恋を紡ぐ指先   作:ぽんぺ

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#8

 

「おはようございまーす……」

 

 静まり返った商店街に、こんな時間ならば響かないはずの小さな鈴の音が響く。

 

 今日は約束の日。亘史さんにパン作りを教えてもらう日。

 亘史さんには「六時に来てくれる?」と言われていたので、張り切って五時起きした。別に早起きは苦手ではなかったから起きられたのだが、慣れないことをしたせいで凄く眠かったりする。

 あ、ちなみに先日のテストはよくできた。山吹さんに自慢したら悔しそうな顔を見せてくれると思う。

 

 店内はまだまだ暗い。

 日の出直後の日はまだまだ東の空を上りだしたばかりで、やまぶきベーカリーには届いていない。この店も、商店街も店の明かりが点いているところはないようだ。

 ただし、それも表の話。裏方では今も開店の準備をしているところがあるだろう。もちろんここも、厨房の方から光が漏れ出てこちらに届いている。

 だんだん自分の更衣室と化してきた店の奥の空き部屋で身支度を整える。

 パンを実際に扱うなど初めてだ。高校に上がる前は見学させてもらったり、知識的なことを教えてもらってばかりだったから。

 上手くできると……というか、初めてで上手くできたらそれはそれで驚く。

 いつもより腕捲りをきつく、手洗いもきちんとして厨房へと向かった。

 

「亘史さん、おはようございます」

「お、友也くん。おはよう。よく起きてきたじゃないか」

「まだちょっと眠いですけどね……。亘史さんこそ、毎日こんな時間から準備してるんですか?」

「まあね。でももう慣れてしまったよ」

 

 亘史さんの顔にはもう汗が滲んでいるし、厨房全体の温度も高い。僕が来る数十分前にはもう準備を始めていたのだろう。

 

「しかし、キミがパン作りを覚えてしまっては私の立つ瀬がないよ」

「その覚えるまでが大変なんでしょう?」

「ははは。キミならすぐに人にあげられるものが出来てしまうさ」

 

 だといいんだけどね。料理はセンスが問われるからなぁ……。時間とか舌とか、一流の料理人とかってコンマ一秒まで気にしてるんだとか。凄過ぎる。僕は家庭料理が美味しく作れれば十分ですよ。

 

「よし、準備もできているようだし、始めようか」

「わかりました……お手柔らかに」

「ふふ。やまぶきベーカリーの未来を担うかもしれないからね。厳しく行こうかな」

「未来って………まぁ、がんばります」

 

 それからは時間を忘れてパン作りを教わった。

 基本的な生地の練り方から、形の作り方、窯に入れるタイミングまで。事細かに教えてもらう。

 

「あ、それ力入れすぎかも。あまり力入れちゃっても膨らまなくなるからね」

「わ、わかりました」

 

「他人に教えたことなんてない」なんて亘史さんは言っていたけれど、流石に店を構えているだけある。自分のやり方をきちんと理解しているのか言葉にするのがとても上手かった。

 おかげでなんとか窯に入れるまでやりきり、あとは焼き上がりを待つだけになった。

 

「……これで、よし……と。友也くん、お疲れ様。結構手際良かったんじゃない?」

「いやいや、何もかも亘史さんのおかけですよ。ホントに手取り足取りありがとうございました…」

 

 時計の針は七時二十分を指している。お店の外で雀が鳴く声が聞こえた。

 赤く燃える釜の窓を前に亘史さんと話す。漂ってくるいい匂いをかいでいるうちに、自分がまだ朝御飯を取っていないことに気がついた。

 

「すいません、まだ朝御飯食べてなかったんで一旦家に……」

「あ、そうなのかい? じゃあ家で食べていくといい」

「いやそんな、そこまでお世話になるわけには」

「いいからいいから。嫁自慢さ。妻の美味しいご飯を是非食べてくれ」

 

 む……そこまで言われては断れない……というかこの人、僕が押しに弱いのわかっててやってるよね。

 そんな僕の困った表情を肯定と見なしたのか、亘史さんが自慢気に頷く。

 

