恋を紡ぐ指先   作:ぽんぺ

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#18

 

「完成ー!」

 

 バッとエプロンを掲げる戸山さん。

 

 僕が左手を怪我をしてから数十分もしないうちに、皆のエプロンは次々に出来上がっていった。

 最後に大きな星型の刺繍(ししゅう)を入れていた戸山さんも、たった今完成してこのように喜んでいる。

 

「みんな、お疲れ様」

 

 手持ち無沙汰だった僕に出来たのは、飲み物を一度淹れたことくらい。

 頼まれたのに、あまり力になれなかったのは不甲斐なく思う。

 

「友也くんもお疲れ様。無理に手伝ってもらってごめんね?」

 

 左手の人差し指は、血は止まってもまだ傷が塞がっていないらしく、動かすと鋭く痛みが走る。

 

「こっちこそ、ごめん。怪我の処置までしてもらって……」

 

 今日は迷惑を掛けてばかりだと、思う。

 気が滅入(めい)っているのかもしれない。

 

「いいのいいの」

 

 そう言って笑う山吹さん。

 

「……疲れてるなら、バイトとか見直そうか?」

「いやいや、そこはしっかりやりますとも。今日は偶々(たまたま)疲れてるところに無理しちゃっただけだって」

 

 咄嗟に言葉を返す。

 そこだけは、千紘さんの身とか、そういうものを考慮すると外せない。

 彼女は、(いぶか)しむような目を向けていた。

 

「ちょっと腑に落ちないけど……ま、疲れてるのは確かみたいだし、ほらほら、早く帰って休んで?」

 

 心配するように声のトーンを下げ、優しさを滲ませる。

 僕もこれ以上、ここに居る意味は無い。彼女に心配を掛けるわけにはいかないだろう。

 

「了解。今日は早めに休んで、また次から頑張らせていただくとするよ」

 

 そう笑って、荷物を纏める。

 教科書が入ったリュックはいつもより重かった。

 きっと、肩が凝っていたんだと思う。

 

 

 店の外に出ると、もう夜空が広がっていた。

 最近は日も長くなっていたと思うが、流石にこの時間になれば当たり前か。

 

「それじゃあ香澄、歌詞作り頑張ってね」

 

 戸山さんは山吹さんの家に一泊していくらしい。

 文化祭で発表するオリジナル曲の歌詞作り。

 山吹さんがいた方が寝ないだろうという計らい。

 明日はやまぶきベーカリーも休業日。千紘さんたちも快く受け入れてくれたのだそう。

 

「皆も、気をつけて帰ってね」

 

 今日は他の3人を家に送り届けることはしない。

 勿論申し出たのだが、市ヶ谷さんを筆頭に「早く帰れ」と言われてしまった。

 

 ゆっくりと動く空。冷え込む街。

 長く話をしない内に、各々解散し始めた。

 

 明かりを背に、やまぶきベーカリーを離れる。

 最後の最後に、振り返った。

 

「戸山さん」

 

 今まさに家に戻ろうとしていた戸山さんに声を掛ける。彼女はすぐにこちらを向いてくれた。

 

「山吹さんのこと、よろしくね」

 

 一瞬、困惑するような表情を見せる彼女。

 言わんとすることは分かるし、その表情を見て、やっぱりまだ知らないんだと、わかった。

 それでも。

 

「……うん! 任せて!」

 

 直ぐに笑顔になって、自信ありげにそう言う。

 それを見て、きっと、と思った。信頼が出来た。

 

 再び山吹さんの家に入っていった彼女を見送って、僕も歩きだす。

 癖のように、ポケットからスマホを取り出した。

 暗所に光る液晶が眩しくて、一瞬顔をしかめる。

 

 スマホに表示された時刻は19時30分。

 梅雨の気紛れは、未だ雲で空を覆ってはいない。

 

 ああ、確か今の時間なら。

 

 東の空を見上げる。

 外灯の明かりはあれど、明るく煌めく一等星はその存在を僕の目に示してくる。

 

 ベガ……デネブ。織姫に、天の川を繋ぐ橋。

 

 では、彦星は?  ……残念ながら、彼を示すアルタイルは、見えない。

 

 空を見上げるのが今より早い時間であれば、そもそも星は見られなかった。

 あるいは空を見上げるのが今より遅い時間であれば、アルタイルも天球に輝き、先の二つの星と共に三角形を作っていた筈。

 

 この時間だからこそ、アルタイルは空にいない。

 ああ、まるで風刺画みたいじゃないか?

 

 橋を渡されていたって、今の僕が彼女と同じ空に輝くことが許されていないみたいで。

 

 その例え話すら、前提には二人の関係がある。

 最早、空に瞬く星に自分を重ねることすら烏滸(おこ)がましいのかもしれない。

 

「……帰ろ」

 

 

 

 

 ────────

 

 

 

 

 その日の夜に、また雲が空を覆い尽くした。

 

 星々の輝きは乱層雲に遮られ、地上に降りるのは僅かな月明かり。

 

 結局その夜、アルタイルがその姿を僕の瞳に映すことは無かった。

 

 

 

 

 

 ────────

 

 

 

 

 

 あれから、数日が経つ。

 

 意外と沢山のことがあった。

 

 

「──バンド名、決まったんだってさ」

 

 山吹さんの口からそんな言葉が発されたのは、僕が怪我をしてから2日後、休業日の次の日のことだった。

 

「結構早く決まった……のかな? 僕にはわからないけど……」

 

 彼女の口から「バンド」という単語が出たことに、少し動揺していた。

 

