扉に手をかける。思い切り握った取っ手がぐにゃりと曲がるのを見て、霞は手を離すとそれに向かって思い切り回し蹴りをした。吹き飛ぶどころか砕け散ったそれを見ることなく、彼女は特異課の部屋へと足を踏み入れる。
「あら、随分と豪快な入室ですね」
「マーガレット……」
クスクスと笑う金髪の少女を一瞥し、そのまま視線をぐるりと回す。立っているのは、彼女と、怪しい男と、吊り下げられた死体の三人。それ以外の部屋の住人で動いているものは見当たらなかった。
「特異課の人達は……?」
「さあ? 私がここをどうにかしたわけではないですから」
「わざわざここに来ておいて何を!」
詰め寄り、マーガレットの胸ぐらを掴む。ぐ、と苦しそうな顔をしたのを見て、霞はその表情を更に険しいものに変えた。どの面下げてそんな態度を取っている。そんな思いを口には出さず、しかし態度で示すかのように手に力を込めた。
その瞬間、彼女の体は横薙ぎに吹き飛んだ。壁に激突し、しかし出来損ないの空間であったために突き破り外へと投げ出される。ごろごろと廊下を転がる彼女を見て、それを行った犯人である男は口元を三日月に歪めた。
「まったく。俗人が何を偉そうにしているのやら」
そう言いながら男はマーガレットに近付く。お怪我はありませんか、と尋ね、彼女が笑顔で首を縦に振るのを見て同じように笑みを浮かべた。
そのまま笑顔で男は彼女に話し掛ける。それは自分の魔法理論であったり、既存の組織に対する侮蔑の言葉であったり、己は間違った世界を正す存在であるという宣言であったりした。
「そのためにも、是非とも貴女の技術を教えていただきたいのです」
「あらあら。随分と熱心な勧誘ですこと」
そう言って微笑んだマーガレットは、そこで視線を吊り下げられた死体に向ける。この間の『粗品』の少女の姿をしたそれは、最初に贈呈された時よりも随分と綺麗に整えられている。修繕したのですか、という彼女の問い掛けに、男はええ勿論と返した。
「これだ、と決めたものを送らねばと奮発しました。妥協をすることなく、もう一度同じものを用意するため少しばかり苦労しましたが」
「ええ。よく出来ていますね」
微笑みを湛えたままそう述べるマーガレットを見て、男はその笑みを更に強くさせた。貴女にそう言ってもらえるとは光栄です。そんなことを言いながら、彼は『粗品』を彼女へと贈呈する。
「ありがとうございます。心ばかりの品を、確かにいただきました」
す、とそれを受け取ったマーガレットは、『粗品』を上からゆっくりと眺める。視線を男から外し、違う場所を見る。
「――では、もう、特に用事はありませんね」
「は?」
男が怪訝な表情を浮かべるのと、腹に衝撃が走るのが同時であった。もんどり打って倒れる男を見ることなく、マーガレットはそれをした人物に声を掛ける。
「カスミ。戻ってくるのが遅いですよ」
「やかましい! アンタがその娘を受け取るまで待ってたのよ」
「あら、優しいのね」
「……そんなんじゃない」
ふん、と鼻を鳴らすと、霞は背負っていた竹刀袋の紐を緩めた。中身を取り出せるようにし、立ち上がる男を睨み付ける。
痛む腹をさすりながら、男は憤怒の表情で霞を見た。ただの人間の分際で、と吐き捨てるように述べると何かを呟いた。
「《我が愛しき、美しき魔女よ》」
机の影から何かが立ち上がる。それが何なのかを認識した霞は、先程とは別ベクトルの感情で男を睨んだ。マーガレットに似た何かが男の命令で動き出すのを見て、思わず彼女は一歩下がった。
「人形の加工技術は中々ですね。この『粗品』も、火葬されたのにも拘らずここまで再現するとは」
「言ってる場合!?」
「勿論」
マーガレットは変わらず笑みを浮かべたまま、頑張ってくださいと無責任な応援を霞に与える。自分で何かをするつもりは一切ないというそのスタンスを見て、彼女はこの野郎と頬をひくつかせた。
「マーガレット! アンタね――」
「ほら、来ましたよ」
