恋を紡ぐ指先 作:ぽんぺ
温水が出るようにノズルを傾けた蛇口から、水が勢いよく流れ出る。
右側に積み上げられた皿から一枚取って、泡立てたスポンジで汚れを拭き取り始めた。
「ホントにおいしかったですよ。ごちそうさまでした」
「そう言ってくれると嬉しいわ。お粗末様です」
泡で浮かせた汚れを千紘さんが洗い流し、水を切る。そしてそのまま乾燥機に食器を入れていく。残った食器の量も少ない。あと少しで片付けは終わりそうだ。
「片付けの手伝いもありがとね、友也くん」
「このくらいなんてことないですよ。どうせ暇なんですから」
亘史さんと山吹さんは、既にお店を回し始めている。
「午後から…というかお昼頃から動いてくれるんでしょう? 今のうちに休んでおいた方がいいんじゃない?」
「あの二人の相手ですぐに休めなくなりますって。大して苦でもないので大丈夫ですよ」
今はリビングでゆっくりしている純くんと紗南ちゃんのことを考えながら答える。
あの二人、今日は何をして遊ぼうと言ってくるのだろう。元美術部、現帰宅部の僕が小学生の有り余る体力についていけるわけがないのだから、アクティブな遊びは避けたいところ。
「それなら甘えさせてもらおうかな……で友也くん」
「……なんでしょうか」
千紘さんが突然ニヤリとする。
なんでしょうか、なんて惚けたけれど、何の話かなんてもう分からないわけがない。
「今朝、沙綾と何があったのかしら~?」
「………………」
露骨に目を逸らす。絶対わかってるってこの人。わかってからかってるよこの人。
「もう、沙綾ったら分かりやす過ぎるわ。我が娘ながらからかい甲斐があるわねー」
「山吹さんがかわいそうですよ……」
朝御飯の場はそれはもう賑やかだった。勉強会の時の昼御飯程ではないけどね。
純くんと紗南ちゃんが何より元気。「兄ちゃん、あれ取って!」だとか「お兄ちゃん、これ貰っていい?」だとかで、朝御飯から二人の相手をすることになるとは思わなかった。
山吹さんとは………ほとんど目が合わなかった。ていうか合わせられなかった。向こうも合わせようとはしなかったし、僕も山吹さんと目が合ったらさっきの光景を思い出してしまいそうだったから。
ああでも、純くんためにサラダを取ろうとした時。その一度だけ目が合ったっけ。あの時はお互い顔が赤くなってたと思う。すぐに目を逸らしたから知らないけど。
そのことで山吹さんと僕は千紘さんに沢山からかわれたな。
「でも私が聞きたいのはそこじゃなくてね」
「………はあ」
「君が沙綾の事をどう思っているか聞きたいの」
「どうって……」
さっきあんなことがあったのだ。もちろん気にならないわけがない。
中学の頃とは違って、僕と山吹さんの距離は明らかに縮まっていた。正直なところ、山吹さんと
ただのバイト仲間、店員と常連客、仲良し。どう定めるのであれ、山吹さんがいつも僕の心の何処かにいることを否定は出来なかった。
「気にはなります。でもこれが好意かどうかと聞かれると……まだわかりません」
「あら、思った以上に進展してるじゃない。私の知らないうちに沙綾は大人になってるのね……若いわぁ……」
「言い方っ。………からかわないでくださいよ。気になり始めたの、だいたい千紘さんのせいですからね。あと千紘さんもまだ十分若いです」
「あら。嬉しいこと言ってくれるわね」
うふふ、と笑う千紘さん。
何度も言うようだが、この人は本当に三人の子供の母親なのかと思うほど若く見える。山吹さんの顔があんなに整っているのも、この人を見れば納得できる、というほどに。
「ふふ、あとで友也くんに口説かれちゃったって夫に言ってこようかしら」
「勘弁してください」
マジトーンで返答する。恐ろしいことを言わないでください。
千紘さんのからかいに振り回されながら食器を洗い終えて、自分の手も洗う。家族5人プラス1人。全員が使った食器を洗い終えた。
「うん、食器洗いご苦労様。お昼まではゆっくりしてていいけど……」
「まあ、ゆっくり出来ないでしょうね。純くんたち元気ですから」
「ふふ、すっかり家族の一員みたいね。友也くんしっかりしてるから、うちじゃ一番年上かしら」
山吹家の一員ね……。千紘さんにからかわれるとかで日々疲れそう。楽しそうなのも認めるけれど。
……あ、そういえば。
「…千紘さん、昼御飯の献立どうします? どうせならリクエストがあると作りやすいんですけど……」
「あ、それなら……ペペロンチーノをお願いしようかしら」
意外。麺類だとかご飯ものだとかのリクエストが来ると思っていたが具体的な名前でリクエストするとは。誰かの好物なのだろうか。
もちろん、拒否するつもりなどないので了承する。
「ペペロンチーノですね。わかりました。あとで買い出しに行ってきます」
「あ、お金は……」
「ああ、お金はいいです」
「それは申し訳ないわ。作ってもらうのだから、お金くらいは」
