恋を紡ぐ指先 作:ぽんぺ
「あー、山吹さん。これ因数分解ミスってる」
「え? どこどこ?」
「ほらここ。符号逆転しちゃってる」
「あーほんとだ……これいつも逆にしちゃうなあ…」
勉強会が始まって一時間半が経過した。
僕が理系科目、市ヶ谷さんが英語を含めた文系科目を教えるという構図で、勉強会は充実している。
「友也くーん! ここの問題なんだけどー!」
「了解、ちょっと待っててねー」
飛んでくるヘルプは大体数Ⅰのもの。
三乗の展開公式と因数分解、二項定理に恒等式が主なものとなっている。
化学生物は暗記なので、後回しにしている人が多いようだ。
「…ねえ有咲。これってどうやって訳したっけ?」
「be動詞に過去分詞、の形。思い出してみな」
「………ああ、受動態! じゃあこれは『オッちゃんは私にブラッシングされる』になるんだね」
「そう、正解………じゃねえ。オッちゃんどっから出てきやがった」
市ヶ谷さんが担当する文系科目も捗っている模様。花園さんの花園節は今日も絶好調らしい。
「ごめんね友也くん。二項定理がいまいちよくわからなくて…」
「いちいち謝らなくていいよ牛込さん。こっちがやりにくくなっちゃうって」
「ご、ごめ……じゃなくて、わかった。ありがとう」
「うん。それでいいよ。……えっと、二項定理だったね。あれはさ……」
牛込さんに説明しながら、周りを見渡す。
「さーや、ここどこが間違ってるのかわかる?」
「あ、これはね──」
最初に電源が落ちかけた戸山さんも、すっかり集中しているのか山吹さんに聞いたりしながら勉強している。
市ヶ谷さんが一番の心配だと口にしていたが、やはりスイッチが入ると一気にやれるタイプだったらしい。
「じゃあこれは『オッちゃんは─「だからrabbitが出る度にオッちゃんって訳すのやめろ!」
僕や市ヶ谷さんも、「教える」という行為が勉強になっている。
曖昧だったり、抜けがある知識では、人に教えることは出来ない。だから知識の確認という意味で勉強になっているのだ。
……花園さんに教えるのは何故か超難関クエストと化しているけれど。
「──っていうわけだけど、どう? わかった?」
「ありがとう友也くん。すっごく分かりやすかったよ~!」
「そいつはどうも」
教科書の内容と照らし合わせながら、噛み砕いた説明をする。
牛込さんのお礼を受けとると同時に、十二時を知らせる音が壁掛け時計から発せられた。
「もう二時間経ったのか。早いな」
「丁度いい頃合いだし、そろそろ休憩にしよっか」
山吹さんの一声で一気に空気が緩む。
各々、目を休めたり体を伸ばしたりして気を緩める。
「有咲~、疲れた~。私頑張ったよ~」
「だからって抱きつくなって! 暑い!」
「有咲はふわふわしてて抱き心地がいいから仕方ないんだよー」
戸山さんはさっそく市ヶ谷さんに抱きついている。
抱きつくな言いながら頬を緩ませては全く説得力がありませんよ市ヶ谷さん。
「そこ! 変な目で見てないで助けろー!」
市ヶ谷さんのヘルプを無視して微笑ましい光景を見ていると、隣から「きゅるる」とこれまたかわいい音が聞こえた。
「………………」
振り向くと、お腹も押さえながらこちらを見てブンブンと顔を横に振る牛込さん。
……私じゃない、というようにこちらを見ても残念ながら逆効果です。
少しため息をついて話しかける。
「……牛込さん。チョココロネ持ってきたけど食べる?」
「えっ!? チョココロネあるの!?」
反応と同時にまた「きゅるる」と鳴るお腹。今度は流石に隠せない。
顔を赤くしてお腹を押さえる牛込さん。
「あう………いただきます……」
「了解」
食欲には抗えないでしょうそうでしょう。
パンを持っている山吹さんにアイコンタクトしてパンを貰う。
あらかじめスタンバイしてた辺り、本当によく周りを見る人だなと思う。
パンを受け取り、状態を確認。
今日は気温もそこまで高くなく、チョココロネを常温で持ち歩いても中のチョコは溶けたりしなかったようだ。
「それじゃ、はい」
「ありがとう~! やっぱりやまぶきベーカリーのチョココロネはいいよね~!」
