Ginnの影忍 ─リリー・ザヴァリー 今日も往く─ 作:山田風
鬱蒼とした森があった。獣の鳴き声があたりかまわず響き、陰湿な気配が漂う森は薄暗さと相まって人に恐れを抱かせるには十分である。
人も立ち入らぬであろうその奥深くに、人工的な建物があった。外壁は崩れ落ちツタに覆われたその姿は、人も去って長い放棄施設と見える。
だがその打ち捨てられた施設の周囲にある多くの人の姿が、その考えを打ち消す。有刺鉄線の柵に厳重に囲われた敷地を、屈強なプロのガードマンがにらみをきかせて歩き回る。中央に陣取るのは長大な銃器を抱えた、人よりふた周りも大きいパワードスーツ。いくつものセンサーと防犯カメラまでもがさりげなく設置され、隠れる者をあぶり出す。
はたしてこの僻地にこれほどまでの厳重の警備がいるとは、この施設にあるものの重要性が伺える。
これらあまたの鋭い眼に不審なものは見当たらず、機械類に異常も感知されていない。柔らかな木漏れ日が彼らを照らし、涼しげな風がその間を吹き抜ける。いつもと変わらぬ平穏な時を彼らは過ごしていた。
───だが、過ぎ去る影に気づかない。施設は未だ腹の中に異常を見いだせなかった。
ーーーー
薄暗いコンピュータルームに二人の男が入ってきた。小太りと痩身、対照的な二人は同僚らしく、激論を交わしながらもコンピュータを起動する。画面が灯る度に明るくなっていく部屋の中、天井の隅に潜み二人を見つめる影には気づかなかった。
───影が動き出す。音もなく降り立ったのは、年端もいかない少女。薄手の服を纏って、二人へと音もなく近づいていく。
男たちは手元のコンソールで作業を続けながら論戦を続けている。散歩しているかのように背後から少女が近づいているというのに、気づく様子はない。
男のそばに立つと、少女は二人の首筋へと手刀を振るった。振り向かせたいかのように軽くこづくと、
「うぐッ……」
「ん、おい───がッ」
それだけだというのに二人の意識は瞬く間に刈り取られ、コンソールへと倒れ伏した。
男等を脇によけると、イスに立って操作を始めた。彼女がそのまま作業をするには、身長が足りないためコンソールに手がまともに届かず、作業がしづらいのだ。
いくつかキーをたたけば、画面にいくつものウインドウが瞬く間に開かれていく。そこに書かれている中身に彼女、リリー・ザヴァリーはおのずと頷いた。
「───よし、このパスなら十分だ」
男たちが使用していた操作権限に納得し、キーをたたき始めた。
男等と比べるとまるで様子の異なる少女。彼らから奪って端末を操作するのだから、招かれざる客であることに違いない。
しかし何故ここにいるのか。侵入者なら、外に敷かれた頑強な警備網によって弾かれる。仮に通り抜けられたとしても、施設内の警備もそれに居並ぶように厳重だ。いたる場所に設置された監視カメラに死角はなく、不審人物は決して逃さないのだ。
だが、全てを彼女はすり抜けてきた。霞のごとく姿を掴ませず、影のようにどこにでも現れる。
古来よりそのような存在を表すものとして、伝えられる言葉がある。
───それすなわち”忍者”。影に生きる者。
彼女が今触れているのは、施設の秘中であるデータベース。
彼女が男らを気絶させてまで欲しがったのはその操作パスだ。男等それぞれにパスと暗証番号がされているのだが、彼らの地位によって触れられる範囲が大きく異なる。気絶させられた男たちはかなり上の地位だったようで、多くの情報がたいした暗号も無しに打ち明けられていく。