「それでしたら、さっきもらった朝御飯が十分なお代ですよ」
なお「む」、と食い下がらない千紘さん。こういうところも山吹さん受け継いでるよね。
まだ何か言いたそうな千紘さんに、最後の一押しをする。
「それに、人の厚意は素直に受けとるものだって言ったのは千紘さんですよ?」
「……ふふ、それを言われちゃしょうがないわね。…それじゃあ、素直にお願いしようかしら」
「お任せください。……それじゃ、お昼楽しみにしててくださいね」
やっと食い下がってくれた千紘さんにお別れを言って、台所を去る。
腕によりをかけて作りますかね。大口叩いたんだから絶対に美味しいって言ってもらわないと。
ペペロンチーノに合わせた献立を考えるうちにリビングに出た。
「あ、お兄ちゃん!」
「もう遊べるのー?」
いけない。こっちがあった。
タイミングよく突撃してきた二人に脳内の献立案を吹き飛ばされた僕は、素直に二人と遊び始めるのだった。
────────
「あーあ。らしくないなぁ」
日光で暖かくなったレジの机に突っ伏す。あ、お客さんは今居ないから大丈夫だよ。ちゃんと店内はみてから休んでいるのです。
って、それよりも彼のことさ。
「ここまでってなると流石にね……」
流石に、彼を意識しているのを否定するつもりはない。自分でもわからないくらいほだされていたみたいだけど。
彼とは、朝の一件から今に至るまで全くコミュニケーションをとれていない。
朝食の時に目が合っちゃったけど、母さんのからかいに耐えかねて逃げるようにこっち来ちゃったし、朝の件について彼とはなにも話せてない。
今だってきっと顔赤くなってるし。
「………だめだぁー………顔が熱い……」
朝の一件を思い出すだけでこれだ。引きずり過ぎってわけじゃないはず。こんなところモカとかに見られたらなんて言われるのかな。
「さーや、ともくんと進展あったのー?」って言ってくるに違いない。からかい好きだし。
………別に朝の一件があったから意識してるだけだし彼とはそういう関係にはならない……はずだし。
でも、このところずっと彼の事で悩まされているのも事実。だいたい、母さんがこんなにかき乱さなければー、なんて、八つ当たりのように脳内で叫ぶ。
「だめだなぁ………」
お店を開いてからずっとこんな調子。お客さんの一人二人にも心配されちゃうし。
なんとかしないと午後に一緒に働く時も気まずい空気になっちゃうし。
「悩んでるみたいねー、沙綾」
うっ。
「か、母さん……」
店の奥から、朝食の片付けが終わったらしい母さんが出てきた。またからかわれるのだろうか。というかタイミングが悪すぎる。
「そんなに身構えないの。からかいに来たわけじゃないわ」
「それじゃ、どうしたの?」
「ふふ、沙綾が、友也くんのことどう思ってるのかってね」
今考えてることをドンピシャで言い当てて来ないで欲しいな。
「…………からかったりしない?」
「しないしない」
「………ホントに?」
「うん。本当に」
ここで母さんに吐露したのはきっと気まぐれ。
「…………一言で言うなら、わからない」
「気持ちが?」
「そういうこと。間違いなく私が体験したことない気持ちだから」
だから、と続けようとして、母さんに止められる。
「……そっか。うん、聞かせてくれてありがとね。でも、それは母さんが教える事じゃないかな」
「……母さんって読心できるの?」
「そういうわけじゃないわ。でも、なんとなくわかるのよ。娘が考えてることくらい」
母さんがずいっと顔を寄せてくる。
「だから、自分の心に従って考えなさい」
「……うん。わかった。ありがとう」
私の言葉を聞いて、満足したように微笑んで離れる母さん。
「よろしい。……じゃあ、私が父さんを落とした時の方法を教えようかしら。沙綾、私の娘なんだから友也くんなんてイチコロよ」
「母さん!」
そして、結局いつもの母さんに戻る。イチコロなんて言葉久しぶりに聞いたよ。
「うふふ、でも母さん、沙綾が立派に青春してて嬉しいわぁ」
「………むぅ……」
前だったら否定できたのだろうけど、今は出来ない。そんな私の反応を見てさらにニコニコする母さん。完全に悪循環だよ。
それから私が昼休みで戻るまで、ずっと母さんはニコニコしながら接客していた。うっかり話しそうになるから、私はずっとハラハラしながら「いらっしゃいませー!」と叫ぶのだった。
───────
「疲れた」
電車帰りの時に席にどっかと座って吐く台詞を、小学生と遊んだときに発するとは思わなかった。小学生体力すげぇ。冬場に半袖半ズボンで生活してる子は違うぜ……偏見だけど。
ていうか、ホントにそういう子いるんだよね。あの時、駅前歩いてたあの子は風邪引かずに元気にしているだろうか。心配だ。
二人とはまあ、かくれんぼしたり、少しだけ外に出て鬼ごっこしたり。久しぶりに童心に帰ったよ。二人ともめっちゃくちゃ強かったけど。