僕からチョココロネを受け取ると、ぱあっと明るくなって幸せそうにチョココロネを食べ始める牛込さん。
ふにゃりと崩れた顔が小動物みたいでかわいい。
「いかん。僕もお腹空いてきたな……」
「りみりん、本当に美味しそうに食べるからお腹空いてきちゃうよね」
花園さんいつの間に隣に来たんですか。
花園さんが喋ると、牛込さんがチョココロネを守るように抱えた。
「……いくらおたえちゃんでも、これはあげないよ?」
「大丈夫。盗ったりしないよ」
そう言いつつもチョココロネから目を離さない花園さん。牛込さんが警戒して食べられてないからやめてあげて。
時間もそろそろお昼時。
皆のお腹が悲鳴を上げ始めるのも仕方のないことだろう。
勉強は立派にエネルギーを使う。
頑張れば頑張るほど、お腹も空くだろう。
「うん。香澄も皆も頑張ったし、そろそろお昼にしよっか」
「やったー!」
お昼と聞いてテンションが一気に戻る戸山さん。
それはいいのだけど、戸山さんを見つめる山吹さんの目線が完全に母親のそれなんですが。
「お昼にするってんなら、うちの婆ちゃんがご飯作るって言ってたけど、それでいいか?」
戸山さんのホールドから解放された市ヶ谷さんが提案する。
いち早く反応したのは戸山さん。
「それがいいよ! 有咲のおばあちゃんの料理は美味しいからね!」
周りの皆もそれに賛同している様子。市ヶ谷さんの祖母の料理はさぞ美味しいのだろう。
他の家の料理を食べる機会もないので、これはいい体験になりそうだ。
「そんなに美味しいなら是非ともいただきたい」
「よし、皆賛成だな。じゃあ準備するから……」
そこで待っていてくれ……と続く予定だったのだろう。
だが、普通に待つなど僕と彼女が黙っていない。
「わかった。何からやればいい?」
「じゃあ私、お皿とかは並べておくね」
「話をぶったぎってまで手伝おうとするな!」
驚かずにツッコミをいれるあたり流石ですね市ヶ谷さん。
「じゃあ私も手伝おうかな」
「私もやるよ~」
「もちろん私も手伝うよー!」
「こんなに要らねー! わかったから友也と沙綾だけ来てくれー!」
僕と山吹さんに続いて私も私もと声を上げる皆。
市ヶ谷さんの叫びで、昼食の手伝いは僕と山吹さんがやることになった。
───────
「悪いねぇ、手伝ってもらって」
「いいんですって。こっちがやりたいって言ったことですから」
市ヶ谷さんのお婆さんと隣り合って、昼食の準備を進める。
今回は和食にするそうで、煮物などを作った。
昼食にしては豪勢な手料理が今のテーブルに並んでいる。
今はもう仕上げ。味噌汁を作っている途中だ。
普段僕の家では煮干しだけで出しをとるので、昆布でだしをとるのが新鮮だった。
側を通った市ヶ谷さんと山吹さんが覗き込んでくる。
既に箸や皿は戸山さんたちも手伝って用意してくれたようで、後は味噌汁の完成を待つだけとなっている。
「……お前って結構なんでも出来るのか?」
「家事全般は出来るようにしておけって言われてるからね。料理は自分で料理本読んだりして作ってるよ」
要は暇なのである。
勉強会以前、ほぼ毎日バイトを入れていた時点で察してほしい。
「
「そこまで期待されちゃ、頑張るしかないね」
「ふふ。美味しいのを期待してるよ」
「……婆ちゃん位美味しいのを期待してるぞ」
「そいつはちょっと無理な相談じゃないかな…?」
さっき煮物を味見させてもらったけど凄く美味しかった。あれがベテラン。あれがおふくろの味か……。
「有咲、居間に行こ」
「え、やだよ。また香澄が抱きついてくるから」
「……市ヶ谷さん、別に嫌そうじゃなかったよね」
「そんなことない!」
全く素直じゃない人である。
「ほら、皆が市ヶ谷さんがいなくて寂しがってるんだから」
「さ、寂し……しょうがねぇな!」
上手く市ヶ谷さんを丸めて連れていく山吹さん。
広間へ戻っていく二人を見送りながら味噌を投入。あと少しで完成だ。
火を止めたところで、お婆さんから話しかけられる。
見た目以上に若々しく、足腰も丈夫なこの人は凄く健康的だと思う。
