っているから、行動時間を把握されるのは当たり前なのかもしれないけれど。

 

「うふふ、差し入れのパンなら厨房の方にあるわ。夫もいるから、声をかけてから持っていってちょうだいね」

「ありがとうございます」

「あ、そうそう。チョココロネ、沢山入れておいたわよ」

「あははっ、それは牛込さんが喜びそうだ。ありがとうございます」

 

 他愛ない話をしながら、レジの奥へ行き、厨房の方へ。身体を包む空気が一段と暖かくなる。釜の火がまだ点いている証だろう。

 明かりの漏れだす部屋を覗くと、今も汗を浮かべながら作業をしている亘史さんが見えた。

 

「こんにちは、亘史さん」

「おお、友也くんか。差し入れのパンだね。……はい、これ」

 

 大きめの紙袋に入ったパンを受け取る。早速中身を確認してみると、千紘さんの言った通りチョココロネのロール型とチョコが目立っている。

 

「娘から、チョココロネと食パンは多目にしてくれって言われててね。チョココロネは八つ、食パンは五枚入れてあるよ」

「それはありがたい気遣いなことで……っと、あれ?」

「どうかしたのかい?」

 

 手に伝わった違和感に気付き、思わず声を出してしまう。これは……。

 

「……コッペパンの三つ目、焼き方でも変えたんですか? 随分と固い気がしますけど……」

「……お、気づいたかい?」

 

 よく気づいてくれた、と言わんばかりに亘史さんが笑顔になる。やっぱり焼き方でも変えたのだろうか。

 

「……友也くん、随分と娘に好かれてるじゃないか」

「……ど、どういうことです?」

 

 なぜそこで山吹さんが出てくるんですかね。

 

 先日の色々を思い出してちょっとばかりギクリとする。偶然とはいえ、あれは中々に堪える出来事だった。意識しないようにしていたのだが、山吹さんと会ったときに再燃してしまいそうだ。

 

「朝、娘が随分と早く起きてきて、パン作りをしてたんだ。でも自分で食べるわけでもなく、作ったパンを釜に入れて直ぐに学校に行ってしまった」

「…………いやいや、まさか」

 

 それは僕的には一大事ですよ。心の準備を整えられないうちに爆弾が飛んできそうで、その先を聞くのを躊躇する。

 それでも亘史さんは、笑顔のまま話しかけてきた。

 

「……そのまさか、さ。そのコッペパンは今朝、娘が手作りで作ったものなんだ」

「…………マジですか……」

 

 まさか、この僕が異性からの贈り物を受け取る日が来ようとは。いや正直今更な気はしてるけれど。この前手作り料理はもらったけど。

 手作りのパンなどそう易々ともらえるものではない。驚きと喜びが混在して、少し言葉遣いが荒くなってしまった。

 

「向こうに行った時にでも、感想を伝えておくといいさ。きっと喜ぶよ」

「そ、そうします」

 

 柄にもなく興奮してしまい、少しばかり恥ずかしさを覚える。山吹さんが作ってくれたパンを別の袋にストックして、亘史さんに挨拶をした。

 

「差し入れありがとうございます。それじゃあ、行きますね」

「ああ。みんなにも、よろしく頼むよ」

 

 厨房を出る。沢山のパンが入った袋を大切に抱えながら再びレジの方へと戻り、千紘さんにも挨拶をした。

 

「それじゃあ千紘さん、いってきますね。くれぐれも無理はしないでくださいよ」

「大丈夫よ。久しぶりだから体力も有り余ってるわ。沙綾にも心配ないって伝えておいてね~」

 

 後ろ髪を引かれる思いでやまぶきベーカリーを出る。 千紘さん本人が大丈夫と言っても、僕らはいつだって心配なのだ。山吹さんだって、いつも千紘さんのことは口にしている。

 

 お店を出てからは、市ヶ谷さんの家まで歩き始めた。

 だんだんと太陽の沈む方向も北西から西へと変わっていっている。後ろから照らす夕焼けが、やけに背中を暖めた。

 歩みを進める度に、紙袋の中のパンがガサゴソと音を立てる。潰さないように、柔らかく包んで僕は歩く。

 

