幻想郷に至る以前、紅魔館にて――――。

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銀弾と紅銃

 血染めと言われる程毒々しい館。空に浮かぶ月ですら、その色に当てられたかの様に深紅の輝きを放つ。

 辺りに漂う花の香りに紛れるは鉄臭さ。染み出でるソレは大気と同化し、より一層館の主張を強くする様だ。

 

 ――紅い館には吸血鬼が住まう。何時から語り継がれて来たのかすら分からないその伝承を信じる者は多い。いや、疑う者が少ないというべきだろう。

 実際に見た者――生きて帰れた者は極少数であっても、噂は自然と広まっていくものだ。しかし噂の中にも真実は含まれる。森の村の行方不明者の数は並の数字では無かったし、村と館を覆い隠す森ではその行方不明者の遺体がよく発見される、とかは真実だ。

 全身が干からびて、まるでミイラの様な姿で、と言うのも。

 その御伽噺に終止符を打つ為に、吸血鬼の存在を信じ、敬い、畏れた者達による「狩り」が始まった。

 要するに、魔女狩りの様に火炙りでも水責めにでもするつもりだったんだろう。

 伝説の吸血鬼とて、そうやって殺しに掛かれば畏るるに足る存在では無い。

 村人達はそういう見解を出したらしい。

 結果――――――200の兵団が、たった1人の兵を残して全滅。

 その1人も懸命な治療の甲斐無く死んでしまうと言う、最悪の事態になってしまった。

 

 

「レミィにしては珍しいわね。適当にあしらえば良いものを、あそこまでするなんて」

 

 黒を白に塗り替える月が照らす中庭。真夜中のお茶会には、館の主と客人、それと数名の給仕がいる。

 客人であるパチュリー・ノーレッジは、数日前に館の門前で起こった殺戮について言っていた。

 古めかしい鎧を纏った戦士が吹き飛び、裂け、散り、地に伏す。

 血飛沫は血の海へと姿を変え、形を失った人体は肉塊とも屑ともつかないモノに変貌する。

 その風景を描いた主は、パチュリーの前で優雅に紅茶を口に運んでいた。

 

「無闇に吠える犬を躾るには、少し位は厳しくした方がいい」

 

 気品ある振る舞いは、レミリア・スカーレットがこの館――――――後に紅魔館と呼ばれる屋敷の主たる証だ。その微笑み一つにも、人を射抜く力がある。

 

「犬、ね。家畜以上に考えていたって言うのは意外だわ」

「今はどうあれ、昔は忠さえあった者達を家畜とまでは言えんさ。恩知らずと言うなら、猫とでも形容すれば良かったか?」

「どちらも正しくないわ。彼らは、とても『人間らしかった』じゃない」

「ああ、それもそうか。これは私の考えが浅かったか」

 

 なにがおかしいのか、くつくつと笑うレミリア。その様子を見たパチュリーは、溜め息一つでその心境を表す。

 

「笑えるのね」

「私だっておかしければ笑うさ。おかしいか?」

「そうじゃない。起こった事を悔やみもしないなんて、愚者のやる事よ」

「やらない愚行など、私が犯すものか。大体、何の為の茶会だと思っている。あまり軽んじないでくれ」

 

 そう、真祖とも悪魔とも呼ばれ忌まれる彼女と、魔の世界に身を置く魔女。異質ではあるが同質、異種ではあるが同種である彼女達のお茶会には、ある目的があった。

 

「……来ているのだろう、スキマ。お前の話、訊かせてもらおうか」

 

 空へと投げ掛けられる言の葉。それと共に用意されるティーカップと、注がれる深紅の液体。

 

「用意が良いんですわね。それに、部下の躾もキチンとされていらっしゃる」

 

 空いていた椅子に座るのは、東方の妖怪(モンスター)、八雲紫。傘をメイドに預け、手に持った扇子で口元を隠す。

 神出鬼没、正体不明で存在不詳。忘れ去られた者が集う地の管理者、境界を司る妖怪、一人一種族とされ、化物のトップに数えられる彼女は、この吸血鬼と多少の縁があった。

 

「部下に恵まれているだけだ。それより、話を」

 

 妖怪や吸血鬼にしては珍しい性急振り。何かを急いでいるのか、はたまた何かを待っているのか。

 目元に浮かぶ微笑と扇子を取り払い、一転して真剣な表情を浮かべる八雲。

 

