ポケモン二次創作短編集   作:rairaibou(風)

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まるでヌオーのようで

 初めて手にしたポケモンは、ダルマッカという他地方のポケモンだった。母が知り合いから譲り受けたタマゴを俺が孵化させた。暖かく、時折生命を感じるそれを、ばあちゃんのアサナンと一緒に布団にくるまって大事にさすっていた。やがて孵化したそいつは俺の一番の遊び相手になった。

 二匹目はゴクリンだった。妹相手にポケモンを捕まえてきてやると先輩風を吹かせた俺は、ダルマッカを連れて百十番道路に行った。だけど、俺もダルマッカも野生のポケモンとのバトルは初めてのことで、俺達は泣きべそをかきながら闇雲にボールを投げた、だけどそんなものでポケモンをゲットできるわけもなく。最後はポケモンコレクターのモトキ兄ちゃんに助けてもらって、なんとかゴクリンをゲットしたのだ。だけど妹はゴクリンを一目見て、プラスルかマイナンが良かったと泣きじゃくった。

 三匹目はビリリダマだった。キンセツシティのガキ大将になっていた俺はテッセン爺さんをうまく丸め込んで、友達たちと一緒にニューキンセツに忍び込んだ。

 その内の一人、マイクというやつが、モンスターボールが落ちていると言って、物陰に手を伸ばした。すると、バチンと大きな音がしてマイクはひっくり返り。火がついたように泣いた。それを見て友達たちはパニックになり、みんな走って逃げてしまった。物陰から続くバチバチという音と同じくらいに高鳴る心臓を抑え、ボールからダルマッカを繰り出した俺は、その物陰を覗く。

 そこにあるのは、確かにモンスターボールのように見えるが、ビリビリと震えるそれは、テッセン爺さんが俺に見せてくれたことがあるポケモン、ビリリダマだった。

 身構える俺とダルマッカ、更に震えるビリリダマ。その様子を見て、俺はダルマッカを制した。

 ビリリダマに、そっと手を差し伸べる。バチンと指先に痛みが走る。

「ツッ!」

 反射的に声が漏れ、ダルマッカが興奮したが、いいから、ともう一度制した。

「ゴメンな、驚かせちゃったね」

 ビリリダマは怯えていた。俺はこの時、自分よりも臆病なポケモンがいることを初めて知った。

「じゃあね、もう大丈夫だから」

 帰ろうと、ビリリダマに背を向けた時、ダルマッカが俺のズボンの裾を引いた。見ると、ビリリダマが、物影からこちらに出てきていた。

 その日から、俺はトレーナーになった。

 

 

 

 ホウエンチャンピオンロード。

 ポケモンリーグへの最後の関門であるその洞窟には強力な野生のポケモンが多く出現し、また、手持ちのポケモンと協力しなければ洞窟を抜けることができなくなっている。ジムバッジ取得に必要な所謂『バトルの知識』以外の能力が試されるため、バッジを八つ所持しているトレーナーであろうとも苦戦を強いられる。

 また、当然のことながらチャンピーンロード内のトレーナーたちはジムバッジを八つ所有している実力者である。自らこそが最も優れているトレーナーだと信じて疑わない彼等は、戦い、競い、糧にする。

 ホウエン中の才能が集い、戦う。この世で最もむき出しの弱肉強食、それがチャンピオンロードである。

 

 ホウエンチャンピオンロード一階、入り口からの光が僅かに差すだけの薄暗い場所で、男と女のトレーナーが対峙していた。何も珍しいことではない。目と目が合っただけで戦うことすら、彼等には日常だ。

 落ちついているのは男のほうだ。ふう、と一つ息を吐いて、ボールを手に取る。

 女の方は少しだけ息を乱していた、まだバトルは始まっていない、チャンピオンロードのトレーナーがバトルの前に取り乱すのは珍しいことだった。

 女がボールを投げたのを見て、男もボールを投げた。先鋒の繰り出しを遅らせると大きく不利になる、出掛かりを狙われるからだ。

「シザークロス!」

 いざバトルが始まると、女の指示は鋭い。

 繰り出されたテッカニンが低く飛翔し、マルノームに攻撃を喰らわせる。

 マルノームの素早さではそれに対処することができず。悲鳴を上げ、吐出された液体がテッカニンを濡らした。

「胃液ね」

 女はマルノームが吐き出したものがただの体液ではないことを素早く察すると、テッカニンをボールに戻した。

 バトンタッチでスピーディーな展開に相手を引きずり込み、強化されたポケモンで勝負を決める。洞窟という薄暗い環境も相まって、女の戦術は単純だが強力。

 その戦術の一端を担うのが、飛べば飛ぶほどスピードが加速するテッカニンの特性であったが、マルノームの胃液によってその特性が消された今、テッカニンに役割はない。男はマルノームの体力と引き換えに、相手の戦術を消した。

 女がポケモンを繰り出すと、男はそのポケモンの姿があらわになる前にマルノームに指示を出した、出掛かりの無防備な一瞬を狙う。

「あくびだ」

 繰り出されたポケモンに向かって、マルノームがあくびした。即効性こそ無いが、相手の行動を縛るには十分な技。催眠術のように無理やり眠らせるのではなく、相手を自ら眠らせる技なので成功率も高い。

 女が繰り出したのはチャーレム、自らが戦うこともでき、バトンタッチで後続に引き継げる器用なポケモンで、ビルドアップや自らのツボを突くことによって能力を上昇させることもできる。

 しかし、あくびによって行動を縛られた。ぐっ、と女は声を漏らして、チャーレムをボールに戻した。

 男もマルノームをボールに戻す。女の次のポケモンを考えるとこいつがいいだろうと、ボールの中で一番傷ついているものを手に取った。

 男と女はほとんど同じタイミングでポケモンを繰り出した。

「ぶっ潰しなさい!」

 繰り出されたのはボスゴドラ、その咆哮が金属の体に反響し、地面を揺らした。

 男は小さな彼女と大きなボスゴドラのコントラストに驚いた日を思い出していた。

 男のポケモンはヒヒダルマ、もう一匹のマルマインで戦局を安定させることも考えたが、この選択のほうがお互いに遺すものがないだろうと考えていた。

「諸刃の頭突き!」

 ボスゴドラの頭が振り下ろされる、ボスゴドラを繰り出すまでは丁寧に戦局を整えようとするのに、ボスゴドラを繰り出すと急に彼女はせっかちになる。

 石頭なボスゴドラが繰り出す諸刃の頭突きは驚異的ではあるが、バトンタッチによる能力上昇が無い、ヒヒダルマの素早さでも十分にかわせる。

「ころがる」

 丸い体を活かして、ヒヒダルマはボスゴドラの頭を潜り、腹の方に潜り込んだ。鋼鉄の頭が地面を砕く。

「オーバーヒート」

 ヒヒダルマが火柱を上げると、ボスゴドラの悲鳴、鉄と岩の体によって物理的な攻撃には強いが、熱などの特殊な攻撃に対する耐性は高くはない。

 前のめりに崩れ落ちるボスゴドラの体を、ヒヒダルマが支えた。

 