その中に目当ての情報を見つけると、リリーは懐からチップを取り出した。コンソールに差し込むと突如としてチップが動きだし、データを吸い上げて記録を始める。
この施設は、公式には動物の研究施設とされている。いかなる研究が為されているか探れば『動物の肉体や体組織、遺伝子の探求を元に生物学を中心とした学問にさらなる発展を促す』などという長ったらしくも耳障りの良い、ありがたい理念を贈られることだろう。
ここにあるのは、類まれにみる最高の設備。そして素晴らしき腕を持つ研究医と、一切の妥協を許さず学問へ身も心も捧げる探求の徒。豊富な資金によって協力な後押しをされるこの環境は、研究者にとって憧れともいえる存在であろう。
だというのに、この施設は全くの無名である。記録は有っても一般に公表はされていない。
研究するのは『ホモ・サピエンス』。人間というものは、被検体には存在しない。この施設が研究するのは『動物』である。
学問の追求のために生き物の血を抜き、皮をはぎ、体を切り刻んでは内臟を漁る。世間一般ではおぞましい虐待と言われ蔑まれる行為だ。しかし一度『研究』という言葉で覆ってしまえば不可抗力となり、その手に及んだ生き物たちは『必要な犠牲』となって労れるだけとなる。
そうなってはいくらでも刻み放題だろう。ここに研究所が開かれてから、いったいどれほどの『動物』が悲鳴をあげ、血を流し、息絶えてきたのだろうか。
コンピュータを操作をすれば、いくつもの画像データが現れる。いくつもの肉塊が写された写真。ともすればただ食肉倉庫などを写しただけに見える。だがよく見ればどれもが凄惨な、おぞましいとしか言いようのない写真であることにきづくだろう。そのような写真がいくつも、沸くように現れる。
生きた人体標本、水槽に浮かぶ内臓図解。男、女、子供、大人、赤ん坊。男女、年齢も色も区別なく多くの人がそこにいた。
なぜここまで人を集められたのか、動画に残されていた手術の中の言葉からわかった。
誰にも、ある共通点がある。
「……やっぱりね、みんな
ならば、彼らにとって
ただ映像を眺めながらも、リリーは眉をひそめていた。
データをコピーする間も、リリーは操作を続ける。
抜き出すのは違法な研究データだけではない。資金の出所、不審な資金の流れ、関係者など、出来る限りの事を探していく。
そう何度も忍び込めるものではない。やれることはやっておくのだ。
妙に数も少なく品名のない搬出入記録を漁っていると、その手を止めた。
「へぇ、いたんだ」
表所を変えなかったリリーが初めて、笑った。
コンピュータのほんの片隅。果たして隠したのか、それとも間違えたのか。コンピュータの設定ファイルに忘れられたように紛れて、そのデータはあった。
そこに有ったのは、薄闇の中で話し合う何人かの人影。ほとんどが影になっている中、かすかに月明かりに照らされて一人の顔が伺えた。
至って普通のスーツ姿の男。
それを、じっとリリーは見つめていた。
それは間違いなく、忘れることのない───
「これを残すのはね……さて、どうしましょうか」
一瞬の思案。その間にチップはコピーを完了した。
「───終わったのね」
リリーはキーを叩き、件の画像を消去した。チップでもその画像を消去する。いたって私的な操作だが、それも含めて作業の証拠も消去する。それくらいは容易な事。