「では――――――スカーレットの屋敷、及び周辺の土地移転について、最終確認です」

 

 

 

 一年前。突然訪れた八雲紫は、スカーレット家当主、レミリア・スカーレットに向けてこう言い放った。

 

『衰退する幻想について、貴女はどうお考えかしら?』

 

 忘れ去られる幻想。その末を、このまま辺境で過ごして構わないのか。そう言った旨を伝えたのだ。

 

 絶対の自信とプライドを持つレミリア・スカーレットは、黄色い猿とでも言いたげな顔で鼻で笑った。

 

『衰退? 結構。忘却? 構わない。だが、私達の力を忘れた馬鹿共から逃げるのは我慢ならないな。

 ……私はヴラド・ツェペシュ公と多少の縁があってな。彼の生き方には大いに賛同している。分からないか? 東方の賢者。

 蹂躙だ。力による蹂躙。武による蹂躙。魔による蹂躙。畏怖による蹂躙。全てを以て蹂躙して蹂躙して蹂躙する。

 私に刃向かうなら踏み潰し、牙を抜き、爪を剥がし、鬣の一本一本までを、串刺しにしよう。例え私の庇護にある者でもだ』

 

 古くから伝承により治めていたスカーレットの領地。いや、本来なら持ち主の定まらない荒れた森である筈だが、そこには確かに統治者がいた。

 それこそが、吸血鬼。

 この土地に住む者は土地を明け渡してはいけない。

 余所者を許してはいけない。

 反逆を許してはいけない。

 疑うことなどしてはいけない。

 ただただ、スカーレット家に服従する事を代々求め、強いていた。そしてその代わり、そこの村々には永遠に平穏である事を約束していた。

 化け物は森を抜ける事は適わず、欲にまみれた人間は血肉が捧げられる。

 その体制が崩れる訳が無い。いや、崩れたとしても私にはなんの意味も無いと、そう言っていた。

 

 だが、残念ながら。運命は非情にも、人々は非情にも、いなくなったモノには辛いのだ。

 まず、交通網が発達した。森の悪魔を抜ける為に、全速力で走る馬車が登場した。

 その次に、村人の意識が変わった。新を知らず神を知らない彼らは、外から来た宗教にどっぷりと嵌った。

 村人は戒律を無視する様に、忘れる様になる。自らの家を手放し、外へと出る者。外から来た者達と協力し、新しい文化を広める者。そして、吸血鬼の伝承に異を唱える者。

 

 早馬車がいなくなりだした頃、人間達はある異変に気付く。漸く、と言うべきだろう。外部からの侵入者を排除する吸血鬼に、目を向けてしまったのだ。

 今まで吸血鬼が成りを潜めていた訳では無い。長い年月、延々と続いていた。それに人間が気付いていないだけであった。

 気付いた怪異に、人間は立ち上がる。時代遅れとも言える軍勢を組み、自分達の害悪を排除しようとする。

 討伐隊の結果が、スカーレット家に問題ある訳では無い。問題は、今まで従順に、そして静かに暮らしていた筈の村人がいなくなってしまったと言う事実。

 

 レミリア・スカーレットは唐突に理解した。これから先、私が幾度踏みにじっても、人間達は忘れるだろう、と。呪いの様に振りまいていた吸血鬼の畏怖は、最早意味の無い代物だと。

 

 八雲紫はそれを理解していた。この尊大な吸血鬼が幾ら力を振るおうと、その力は幻想から抜け出せない。幻想に括られた力は現実に届く事は有り得ない。事実、彼女がそうであった様に。

 

 

 館の移転の日時を一週間後――――次の満月とする。そう告げ、東洋の賢者は空間の裂け目へと消えていった。

 

「……本気なのね」

 

 パチュリー・ノーレッジが声に感情を出さない様に、恐る恐る問い掛ける。

 彼女もまた、吸血鬼の畏怖によって集められた者の一人だ。だが、レミリア・スカーレットとの友情があるからこその付き合いでもある。そんな彼女が、初めてレミリア・スカーレットの行いに恐れを抱いた。

 レミリアは、この土地を去ると――――この畏怖と言う名の信仰の無い土地に行くと言っているのだ。その意味は、果てしなく重い。特に、八雲紫などと言う化け物が相手なら尚更だ。

 

「信用して良いのね? 貴女も……八雲も」

 