 

 

「そっか、勝てなかったか」

 申し訳無さそうに頭を垂れるボスゴドラを撫でながら、女はつぶやいた。

 男はヒヒダルマをボールに戻して、彼女に歩み寄る。

「相性と、時の運だよ」

 それは半分が事実であり、半分が嘘であった。彼女の戦術と、マルノームの戦い方の相性が悪いことは事実である。しかし、彼女はそれを――男が自らの戦術を知っているということ――知っていながら戦術を変えなかった、否、変えることが出来なかったのである、チャンピオンロードでそれを『時の運』として片付けてはならない。

 それは、どちらもわかっていた。

 彼女はボスゴドラに体を預けながら「思い出すわね」と目線を上げた。わずかに差し込む光源が、彼女に瞳に輝きを散りばめた。

「最強だと、信じていた。私とこの子は、最強なんだって。このチャンピオンロードでリョウヘイと戦うまではそう思ってた」

 男、リョウヘイは何も返さない。

「あなたに負けた後も私達は信じていた。この地で特訓すれば、いつかあなたに勝てるって、あなたにだって勝てる、その次は四天王、そしてリーグチャンピオンにだって」

 彼女は顔を背け、ボスゴドラの腕を引き寄せた。リョウヘイから表情が見えないように顔を背ける。

「でも、駄目だった。あなたと何度戦っても、その度に負ける。特訓しても、特訓しても」

 それは、特訓が足りないからだ。なんて無責任な言葉を言えるわけなかった。リョウヘイの知る限り、彼女は目一杯に特訓していたし。初めて手を合わせた頃に比べると格段に強くなっているのは事実だった。

 何を言えば、彼女を悲しませずにすむのか考えた。だが、何も答えは出てこない。バトルの前の彼女の雰囲気からある程度は予測してはいたものの、彼女が負けた後にここまで悲壮感を出すのは初めての事だった。

「私ね、妹がいるの」

 へえ、とやっと言葉を返す。

「八つ下の妹でね。私みたいにカッコイイトレーナーになりたいっていつも言うの、私は駄目なお姉ちゃんね。じたばたともがいて、もがいて、そして、負けて。こんな姿、あの子には見せられない」

 ここがチャンピオンロードでなければ「その努力は無駄じゃない」とか「強くなることだけがトレーナーではない」とか、そういう慰めの言葉を掛けることができただろう。しかし、このチャンピオンロードという地はただひたすらに強さだけを求める場所、勝利することだけに意味がある場所だ。

「チャンピオンロードから出て、家に帰ろうと思うの」

 リョウヘイは「そうか」としか返すことができない。戦う前の彼女の表情から、そう言われるであろうことはわかっていたのに。

「トレーナーは続けるけど、チャンピオンを目指すのにはもう疲れちゃった」

「うまくやっていけるさ、君は強い人だから」

 それは間違いなかった。本心だった。彼女は強い、強いことだけは間違いなかった。しかし、この地ではそれだけではダメなのだ。

「そうね、一番ではなかったけれど」

 沈黙。

 チャンピオンロード、ホウエン中の腕自慢が集い、競いあう場所。その先にはポケモンリーグがあり、その先にはチャンピオン。たった一つ、たった一つだけのホウエン最強の称号。

 その為にはまず、このチャンピオンロードで一番にならなくてはならない。そうしなければ、ポケモンリーグに挑戦する意味が無い。

「あーあ。くやしいなあ」

 ボスゴドラをボールに戻し、袖で顔を二三度拭いてから、小さく、小さく彼女はつぶやいた。

「ねえリョウヘイ。もっとこっちに来てよ」

「ああ」

 彼女そのすぐそばに寄る。彼女はリョウヘイのジャージの裾を掴んで、彼にだけ聞こえるように言った。

「ねえリョウヘイ。泣いてもいい? 私、おもいっきり泣きたい。この子たちや、家族の前で泣くのが馬鹿らしくなるくらい。おもいっきり泣きたいの」

 リョウヘイはそっと彼女から目を背けて、ああ、とだけ言った。

 そして、チャンピオンロードからまた一人、強者が消えた。

 

 

 家族で一番強かったのはばあちゃんだった。

 なんでもばあちゃんが一目惚れした人がべらぼうに強かったらしく、その人に近づこう近づこうとして、自らもトレーナーになったらしい。ばあちゃんは当時の女性トレーナーとしては才能があったほうらしく、メキメキと頭角を現し、やがて彼と対面することになった。

「でも、もうその時にはその人のことなんて、もうどうでも良くなっちゃってたのよねえ。それよりも、どうやったら目の前の、あの生意気でいけ好かない奴を泣かせることができるだろうって、考えてたのよ。ま、今でも友達だけどね」

 とばあちゃんはよく笑ってた。「戦いって、怖いわねえ」と。

 ばあちゃんは俺を大層可愛がった。戦いのいろはを教えてくれたし、俺がバトルに勝つと家族の中で一番喜んでくれた。

 だけど、初めてばあちゃんに勝ったその日、ばあちゃんは一瞬だけ俺を睨んだ、そのすぐ後にいつもの様に笑っていたけど俺はあの顔を一生忘れることが出来ない。

 負けるということは、トレーナーにとってそういう事なんだろうと思った。

 

 

 彼女がチャンピオンロードを去ってから、リョウヘイは野生のポケモンを相手に特訓を続けていた。チャンピオンロードには他にもトレーナーが居たが、リョウヘイは彼等と特訓する気はなかった。リョウヘイから見れば彼等はどこか不真面目で、自分と比べるとズレていると感じていた。