チップを懐にしまい込むと、コンソールに背を向けた。
部屋の隅に転がっている男たちはいまだに眼を覚まさないどころか、非常に心地よい様子で眠っている。よほど寝ていなかったのだろう。恰幅の良い男のひどいいびきが少々耳に付くが、たいしたことでは無い。この部屋は防音も厳重。外にも漏れはしないのだ。 痩身の懐をまさぐると、パスカードを手に取った。
「せっかくだし、資料室も見せてもらいましょうか」
ーーーー
「敵襲、敵襲!」
「ものども出会えぇい!」
施設の平穏は、けたたましい警報に突如として破られた。
時代がかった呼び声に応じるように、ガードマンが次々と姿を現しては敷地を走り、多くのパワードスーツが顔を出してセンサーを走らせる。
未だかつて無い騒ぎとなった研究施設を、屋上から見下ろす影がある。リリーだ。
「ばれたにしては、さすがに早すぎない……?」
リリーは屋上の縁に立ち、騒ぎを眺めていた。
いざ離脱というときのこの騒ぎ。
窓から屋内をのぞいてみれば、あわただしく動き回るガードマンに混じって研究者たちも動いている。資料を抱えた人、泰然とした人が入り乱れ混然としていた。
つま先だけで屋上からぶら下がっていた体を起こすと、周囲を見渡した。
施設を囲う木々は、屋上よりもかすかに高い大樹だ。枝を伝って行けば、楽に離脱が出来る。
「もう少し探りたかったけど、ここいらが潮時かしらね」
直下では、蟻のようにガードマンが湧き出ては侵入者を捜索している。
「ここかぁ、ここかぁ!」
そこらの茂みすら漁る大騒ぎに、最後の置きみやげのようにリリーはこぼした。
「そこにはいないよ」
「────ああ、ここに居るな」
屋上に突如現れた気配。背後からの声にリリーは刀を手に取り、振り向きざまに抜き放つ。だが刃が届くよりも先に、刀はその手から弾き飛ばされた。
「おまえが曲者だな」
それは、黒づくめの細身の男。
男が振るったのは棍だ。二メートルは有るであろう、細く長い棍。その威力はすさまじく、弾かれた刀は砕けている。リリーに当たればただでは済まず、腹を破り腸が砕けていたことだろう。
「何奴!」
「それはおまえがよく知っていることだろう!」
忍者であるリリーにすら、その気配を気取らせない。それは忍者に違いない。
さらにはリリーの背まで取って見せたのだ。一瞬でもリリーが反応するのが遅ければリリーの首は無くなっていただろう。
この男は、強い。
男は棍を振るう。絶命させんとする強烈な一撃がリリーに迫る。リリーは背後へとジャンプ。そうして、宙へ身を踊らせた。
「ぬッ!」
男もまた、追って屋上の縁を蹴った。
施設は地上四階。常人ならば転落死は逃れられない。だが、それを覆すのが忍者だ。
平然と地面に着地したリリーを追って、男は垂直の外壁を踏んだ。風のように走るというのに朽ちた外壁は、男が触れたのが嘘のように崩れない。
半ばで跳ねて地に降りたった男に小さな影がいくつも迫る。リリーの放った手裏剣だ。
男が水平に戻るまでの一瞬の隙を狙ったものだ。しかし手裏剣は男の体をすり抜けた。
これはただの錯覚にすぎない。自身に当たらない手裏剣は無視し、当たる手裏剣は棍に受けるだけのこと。
「嘘っ!」
「甘いな! そら、返すぞ!」
男が棍を振るい、刺さった手裏剣をリリーに飛ばす。そして、男も駆けた。
(投げ返した。それも、多い!)
リリーが投げた数よりも明らかに多い。同時に男も自身の手裏剣を投げたのだ。
(避けられる? 避ける!)