マーガレットのようなそれが霞の胸に刃を突き立てんと腕を振りかぶっている。慌てて持っている竹刀袋を眼前に掲げると、互いがぶつかり合ってギャリギャリと音を立てた。人の姿をしているが、明らかにその構成物は人ではない。竹刀袋が千切れ飛ぶのを見ながら、彼女は腰を落とし押し戻すように足に力を込めた。
「貴様――」
「ああもう。入れ物破れちゃったじゃないの」
半分ほどになったそれを投げ捨てると、霞は顕になったそれを正眼に構える。日本刀、と呼ばれる形状の武器を構える。
そうしながら、ああそうそうと男に向かって声を掛けた。さっきから人のことを散々貶してくれたが、と目を細める。
「アンタ達みたいなのをぶっ倒すための資格持ち。『解決人』よ、わたしは」
ちりん、と首に下げていた鈴を鳴らしながら、霞はそう言って口角を上げた。
はん、と男は鼻で笑う。『解決人』だと名乗った霞を一瞥し、馬鹿にするように、見下すように口角を上げた。
「『魔法使い』のような、大多数に通用する名前を持たない弱小集団が寄り集まってようやく固有名詞を得た有象無象如きが、偉そうに」
男の言葉に呼応するように、マーガレットのようなものは再度刃の生えた右腕を構え、霞に向かって突っ込んだ。男と同じような表情が浮かんでいるわけではないが、しかし彼女はそれを見て顔を顰める。
理由は至極簡単なことで、相手の顔そのものが気に食わないだけである。
「マーガレットみたいな顔してるのが、悪い」
突き出された右腕を刀で受け止め、そのまま捻るようにして切断した。手首を飛ばされた右腕は、しかし武器でいうならば刃先が少し無くなったに過ぎない。マーガレットのようなものは、霞のその動きに構わず追撃のために残った部分を横に薙いだ。
その拍子に切込みを入れられていた部分が裂けた。肘と二の腕の辺りで輪切りにされた右腕が、勢い余って横に飛んでいく。当然霞にそれが当たるはずもなく、空間の広さも歪み始めた特異課の机に当たると纏めて潰れた。
「酷いじゃないですか。私の姿をしたものをそんな」
「だったら本物をぶった斬ってもいいのかしらね?」
「おお怖い。そんなことを言われたら、怖くて震え上がってしまいます」
すすす、と自然に霞と距離を取る。本物のマーガレットのその行動を見ることなく、彼女は一歩前に出ると男の創った偽物の胴を薙いだ。ぱくりと服に覆われた双丘が上下に裂け、それより上の部分がバランスを崩して下に落ちた。ぐしゃ、と音が鳴り、粘土細工を叩きつけたように粘性の高い染みが床に広がる。
「何よ。アンタ、これすらこんな出来損ないなの?」
「随分と脆いようですね」
「本当よ。……ちょっとマーガレット、アンタが貰った『粗品』はどうなの?」
「答える必要は無いと思いますよ」
ち、と霞は舌打ちする。言いたくない、という意味ではないだろう。隠してなどいないだろう。
つまりは、自分の思った通りの状態だということだ。
「マーガ――」
「んあ? もう暴れてんじゃん」
振り向き声を掛けようとした矢先、のんびりと歩いてきたらしいフィリアが到着した。歪み、広がった特異課だったのであろう部屋を眺め、胸から下だけが立ち尽くしているマーガレットだったものを視界に入れる。やる気のなさそうな言葉を吐いた後、それらを見てから改めて呟いた。
「ひっでぇなー。大丈夫なん?」
「見ての通りよ」
「ぜんっぜん大丈夫じゃねーわけね」
あーあ、と肩を竦めたフィリアは、とりあえず残っていたマーガレットだったものの下半身を蹴り飛ばした。横にある机にぶつかり、ぐしゃりと何かが潰れる嫌な音がする。それを見て霞と同じ感想を抱いたのだろう。視線をマーガレットの隣に置いてある『粗品』に向けた。
「ガレット」
「はい?」
「それ、どうする?」
「……さて、どうしましょう?」
マーガレットは笑みを崩さない。クスクスと口元に手を添えながら笑いそしてその指をゆっくりと『粗品』に近付ける。その顔にそっと触れると、これ以上は駄目だと言わんばかりに手を離した。
「
「見た目だけはしっかりしてんのね。んで、他は?」