 ある日のことだ、何時もはスプレーが切れるとちょっかいを出してくるズバット達が、今日は全く姿を見せないのだ。リョウヘイは胸騒ぎがした、それはつまり、また別のところに。ごちそうを見つけているということだった。

 リョウヘイには心当たりがあった、全くありえないことではないのだ。トレーナーとトレーナー、整備されたルールで指示を出すだけのバトル、相手を殺さずとも戦闘不能にさえすれば得られる勝利、それが通用するのは相手が人間であるときだけなのだ。野生のポケモン相手にルールは通用しない、野生のポケモン達は殺すか殺されるかという恐怖に支配され、人間側がそこに踏み込むのだ。

 そのギャップに対応できないトレーナーが居ることもある、もしくはそれまでの脆弱な野生のポケモンと、チャンピオンロードのポケモンを同列に見ているトレーナーも居る。最近はスプレーも低価格になっており、それを体に吹きかけ続けるトレーナーも少なくない。

 チャンピオンロード入り口に近づくと、一人のトレーナーがズバットの大群に襲われていた。

 トレーナーはチルタリスとエルレイド、更にはレアコイルを繰り出してズバットの大群に抵抗していた。

 リョウヘイはひと目でポケモン達の強さを理解した、なるほど、ポケモン達は鍛えられている、すでにチャンピオンロードのポケモン以上であろう。

 しかし、問題なのはトレーナーの方だ。勿論、あれだけのレベルのポケモンを従えることができるのだから、才能あるトレーナーなのだろう。しかし、問題なのはそこではない。ズバットが自らを襲うことに動揺し、ポケモン達に的確な指示を出せていない、明らかにここでの戦いに慣れていないのだ。

 リョウヘイはボールからマルマインを繰り出し「でんげきは」と叫ぶ。

 マルマインは体から電気を放出し、それは器用にトレーナーとそのポケモン達を避けて、ズバットの大群を蹴散らした。

 開放され、地面にへたり込むトレーナーに、リョウヘイは駆け寄った。

「おい、大丈夫か?」

 少年、とは言ったものの、そのトレーナーはリョウヘイから見れば随分と幼かった。マスクで口元を覆っていたが、息は荒れ、笛のように喉が鳴り、時折むせ返るように咳き込む、汗ばんだ前髪が額に張り付いていた。

 少年は途切れ途切れながらにリョウヘイに感謝の言葉を述べると、懐から何か筒のようなものを取り出し、マスクをずらしてそれを吸った。

「おい、お前、病気持ちか?」

「大丈夫、大丈夫です。大したことじゃないです」

 少年は何度か息を整えてから立ち上がり、ポケモン達をボールに戻した。リョウヘイに比べると幾分か背が低かった。

「ありがとう、ございました」

「噛まれたか?」

「いえ、なんとか」

「それは良かったな。俺はリョウヘイ、ここは結構長いからわからないことがあればなんでも聞いてくれ」

 リョウヘイが差し出した手に、少年も反応する。

「僕はミツルと言います」

「そうか。ミツル、悪いことは言わない、これからはスプレーを使え。金がねえわけじゃねえだろう?」

「いえ、使うわけには行きません」

「そうは言ってもな」

「僕は、強くなりたいんです。バトルだけじゃなく、人間としても。だからここに来たんです」

 大きく見開かれた瞳に、リョウヘイはどこか懐かしさを覚えた。その目は打算のない、真っ直ぐなものに思えたのだ

 ふう、とリョウヘイはひとつため息を付いた。

「と、言うことは。君はポケモンリーグ挑戦ではなくて、特訓するためにここに来たんだな?」

「はい!」

「そうか、それなら、俺と一緒に特訓しよう。俺もちょうど、パートナーを探していたところなんだ」

 こうして、リョウヘイとミツルは、互いに協力して特訓することとなった。

 

 

 ジムバッジと言うものは、とんでもなく取得が難しく、自分ではとても取得することなんて出来ないと思っていた。

 ばあちゃんに半ば無理やりキンセツジムに挑戦させられた時は、嫌で嫌で仕方がなかった。けれど、ひとり、またひとりとジムトレーナーを倒していく度に、もしかしたらジムというものは大したものじゃないんじゃないのかと思うようになってきた。

 テッセンの爺さんについてはよく知っていた。俺たち悪ガキの総大将みたいな人で、何時も訳の分からないからくりを作っては豪快に笑っていた。俺達はテッセンの爺さんを尊敬こそしていたが、恐怖なんて感じたことがなかった。

 だが、それはポケモンバトル外の話だった。ジムリーダーとして向き合ったテッセンの爺さんはとても大きく、そして強かった。ばあちゃんより強いと思ったのはあの人が初めてだった。

 俺達は戦った。必死に戦った。気づけば、テッセンの爺さんのライボルトが倒れていた。

 テッセンの爺さんは豪快に笑って、俺にダイナモバッジを手渡した。友達も、友達も友達も、ジムバッジを持っている奴なんて居なかった。

 ばあちゃんは喜んだ、父さんも母さんも喜んだ。俺はそれが、とてつもなく嬉しかった。

 

 

 

 リョウヘイが思っていたとおり、ミツルは才能あるトレーナーだった。まだ完璧とはいえないものの、数日としないうちに彼は野生のポケモンのあしらい方に慣れ、スプレーやリョウヘイのサポートの必要がなくなった。そうなれば、次はバトルの特訓である。

 ある日、ミツルはリョウヘイに聞いた。

「そういえば、リョウヘイさんは何時もどこで寝ているんですか?」

 チャンピロンロードの麓にはポケモンセンターが設立されている。このセンターは通常のものと違いトレーナーの宿泊スペースが多めに設定されており、ミツルを含めチャンピオンロードで修行しているトレーナーたちの多くはそこを拠点としていた。

 しかしミツルはそこでリョウヘイを見たことがなく、何時も不思議に思っていたのだ。

「センターには居ませんよね?」

「ああ、センターで寝泊まりするのは嫌いなんだ。あそこにはプライバシーが無いからな」

「でもあそこ以外で寝泊まりできる場所なんて無いでしょう?」

 リョウヘイはニヤリと笑って「それがあるんだよ、まさにピッタリの場所がな。なあ、ミツル。お前のチルタリスは空を飛べるよな?」

 

 

 

