恋を紡ぐ指先   作:ぽんぺ

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#6

 

 午後五時。

 

 夕焼けが夜に呑まれていき、空に星が光り始めた黄昏時。

 戸山さんが「キラキラドキドキだー!」と言っているが、これは星の事でいいのだろうか。

 

 昼食から所々に休憩を挟みながら勉強して、暗くなってきたから帰ろうとなったところ。

 皆それぞれ帰る準備をして、市ヶ谷さん宅の玄関の前にいる。

 

「今日は有咲も(おおとり)くんもありがとうね」

「僕もいい勉強になったよ。ありがとう」

 

 助っ人として入るのは中々知識が試されているが気がして緊張感があった。

 しかも、休日は一人で過ごすことの多かった身としては、こうやって大人数で集まるのも新鮮で

 それに。

 

「今日は、皆ともさらに仲良くなれたからね。それが一番、嬉しかったかな」

 

 皆の方を向いて呟く。その言葉に、皆が笑顔を向けてくれた。

 

「私も! ともくんと仲良くなれて嬉しかったよ!」

 

 元気一杯、笑顔が眩しい戸山さん。

 

「久し振りでも、友也は変わってなかったね」

 

 どこかミステリアスな花園さん。

 

「長い間一緒にいたから、私も友也くんともっと仲良くなれた気がするよ~」

 

 優しくて、皆を和ませてくれる牛込さん。

 

「わ、私も……楽しかったから、まぁ…満足だな」

 

 相変わらず素直じゃない市ヶ谷さん。

 

 不器用な言葉遣い。

 それでも思いはちゃんと伝わっているのか、皆微笑んで市ヶ谷さんを見ている。もちろん僕も。

 その視線に晒された市ヶ谷さんは、「な、なんだよ……」と言いながら顔を赤くなっていく。

 

「…………だぁー! やめろー! そんな目で見るなー!」

「あはははっ! やっぱり市ヶ谷さんはかわいいや!」

「かわいい言うな沙綾!」

「かわいいー」

「友也まで! 止めろってー!」

 

 オーバーヒートとした市ヶ谷さんに「帰れー!」と言われながらも、笑顔が絶えない僕ら。

 

「あははっ! 皆仲良しなのは嬉しいね!」

 

 皆を見守って、いつも優しく包み込んでくれる、山吹さん。

 

 三者三様十人十色。一人一人全く違う個性があって。

 それでも元気なことには変わりはなくて、皆で作り出す空気はいつも周りを巻き込んで笑顔にしてくれる。

 

「それじゃあ有咲、また学校でね!」

「有咲ちゃん、またね~」

「またね、有咲」

「今日はありがとう。またね、市ヶ谷さん」

「市ヶ谷さんお疲れ様。また機会があればよろしく」

 

 だからこそ、別れの時までその顔に現れた笑顔は崩れることはない。

 僕は今日が、今までの人生で一番楽しかった日だったと思える。彼女たちと過ごす日常なんて、想像しただけで心が踊ってしまう。

 

 それぞれが別れの挨拶、そして「またね」とまた会う約束をして市ヶ谷さん宅を後にする。

 離れるとき、市ヶ谷さんが小さく「……またな」と言っていたのを、僕は聞き逃さなかった。

 

 

 

 

 

 

 ──────

 

 

 

 

 

 

 

 日の入り直後、既に空は暗くなり、夕焼けも地平線へと沈み始めたこの時間。

 少々心配事があった僕は、道路に出た直後に皆へと話しかけた。

 

「もうそろそろ暗くなるけど……皆で近い人の家から送りながら行こっか?」

 

 女子高生が暗闇を歩いていては危険だろう、という心配。

 男子が一人居て、人通りの多い道を通るようにするだけでも、襲われる心配は減るはずだ。

 山吹さんが、納得したように頷いてくれる。

 

「あー……そうしよっか。ごめん、お願いしていい?」

「了解。じゃあ一番近い人が先頭でお願いするよ。僕は後ろにつくから」

 

 皆も頷く。

 この時間でも人通りの多く、道幅の広い道路を選択して、皆で歩き始めた。

 そこからは皆、有咲がかわいいだの、テストバッチリだの、雑談をしながら過ごす。

 

「ともくんのおかげで数学のテストはバッチリだね!」

「友也くんは疑問を的確に答えてくれるからわかりやすいんだよね~」

「それは良かった。二週間後、楽しみにしてるよ」

「頑張るのはキミもだからね?」

 

 皆で笑い合いながら暗くなる道を歩く。

 突然、戸山さんが「あ!」と声をあげる。

 そのまま僕らの前に躍り出て、いつもの笑顔で話し始めた。

 

「そうそう! テストが終わったら文化祭だよ!」

「………あ、そっか。香澄は編入生だから花女の文化祭は初めてだっけ?」

「うん! ……楽しみだなぁ~!」

 