「見ていられない。特に強度は大問題」
そう言って溜息を吐き肩を竦める。本当にこれで自分が喜ぶと思ったのだろうか。そう続けながら自身の腰にあるポーチに手を掛けた。
「ガラス細工ならば手放しで褒めました。粘土細工ならばまあ、評価はしたでしょう。……砂の塊を手渡しされるとは、思ってもいませんでした」
おかげで受け取るのに苦労した。ゆっくりと頭を振ったマーガレットは、そういうわけなのでと男の方を見もせずに言葉を紡ぐ。お前と話すことなど何も無い、と切り捨てる。
ポーチから取り出した手袋をはめた。まるで手術を開始する医者のようにその手を掲げると、『粗品』の顔を両手で包み込むように触れる。至極あっさりと、それだけで『粗品』は首がもげ頭が彼女の両手に収まった。
「出来るだけ残してあげようかと思いましたが、これは無理ですね」
「全部作り直す気?」
「それ以外に方法はないでしょう。……ねえ、霞?」
「あによ」
笑みを浮かべながら向けられたその視線を受け、霞の表情は曇っていく。何か文句あるのか、と言わんばかりのその顔を見て、マーガレットは笑みを一層強くさせた。
予め敷いておいたシートの上に頭をそっと置く。ポケットから布と小さな刃物を取り出すと、それらを置いた頭に近付けた。
「うし。向こうは問題なさそう」
「……そうね」
「何拗ねてんの?」
「拗ねてない!」
「はいはい。んじゃ拗ねてないカスミちゃんには、あれだ」
ほれ、と向こうを指差す。会話においていかれ、そして自分が用意した『粗品』をほぼ全否定された男が、そこでようやく我に返っていた。怒りに顔を歪め、ふざけるなと叫んでいる。呪文らしき言葉を紡ぎ、人の姿をした何かを数体生み出していた。特定の誰かである、という判断は霞には出来ない。知らない人物か、あるいは存在しないものなのだろう。
「さっきはマーガレットだったのに、心変わりが早いのね」
「黙れ。あんな物の価値も分からん女を模すなど、耐え難い屈辱だ」
「……ま、嫌な奴だしわたしもアイツ嫌いだけど」
さっきの評価は合ってるだろうな。口には出さずにそう続け、霞は刀を中段に構えると人形の何かに一足飛びで近付く。そのまま横に刃を振るい、一体を真一文字に両断した。先程のマーガレットのようなものと同じように、あるいはそこいらの机のように、上下に別れたそれはべしゃりと原型を留めない染みに変わる。
「カスミも随分人殺しに慣れたもんだ」
「慣れるかっ! 人は、殺せないわよ」
「あっそ。そこら辺はやっぱ手慣れてるミナヅキの方が一枚上手かねー」
「人の兄を殺し大好きみたいに言わないで」
そう言いながらもう一体を縦に切り裂く。本当に脆いなこいつら。そんなことを思いつつ、別の一体を蹴り飛ばした。隣りにいた人形の何かとぶつかったそれは、その衝撃で形が崩れ混ざりあった気持ちの悪いオブジェになる。
切り裂かれた二体とは違い、それらはまだ動けるらしい。二人の人間がミックスされたようなそれが、腕と認識するのも難しい部分を振り上げ彼女を潰そうと襲い掛かった。
フィリアはそれを眺めながら、それらの呪文の主であり今回の事件の犯人である男へと足を進める。霞を心配している様子は欠片もなく、むしろ野次を飛ばす始末だ。
男は近付いてくるフィリアを見て思わず肩を震わせる。得体の知れない相手に驚きを隠せない様子を見せる。が、それを押し留めたのか、すぐさま表情を余裕そうなものに変えると彼女を見下すように笑った。あんな連中と共にいるような存在など、自分の敵ではない。そんなことを言いながら呪文を紡いだ。
「ん? 出来損ないの人形以外もやれるんだ」
「ほざけ!」
会話から判断する限り、目の前の相手は曲がりなりにも魔法使いなのだろう。だが所詮それだけ。自分の記憶にこんな女はいない。ならば、精々無名の二流だろう。そう判断した男は確信を持って呪文を放つ。先程霞を吹き飛ばしたそれを、殺傷能力を高め、撃つ。
「ま、でも《そこに撃っても当たりませんわ》」