 チャンピオンロード、地下一階層。僅かな光しか入らず、ポケモンの光に頼らなければすぐ先も見えないそこを進むと、巨大な地底湖にたどり着く。

 ポケモンの力を借りてその地底湖を進むと、わずかだが光が指していることに気づくのだ。そして、光が指す方向に向かうと。

「うわぁ」

 ミツルは感嘆の声を上げた。

 チャンピオンロード地下一階層の出口を抜けると、そこはホウエンの海が一望できる広い崖であった。

 すぐ横をチャンピオンロードの滝が流れ落ち、それに飛び込む風が心地いい。夕日が水平線に半分ほど沈んでいる。

「こっちだ」

 リョウヘイは、一本生えている大きな木に向かった。その周りには小さな木が何本か生えており、それらはそれぞれ違った花を咲かせていた。

「これは」

 ミツルの質問に「ラムとオボン、一番右はキーだ」とリョウヘイは答え、大きな木から垂れているツルを手にとった。

「登れるか? 無理なら上にハシゴもある」

 ミツルはその大きな木が、ポケモンの秘密の力によって秘密基地になっていることに気づき、なるほど、と納得した。

「いえ、大丈夫です」

 ミツルはツルを手に取り、登った。

 秘密基地の中は、ミツルが思っていたよりも広く、豪華だった。草原を思わせる緑色のマットが敷かれ、ベッドも机もある。机の上にはランタンがあり、テントの中には寝袋があり、部屋の隅に置かれたいくつかの植木鉢には、これまた花のついた小さな木があった。壁の一部は窓のように空洞になっており、風が吹き抜ける。

「これをすべてリョウヘイさんが?」

 後から登ってきたリョウヘイにミツルが問う。

「いいや、俺が持ってきたのはあそこの植木鉢だけだ、デリケートな木の実を育てるのに便利だからな」

 妙なことだが、とリョウヘイは前置きして。

「ベッドは十年前のもんだし、マットは五年前のもんだ。趣味も違うし、おそらくそれぞれ違うトレーナーのもんだろう。俺が来た時には誰も居なかったから。ありがたく使わせて頂いてるけどな」

 窓、机、すぐ側には木の実を育てることが出来るふかふかの土。ポケモンセンターの宿泊施設とは比べ物にならない。

「どうだ、スゲーだろ?」

「はい、とても」

「寝袋は使ってないんだ、よかったら使っていいぜ」

 本当ですか、とミツルは目を輝かせた。リョウヘイはこの秘密基地の存在をこれまで誰にも教えていなかった。その場所はある意味で彼のテリトリーでもあった。しかし、この真面目で真摯な少年がこの場所を使うことに嫌悪感はなかった。

 

 

 

 

 テッセンの爺さんが、俺にヒワマキジムへの挑戦を薦めてきたのは、ダイナモバッジを取得してすぐの事だった。

 俺はまたジムバッジを取れば皆が喜ぶと思って、すぐにヒワマキへと向かった。

 ヒワマキジムリーダーのナギさんは美人で、穏やかな人だった。だけど、ナギさんの鳥ポケモンたちはみんな攻撃が鋭くて、ヒヒダルマがやられた時にはもうだめかと思ってしまった。

 だが、進化したばかりのマルマインは、鳥ポケモンたちよりも素早かった。俺はそれまで、マルマインのスピードを持て余していたが、この時、俺はようやくマルマインのスピードを手に入れることができた。

 がむしゃらに戦った後、俺の胸にはフェザーバッジがあった。家族は喜んだし、テッセン爺さんも喜んだ。

 その時俺は思った、もっともっと強くなろうと。ジムを回ってバッジを集めて、ポケモンチャンピオンになろうと、そしてそれは、そう難しくないことなのかもしれないとも思っていた。

 

 

 

 