 忘れ去られたモノは脆い。知られていないモノは薄い。

 新たな場所への移転が幽霊に不可能なのは、ただでさえ薄い存在濃度が空気よりも幽かなモノになってしまうからだ。そしてそれは妖怪も同じ。

 

 強力な妖怪、例えば鬼の類は、日本のどの様な場所であっても伝説の類はある。意図してやったのであれば、それは勢力を広めているのと同じだ。どの場であっても鬼が在る、かき消えない幻想であるとしているのだ。

 そしてパチュリーが危惧している事。それは、吸血鬼と言う概念が幻想郷にあるかどうか。

 

 八雲紫は受け入れると言った幻想郷。だがそこに入った者達の意識に吸血鬼と言うモノがなければ吸血鬼である意味も無くなる。吸血鬼として存在するには吸血鬼として観測されなければいけないのだから。

 確固たる存在が無い妖怪であるからこそ、他者からの認識は非常に重要なファクターだった。

 

 その全てを理解して、レミリアは頷いた。

 

「私達は変わらないし、彼ら人間も変わらない。なら、変わらないままで居る場所が少し違えばいい。変に干渉しあう必要が無くなるのなら好都合だ。

 例え幻想郷に吸血鬼が亡いとするなら――――」

 

 にこり、と。幼い顔が緩みながら、

 

「今まで通りに私達が広めてやればいい」

 

 そう、言い放った。

 

 

 そして、満月の下。館の中心には、その主要メンバーが集まっていた。と言っても、スカーレット家当主、当主の友人、門番の三名しかいない。

 レミリア・スカーレットは待つ。ただひたすら、その時を待つ。

 パチュリー・ノーレッジは考える。これほどの大質量である館周辺をどの様にして移動させるのかを。

 門番は控える。主の命があるまで、ただそこに立っている。

 

 朱い空には八雲紫が立つ。操る境界を見極め、既に紅い館は外界から切り離されていた。言い方を変えるなら、異界。八雲紫が切り取った館を停留させる為だけの世界。

 少し入り口を開いてやれば、配された基点に乗って移動が行われる直前である。しかし八雲紫は動かない。

 その目は、まるで何かを――――時を待つかのように。

 それを裏付ける様に。一人、気配を殺した者がいた。

 

「………………」

 

 その者の手には鉛色の拳銃。リボルバーと呼ばれるそれは、冷たいまま隠者の手に収まっている。

 その者――――銀髪の暗殺者。場にそぐわない青い瞳は一点のみを見つめている。即ち、レミリア・スカーレットのみが、暗殺者の目標である。

 

 暗殺者は元々、ただの村人であった。特に変哲も無い、強いて言えばその銀髪が一目を惹くだけの存在で終わる筈だった。その手に拳銃が握られる事なぞ、有り得てはいけなかった。吸血鬼の討伐が始まるまでは。

 

 当たり前の様に、暗殺者の父親は討伐隊に志願した。当たり前の様に、暗殺者はそれを見送った。

 

 そして、ミイラの様に干からびた死体となった母親の仇を討つと言って出て行った父親は、ボロ雑巾の様になって帰ってきた。

 戦士としての矜持も無く、吸血鬼は生殺しのままで帰させたのだ。

 自分達がやった事を見せつける様に、出来の悪い蝋細工みたいになった父親を帰したのだ。

 その時の憎悪を糧に、暗殺者が生まれたのだろう。

 

 吸血鬼の屋敷に侵入するのは、筆舌に尽くしがたい苦労があった。

 魔術によるトラップや周回する多数の使用人を回避するのは、銀髪の暗殺者だからこそ出来る芸当であった。

 その所以は、暗殺者が内に秘めたある能力にある。

 

 以前暗殺者が知り合いの猟師に狩猟を教えて貰っている時、ある不思議な現象が起きた。猟師が放った散弾銃の玉が一瞬止まって見えるのだ。

 勿論、最初は幻覚だと思っていた。

 訓練されたボクサーの様に動体視力に優れている訳でもない目に追える筈が無い。

 だがやがてその一瞬は長くなり、一秒を越えた辺りでおかしいと思い始めた。

 試しに止まっている散弾銃の玉を摘もうとすると、確かに止まっている玉へと指が動いていき――――怪我をせずに触れる事が出来た。幻覚などでは無かったのだ。

 無用の長物であった能力だが、暗殺者になる者にとっては非常に有用な能力であるソレ。自身が時の歯車がガッシリと噛み合う実感と共に、暗殺者は行動を起こした。

 