疑問は挟まない。その自信があるのだ。取り出した苦無を手にリリーは前へと跳ねた。
手裏剣は走るリリーの首、背、足と急所を狙っていた。飛び跳ねることで、ラインから体をずらしてかわす。
そして苦無を振るい、また別の手裏剣を打ち落とした。それはリリーの回避を織り込んで投げられたもの。
「あがッ───」
リリーの先で断末魔がした。通りがかったガードマンが不幸にも最初の手裏剣を浴びて絶命したのだ。
なにも分からないように仰向けに倒れるガードマンの背後から、影が飛び出してきた。
棍を振りかぶったあの男。手裏剣をも追い越し、リリーの先に待ちかまえていた。
「いつの間に──ッ!」
「遅いぃッ!」
空気すら斬り裂かんばかりに鋭く振られた棍を、リリーは苦無で受けた。その勢いはすさまじく、宙のリリーは踏み止まることもできない。
リリーは野球ボールのようにあっさりと、壁へ打ち出された。
逃走ルートを宙で逆戻りしていくリリーは、そのまま壁に打ちつけられるかに思われた。しかし身をひねって壁に足を向けると、壁に見事に着地。そのまま一回、二回とバク転し、バッタのように大きく跳ねる。そこへ棍が突き刺さった。
砕けた外壁が吹きあがる中に、男は立っていた。
「ははは、若いのになかなかやる。だがこの程度で驚くとは、先は短いぞ!」
「うるさい!」
二人が叫び、棍と苦無が打ち合った。
リリーは、逃げようにも逃げられない。目の前の男はリリーが逃げようとすればその隙を逃さない。
どうにか逃げるだけの隙を作るしかないのだ。
棍と苦無が打ち合うその下で、ガードマンたちがようやく外の仲間が倒れていることに気づいた。
「おい、どうした!」
「外だ、外にいるぞぉ!」
ガードマンたちは周囲を警戒し、敷地へと集まり出す。施設内から飛び出すもの。森へと駆け出すチームもいた。
だが、二人の忍者の姿に気づかない。その戦いは、その眼には写らない。
二人の舞台は壁だけにあきたらず、地上へと広がった。
「しッ──」
「たァ──!」
男が棍を振るう。リリーが苦無を振るい、手裏剣を投げる。
男の動きはガードマンの森に入っても揺るがない。それどころかガードマンを巧みに盾にして、一層苛烈さを増した。
「があぁ!」
「なッ」
巻き添えを食らったガードマンが次々と倒れる。
人の目には映らない戦い。ときおり削れる草とえぐれる土、響く音、血を吹き出し倒れるガードマンだけが跡を残す。
何が起きているのか、ガードマンには理解できない。金属音が響いて、また一人男が倒れる。
「何だ、なにが居るんだ!」
超常現象ともいうべき光景に、ガードマンは恐怖を抱いていた。訓練された屈強な男たちですら、恐怖を抱いたのだ。
いくら強大な敵に立ち向かい任務を果たすよう訓練を積もうとも、このようなオカルトに対処する訓練は積んでいない。
その腕に抱いた銃器も、この現象にはまるで効果を発揮しなかった。
頼れるものがないことが、よけいに恐怖をあおっていく。
「あ、ああァッ!」
後ずさった一人のガードマンが、透明な嵐に背を向けて森へと駆けだした。
これがきっかけとなり、ガードマンたちは次々と逃げ出していく。施設へ。森へ。銃器を落としたことも気にする余裕すらなくしていた。
「わあぁっ、逃げろぉ!」
「見えない化けもんだぁ!」
「あ、おい!」
隊長であろう男の制止もよそに、ガードマンたちはちりぢりに逃げ出していく。
取り残された隊長も後を追おうとして、
「あッ───」
グルリ、と男の首がねじれて空を向いた。男が振った棍に当たり、絶命した。
ザッ、という音で二人は姿を現した。変わらず棍と苦無を構えて向かい合う。
だがその様子は、当初とはずいぶんと違っていた。
男は変わらず、悠然と棍を構える。だがリリーは体中を浅く斬り、全身に血をにじませていた。