 ミツルは強い、リョウヘイは確信していた。

 すでにチャンピオンロード内のトレーナーを圧倒するまでになっているし、手合わせの時もこちらの想像を超えてくる。

 まだギリギリ自分がまさっているか、もしくは。

 特訓を終え、地底湖で軽い水浴びをした後、二人は早くも就寝の準備をしていた。

 相乗効果だろうか、最近は特訓の激しさが増し、リョウヘイもミツルもクタクタになっている。

「そういえば」

 何の気なしに、リョウヘイはミツルに「生まれは何処なんだ?」と聞いた。ベッドの上でまぶたが重くなるまでの時間つぶしのつもりだった。

 寝袋にくるまって顔だけこちらに向けたミツルは「トウカです」と答える。

「なら、最初のバッチはトウカか、きつかったろ」

 トウカジムリーダーセンリのあのケッキングを思い出して、身震いした。

「いえ、僕はトレーナーになる前にシダケの親戚の家にお世話になってたので、最初のバッチはダイナモバッジです」

「へえ」

 思わず声のトーンが上がる。

「俺もだ、偶然だな」

「リョウヘイさんもシダケにいたんですか?」

「いいや、俺はキンセツの生まれだよ。知ってるか? カチヌキ一家って」

 リョウヘイとミツルは、しばらくは地元の話で盛り上がった。二人で共に特訓をしていたが、このようにお互いのプライベートに踏み込むのは初めてだった。

 話題は次第にお互いにバトル遍歴についてとなって、そして。

「ミツルは、どうして強くなりたいと?」

 その質問に、ミツルはリョウヘイから目線を外して、しばらくじっと考えて「どうしても、勝ちたい人がいるんです」と答えた。

「それは、チャンピオンではなく?」

「ええ、違います」

 妙なやつだな、とリョウヘイは思った。そのために、ここまでの特訓をする必要があるのだろうか。

「強いのか?」

「ええ、とても」

「それなら、覚悟をしておいた方がいい」

 ミツルが「覚悟?」と問う。

「負ける覚悟だ」

 リョウヘイは二三度頭を振った。

「ここに来るトレーナー達は、勝ち続けた奴らだ。だから知らない、負ける事の怖さを」

 机の上のランタンに手を伸ばし、それを吹き消す。あたりは真っ暗になり、お互いの表情を消した。

「俺は、チャンピオンと戦ったことがある」

 ミツルは驚きを噛み殺して「チャンピオン」と繰り返した。

「ツワブキダイゴ。そう、ツワブキダイゴだ」

 体の節々が、睡眠を求め始めていた。しかし、頭は冴えている。あの時のことを思い出している。

「俺はチャンピオンロードを抜けた。だが、チャンピオンに負けた。惜しくもなんともない、惨敗だ。考えていなかった、負けることなんて」

 一息、間を置いた。

「経験から言う、必要なんだ、負ける覚悟が」

 ミツルは、何も答えなかった。しかし、彼は眠っているわけでもなさそうだった。

「何か思うところが?」とリョウヘイが問うと、すぐに「いえ」と返答。

「思っていることがあるなら、言ったほうがいいんだ、そのほうが楽だ」

 それなら、とミツルは前置きして。

「負ける覚悟をする意味は」

 そこまで言って、ミツルは言葉を切った。次に続けるべき言葉の選択に悩んでいるようだった。

「つまり、負けを恐れる必要は、無いのではないでしょうか。挑戦すること、戦うことに意味があるのであって、それに勝つ人もいれば、負ける人もいる。それを恐れては」

「若いからだ」

 リョウヘイがミツルの声を遮った。

「君はまだ若くて、負けることの恐ろしさを知らないから、そう思うんだ」

 それは、少し強い口調だった。これが結論だと、決め付けるような、強い口調だった。

 長い沈黙だった。それが結論だから、リョウヘイは何も喋らなかった。

 しかし、ミツルが口を開く。

「僕は、昔から体が弱くて、何にも出来ませんでした」

 リョウヘイは初めて彼を見た時の、あの光景を思い出して「肺か?」と聞いた。

「色んな所が、少しづつ弱かったんです。だから僕は友達と遊ぶことも出来なかった、友達が外で走り回っているのを見て、自分はあんなことをしたらすぐに咳が止まらなくなっちゃうから、とても出来ないと思っていました。それは実際にそうだったろうと思います。でも、今思えば、僕は挑戦もせず、負け続けていたんです」

 そこでミツルが声をつまらせるのを聞いて、リョウヘイは少しばかり後悔した。

「僕は良い空気を吸うために、シダケの親戚の家に行くことになりました。僕は友達たちと離れる寂しさを和らげるために、ポケモンを連れて行こうとしたけれど、一人で草むらに入る勇気がなかった。僕は自分の寂しさを和らげることすら、自分では出来なかったんです。だから僕はジムリーダーのセンリさんに頼んでポケモンを借り、センリさんのとこのモミジさんに見守ってもらってラルトスを捕まえました」

 リョウヘイはミツルの手持ちのエース格であるエルレイドを思い出した。

「それがあのエルレイドか」

「ええ、今でこそあんなに力強いですけど、ラルトスの頃は本当にか弱くて、僕は初めて、自分と同じくらいか弱い友だちを作れたんです。シダケに移り変わってからは僕の体調は良くなりました。空気が良かったのと、ラルトスと一緒だったことが大きかったと思います。そして、またモミジさんと会いました、僕はおじさんに自分たちがキンセツジムに挑戦出来るだけの強さがあることを証明するために、モミジさんとバトルをしました」

「どうなったんだ?」

「負けました。惜しくもなんともありません。圧倒的に負けました」

「その負けが、ショックじゃなかったのか?」

「ショックでした、僕とラルトスが力を合わせれば、誰にだって勝てると思っていましたから。だけど、それ以上に、嬉しくもあったんです」

「嬉しい、ねえ」

「モミジさんが強いトレーナーだって事はわかっていました、だってセンリさんの娘さんですから。だけど僕は、意外なほどあっさり彼女に挑戦したんです、以前の僕だったらきっと逃げていたでしょう。あの負けは、僕達が勝ち取った負けなんです。それに、僕達はもっと強くなれるんだと、思いましたから」

「どうしても勝ちたいトレーナーというのは、そのモミジって人かい?」

「ええ、今度こそ、僕が強くなったことを証明したいんです」

「そうか」

 リョウヘイはそう呟いて目線を上に向けた。

 すみません、と謝るミツルに「人それぞれさ、考え方はな。負けてそれをポジティブに受け取れるなら、それでいい」と答える。

「それじゃあ、寝ようか」

「ええ」

 一度寝ようと思うと、すぐに睡魔が襲ってくる。

 リョウヘイは視界が狭くなるのを感じながら「次も負けたら、どうすんだ?」とミツルに聞こえないように小さく小さく呟いた。

 

 

 

 

 認めたくなかった。

 倒れていくポケモン、通用しない戦術、防ぎきれない攻撃。

 それらが表しているのは、敗北にほかならない。

 敗北は、否定だった。今を否定、過去を否定、これかの未来を否定。何を間違えたのか、何が間違っていたのか、それらを修正することは出来るのか。

 チャンピオンと、なにか言葉を交わしただろうか。握手はしたのか。お互いのいいところ悪いところを語り合ったか。何も、何も覚えていない。

 目の前が真っ暗になって、センターでポケモンを回復させた後に、自分がそこにいるのだと気づいた。

 負けたくない。そう思った。

 もう二度と、負けたくない、と。

 

 

 

 

 リョウヘイの修行は、充実していた。

 それは、ミツルという有能なパートナーと協力しているからにほかならない。

 だから彼は、その幸福な時間が、もうすぐ終わることを想像できないでいた。

 いつものように朝起きて、身支度を整えて、修行に向かう。

 さあ、始めよう。という時に、ミツルが「リョウヘイさん」と、彼を呼んだ。

「あなたとの特訓のお陰で、僕は強くなることが出来ました。感謝しています」

「それは俺もだ、感謝されるようなことじゃないさ」

「いえ、リョウヘイさんには、感謝してもしきれません」

 ミツルはリョウヘイに深く頭を下げ、彼をじっと見据えて続けた。

「僕は、チャンピオンロードを抜けようと思います。その先で、モミジさんを待ちます」

 一瞬、ミツルが何を言っているのか、リョウヘイは考える必要があった。それほどに、彼はその言葉に動揺していた。

「まだ、特訓が必要だろう」

「いえ、もう十分です」

「何も焦ることはないだろう、そのモミジってトレーナーが来るまで待っててもいいじゃないか」

「いえ、僕はチャンピオンロードを抜けた先であの人を待ちたいんです」

 リョウヘイは、激しい感情のうねりを感じた。感情が何処から生まれるかは分からないが、それは彼の胸を突き上げ、頭に血を上らせる。

 何も不思議なことではない、ミツルは強い、それはリョウヘイだってわかっている。何も不思議なことではない、何時だってそうだったじゃないか、何時だって、自分はチャンピオンロードを去る者たちを、見送ってきたじゃないか。