「……もしかして千紘さんから押し方聞きました…?」

「お、よくわかったね。その通りさ」

「千紘さん………」

 

 だめだ、どんどん僕が弱くなるのを感じる。もう既に亘史さんと千紘さんには勝てなくなってしまった。

 諦めて、山吹さんの家でご飯をもらうことにした。

 家の台所ではいつの間に起きたのやら千紘さんが、せっせと朝御飯の準備をしている。

 

「おはようございます、千紘さん」

「あら、おはよう友也くん。朝御飯、ちゃんと準備してるわよ」

 

 あっ、これもともと帰す気無かったやつだ。

 

 あと朝食に招待されたはいいが、このままだと僕は手持ち無沙汰である。実に落ち着かない。

 千紘さんに全部やらせるのも申し訳ない気がしたし、せめて手伝いはさせてくれ、と訴えて皿並べなど簡単な手伝いをすることに。

 最初は渋られたが、逆に「何かやらせてください!」と頼み込んだらサラッと了承した。なんかニヤリとしてたのは気のせいだ。たぶん。

 というかそもそも千紘さんは頑張りすぎである。体が弱いのだから、僕が手伝えるときは手伝わせて欲しいものだ。

 

「まるで友也くんが家族になったみたいね。頼りになるわ」

「こんな朝から入り浸ってれば流石に……というかホントにもらって大丈夫ですか?」

 

 そう言うと千紘さんがムッって唸った。こういうところ、山吹さん受け継いでるんだなあ…。

 

「もう、人の厚意は素直に受けとるものよ」

「……それなら、昼御飯は僕に作らせてくださいよ? 朝御飯のお礼として作ります」

「あら、午前中も居てくれるの?」

「どうせ純くんと紗南ちゃんに捕まりますって」

 

 最近はテストもあって遊んであげられていない。僕がうちに居るとわかれば絶対に捕まえてくるはずだ。

 朝日が射し込んで、部屋を明るく照らす。普段はもう少し朝御飯は早いらしいのだが、日曜日は少しばかり遅く店を開けるらしい。

 そのせいなのか、未だに山吹さんの姿を見かけない。

 

「千紘さん。山吹さんまだ起きてきてないんですか?」

「あ、それよ」

 

 僕の言葉に、千紘さんが突然思い付いたように言う。なんか悪い顔してるよ……。

 

「友也くん、沙綾達起こしてきてくれる? あの子、昨日頑張ってたからぐっすり寝てるのよ」

「なんで僕に頼むのか分からないです」

 

 僕に女子の部屋に向かえと申しますか千紘さん。いくら仲が良いとはいえ、山吹さんにだって入られたくない場所ってものがあるでしょうに。

 

「今私も夫も手が離せないのよー。さっき「何かやらせてほしい」って言ってたから♪」

「……言質取られていたのか………っ」

 

 確かに言った。「手伝いをしたいから何かやらせてください」と。なんという不覚。さっきの笑顔はそういうことだったのか。

 

「お願い、できるかしら?」

「…………………わかりました………」

「ふふふ。お願いね?」

 

 上機嫌になる千紘さん。娘のプライバシーをもっと大切にしてください。

 そういうわけで見事にやらかして断れなくなったので、素直に呼びに行くことにした。

 

「あの人の事だし、起きてるとは思うけど…」

 

 よく掃除された綺麗な階段を登っていく。二階には3つほど扉があり、そのうち2つにかわいくデコレーションされたネームプレートが下げられていた。

 足音を立てないように歩いて、平仮名で「さあや」と書かれたプレートの前に立つ。

 一度、深く、深く深呼吸をして─────

 

「………紗南ちゃん達から呼ぼうかな」

 

 もうひとつのネームプレートの方へ向かった。つまり逃げました。無理。

 数十分前の自分を殴りたい。なんで「何かやらせてください」なんて言っちゃったんだろう。

 

 自分の選択に後悔しながら、山吹さんの部屋より手前側にあった紗南ちゃん達の部屋の扉を3回ノックする。

 