 そして手に入れたモノは、珍しい十弾倉式のリボルバーと銀の弾丸一ダース。

 どちらもどこからか盗んできた物だが、罪の意識なぞ無い。ただただ自らの復讐の為だけに動いている機械に、良心の呵責は無い。

 銀色の髪を黒い布で隠し、時を止めながら暗殺者は吸血鬼の館へと向かった。止まった時の世界を――僅か九秒ではあるが――移動出来る者にとって、警備なぞ無いに等しい。

 

 そして現在、中庭の草陰に隠れ、その瞬間を待つ。

 

「……………………」

 

 吸血鬼への距離はおよそ25m。チャンスは一度きり、いやチャンスなんてものは存在しない。自ら行動を起こし、結果のみをつかみ取らねばいけない。

 その念を込めて、意識を自身に埋没させながら、暗殺者は呟く。

 

――――Verweile doch, du bist so schðn

 

 直後、黒い影がレミリア・スカーレットへと走り出す。

 怒号も雄叫びもあげる事も無く、自身でも驚く位冷徹に、暗殺者は時を止めた。

 これが自身の命を散らす結果だと理解していても、これで一つの命が確実に失われると分かっていると言うのに。

 

 一秒。

 二秒。

 三秒。

 四秒。――――漸く、リボルバーは自身の役目を果たす。

 レミリアの目前で引き金を引く。そこから銀の弾丸が一発放たれるが、レミリアまで到達はしない。直前で止まるのは、弾丸の時が止まってしまっているからだ。

 五秒。もう一回、引き金が引かれる。今度は側頭部を狙っての射撃。

 六秒。二回連続で動く撃鉄は、レミリアの胸部――――心臓へと弾丸を二発放つ。

 七秒。僅かに憎しみが籠もる指先が、引き金を三回引く。リボルバーはその意を叶える様に、銀色の塊を放つ。

 八秒。自らの離脱は考えず、この吸血鬼のみを仕留める。渇望のみが暗殺者を動かし、弾倉は一周する。

 

 ――――残り一秒、ゼロ。そして、時は動き出す。

 

 永遠の刹那は、その瞬間が去るが故に刹那である。

 

 止まっていた弾丸は吸血鬼を穿つ為に進み始める。暗殺者にそれを確認する事は出来ないが、自身の行為は理解している。

 故に、吸血鬼の前に立つ。家族を殺した吸血鬼の最期を見て、自分が死ぬ為に。

 

 ――――……死ね

 

 殺意からでは無く、死を望むだけ呟き。暗殺者が手を掛けなくとも、吸血鬼のみが死んでくれれば良い。それだけの、単純な願い。

 

「残念。私はそんな運命は知らないよ」

 

 ――――――それすらも願えないと言う相手への、罵倒の意も込められていたのかもしれない。

 

「ああ、全く。どれだけ隠れていれば気が済むんだ、お前は。待っていた身にもなれ」

 

 殺される側の台詞では無い。決意をする時間でさえも遅いと言うその真意を汲む事は出来ない。何故なら暗殺者は、時を止める事も出来ずに、門番に組み伏せられていたのだから。

 

 ――――何故、死なない。

 

 勝利を求めてはいない。その命だけでいい。なのに何故、死んでくれないのか。

 その問いに、嘲笑混じりの顔が答える。

 

「今夜は満月。吸血鬼にとっては聖夜に近いこの日に、私を殺すなんて無理さ。いっそ首を跳ねるなり心臓を杭で突くなりした方がやりやすかったんじゃないかな?」

 

 確かに少女は血を流してはいる。だが傷口は既に無い。頭に打ち込んだ筈の弾丸も、腕で止められている様だ。

 暗殺者は心の中で舌打ちする。これならそれこそ、銀の散弾でも持ってこないと意味が無かったんじゃないか、と。拳銃用の弾丸しか無かった事を恨みたいが、盗人にそんな権利は無い。

 だが暗殺者はその後悔に反して、歯噛みする事も、泣き叫ぶ事も無く、ただ門番にされるがままとなっている。

 ――――――その目以外は。

 

「……なかなか良い目をしてるじゃないか。私以外を狙わなかった事と言い、その気迫と言い、あの愚鈍な兵士達とは違う。前言を撤回しよう。偶には、待つのも良い事かもしれないな」

 