「『Poppin‘ Party』だってさ。かわいい名前だよね」

「考案は戸山さん?」

「ううん、元は市ヶ谷さん」

「それは意外。結構メルヘンチックなところあるのかな……?」

 

 会話を重ねるうちに、いつもの調子を取り戻す。

 

「あ、あとドラマー探しは諦めかけてるみたい」

「…それは残念。文化祭どうするつもりなの?」

 

 山吹さんはまるで、狙っているかのようにこちらの動揺するようなことを言ってくる。

 自分でも驚くくらい、「山吹さん」と「バンド」の話は僕を動揺させるのだ。

 

「バックでドラムだけ流して演奏するって」

 

 あの日から、山吹さんの声には少しだけ寂しさが浮かぶようになった。

 クライブの帰りに見せたような、少しトーンの低い声。

 

『山吹さんはドラム、叩かないの?』

 

 そう言いそうになる口を無理矢理押さえつける。

 

「……そっか。でも、ドラマー見つかるといいね」

「うん」

 

 多分、僕も声のトーンは低かったと思う。

 

 

 長い時間、考えた。そのせいで学校の授業が疎かになったりもした。

 

 千紘さんや、亘史さんが僕に寄せてくれた信頼に応えたい、と思った。

 どうすればいいなんて、最初から一つしかなかったんだとようやくわかった。

 真正面からぶつかっても、きっと、という思いがあって、千紘さんは話を聞かせてくれたのだろう。

 

 この前の戸山さんの反応で、山吹さんの過去を知っているのが僕だけであると確認できた。できて、しまった。

 

 文化祭まで、もう時間は少ない。

 山吹さんをバンドという場所に引き戻す為に、文化祭の戸山さんたちの初ライブは、これ以上ないチャンスだと思えた。

 

 

 また、日は過ぎる。

 

 

 千紘さんの話を聞いてから、既に一週間が経過した。

 相変わらず梅雨前線は日本列島を乱層雲で覆い、しとしと、しとしと、雨を降らし続けている。

 

 蝙蝠傘を差す回数も、もう数えきれなくなった。

 台風のような激しい雨もなければ、中々止むこともない。

 毎日毎日、地面を濡らし続けている。

 

 日が落ち、バイトも終わった。

 モップを持つ手に、自然と力が入ってしまう。

 

 後ろには彼女が、同じようにモップを握って掃除をしている。

 多分、今が絶好のチャンスだろう。

 

「……………」

 

 されど、僕の履いたスニーカーが、濡れた床を擦る音は響かない。

 

 振り向くための、最後の踏ん切りがついてくれない。

 どう切り出せばいいのかわからない、だとか、どう伝えればいいのかわからない、なんていう、言葉に出しもしない言い訳だけが、頭の中を駆け巡る。

 

 僕が固まっている間に、窓に貼り付いた雨粒が二つ落ちて、窓枠へと溶けていった。

 

 後ろから、靴の擦れる音が聞こえる。

 

「あのさ」

 

 背を向けたままではなく、さっきは微動だにしなかった足を動かして、彼女の方を向く。

 目は合わせない。

 

「最近の友也くん、何か変だよ」

 

 本気で心配しているような声だった。

 

「上の空でいることが多くなったし、何かいつも考え事してるし」

 

 声のトーンは低く、弾まない声。

 雨のように、ただ落ちていくだけのような、重たい声。

 

 その、僕を心配してくれる声が、やっぱり、どうしても気になってしまう。

 どうして、その気持ちを自分に向けてあげられないのかって。

 どうして、もっと自分を甘やかさないのかって。

 

 あれだけ躊躇した言葉も、勝手に出てきた。

 

「──山吹さんの過去のことを、聞いたんだ」

 

 その告白を聞いても、彼女の表情は変わらなかった。

 もしかしたらもう、分かっていたのかもしれない。

 だとしたら相当演技が下手だな、僕は。

 

「……もしかして、その事で色々おかしかったの?」

 

 彼女は冷静に尋ねてくる。

 反して、僕の感情は酷く昂っていた。

 

「うん」

「……一週間前、私が帰ってきたときも?」

「ああ」

「……ついこの間、針で怪我したときも?」

「そう、なるね」

 

 山吹さんはゆっくりと口を閉じて、考えるように向こうを向く。

 

 対して、僕は特に行動できるわけでもない。

 ただモップを握って、掃除を続ける。

 

 屋根に、窓に、地面に。

 降り注ぐ雨粒は、少しだけその勢いを弱めた。

 

 彼女がこちらに振り返る。

 

「ありがとう、私なんかの為に、そんなに悩んでくれて」

「そんなことないさ。現に、僕は山吹さんに言われるまで、そのことを話せなかったと思うし」

「……やっぱり、キミは優しいんだね」

 

 彼女がまた、微笑みを浮かべる。

 

 千紘さんが僕に、話を聞かせてくれた日。

 あの日も、今日みたいな雨の日だったと記憶している。

 

 雨に降られた山吹さんは、それでも、こちらを見て微笑むことを優先してくれた。

 紛れもなく笑顔であったそれを、僕は薄っぺらいように感じられて、目を逸らしてしまった。

 

 もしかしたら今だって、僕の目がおかしいだけなのかもしれない。

 ただ、健気に微笑む姿が、痛ましく感じられただけなのかもしれない。

 

「………ここで話すのはまずいからさ」

 

 でも、その時は間違いなく、彼女はその声に。

 

「私の部屋、いこっか」

 

 いつかのような寂しさを込めていた。

 


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