 文化祭に期待を膨らませる戸山さんに、山吹さんが微笑みながら話す。

 そうか、もうそんな時期なのか。

 

「花女の文化祭は中学高校合同だったっけ?」

「うん、そうそう。中学の頃は、高校生の発表に驚いてばっかりだったねー」

 

 高校生も合同で文化祭を行うのは、中高一貫でもない限り珍しいんじゃないだろうか。少なくとも、僕は花咲川以外でそういった話は聞いたことがない。

 

「そうだ! 私、文化祭の実行委員やろうかな!」

 

 夕焼けの残光が、戸山さんを照らす。

 

「か、香澄ちゃんがやるの……?」

「えー!? なにその反応!?」

「香澄が企画立てたら、天体観測になりそうだね」

「あー、それは言えてるかも……」

「さーやまでー!」

 

 中々に酷い言われようである。

 

「……むー。じゃあ、沙綾も一緒にやろうよー」

「えー、私?」

「うん。沙綾ならしっかりしてるから」

 

 なるほど。

 

「いいんじゃないかな? 山吹さんなら上手く意見とか纏められそう」

「皆のお姉さんって感じで、柔らかさがあるもんね」

「沙綾ちゃんがやってくれるなら安心できるかな」

「私の時と反応が随分違うね!?」

 

 戸山さんの猫耳……っぽいものが項垂れる。どうなってるんですかそれ。

 

「あはは………うーん、そうだね……そんなに言うなら、立候補はしてみようかな?」

「ホント!? ありがとうさーや!」

「わわっ、香澄!」

 

 嬉しそうに飛び跳ねた戸山さんが、山吹さんに抱きつく。抱きつかれ慣れているのか、山吹さんの身体はしっかりと戸山さんを受け止めた。

 

「さーやがいるなら百人力だよ!」

「それほどではないよ……」

「今年のA組の催し、楽しみにしてるね」

「僕も行こうかな。花女の文化祭は大きいから、どこかのタイミングで行ってみたかったんだ」

「キミまでそう言うのー? まったくもうー」

 

 すっかり上機嫌になった戸山さんと、それに微笑む山吹さん。そんな二人を眺めながら、あるいは楽しく話しながら、帰り道を進んでいく。

 

 暫くしないうちに人数は減っていき、話し声は少なくなる。それでも、皆の中から笑い声が途絶えることはない。

 

 気がつかないうちに、僕は山吹さんと二人になっていた。夕日はもう沈み、空には沢山の星たちが瞬き始めている。

 

「山吹さん家、一番遠いんだね」

「逆。皆が近すぎるだけだよ」

 

 市ヶ谷さんの家から離れて、皆を送っているうちに、月が昇り、地上を明るく照らしていた。

 向こうに見える街の灯りが眩しいが、それでもこちらでは星が見えている。

 スマホのロック画面に表示された時計は18時を指していた。

 皆といるときはとても楽しかったから、時間が経つのも早かったようだ。

 

「静かだね」

「皆がいるときは騒がしかったからねー」

 

 町はまだ活気がある。

 両端の民間から聞こえてくる笑い声に、時々通る自動車のエンジン音、遠くから聞こえてくる商店街の喧騒。

 

 ただ、今、この二人の空間だけは静寂に包まれていた。

 

「今日はホントにありがとうね」

「何を今更。僕も楽しかったから感謝するべきは僕の方さ」

「またまた謙遜しちゃって」

「お礼なら、テストの結果で見せてくれれば十分だよ」

 

 僕が今日教えたことが少しでも実になっていれば、嬉しいことはない。

 

「そう言われちゃ頑張るしかないね。(おおとり)くんも私に負けないように頑張るんだよー」

「そもそも問題が違うでしょ……」

 

 雑談をしながらも、商店街はどんどん近づいてくる。

 そろそろお別れだろうかと思った矢先、隣を歩く山吹さんが「あ! 思い出した!」と声を上げる。

 

「どうかしたの?」

 

 突然の大声に驚きながらも聞き返す。

 

「いやあ、どっかのタイミングで言おうとは思ってたんだけど、ついつい忘れちゃっててねー」

「はぁ……」

 

 山吹さんは続けて、ニヤリとしながら言う。

 

「私さ、キミのこといつも「(おおとり)くん」って呼んでるでしょ?」

「うん」

「で、キミはいつも私のことを「山吹さん」って呼んでるよね?」

「……ああ、そうだね」

 

 ああ、そういうことか。

 

「私達、知り合って半年経つんだしそろそろ名前で呼び合わない?」

「……皆に感化されたな……?」

「ふふ、そういうこと」

 

 名前呼び。

 別に抵抗があるとか、恥ずかしいとかはない。

 

「まあ、構わないけど…」

 

 しかし、しかしだな。

 

「……僕的には、「沙綾さん」って呼ぶと逆によそよそしい気がしてくるんだけど」

「……あっ……」

 

 わかる、というような顔をする山吹さん。理解してくれたかい?