 なのに、何故、何故。

「わかるか、ミツル」

 リョウヘイは、ベルトにセットされたモンスターボールに手をかけた。

「この道、チャンピオンロードを、抜ける。その意味が、わかるか」

 ミツルは、無言を返した。

「誰よりも強くなくちゃならないんだ。チャンピオンロードの誰よりも強くなけりゃ、ここを抜けることは出来ない。公式戦のルールで俺と戦うんだ。ポケモンを三体選び、全員が戦闘不能になれば負け。証明しろ。俺よりも強いと、そうしなければ、俺はお前がこの道を抜けるのを許さない」

 ミツルは、無言のまま腰のモンスターボールに手をかける。これから起こることが、今までの関係の延長線上ではないことはわかっていた。

 リョウヘイが、ジリリと下がり、距離を取る。お互いがボールを目の前に掲げたのを確認すると、同時にそれらを投げた。

 リョウヘイが繰り出したのはヒヒダルマ、ミツルはチルタリス。

 お互いに手の内は知っている。自らのエースであるヒヒダルマに対して有効なポケモンをミツルは持っていない。ハマれば、このままヒヒダルマで押しきれる。

「ちょうはつ」

 先手を取ったのはヒヒダルマ、特徴的な鳴き声と指の動きでチルタリスを挑発し、攻撃以外考えられなくさせる。厄介な自己強化技である『コットンガード』を封じ、テンポを握る狙いだ。

「戻れ」

 しかし、ミツルはチルタリスを戻し、新たにレアコイルを繰り出した。

 炎タイプのヒヒダルマに対して鋼タイプのレアコイルは悪手、だが挑発を打たれたチルタリスではキツイし、ここでエルレイドを繰り出すのは早計、捨て駒だとリョウヘイは判断。

「ほのおのパンチ」

 繰り出されたレアコイルに、ヒヒダルマが突撃して炎のパンチを打ち込んだ。効果は抜群な上に、ヒヒダルマの攻撃力だ、しかしレアコイルはまだ戦闘不能にならない。がんじょう故に一撃では落ちない。

「でんじは」

 レアコイルは最後の力を振り絞って、磁石のようなユニットをヒヒダルマに振りかざし、特殊な電磁波を放った。

「ニトロチャージ」

 しかし、ヒヒダルマの二撃目でついにレアコイルは戦闘不能となる。ミツルはレアコイルをボールに戻し、次のポケモンを繰り出した。

 繰り出されたのはチルタリス。それと同時に二人が指示を出す。

「しんぴのまもり」

「うちおとせ」

 ヒヒダルマが麻痺している分、チルタリスのほうが行動が早い。チルタリスの周りが薄く輝く。

 ヒヒダルマは拳で地面を叩き、割れた石を掴んでチルタリスに向けて放った。無防備だったチルタリスはそれをモロに喰らい、地面に撃ち落とされる。

 指示より先に、ヒヒダルマはチルタリスに向かって突進した。

「りゅうのはどう」

 チルタリスは向かってくるヒヒダルマに向かって口から衝撃波を放ち、迎撃する。しかし、ヒヒダルマは怯まず、そのまま突っ込む。

「オーバーヒート」

 ヒヒダルマはチルタリスに抱きつき、体から炎を吹き出す。チルタリスは悲鳴を上げたが、やがてそれも聞こえなくなった。

 これでミツルは二匹のポケモンが戦闘不能。しかし、気は抜けないとリョウヘイは集中する。最後の一匹はあのポケモンだろう。

 ミツルが最後に繰り出したはエルレイド、ミツルのエースだ。

 ここは一気に決めようと、繰り出されたその時を狙って「フレアドライブ」と指示を出す。

 ヒヒダルマが炎をまとい、エルレイドに突進する。避けられない、ヒヒダルマの馬力なら、最終進化系といえども一撃で落ちる。そう思った。

 瞬間、エルレイドの姿が消えた。洞窟の暗がりで見失ったのではない、本当に消えたのだ。ヒヒダルマの突進は空を切る。次の瞬間、ヒヒダルマの背後からエルレイドが現れ。ヒヒダルマに攻撃を加えた。ヒヒダルマは膝から崩れ落ち、倒れる。

「かげうち。か」

 リョウヘイはヒヒダルマをボールに戻した。倒れたとはいえ、二匹を倒したのだ、十分に仕事はした。

 残る二匹で、エルレイドを倒せばいい。しかし、厄介なのは神秘の守り。状態異常を無効にするあのバリアーが有効な限り、エルレイドを妨害することが出来ない。だが、馬力でエルレイドを超えるヒヒダルマは倒れてしまった。ここは時間を稼ぐしか無い。

 リョウヘイはマルノームを繰り出した。タイプ相性は悪いが、こいつの耐久ならある程度は耐えることが出来るだろう。

「たくわえる」

 マルノームは自身の体で生成した毒を取り込み、一回り大きく膨らんだ。しかし、リョウヘイは動揺する。どうして攻撃が来ないのか。

「つるぎのまい」

 見ればエルレイドは自身を奮い立たせる舞を踊っている。しまった、と後悔した。こちらがガードを固めるのを読み切られ、能力上昇技を積んでガードごと吹き飛ばす算段か。

 アンコールなら、それを読みきってアンコールの指示を出していれば、勝っていた。勝っていたのに。

 リョウヘイの後悔など関係ない。エルレイドはマルノームに向かって突っ込んでくる。

「サイコカッター」

 リョウヘイは「ダストシュート」と叫んだが、それよりも先に、エルレイドは具現化した巨大な剣でマルノームに一太刀浴びせる。外部だけではなく内部からもダメージを与えるその攻撃で、マルノームは倒れた。

 どうすればいい、リョウヘイは考えた。神秘の守りのバリアーはそろそろ切れる頃だが、つるぎのまいをしているエルレイドに状態異常なんて関係がない、速さで優っているマルマインで何が出来る。

 『リフレクター』で時間稼ぎを、いや駄目だ、舞を舞っているエルレイドの『かわらわり』をマルマインは受け切れない。どうすればいい、どうすれば。

 負けるのか? 不意に、リョウヘイの脳内に木霊した。

 負けるのか? 俺は負けるのか? また負けるのか?