少しばかり荒くなったリリーの呼吸だけが響く中、男は入った。
「はは、ずいぶんと静かになった」
「ええ、こんな時は、静かにお茶でも飲みたいわね」
平然と言葉を返すが、リリーの息はあがっている。すこしだけ、構えた苦無の切っ先も揺れていた。
「一つ、聞いても良いかい」
「なぜ、あの男たちを庇っていたんだい?」
鋭くにらむだけのリリーにかまわず、男は続ける。
「あの男たちへ棍が当たることを、君は極力避けていただろう。気にもとめなければ、その傷が無かったと断言できる」
男には、それが分からなかった。
リリーはガードマンの森の中で、極力ガードマン等をかばう動きをしていた。
自身の攻撃はガードマンを避けるように放ち、男がいくら隙を見せようともガードマンを巻き込んでしまうなら、決して攻撃しない。
出来うる限り男の攻撃にガードマンが巻き込まれぬよう立ち回り、攻撃をはねのけるときも当たってしまわぬように注力していたのだ。
その姿、あまりに隙だらけ。
そうして隙をつかれ続けた結果が、その血塗れの姿である。
「なぜだ」
「──昔、教わった言葉があるわ」
「ん?」
「──忍びは、盗まず殺さず。何にもないところにむやみに忍びの技を向けては、忍びがすたるわ」
その言葉に、男は思わず笑みをこぼした。
ある意味では当然のこと。忍びの技は仕事の為にある。己の欲望に従って盗みを働く忍びは、その名を名乗るのにはふさわしくないだろう。
ああ、なんて忍者に────
「──じゃあ、投降してくれないか。そんな心優しい君は、ぜひお茶にお誘いしたい」
「冗談言わないで、ペド野郎」
「おや、残念」
男が構えを変えたその一瞬に、リリーは手裏剣を投げた。矢のごとく跳ぶ手裏剣が狙うは眼前。男は棍をずらしながら受け止める。
「さすがにしつこ──!」
男は目を見開いた。眼前に飛んでくる手裏剣がある。今受け止めたはずの手裏剣。ならばと再び棍をずらして受け止めて、
「な……!」
またも眼前。三度、同じ位置に手裏剣がある。避ける間もなく、また受け止める。
またも眼前。受け止める。眼前、受け止める。眼前、受け止める。
眼前。眼前。眼前────
「何────!」
男は驚嘆していた。
あまりの早さに、ただ受け止めるしかできない。避けようとすれば手裏剣は追いかける。棍の防御を止めれば、その瞬間には眉間に手裏剣が刺さることだろう。
リリーの手裏剣は、ただ顔面、眉間をねらい投げてくるだけだ。
手裏剣を何度も、的を違わず正確に投げることは出来て当然の技。
だがそれを鼓動よりも早く、こうも素早く投げ続けるとは!
糸のごとき手裏剣の滝は、男へ降り注ぐ。
「だが、いつまで続くかな……?」
一分にも満たない、だが彼らには長すぎる時間。それだけでもリリーが投げ続けることは驚きだ。男としては拍手も送ってやりたいほど。
それだけの間に、男の棍にはびっしりと手裏剣が刺さっていた。
ずしり、と重みが加わる。この程度、男には気になるのものでは無い。だが、疑問に思わざるを得ない。
「どれだけの手裏剣を隠してやがったんだ────?」
棍に手裏剣を止める中に、男はあるものをみた。受け止めた手裏剣の一つ、その中に一つ、見覚えのある傷があった。
それは間違いなく、己が投げた手裏剣。
クク、と男は笑いをこぼした。
手裏剣を初めとする忍器の製造者が消えてしまった今、それに限らず刀も苦無も貴重だ。だから忍者はそれら忍器をできる限り拾い上げて再利用するのが一般的である。
実際男は余裕がある限り使った手裏剣は拾い上げるし、取りこぼした時は時を改めて拾い直すことも少なくない。
だから、傷に見覚えがあった。
だがリリーは、戦闘中にやってのけた。あれほどに息をあげて無茶をして、上手の相手に気取らせず!