バン、と机が一つ吹き飛んだ。フィリアのいる場所とはまるで見当違いのそこへ着弾したことで、男は思わず動きを止める。どういうことだと目を見開くと、今度こそと狙いを定め呪文を放った。
が、それらことごとく狙いが逸れる。否、狙っていても実際に当たる場所は別になっている。
「な、何が起こっている!?」
「は? いやいや、ちょっとそれマジで言ってる?」
「何を……」
「え? 何お前、ひょっとして呪文構築からしてへっぽこなわけ?」
うわ、と若干引くような動きをしたフィリアは、ガリガリと頭を掻くとどうしたもんかと天を仰いだ。説明するのもいいが、それはそれでとても面倒くさい。代わりに誰かやってくれないかな、と視線を動かすと、混ざった気色悪い物体を細切れにし終わった霞の姿が見えた。ちょいちょい、と彼女を手招きすると、怪訝な表情で駆け寄ってきた彼女の肩を掴む。
「カスミー、ちょっと呪文の説明して」
「何でよ!?」
「いやだって、こいつ呪文の使い方が本に乗ってる文章そのままなんだよ。って、あー、そういうことか。だから人形も見た目はそれっぽいのか」
「一人で納得してんじゃないわよ。てか分かったんならもういいでしょ」
「やだ」
「…………魔法使いの呪文とは、文章である。『そうである』、『そうなる』ために、そこに力を乗せ言葉を紡ぐ。火を生み出したくば、『そうなる』ための文章を。空を征きたくば、『そうである』ための文章を」
「うわ、かったい説明」
「だったらやらせるな!」
がぁ、と叫んだ霞の頭をぽんぽんと叩きながら、フィリアはまあそういうわけだと男に向き直る。どうでもいいが、霞の方が背が高いので手を高く上げたため非常に間抜けであった。
一体何を言っているのだと男は述べる、そんなことは分かっていると続け、だから呪文を使っているではないかと表情を歪めた。
「知ってる割には、文章出来てねーじゃん。お前のそれ、魔導書とかに乗っていたのそのまま使ってるっしょ」
「だから何だ? そんなものは当たり前だろう」
「……ま、そーだね。とりあえずやってみるか程度の魔法使いは、それが当たり前だね」
「……馬鹿にする気か!」
「うん。つっても、別にそれ自体はいいんだけどさ。態度がなー、後調子に乗った魔導書の出来もなー」
馬鹿にしていない部分はどうやらなさそうである。霞もそれには同意するのか、やれやれと肩を竦めていた。
勿論男は納得出来るはずもない。二流が偉そうに、と吐き捨てるように述べると、再度呪文を紡いだ。フィリア曰く、本に乗っているものを理解せずにそのまま使った。
先程の焼き増しのごとく、それらの着弾点は狙った場所とは違う位置。何故だ、と顔を歪める男に向かい、本当に馬鹿だなぁとフィリアは告げた。
「だから文章なの。魔法の本質は文章。分かってないんだから、《少し、静かにしてくださいませんこと?》」
男の呪文詠唱が止まった。パクパクと口を動かしているが、そこから声が出ることはない。精々がヒューヒューという呼吸音程度だ。
「まあ多分言っても無駄っぽいし、あたしも飽きてきたから、そろそろ締めるかー」
そう言いながらコキリと首を鳴らしたフィリアの背後から声が掛かる。どうやらある程度作り直しを終えたらしいマーガレットが、椅子に座った少女の髪を梳きながら三人の様子を眺め微笑んでいた。
「もう、終わりにするのね。『
「んぁ? ん、そーだね」
フィリア、ではなくビブロフィリアと、彼女の異名を正式に述べたマーガレットに一瞬怪訝な表情を見せたが、すぐに意図を察して頷くと男に向き直る。隣ではもう知らんと呆れた表情で霞が溜息を吐いていた。
フィリアは男を見る。彼女を青褪めた表情で見ている男を見る。
「ま、そーゆーこと」
ニィ、とフィリアは笑った。ビブロフィリアと呼ばれる魔法使いは笑った。現存する魔法使いの中で、とびきり強力で、とびきり狂人と呼ばれた五人。その一人である少女は、笑った。
「ま、次があったら、もうちょい謙虚に生きな」
男の意識は、その言葉と同時に途切れた。
こんなもん、かなぁ……?