 また、否定されるのか。今を、過去を、未来を。

 負けて何が残る。負けて得るものは何だ、無い、そんな物は無いのだ。だってそうだろう、ここはそういう場所だろう。お前だって、幾多もの敗北の上に立っているだろう。負けてはならない、負けてはならない、負けることは許されない。

 最後のポケモン、マルマインを繰り出した。

 エルレイドが地面を蹴り、マルマインとの距離を詰める。小技が豊富で素早いマルマイン相手に、距離を取るようなことはしない。

 リョウヘイは、何も指示を出さない。エルレイドを引きつける、引きつける、引きつける。

 やがて、エルレイドがマルマインに攻撃しようとしたその時、意を決し、リョウヘイは叫んだ。

「だいばくはつ」

 リョウヘイの耳を、爆音が支配した。それ以外の音は、何も届かない。

 地響きが内臓を揺らし、砂煙が舞う。ズバット達は慌てふためいて、洞窟内を飛び回る。

 引き分け、とリョウヘイは小さく笑った。

 危なかった。そう、危なかった。ミツルとそのエースのエルレイド、大したもんだ。たった一体で俺のチームを壊しかけた。

「だが」

 俺は負けていない、確かに、勝利してはいないかもしれない、しかしそんなことは些細な問題だ。「ウフフ」と声だけが笑う。

 負けなかったのだ、俺は負けなかった。また、日常に戻ることが出来る。洞窟と、特訓の日々に。

 砂煙の向こうから、こちらに向かってくる足音。ミツルだ、ミツルだろう。

 また、特訓だ。二人で。

 しかし、その足音が、一人にしては不自然だということに気づくと、リョウヘイの鼓動が高く、激しくなる。

 違う、エルレイドは倒れた。なんていったって大爆発を受けたんだ。

 ミツルが、足を負傷したのだろう、だから足を引きずって、不自然な足音に。

 砂煙が落ち着いてくる、その向こうに見える人影は、二人だった。

 そこにいるのは、間違いなくミツルとエルレイドだった。

「嘘だろ」

 リョウヘイは地面に膝をつき、息を荒げる。

 どうして、エルレイドは無傷なのか。そんな些細な事は、今のリョウヘイの頭には無い。

 今、目の前にミツルとエルレイドが立っている。それが意味する事、それははっきりとした。

「リョウヘイさん。僕の、勝ちです」

 敗北だった。

 ミツルは顔を伏せ、リョウヘイと目を合わせない。

 リョウヘイはただただ信じられないといった風に、声を震わせて「どうして、だいばくはつを」

「マルマインがエルレイドを引きつける。何かカウンター的な狙いがなければ、それはあり得ない。あの状況で、マルマインがエルレイドを倒せる方法といえば、だいばくはつくらいしか」

 歯ぎしりとともに「なるほど」と返す。そこまで読み切られていようとは。

「だから『まもる』ことができたのか」

「ええ」

 ミツルはエルレイドをボールに戻す。

 リョウヘイは地面に手を付き、悔しさに顔を歪ませた。上だ、完全に格付けがなされたのだ。

「リョウヘイさん」

 なにか続けようとするミツルに、リョウヘイは「行けよ」とそれを遮った。

「行けばいい、お前にはその資格があるんだ。構うな、敗者に構うな」

 ミツルは、リョウヘイに何か言いたげだった。しかし、言うべき言葉が見当たらない。リョウヘイにとって敗北ということがどういう事なのか、それが自分とどう違うのか、わかっていた。

 ミツルはリョウヘイに一礼して、その場を去った。ミツルは振り返らなかった。振り返られることすら、リョウヘイにとっては侮辱だろうと思った。

 

 

 

 チャンピオンロードに、リョウヘイは四肢を投げ出し、身を預けていた。

 ポケモンはすべて戦闘不能、スプレーもかけていない。それなのに、洞窟のズバット達はリョウヘイを襲わない。

 ズバット達は、野生の感性で、手負いの獣の恐ろしさを知っていた。だから、ズバット達はリョウヘイを襲わない。

 そこに血の香りがなくとも、リョウヘイが手負いの獣だということを感じ取っていた。

 リョウヘイはぼうっと、天を眺めていた。最もそこにあるのは、ただの岩壁であるが。

 そうしていると、いつかミツルと交わした会話を思い出す。

「負ける覚悟、か」

 その声には、侮蔑が混ざっていた。

 どうして、こんなにもショックを受けている。負ける覚悟があったんじゃないのか。

 負けないと、思っていたのか。ミツルに負けるわけがないと、とんだ自惚れ。

 そうだ、自惚れだ。自惚れていたんだ。だって俺は、このチャンピオンロード、この地獄で、ずっと特訓してたのだから、自惚れることだってあるさ。

 その時、リョウヘイの中の何かが首をもたげた。それは、現れた。否、それはずっと、確かに存在していた。それを覆い隠そうとしていた霧が、晴れただけだ。

 それは、激しく口罵るわけでもなく、侮蔑を込めるわけでもなく、ただただ淡々と、彼を攻め立てる。

『地獄? お前にとってここは本当に地獄だったのか?』

 うう、とリョウヘイは唸った。

『違うだろう? お前にとって、ここは地獄なんかじゃなかっただろう? 周りの人間が地獄だ地獄だと言うから、地獄に居ることにしたんだろう? ここにいれば、家族だって、地元の友達だって、過去に戦ったトレーナーだって、誰もお前を侮蔑しないから、そういうことにしてるんだろう?』

『なあ、お前はどうしてここにいるんだ? もう良いだろう。もう何も気負う必要なんて無いだろう?』

 強くだ、と声に出す。「強くなるため」

『違う違う、そうじゃないだろう。認めろよ、認めちまえよ』

 もう、何も考えたくなかった。考えれば考えるほど、そいつはリョウヘイに、淡々と、真実を語る。

『強くなりたい? 違う。お前は、負けたくなかったんだ。そうだろう?』

『お前は強くなるためにここにいたんじゃない。ここなら負けないから、だからここにいたんだろう?』

『お前は望んでここにいるわけじゃない。ここに居るしか無かったんだ』

『だってそうだろう? 敗北への恐怖がここを抜けることを許さず。膨れ上がったプライドがここを去ることを許さなかった』

『お前は考えることをやめて、戦いを放棄したんだ。そうすれば負けない。負けないで済むからだ。何も失わずに済む。何も否定されずに済む』

『でもお前は不安だった。たった一人なことが不安だった。たった一人、膨大に膨れ上がっていく恐怖とプライドと向き合うことが不安だった。だから』

『だから、仲間が欲しかったんだろう? 挑戦しないこと、負けないこと、それを共有する仲間が、道連れが、共に落ちていく様を見て安心できる存在が、欲しかったんだろう?』