 一瞬、身体に力が籠もる。だが抵抗する事は無い。

 その様子を確認した後、レミリア・スカーレットは暗殺者の手からリボルバーをもぎ取る。

 

「で、お前の目的はこれだけか? 人間は、もうちょっと情が厚いと思っていたんだが」

 ――――……何が、言いたい。

 

 リボルバーを回していた指が止まる。キョトンとした顔は、この場にはそぐわない。

 

「ん? あの兵士達を助けに来たんじゃないのか」

「…………――――」

 

 あの兵士達。あの、と言う事は、どこかに示している発言や身振りがあったと言う事になる。それは即ち――――

 

「殆どは殺したがな。確か……十人程捕まえていたか、門番?」

「はい。移動した後、食事に困る事が無い様に」

 

 人間を捕らえ、それを捕虜や奴隷とは表現せず「食事」としている所が化生らしさを出しているが、問題はそこでは無い。助けられる人がいるかもしれない――――その淡い望みだけが胸に残っていた。

 

 極まった関節を動かす。折れるかもしれないが、そんな事はどうでもいい。捨てる命とは思っていたが、助けられる命があるなら別だ。

 懸命に左腕を抜こうとする暗殺者を見て、ぼんやりとレミリアは呟いた。

 

「……その様子だと、何も知らずに来た様だな。となると、お前は本当に私を殺す為だけに来た訳か」

 

 言葉を紡ぐ口が、三日月の様に丸く鋭くなる。無駄な抵抗をする報いか、暗殺者の肩が砕けたのは、その三日月から笑い声が零れ出す頃だった。

 

「ハッ――――笑わせるじゃないか、お前。気に入ったよ」

 

 ――――――自己犠牲の精神? 他者を尊重する心? 下らない。全くもって下らない。ましてや生死も定かでは無い者の為に動くなぞ愚の骨頂。この人間もソレと同種だ。

 だが、この人間は少し違う点がある。あの目だ。

 私の死のみを渇望していたあの目は、自分の死は勿論、他の生死にも関心を示していなかった。

 単純な憎悪だけではあそこまではいかない。

 素晴らしい。少しの間でもあの目を持っていた点は評価出来る。人間にしているのが惜しい位だ。

 

 幼い吸血鬼はしゃがみ込み、黒い布に隠れた顔を覗き込む。弾を撃ち尽くしたリボルバーをその額に当て、こう言った。

 

「ゲームをしよう」

 

 

 

 紅い月下。悪魔と暗殺者が白い椅子に座っている。

 

「お前の拳銃に弾丸を一つ入れる。適当に弾倉を回転させれば、準備は完了だ」

 

 言いながらレミリアは用意を済ませ、鉛色のリボルバーを右手で握る。そしてその銃口を自らのこめかみに当て――――

 

「さぁ、お前は何回この引き金を引ける? そう言うゲームだよ」

 

 カチン、と。撃鉄が鳴った。

 

「一回引ければ、一人助ける。二回引ければ二人。席から立ったら負け。弾が出たら負け。全員助けるには何回か繰り返さないといけないだろうが……まぁ、そんな事は気にしないだろう?」

 

 そう言いながら、まるでティーカップを置く様にリボルバーをテーブルに置いた。普段ならお茶会が開かれるであろう場所でのそれは、異界であっても異様なものだ。

 

「と言っても、ゲームだからな。私も参加しないと面白くない。一回一回交代で――――――」

 

 長々と喋る吸血鬼をよそに、暗殺者の右手が動いた。利き手で無い為か、少しぎこちない動きになっている。それでも拳銃を手に持つ位は簡単だ。

 一瞬、場の全員が身構える。なんでも無いその動きに、全員が集中していた。だが暗殺者はそれを気にせず、銃口を――――自身に向けた。

 

 カチン。

 カチン。

 カチン。

 カチン。

 カチン。

 カチン。

 カチン。

 カチン。

 

 

 静寂。風も吹かない中庭から、音が消え去った。

 狂気、と言うのはこう言う事を言うのだろうか。八回引き金を引き弾が出る確率は90%以上。それを躊躇いなく引くと言うのは、明らかに常軌を逸している。

 命が惜しくないのか。吸血鬼を信用しているのか。自暴自棄になっているだけか。

 いや、だからと言って、この様な行動が出来るものなのか?