食生活を観察したいと思って、手伝いを申し出たのもあるほどだ。
「うちの孫と仲良くしてくれてありがとうね」
「そんな、僕は今日知り合ったばかりですよ」
感謝するとしたらそれは戸山さんにだろう。
市ヶ谷さんが一番楽しそうにしていたのは、戸山さんと関わっている時だったから。
「知り合った期間じゃないわ。あなたがあの子と仲良くしてくれてるのが嬉しいの」
「……今日だけかもしれなくても?」
「それでも、よ。しかも今日だけだなんてそんなことないでしょう?」
柔らかく微笑んで語りかけてくる。
全く、大人というのにはどうしてこう敵わないのだろう。
「あはは……そうですね。……なんというか、これからもよろしくお願いします」
降参、というように肩を竦めて言う。
確かにあの五人との縁は、早々切れるものではない。
彼女らとの繋がりを切るには、僕はもう随分とその繋がりに浸りすぎている。
「よろしい。お味噌汁ありがとうね」
「なんてことないですよ。盛り付けて皆のところに行きましょうか」
味噌汁をきっかり七人分盛り付けて、お盆に乗せる。
家族で食べるのとは違う、何人分か増えた重さを心地よく感じながら、溢さぬように慎重に運ぶ。
居間に繋がる襖を開けてもらい、中に入った。
「お味噌汁できたよー。ほら、みんな運んでねー」
僕が入ると同時に、皆が反応する。
「ともくんの味噌汁だー!」
戸山さんがはしゃいで。
「おいしそうだね。ほら、皆も運ぼ」
花園さんが巻き込んで。
「わぁ…ホントに美味しそう…早く食べたいね~」
牛込さんが空気を緩めて。
「おいこら、そんな人数で行ったら邪魔だろ!」
市ヶ谷さんがツッコんで。
「ほらほら、持っていくなら順番にね」
そして、山吹さんが柔らかくまとめる。
勉強会をした午前中だけで、すっかり皆のサイクルに組み込まれてしまったようだ。
「山吹さんの言った通りだったな」
「何が?」
「『皆フレンドリーだからすぐに仲良くなれる』って言ってたこと」
「そうだったでしょ? キミもすっかり馴染んだみたいだね」
全くその通り。
つい数時間前まではこんなにフレンドリーに話すなど想像していなかった。
中学時代から変わらず、山吹さんと関わっていると沢山の初めてに出会える。
「ほら、早く行こ? お味噌汁冷めちゃうよ」
「そうだね」
お盆に残った最後の二つの味噌汁をそれぞれ手に取り、テーブルを囲む。
僕らがテーブルについたのを確認すると、市ヶ谷さんのお婆さんが声を上げた。
「それじゃあ、いただきます」
「「「「「「いただきます!」」」」」」
もちろん、こんな大人数でテーブルを囲むのも初めて。
少しだけ特別な昼食の時間だ。
────────
「ん~! やっぱり有咲のおばあちゃんの料理は美味しい!」
「あらあら、ありがとうね香澄ちゃん」
「あんまがっつくなよ香澄。喉に詰まらせたりするんからな!」
本日の市ヶ谷家の食卓は賑やかだ。
皆で囲む食卓に、僕も皆も、市ヶ谷さんお婆さんも笑顔が絶えない。
まず、やはり市ヶ谷さんのお婆さんの料理は美味しかった。
筑前煮が凄く美味しい。弁当に入れて学校で食べたいくらいだ。
「お味噌汁も凄く美味しい~」
「家の癖でつい薄味にしちゃったけど大丈夫?」
「その薄味が丁度いいんだよ」
僕が作ったお味噌汁も好評な模様。
シンプルに豆腐、わかめ等でまとめたが、薄味といい感じに合っているようだ。
我ながらいい出来だと思う。
「有咲のおばあちゃん、おかわり!」
「早っ!」
「えへへ……ついついご飯が進んじゃって…」
「いいわ、たくさん食べて頂戴。ほら、盛るからお茶碗をかしてちょうだいね」
食べ初めてからほぼノンストップで食べていた戸山さんがおかわりを所望。
市ヶ谷さんのお婆さんが盛り付けている間に、「そうだ!」と、何か思い付いたのか市ヶ谷さんに詰め寄る。
「有咲有咲、後でギター弾いていいかな!」
「いやダメだろ。テストあるんだぞ」
「そんなぁ~! 息抜きにいいでしょ~」
提案と同時に即答で否定される戸山さん。
すがるように市ヶ谷さんに抱きつく。本日何回目だったかな。