 

 僕は基本的に同世代の人には名前にさん付けはしない人物なのだ。

 友人は呼び捨てだし、クラスメイトは「山吹さん」のように名字にさん付け。

 つまり名前にさん付けがかなり慣れないのだ。

 

「だから僕はいつもみたいに「山吹さん」の方が落ち着くんだけど」

「た、確かに……私も「沙綾さん」は落ち着かないかも……」

 

 心底納得してくれたようでなにより。

 

「それじゃあ仕方ないね。キミはいつも通りでいいや。私はこれから「友也くん」って呼ぶね」

「それはもうご自由に。なんとなくそっちの方がしっくり来るよ」

「ふふ、やったー。友也くん、友也くんねー」

 

 名前呼びが新鮮なのか、なんども僕の名前を呼ぶ山吹さん。

 はしゃいでいるのはかわいいが、なんかこう、背中辺りがくすぐったい。

 

 山吹さんが僕の名前で遊んでいると、やがて商店街に入った。

 商店街に入っても山吹さんの上機嫌は収まらず、そのまま道を歩いていく。

 

「あらあら沙綾ちゃん、随分とご機嫌ね。何かいいことあったのかしら?」

「あ、八百屋の奥さん! ご無沙汰してます。ええ、ありましたよー、いいこと」

 

 僕の方を見ながら言う必要性はなんですか。

 

「あら、うふふ。友也くんも隅に置けないわねぇ」

「いや多分奥さんが想像してることとは違うと思うので、その生暖かい目線を止めてくださいっ」

 

 逃げるように少しだけ早足で去る。

 山吹さんを甘やかすと危険だな。将来お酒とかで酔ったら上機嫌で止められなくなりそう。

 

 その後も商店街中でからかわれて、やまぶきベーカリーに着く頃には僕は疲れているのに、山吹さんは上機嫌でステップを踏んでいるという図になっていた。いくらなんでもはしゃぎすぎではありませんか。

 

「あ、着いちゃった。ふふ。キミと……いや、友也くんと過ごしてると時間が経つのが早いねー」

「そんな名前呼び気に入ったんですか。まあ、山吹さんが楽しそうでなによりですよ」

 

 そのうち慣れていつものように戻るだろうと、諦めたように呟く。

 随分と長かった今日も、もうお別れの時間。

 山吹さんが玄関に向かっていく。

 僕らも、またねと約束を交わして別れる時間だ。

 

「あ、でも」

 

 山吹さんが振り向く。

 

「いつかは、私の名前も呼んでもらうからね!」

 

 ちょっとだけ膨れっ面になってそう言う彼女。

 気分が高揚した彼女はとても表情豊かで、見ているだけでこっちも笑ってしまう。

 

「……ふふ、わかったわかった。そのうちね」

「ふふっ、言質、取ったからねー。……それじゃ、またよろしくね、友也くん♪」

「ああ、また明日」

 

 最後に今日一番の楽しそうな声で僕の名前を呼んだ山吹さんは「ただいまー!」と元気よく家に入っていった。

 彼女に向かって振った手を下ろして、僕も帰路を歩き出す。

 

 今日はまた一段と濃い一日だったな。

 市ヶ谷さんと戸山さんに出会って、花園さんと牛込さんとも久し振りに会って。

 

 ……ああ、それと山吹さんの私服も見られたね。

 

 勉強会をして、皆でお昼を食べて。…あ、味噌汁美味しかったかな。

 

 帰り道で沢山、たくさん話して。

 

 ……山吹さんに、名前で呼ばれるようになって。

 

 最後に上機嫌な彼女が見られたのは貴重だったかも。

 休日に会うことが、こんなにも楽しいことだったなんて。

 高校生になってから変化の連続だ。こんなにも世界が彩られて見えたことなんて、今まで無かった。

 

「いつかは名前で……ねぇ……」

 

 そんな風に、今より親密になれる日が来るのだろうか。少なくともやまぶきベーカリーに通い始めたときよりは、仲良くなっているけれど。

 商店街の通りに、僕以外の姿は見えない。

 今なら誰にも聞かれないかな、と、小さく小さく口を開く。

 

「山吹さん……沙綾さん……沙綾……っ…」

 

 試しに読んでみた名前は、何故だか思った以上に言葉にするのが恥ずかしくて、顔に熱が溜まってしまう。

 

「……あんなにあっさり呼ばれるのは、ちょっと悔しいかもしれないな」

 

「その時」が来たら堂々と言ってやろうと決意して、コンクリートを踏みつける足取りに力を込めるのだった。

 


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