 驚き。疑問。畏怖。しかしそれよるも強いのは、

 

「……クッ、」

 

 歓喜。

 

「ハハハッ、」

 

 愚者を潰せる喜び。

 

「ハハハハハハハハッ、」

 

 強者と対峙する喜び。

 

「ハハハハハハハハハハハハハハハッ!」

 

 ――――全く、笑わせてくれる。心中かき乱される様な事態だが、愉快で仕方がなかった。

 

「約束は守ろう。門番、八人連れて来い」

 

 レミリア・スカーレットの言葉は、暗殺者の耳には入っていない。リボルバーを置くと共に、冷や汗と言うには熱すぎるモノが全身を駆け巡っていたから。

 助ける。そう、全員助ける。それだけを考えて、この引き金を引いた。そうだと言うのに――自身なんて省みない筈なのに――この感覚はなんだと言うのだろう。

 

 望んでいるのか? 自分が生きる事を。

 願っているのか? みんなと帰る事を。

 

 馬鹿らしい。馬鹿らしい。そんな僅かな希望に縋っているのか、自分は。助かっていると言う保証も無いと言うのに。

 

 手の震えが収まった頃、パチュリーの手で弾倉が回転され、再びゲームが始まる。今度は一回ずつ交代と言うのを弁えて、暗殺者は拳銃を構える。

 ――――瞬間。右手の人差し指から全身に、痺れに似たナニカが這い回る。布がはためいて隠れ分からないが、その腕は確かに震えていた。

 

「………………」

 

 考える時間があった故の恐怖。それが、震えの原因。心臓の鼓動は食道に伝わり、死への恐怖から吐き気を催す。

 今までの無鉄砲さの反動か、目の前がぐにゃりと歪みだす。時を止めてしまいたいとは思うが、この状況下でそれは不可能。イカサマはバレない確信があるからこそやる……否、バレたらイカサマとして扱われるのだ。迂闊な行動は出来ない。

 隠しきれない動揺を飲み込み――――人差し指に力を込める。

 

 カチン。

 

「なかなか、運が良いじゃないか」

 

 乾いた音に感謝しつつ、銃をテーブルへと戻す。レミリアの言葉に嫌悪の反応をする余裕すら無いのか、銀の毛先までも僅かに震えていた。

 

「じゃあ、次は私だな?」

 

 ぞんざいな手付きでリボルバーを持ち、頭に当てる。そして、カチン。

 

「………………」

 

 動揺が無い訳じゃあない。だが、相手は化け物。その精神が人間と違っていてもおかしくは無い。

 じんわりと手のひらに浮かぶ汗。なんとかそれを無視して、リボルバーを手に取る。

 只の金属の塊だと言うのに、支える事だけで精一杯になってしまう。それでもなんとか、自身に向けてバレルを向ける。

 鼻腔に突き刺さるのは、死の匂い。その感覚は不確かだけど明確で、不透明な鮮明さを感じる。磨り硝子越しに殺人現場を見ている、そんな感覚。

 進めば、一人助かる。退けば、おそらく全員死ぬ。なら、進むしか無い。引き金を引かないといけない。脅迫観念めいた思考だけが、暗殺者を支配していた。

 

 ――――――カチン。音が響く。

 

「フフ……良い顔をする様になってきたな」

 

 幼いその声。かき立てられる恐怖心に憎悪は沈み、心の容量から軽く溢れ出す。

 場は異界。空気は異常。抱いていた常を手放せなければ、異に呑まれる。

 

 レミリアが銃を取ろうとするその時、ドアを開ける音がした。

 

「やっとか、門番」

「すみません。少し手間取ってしまって」

 

 頭を掻きながら、赤い髪の門番がその場に登場する。張り詰めた空気が少し緩むのを感じ、ロクに吐き出せなかった空気を吐く。

 

「もう二人追加だ。さっさと行ってこい」

「は、はい」

 

 門番は少し驚いた表情を見せる。それはそうだ。後二人連れてくると言う事は、暗殺者は既に十回も引き金を引いている事になる。今まで弾丸が出てこなかったのは奇跡の他無い。

 暗殺者は間違い無く人間。だと言うのに、化け物も慄く所行をしてみせたのだから。

 

 と、そこで。暗殺者の頭が少し動く。門番が連れてきた者達を確認する。

 体格の良い男達。猿轡をされてはいるが、衣服や身体からは、ぞんざいな扱いを受けていた印象は伺えない。

 一人一人の顔を見る。顔を知っている程度の者、名前の分かる者、分からない者様々いるが、全員の目は潤んでいる様に見えた。まるで感激でもしている様に。

 ――――――止めてくれ。

 そんな目で見るのは止めてくれ。そう思いながら、視線を外そうとする。だが、そこである事に気付いてしまった。

 