 市ヶ谷さんの家までは意外と遠かったように感じる。

 勉強会の時は山吹さんも一緒だったから、あまり長く感じなかったのかもしれない。

 だんだんと、山吹さん無しの生活が考えられなくなっているのかな。それもこれも、多分あの日のせい。

 

 前と同じように門をくぐり抜け、今度は母屋ではなく隣に見えている蔵へと向かった。

 

「なんだこれ……質屋?」

 

「質屋 流星堂」と達筆な字で書かれた看板が、僕を出迎える。市ヶ谷さんの家、質屋なんてやってたのか……。今日の会場はここらしいが、中から人の気配が感じられない。ホントにここなのか? 

 一応ノックをして、中からの反応を待つ。

 

「はーい」

 

 しばらくしないうちに、中からゆったりとした聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 やがて重苦しい扉が開けられ、中から市ヶ谷さんのおばあさんが出てきた。

 

「あらあら、友也くん。あなたも来てくれたのね」

「ええ、勉強会のときはお世話になりました」

 

 市ヶ谷さんのおばあさんと顔を合わせるのは、勉強会以来になる。いつか時間があれば料理でも教えてもらいたいと思っているのは秘密。この前山吹さんの料理が美味しかったこと、結構悔しかったりしているのだ。

 

「……ところで、今日市ヶ谷さんたちが演奏するのって、ホントにここであってますか?」

 

 肝心なのはそこである。中を覗いた限り戸山さんなどの姿は確認できない。

 まだ来てない、などということはないだろうし、流石に心配になってきたのだが。

 

「ええ、この蔵の地下でやる予定ですって。さ、友也くんも早く降りてあげてね。皆さん待ってるから」

「…………あ、ホントだ。階段がある…………」

 

「地下」というワードに一瞬理解が及ばなかったが、案内してくれた先にあった下へと続く階段を見て、やっと納得した。

 階段の向こうから戸山さんや市ヶ谷さんとおぼしき声も聞こえてくる。今日も今日とて仲睦まじい様だ。全く微笑ましい。

 

 階段を慎重に降りる。

 地下の明かり、電灯の明かりが僕の足を包み始めた頃、中からの声が一旦止んだ。

 そして、僕の視界が晴れた頃、そこには小さなライブハウスが現れた。

 

「……やっぱりもうみんな来てたんだね。こんにちは」

 

 地下の空間には既に多くの人が集まっていた。

 いつかの赤いギターを肩にかけた戸山さんが、こちらに気がついて全力で挨拶をしてくる。

 

「ともくんだー! こんにちはー!」

「ああ、戸山さん。こんにちは。今日も元気だね」

 

 戸山さんの挨拶を引き金に、色んな人が挨拶を投げ掛けてくれる。

 

「友也くん、こんにちは」

「よ、友也」

「こんにちは」

 

 いつもの三人に。

 

「こんにちは、友也くん」

「ああ、こんにちは、山吹さん」

 

 山吹さん。

 

 今日はこの六人だけじゃないようで、僕の知らない人たちも来ていた。

 

「ええと、はじめまして。鴻友也(おおとりともや)っていいます。やまぶきベーカリーで働かせてもらってます」

「じゃあ、私たちも自己紹介しなくちゃね。……私は牛込ゆり。高校三年生よ」

「……えーっと、私は戸山明日香です。中学三年です」

 

 んー。どちらも聞いたことのある名字。

 

「……牛込に戸山……ってことは……」

「ええ、私はりみの姉。……で」

「私はお姉ちゃ……戸山香澄の妹です」

 

 なるほど。今日のお客さんはみんな親族が多いのか。

 それにしても、やはり男女比率的に窮屈に感じてしまうな……。

 