「見事……!」
男は笑う。
リリーはそれを聞いたかどうか、手裏剣の動きが変わった。
糸状のラインは傘のように広がった。首や脳天にとどまらない、全身の急所を一気に狙うラインだ。
「ぬぅん!」
男は気合いと共に棍を回し、手裏剣を全て打ち落とす。一気には一気。少しでもタイミングが狂えば、棍を抜けた手裏剣が深々と急所に刺さるだろう。
そして第二波。再び棍を振るい手裏剣を打ち落とす。
さらに棍を二回転して、男は止めた。
見れば、そこには血痕しか残されていなかった。リリーはすでに消え去っている。
「あの幼さで、こうもやってくれるか……殺せなかったのは、惜しいな」
「しかし────」
────なんと忍者にふさわしくないのだろう。
地面に落ちた手裏剣に囲まれ、男は空を見上げていた。
風が吹く。優しく包み込む、されど冷たい風。
次の瞬間には、男も手裏剣も、すべて消え去っていた。
血を流すガードマンの亡骸だけが、後に残る。
ーーーー
針葉樹林のなかに、湖畔があった。その水面は月光を鮮やかに写し、静かに凪いでいる。
そのほとりのロッジの窓辺で、ワインを嗜む壮年の男がいた。
真っ白な髪と骨ばった体は、男の限界が確かに近づいていることをゆうに語る。しかしその心魂はまだしぶとく熱を放ち、瞳はよどんだ熱に揺れていた。
仕事を終えたばかりなのだろうか、傍らのパソコンはいまだこうこうとひかりを放っている。仕事終わりのかすかな息抜きか、ワインを揺らし、香りを堪能していると、現れた気配に眉を上げた。
背後に人影が現れ、男にかしづく。壮年の男は振り向きもせずに声をかけた。
「来たか」
「はっ。依頼、完了しました」
答えたのは、リリー。
男がそっと差し出した手に、データチップが置かれた。それは、リリーがデータベースに差していたもの。
男はおもむろにパソコンにチップを差し込むと、あふれるデータを眺め始めた。
数々の文書、写真、動画記録。
満足したのか、男はしっかりと頷いた。
「確かに、頼んだ通りだな。コーディネイター違法研究の証拠、よくぞつかんでくれた。これなら───」
その顔はほころび、笑みを浮かべている。
調整者(コーディネイター)。その名を知らないものはこの世にいないだろう。
ある遺伝子改変技術を受けて産まれでた人々の総称だ。優勢な遺伝子を組み合わせて調整(コーディネイト)された人々に、自然のまま生み出された自然人(ナチュラル)は恐れることが多い。
時には人と認めなかったり、旧世の魔女狩りもかくやというほどの迫害も起きる。
あの研究施設も、そのような一派が密かに作り出したものだった。
遺伝子調整には免疫系や風貌、能力など多岐にわたる。強靱な肉体や免疫は、無茶な臨床試験や人体実験にさぞかし役立ったことだろう。
「ああ、そうだ。報酬は送っておこう……」
男は身をよじらせて背中を丸め、笑いをこらえるのに精一杯の様子。
「この一大スキャンダル、あの男をゆするには十分だ」
先のことを想像してか、体の揺れは一段と大きくなってくる。
「ところで、だ」
男はこらえた笑いに身をひきつらせながら、言った、
「君も、コーディネイターだろう。何か感じ入るものはないのかい? 」
「───いえ、私は任務をこなすのみ」
ただ、そう答えた。
依頼は依頼だ。依頼の中身に忍者は関与しない。その一線を越えて依頼主に干渉するのは、差し出がましい、余計なこと
男は鼻を鳴らす。体の揺れも収まった。リリーの返答に興がそがれたのか、ひらひらと手を振った。
「今日はもういい。ご苦労だったな」
「もったいなきお言葉。では、失礼します」
その言葉が終わる頃には、リリーの姿はどこにも無い。
一人になった男はようやく、身を翻して笑いをはじけさせた。
欲に塗れた笑い声が、湖畔に響く。それを聞くのは、静かに輝く月。
そして遠く、樹の先から見つめる少女の影───
ーーーー
広がる森のてっぺんを、月明かりに照らされてリリーは駆ける。
取り出した端末を覗くと、少し眉をひそめた。
「次の依頼……まだ来てないか」
端末を閉じ、その走りを一層早める。風が吹かれて、森の闇へと消えていった。
世は
果ては宇宙のコロニーにまで人は住む。安寧な人の世に寄り添うように、影はそこにある。
その技、修羅のごとく。その瞳、菩薩のごとく。
駆けること、光のごとく。生きること、影のごとし。
その名は『忍者』
リリー・ザヴァリー。彼女もまた、その一人。
【リリー・ザヴァリー】
VS ASTRAYに登場する少女。コーディネイター。
VS ASTRAYはDESTINY直後の時系列だが、そのときで12歳である。