 一人、足りない。先程吸血鬼は八人と言ったのだが、男達は七人しかいない。どういう事だろうか。

 しかし、それが自分の誤りだとすぐに気付いた。横に並んだ男達の端に、小さな銀髪の少女がいたのだから。

 

「………あッ………」

 

 その少女の目にも、涙が浮かんでいる。いや、既にその頬は湿っているのが分かる。おそらくは――――目の前に漸く肉親が現れたからだろうか。

 

 討伐隊の荷車に紛れ込んでいってしまった少女。それは、暗殺者の妹。

 父が行ってしまう晩、散々駄々をこねるわ泣くわで大騒ぎだった。不貞腐れて寝室で拗ねていたのを、父と共に苦笑したのは良く覚えている。

 それが次の日、出立の際に引かれる荷車の上に、妹は座っていた。村人は呆れてはいたがその分微笑ましい顔で、勝利の天使だのなんだのとはやし立てていた。

 

 傷だらけの父親は妹について何も語らなかった。いや、何も語ろうとはしなかった。問うても口をつぐみ、僅かに残った顔で苦悶の表情を浮かべるだけ。それだけが、暗殺者に向けての回答だった。

 

 だが、今。最愛の妹がああやって立っている。生きている。喜ばない訳が無い。そう、例え、自分に銃口が向けられていても。

 気配だけで察する。何かが破裂する様な音が聞こえる前に動き出していた体だが、その動きは重かった。

 頼む、自分は死んでも構わない。だが死ぬ前に、どうか、どうか――――――

 

「――――時よ止まれ!」

 この刹那が、永劫続いて欲しいと望む。

 弾丸がこめかみを抉る数瞬。空気から肉を焼き貫くその僅かな間に、再び時が止まる。

 

 一秒。走る。

 二秒。走る。左肩が痛みに軋む。

 三秒。走る。

 四秒。走る。

 五秒。走り、終える。

 六秒。猿轡を外して、涙を拭ってやる。右腕だけでは、少しやりにくい。

 七秒。その小さな身体を抱き締める。

 八秒。強く、強く。すがりつく様に、抱き締める。

 九秒。永遠が欲しいと願った。凍れる時を留めて置きたい。時よ止まれ、汝はかくも美しい。今なら、悪魔に魂を売り渡しても構わない。

 

 だが、時は例外なく刻み始める。運命と言う歯車の手によって。

 

「――――――ふぅん。確実に殺ったと思ったが、意外と素早いんだな」

 

 綺麗な声。心からそう思えたのは何故だろう。さっきまで彼女に対しては敵意以外無かったと言うのに。

 

「お前が先に席を立ったか、弾が先に出たか――――まぁ、多少はまけてやる。仕方無い、今出ている奴らは帰してやるよ」

 

 その声と共に、複数の気配が消える。何かの技で他の男達をどこかへ移動させたのだろう。

 

「……で、お前はどうする? まだ続けるか?」

 

 是非も無し、と言いたい。このゲームは自分に課せられた使命だ。やり遂げなければいけない。それだけが今自分がいる存在理由である、と言い聞かせる。

 だが。暗殺者の口は、その旨を伝える事は出来なかった。

 

「最期ぐらい、自分の意志がある言葉を口にしてくれよ」

 

 何故なら、彼の口は赤黒い血でいっぱいになっていたから。

 暗殺者が抱き締めていた少女の髪に鮮血が滴る。月光が届かない影に隠れた銀髪に掛かる様子は、まるで闇が零れ落ちてきたかに見える。

 

「――゛――――゛―゛―」

 

 良くワカらない音が暗殺者と少女の耳を満たす。それは漸く溢れた恨み辛みだったのか、遺言のつもりだったのかは本人でさえ分からない。心に残っているのは、ただただ後悔だけ。

 妹を独りにしてしまう。

 自分が味わった、あの孤独に残してしまう。

 許して貰いたいと思うのに、その答えが聞けない。

 

 嗚呼――――済まない。

 

 その思考を最後に、暗殺者は息を引き取った。口から漏れ出した血が、その命を覆水の様に表している。

 

「……死んだのか」

 