「二人とも相変わらず元気だよな……」
元気なのはいいことなのだが、いかんせん僕の体力がない。元美術部、現帰宅部の体力などたかが知れているというものだ。
あ、そういえば、朝自分で焼いたパン食べました。堅かった。フランスパンかと思いました。冗談です。
どちらにせよ、僕が作りたいのはフランスパンではなくふわふわに柔らかいパンなのだから、反省して精進しなければならないだろう。これからも亘史さんに教えてもらう日が取れるといいのだが。
現在ペペロンチーノを作っている真っ最中。時間は午後零時。材料を切り終わって、もう包丁は使わなくなった段階だ。
「しかし、ホントに上手くいってるぞ今回……」
意気込んで作ったのがよかったのか、今のところ全てが上手くいっている。熟練主婦の出す家庭料理ほどに上手くいってるんじゃなかろうか。これは「楽しみにしててください」と千紘さんに言ったことも有言実行できそうだ。
ちなみに材料のうち、ニンニクと唐辛子は商店街で買った。いつも売る方でお世話になってるからね。
パスタとかオリーブオイルに関しては、せっかくなので最近出来たショッピングモールまで足を運んでみた。休日だけあってかなり混んでたよ。
「~♪」
気分がノッてきて、ついつい鼻歌を歌う。
いい音を立てるフライパンを揺すって、火加減を調節。順調にことを進めていると、後ろから声が掛かった。
「あ、ペペロンチーノだ」
「お、山吹さん。お疲れ様」
後ろからニュッと飛び出してきたのは山吹さん。僕が作っているモノに目を輝かせている。
正直ビックリした。今日まともに会話したのは今が初めてのはず。朝の事とかもう気になってないのだろうか。それはそれで僕が勝手に気にしているようだけなようで、悔しい気もする。
「……ペペロンチーノが私の好物だって、どこで知ったの?」
あ、そうだったんだ。千紘さんがリクエストしたのはそのせいなのか。
「へぇ、ペペロンチーノって山吹さんの好物だったの。千紘さんにリクエスト頼んだら、「ペペロンチーノ」って言われたから作ってたんだけど」
フライパンに集中しながら答える。既に山吹さんは気分が舞い上がっているようで「ペペロンチーノ、ペペロンチーノ~♪」となんか歌っている。こんな姿は珍しいな。
「いつできるの?」
「あと醤油を入れて、麺と絡ませるだけだからあと少しかな」
それを聞いて、嬉々としてお皿を用意し始める山吹さん。そんなに楽しみですか。
……仕方ないな。山吹さんがお皿を落としたりしないうちに聞いておこう。
「山吹さん」
「なーにー? 友也くんー」
「あの、朝の事だけどさ………」
「朝の……って、う……あぅ……」
いずれその話が飛んでくるとわかっていたのか……あるいは、わかっていなかったのか。
朝の話を振りだした途端に、彼女の顔が羞恥で赤くなる。もちろん、釣られて僕も。
「……あの、なんかごめんね。僕が色々とやらかしちゃって……」
僕が謝罪すると、バッと顔をあげて彼女が反論する。
「ごめんだなんてそんな! 友也くんは私を起こしに来てくれてああなっちゃったんだから、私のせいだって! …むしろ、だらしない子って思われてないか心配で心配で…」
「あ、そんなことはないよ。むしろ山吹さんの珍しい姿が見られてちょっと嬉しかったかなー、なんて……ははは……」
ははは、なんて言っているが実際は笑ってない。冷や汗をかいている。
言ってて気が付いたが今僕は相当にマズイことを言ったのでは? あんな姿をみて嬉しかったかなとか変態のそれだね。だめじゃん。
「……嬉し………ぅ…」
「………いやごめん。許して」
頬の赤みを増して俯いてしまった彼女に謝罪。さっきから彼女に釣られて僕も顔の熱の変動が激しい。朝食の時のように目を合わせられないままお互い準備をする。
数分後、フォークを配置し終わった彼女が突然声をあげた。
「あっ、あのさ!」
「ん! はい! なんでしょうか!」
びっくりした。
テーブルとキッチン。背中合わせの構図のまま、彼女は意を決したように言葉を紡いだ。
「けっ…今朝のことは忘れてね?」
恐らく、勇気を振り絞っての一言だったのだのう。僕はもちろんその期待に応えたいと思った。
………けど、けどね……。
「……あー…ちょっとそれは無理かもしれない」
「えっ」
まあ多分、どちらも朝のことを思い出してパニックになっていたのだろう。山吹さんもいつもらしからぬ言動だったし。
うん。でもごめんよ。嘘はつけない性格なんだ。
「……男子高校生にはいささか刺激が強すぎて、無駄に鮮明に頭に残ってるんだよ……山吹さんのパジャマ姿とか、山吹さんの下」
「わぁぁぁーっ! 何いってるのーっ!」
もうヤケクソだと暴走し始めた僕に困惑する山吹さん。
結局、千紘さんが台所を覗きに来るまで、僕はずっと茶番のような会話を続けているのだった。
……あ、ペペロンチーノは無事に完成しましたよ。