というか。
「戸山さん、ギター弾けるの?」
「うん! まだきらきら星くらいしか弾けないけれど、これからどんどん増えていく予定だよ!」
楽器が弾けるのは凄いな。
「凄いね……僕は楽器はからっきしだからなんとなく羨ましいよ」
使ったことある楽器は鍵盤ハーモニカとリコーダーだけです。
僕の質問に一通り答えると「有咲~お願い~」といいつつ再び抱きつく戸山さん。
「……………」
その光景を僕の隣に座っていた山吹さんが眺めている。
その横顔がどこか変で、顔をチラリと覗くと明らかに曇っているのが見えた。
「………山吹さん?」
「? どうしたの?」
話しかけるとハッとしたようにこちらを向く山吹さん。反応も鈍いとは心配だ。山吹さんらしくない。
「いや、山吹さんの顔が一瞬曇ってたから、体調でも悪いのかと……」
「ううん! なんでもないよ!」
「んー、そっか。それならいいんだ。春は風邪引きやすいし、体調には気を付けてね」
慌てて否定する山吹さんに、勿論のことながら違和感を覚えてしまう。
秘密すら、言い合えるような仲が一番だけれど、まだまだそれは遠いのかな、なんて思ってしまう。
「そういえば、まだ山吹さんから味噌汁の感想を貰ってないなー」
はぐらかすような、伸びきった声。
考えてることがバレなければいい。彼女が笑えるなら、それはまだ、余裕がある証拠だ。
「ふふ、母さんには及ばないけど、美味しかったよー」
「千紘さんと比べないでくださーい。ベテラン母親に勝てるわけないでしょう」
だから今見たことは心の隅に流して、いつもの如く軽口を叩き合う。
「だぁー! わかったわかった! 午後も頑張ったらギター貸してやるから、これまで頑張れ!」
「やったぁ! ありがとう有咲ー!」
「わかったなら強く抱きつくなってー!」
向こうも一段落ついたようで、戸山さんが喜びながらご飯を受け取っている。
市ヶ谷さんは疲れたように再び箸をもつが、戸山さんの事が心配なのかその場から離れようとはしない。やっぱり友達思いでいい子なんだな。
「みんなで食べると余計においしく感じるね~」
「そうだなぁ……たまにはこういう日があってもいいかもね」
「……そうだ。テストとかの度にこうやって有咲の家に集まろうよ。次は文化祭の前とか」
「いいよそれ! みんなで楽しくご飯を食べよう!」
「あら、いいわね。是非いらっしゃい。私も賑やかな方が楽しくていいわ」
「婆ちゃん!」
会話はどんどん弾む。
気がつけば一時間も経過していたようで、そろそろ勉強会を再開しようかという話になった。
いただきますと同じように、市ヶ谷さんのお婆さんから声がかかる。
「それじゃあ、ごちそうさまでした」
「「「「「「ごちそうさまでした!」」」」」」
「よし! それじゃあ片付けてまた頑張ろっか!」
山吹さんが声を上げると、戸山さんが曇った顔をする。
「うええー……もうちょっと休もうよー」
「もう十分休んだろ。頑張らないと、さっきの約束無しにするからな」
「わわわっ! 頑張る! 頑張ります!」
ギターを弾くために突然頑張り始める戸山さん。
それを見て「なるほどな……こういう風にすればいいのか」と呟く市ヶ谷さん。市ヶ谷さんが戸山さんの扱い方を少しだけ掴んだらしい。
そうして皆で片付けを始める。
市ヶ谷さんのお婆さんに負担はかけられない、という戸山さんの一声で六人で片付けをすることが決まった。
「はい鴻くん。これお願いね」
「了解ー。どんどん持ってきて」
僕と山吹さんで食器洗い。
「これでいいかな?」
「凄く綺麗になったね~、香澄ちゃん流石だよ~」
戸山さんと牛込さんでテーブルの掃除。
「これはここでいいかな?」
「おう、あってるぞー」
市ヶ谷さんと花園さんで食器の片付け。
そうして、それぞれが分担して早くに片付けを終わらせた。
片付け終わったテーブルに、再び勉強道具を並べる。
「よし!それじゃあ午後も頑張ろー!」
「「「「「おー!」」」」」
そして、再び六人で囲んだテーブル。
皆で意気揚々に声を上げて、午後の勉強会がスタートした。