 残念そうに呟いたレミリアが、暗殺者の背中からその手を抜き取る。紅く染まった手は拭わず、ポタポタ落ちるままにしている。

 そして、その血が空を舞う。暗殺者の首目掛けて振るわれた手の軌道の様に。

 

「その能力、少し惜しかったが……まぁいいだろう。お前自体に意味は無いんだから」

 

 そう言って、暗殺者だったものの肩を全力で掴む。本来なら人間であれば耐えられない程の痛みがある筈だが、暗殺者は呻き声一つあげない。

 それもそうだ。暗殺者の身体には命どころか口も、顔も、脳も、頭自体が無かったのだから。

 

 そのまま首無しの死体を後ろへと引っ張る。抱かれた少女も一緒に倒れそうになるが、その身体を今度はレミリアが支える。

 

「可哀想にね、あなたのお兄様」

 

 猫撫で声で語りかける。呆然とした娘の耳に届いてはいるだろうが、理解されているかは分からない。

 だが、それでもいい。聞かせてあげる事に意味がある。

 

「もしあなたが、私の所に来なければこんな事にはならなかったかもしれないのにね?」

 

 それは、その一言は、幼い子供に背負わせるには重すぎる咎を与えるのに十分だった。

 

「あなたが彼と一緒にいてあげれば、あなたが彼を支えてあげれば、こんな事にはならなかったかもしれない。いえ、こんな事は言わなくてもは分かるわね」

 

 言外に、必ずそうだっただろうと断言する紅い吸血鬼。それを否定出来る程、少女に力は無かった。見開かれた目から、涙が溢れ出す。

 

「でもね、もうダメよ。あなたの行動がこの運命を呼び寄せてしまったのだから。後悔しても、懺悔しても、もうどうにもならないわ。壊れた時計の針は進まないし、戻す事も出来ない。あなたの時計は止まったままになる」

 

 だけど。 

 

「あなたが私に身も心も捧げてくれるなら、その時計を直してあげる。元通りには出来なくても、暖かい日溜まりを用意してあげる」

 

 どうかしら、と。さながら魂を頂戴する悪魔を想起させるその誘い。さすればその日溜まりは、愛すべからざる光だろうか。

 だが、たとえそれが夜闇に出来た偽物でも、少女は拒む事が出来ない。拒めば最後、もう壊れてしまうと心の奥底で理解していたから。

 やがて、その小さな首は縦に振られ。それと同時に気を失った少女は、悪魔の胸で抱き締められた。

 

「さて、と。どうかなパチェ」

 

 先程の凶行を何とも思わない、外面に似合った可愛らしい顔が、パチュリーに向けられる。貧血でも起こしそうな位青い顔の魔女は、レミリアの言葉の意味を理解するのに少し掛かった。

 

「……そ、うね。今だったら、色々仕込んでおく事も出来ると思うけど……」

「そう。じゃあ任せた」

 

 それだけ言うと、レミリアは少女をパチュリーに預け、再び席に着いた。待ちくたびれた客人をもてなす為に。

 

「すまない。今日は待たせた上に、茶も出せないで」

「構いませんわ。私も楽しめましたし」

 

 暗殺者が座っていた椅子に座る八雲紫。その姿は、絵画から抜け出た貴婦人を思わせる優雅さを持っていた。金色の髪は、その雰囲気を強くする。

 

「あの少女が、貴女の言っていた?」

「ああ。私の永遠の従僕になる運命を持ってたんだが、少々気が強くてね。ああやって、目の前で二度も肉親を殺されたら、その気勢も簡単に削げるんじゃないかと思ってやってみたが……」

 

 笑みを浮かべ、大成功だと呟く。自分の思惑通りになり、面白く思わない奴はいない。紫も同意見の様で、扇子で口元を隠しながら笑いを零す。

 

「では、そろそろ始めますわ。快適な旅のお約束は出来ませんけど」

「構わない。あの子が堕ちたのなら、こんな場所に居る意味は無い」

 

 パチリ、と扇子を畳む音で了承を示し、足元に空いた紫界へと降りていく紫。それを見送ったレミリアは、頭上に切り取られた満月を仰ぎ見る。

 

「……明日昇る月は」

 

 十六夜月。満月を少し欠いた月。欠けた円弧は、我々なのか、この土地なのか。さて、明日の私はどう思うのだろう。

 紅魔は夜露と消える考えを遺して、月下を去っていった。


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