「二人とも。起きてたら返事が欲しいな」

 

 そういえばノックの国際標準って4回らしいね。この前友人が「ノック2回はトイレ用」って言ってたから調べてみたことがあったけど。かじりっぱなしだし、もう一回きちんと調べてみようかな。

 

「……お兄ちゃん?」

 

 声を掛けてから数秒後、疑うような声が聞こえてきた。紗南ちゃんか。

 

「ああ、お父さんとかから聞いてなかったかな?」

「……あ! そうだ! 今日は兄ちゃん一緒に朝御飯食べるってお母さん言ってた!」

 

 ……千紘さん。僕に選択権は無かったんですね。悲しい。

 

「…うん、それでそろそろ朝御飯だから、二人を呼んできて欲しいって言われたのさ」

 

 そう言うと、直ぐに扉が開かれて中から二人が飛び出して来た。きちんと服も着替えている。

 飛び出して来た二人を受け止めて、優しく撫でる。二人とも笑顔で接してくれて、朝からいい癒しだ。

 

「お兄ちゃん! 今日は一緒に遊んでくれる?」

「ああ、いいとも。沢山遊んであげよう」

「やったあ!」

 

 やっぱり捕まってしまった。最近は二人と遊んであげられてなかったから、千紘さんに「兄ちゃんと遊びたい」とでも言ったのだろう。

 かわいい二人の願いを快く了承して笑顔を向ける。

 

「さ、早く遊びたかったら早くご飯を食べよう。先に下に行っておいで」

「「うん!」」

 

 元気よく返事をして階段を駆け降りていく二人。朝からとても元気だ。小学生の体力は恐ろしいものである。

 そんな二人を見送ってから、再び立ち上がる。

 

「さて……と」

 

 ちびっ子たちはまだいい。正直我が子を起こすような気持ちだった。

 が、相手が山吹さんとなれば話は別。変な気を起こせば即刻社会的に抹殺される。今の世の中、男は常につり革に両手で掴まっていなければ死んでしまうか弱い生き物なのだ。

 

「……大丈夫……大丈夫……きちんとノックして声を掛ければ大丈夫………」

 

 半ば願いの如く呟いて、山吹さんの部屋の扉をノックした。

 コンコンコンと、暖かみのある硬質な音が廊下に響く。続けて、扉の向こう側の住人に向かって声をかけた。

 

「山吹さん、起きてる? 千紘さんが朝御飯食べるから降りてきてくれって……」

 

 声を掛けている途中から、なかからごそごそと物音が聞こえてきた。どうやら起きてはいるようだ。

 

「んー、わかったー」

 

 山吹さんの生返事が聞こえる。随分とリラックスした声だな。

 少しだけ待ったあと、こちらに近づいて来る足音と共にドアノブが下方向に回転した。

 どうやら準備は出来ているらしい。特に変なこともなく終わりそうで良かっ──

 

「……んー、おはよー……なんか父さんが呼びに来るのって珍しい……」

「え」

 

 確かこういうのをフラグ回収と言うんだっけ。

 僕は、きちんとノックをして声を掛ければ酷いハプニングは起きないと確信していた。だからこそ油断していた。

 なんで僕のことを父さんと呼んでるの等、色々とツッコミどころはあったのだが、そんな僕の考えは山吹さんを見て吹き飛んだ。

 

 部屋から出てきた山吹さんの格好は、パジャマ。上のボタンがひとつ外れていて、その隙間から鎖骨と下着が見え隠れしている。下着の色が白だと瞬間的に理解した僕を殴りたい。ていうか変な声出た。

 山吹さんが寝るときにパジャマを着る派だったとかそういうことは今は気にしてられない。

 髪の毛がボサボサなのも含めて、今の山吹さんの姿はあまりに扇情的だった。もともと素材がいいのだから、過剰に効果が現れている。

 ヤバい。とにかくヤバい。見ていちゃいけないはずなのに、本能がそれを拒否している。目線が外せない。

 

「………………」

「………………」

 