「じゃあ、ゆり先輩、明日香ちゃん、でいいかな……?」

「私はそれが一番呼び慣れてるから構わないわ。よろしくね、友也くん」

「ええ、よろしくお願いします、ゆり先輩」

「あ、あすかちゃん…………男の人に呼ばれるのはなんか新鮮ですね……」

 

 う。流石に一つ下なだけの子にちゃん付けは厳しいか……。

 

「まずかったら変えるけど……」

「ああいえ! 大丈夫です!」

「……えーっと、じゃあよろしくね、明日香ちゃん」

「は、はい。よろしくお願いします、友也先輩」

 

 ギクシャクしながらもなんとか呼び方が決まったところで、一つ息をつく。

 

「……で、花園さん。このかわいらしいウサギさんは一体……」

「オッちゃん」

 

 即答で答えが飛んでくる。勉強会の時に英文で騒いでいたオッちゃんとはこの子の事か。

 いかんせんネーミングが謎なのだが…………。

 

「オッちゃん……オッちゃん…………あ」

 

 オッちゃんと正面からにらめっこしている間にわかった。案外簡単じゃないか。

 

「オッドアイのオッちゃん……か」

「友也、凄い。私が答えを言う前に答えるなんて」

「ものを見るのが得意ってだけだよ。しかも分かりやすかったからね。いい名前だと思うよ」

 

 花園さんとウサギを可愛がる。利口な子なのか人懐っこいのか、警戒することなく近づいてきてくれるのがかわいい。

 

 ところで、さっきから視線が痛いのですが、牛込さん。

 

「……と、友也くん」

「……うん、うん。わかってるよ。この袋だよね」

 

 チョココロネの匂いに反応したのかわからないが、さっきから牛込さんの視線が痛かった。

 

「……はい、そういうわけで、やまぶきベーカリーからの差し入れです。クライブが終わったら食べてねってことらしいので、牛込さんはその伸ばした手を納めてくださいねー」

「そ、そんな~! それは殺生だよ友也くん~!」

「ふふ、相変わらずりみはチョココロネ大好きねぇ。あまり食べ過ぎちゃいけないよー」

「お、お姉ちゃんまで~!」

 

 姉妹で仲睦まじい。こういう光景は物凄く心が暖かくなる。

 

「……お姉ちゃん、ホントに頑張ってよ……」

「まかせてあっちゃん! ちゃんと練習したんだから!」

「あー、ほら裾曲がってる……。こっち来てお姉ちゃん」

 

 向こうも向こうで立派に姉妹…………というか、明日香ちゃんの方がお姉さんしてないか? 

 

「そろそろ、始まるかね? お茶請けを持ってきたよ」

「ば、婆ちゃん!」

 

 ここに来て市ヶ谷さんのおばあさんも来た。

 流星堂の地下室はすっかり賑やかになって、皆を見守る山吹さんや僕の視線も自然と暖かくなる。

 

 そんな中、手持ち無沙汰で僕の持ってきたパンを漁っていた花園さんがスッと立ち上がった。

 クライブが終わってからですからね? 

 

「……それじゃあ、皆。そろそろ時間だし始めよっか」

「うん! 皆揃ったし、やろう!」

「オッケー」

「が、頑張るね!」

 

 花園さんの声に反応して、四人がステージへ。

 赤い星形のギター、青いギター、桃色のベース、白いキーボード。

 各々が楽器を弄って音を調整していくのと同時に、空気が張り詰めていくのを感じる。

 静かに見守る僕らからも、自然と言葉は消えていった。

 

「山吹さん、どうしたの?」

 

 やけに真剣に、それでもどこか寂しそうにそれを見ていた山吹さんが気になって、思わず声をかける。

 山吹さんはそれに振り向かずに答えた。

 

「ううん……みんな、頑張ってるなって」

「……演奏前から、もう……?」

「……そう。もう香澄たちの出番は始まってる」

 

 小さなステージかもしれないけれど、今からここはライブハウス。

 これから奏でるのは、四人の音。

 四人が作り出す、ハーモニーの楽園。

 

 さあ、クライブの始まりだ。

 

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