 二人して石化。不動。山吹さんは僕の顔を見たまま固まっているし、僕は山吹さんの首もとから目が離せていない。完全に僕が変態じゃないか。だめだこれ。

 

「………な………な……」

 

 やがて山吹さんが動きだし、こちらを指差してわなわなと口を開く。

 それに反応して、僕の体もやっと言うことを聞き始めた。

 

「……あ、あのさ!」

「はい!」

 

 山吹さんの言葉を遮るように声をあげる。それに驚いたのか、山吹さんも声をあげた。

 僕はそこから少しだけ躊躇して、その後に「よし」と覚悟を決めて一言、言い放った。

 

「と、とりあえず前を閉めませんか?」

「…………………?」

 

 なぜか敬語が出た。僕も相当混乱している模様。山吹さんが扇情的な格好をしているのが悪い。

 

 僕の言葉を咀嚼するように、ゆっくりと首元に目を向ける山吹さん。

 その顔が首元のボタンに向けられたとき、山吹さんの顔が真っ赤に染まった。

 

「~~~~~~~~っ!」

 

 素早い手つきで首元のボタンを閉めた山吹さん。胸の前で腕を抱えて、真っ赤になったままこちらを見ている。

 

「……み、み……み……」

「……あ、あの、えーっと……」

 

 二人とも再びどもってしまう。

 もはやどうすればいいのかわからなくなってしまった僕は、何もかもを忘れて本来の任務を遂行することにした。

 

「……え、えーとね山吹さん。朝御飯出来そうだから下に降りてきてくれって千紘さんが」

「ごっ、ごめんね友也くんっ!」

 

 僕が言うべきことを言い終わる前に、謎の謝罪と共に山吹さんが階段を駆け降りていく。途中、「見られた……見られた……見られた……」と呟きまくっていたのを聞いた。ホントにごめんなさい。

 

「…………僕も降りるか……」

 

 なんだかコマ送りのアニメを見ているかのように時間がゆっくりと過ぎていた。

 思考と気力を完全に削ぎ落とされてしまった僕は、階段をだらしなく下りながら、ただたださっきの光景を思い返すことしか出来なかった。

 

「……あー……山吹さん、色っぽかったな……」

 

 

 

 

 

 

 ───────

 

 

 

 

 

 

 

 なんてことだ。

 

 友也くんが来るのを知らなかった訳じゃない。昨日母さんから「明日は友也くん朝御飯食べにくるから」と言われていたのに、お店を回して疲れきっていた私はそれを話し半分で済ませて早々に寝てしまっていた。

 

「ああああーっ……もうーっ」

 

 で、朝から寝ぼけて彼の前でやらかしてしまった。

 彼の前にパジャマで出てきたことにやらかしたと思ったら、前のボタンほどけてたなんて……。

 しかも彼の事父さんと間違えるし、気の抜けた返事返しちゃうし……。

 

「……恥ずかしい」

 

 洗面所で顔を真っ赤にして悶えているなんて我ながらどうかしてると思うけど、今だけはそんな事気にできないくらい恥ずかしかった。

 

「やだなぁ……だらしない人って思われたかな……」

 

 こういう時なんて言うんだっけ。お嫁に行けない?違う違う………なんだっけ?

 

「ああもう、絶対彼と目合わせられないよ……」

 

 洗面所に逃げ込むときに聞いた母さんの「友也くん、今日一日家にいるからー」という声が忘れられない。

 これから迫る朝御飯の時間。午前中はいいにしても昼御飯からはバイトも一緒。もしかしたら夕御飯も。まずいなぁ。大丈夫かな。

 

「さーやー! そろそろ朝御飯食べるわよー!」

 

 扉の向こうから私を呼ぶ声が聞こえる。母さんだ。声の感じからしてニヤニヤしてるに違いない。全くもう。

 というか、彼が私を起こしに来たのはもしかしたら母さんの差し金じゃないだろうか。これはあとで問い詰めるしかない。

 

「はーい!」

 

 少し、あと少ししたら顔を出そう。

 あと少しだけ、顔の熱が引いてくれたらね。

 


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