『そうさ、だからお前は、ミツルを引き止めたかったんだ。あれは嫉妬でも、怒りでもない。焦りだ。焦っていたんだ。自分の道連れを手放したくなかったから、そうだろう? ミツルを縛って、一緒にいて、そうすれば、そうすれば安心するから。なあ』

 拳が、地面を叩いた。何も否定することが出来ない。なぜならばそれは、真実だから。

「何が悪い」

 叫んだ。

「それの、何が悪い」

『悪かないさ。何も悪くねえ』

 意外にも、それはリョウヘイを肯定した。

『結構じゃねえか。誰にも迷惑をかけてねえ、自分は負けずに気持ちいいばっかりだ。何も悪くねえ、悪くねえよ。もしかしたら、理想の生き方の一つかもしれねえ。そうやって生きてる奴は一杯いるかもしれない』

 それなら黙ってろよ。と打ち付けた拳で地面を擦る。

『もうわかっているだろう。黙るなんて無理さ。だってお前が俺に語らせてるんだから』

『負けて、屈辱的に負けて。自分を見つめなおす。お前はそれすら出来ないんだ。俺のように、何かに語らせなきゃ、自分を否定することすら出来ないんだ』

『なあ、良いとか、悪いとか、問題なのはそこじゃねえだろ。どうしたいんだよ。お前はどうしたいんだよ、そこだろ、問題は』

 拳を握りしめ、叫んだ。

「勝ちてえ」

 勝たなければならない、そう思った。

 そうしてきたから、戦って戦って、勝ってきたのだから。少なくともあの日、あの敗北をするまでは。

 ここを、抜けなければならない。そうして、もう一度ミツルと戦わなければならない。ノーカウント。あんなものはノーカウント。

「やり直せるのか」

『お前次第だろう。それをブランクと思うか。それこそ、修行だと思うかは』

 リョウヘイは上体を起こした。右手を見る、地面を叩いて少しだけ血の滲んだそれを見て、まだ大丈夫だと思った。

 

 

 

 

 その少女は、ほんの少しだけ、戸惑っていた。

 スプレーを切らしていた。だから、チャンピオンロード内の野生のポケモン達が、襲ってくるものだと思っていた。

 しかし、ズバット達は大人しく、野生のポケモンも、襲ってこない。

 この厳しい生態系を生き残るため、野生のポケモン達は何代にもわたって感性を磨き続けてきた。弱き者を襲い、強き者には手を出さない。

 感性無き人間は、少女を見てもなんとも思わないだろう。むしろこのチャンピオンロードに不釣り合いな、か弱き少女だとすら思うだろう。

 そう思って少女に戦いを挑んだトレーナー達が何人も倒されていた。野生のポケモン達は彼等をせせら笑っていた、なんとも、鈍い奴らだと。

 だから野生のポケモン達から警戒されているその男が少女に近づいた時、彼等は驚いた。

 おいおい、お前はそんなに間抜けじゃないだろう。たしかにお前はここいらじゃ一番に強いだろうが、さすがにお前が敵う相手じゃないのはわかるだろう。お前は人間の中じゃあ、そういうのがわかっている方だろうに。

「よう」

 リョウヘイは、まるで凶暴な男に、あえて気さくに接するように、彼女に声をかけた。

 少女は、少しだけ動揺した。それまでのトレーナーと、明らかに雰囲気が違っていた。

「お前の名前、知ってるぜ。モミジだろう?」

 少女は、小さく頷いた。見知らぬ人間に名前を呼ばれることに、慣れているようだった。

 参ったな、こりゃあ思ってたよりずっと強いな。とリョウヘイは頭を掻いた。

 でもやるしか無いんだろうなあ。あいつがそうしたように。

「俺には、どうしても挑戦したい男がいるんだ」

 モミジは首を傾げた。リョウヘイが言っていることと、自分の関連性がわからなかった。

「話せば長くなるが、そのためにはどうしてもお前を倒さなくちゃいけないんだよ」

 リョウヘイは腰にセットされたボールを手に取る。

「まあ、なんというか。戦おうや」

 戦わなくちゃ、勝てないのだから。

 モミジの動きは素早かった。

 

 

 

 

 衣服の数は多くない、数枚畳んでバックに詰めれば、荷造りはすぐに終わった。

 ベッドの整理もしたし、残っていた木の実もすべて収穫した、片付けられるものは全て片付けた。

 そういえば、と部屋の隅にいくつか並んでいる植木鉢に目をやった。あれは俺が持ってきたんだったな。

 すこし、考えて、バックを閉じた。まあ、大したもんでもないし、次のやつが使ってくれればいいよ。

 ふと、ベットを見て考えた。彼等は、何故この地を去ったのだろう。何を思ったのだろう。彼等は、俺をどう思うだろう。

 きっと彼等は、勝ち続けることが出来なかったのだろう。だから彼等はもがいた。こんなところにこんな秘密基地を作ってまで。

 あるいは、俺と同じだったのだろうか。彼等もまた、何かを恐れて、ここに閉じこもっていたのだろうか。

 それなら、彼等はここを去る時、何を思ったのだろう?

「強かったなあ」

 リョウヘイは思い出していた。あれはまさに、惨敗だった。

 倒れていくポケモン、通用しない戦術、防ぎきれない攻撃。

 パワーが無い、と彼女は言った。パワーとスピードがあれば、もう少し困ったかもしれないと。

 小手先ばかりで、基礎がなってないと言われた気分だった。しかし、それを屈辱と思うことはなかった。そのくらいの負けだった。

「ミツル、勝てねえだろうなあ」

 彼女は次元が違う。もしかしたら、チャンピオンにも勝ってしまうかもしれない。

 しかし、ミツルはそんなことでめげないんだろうな、と笑った。また戦って、戦って。ひとつひとつ、それを噛み締めて、楽しんで。

 結局のところ、俺なんかよりも、ミツルのほうがよっぽどトレーナーとして、人間として成熟してたな、と今は思う。

 惨敗の後、残っていたのは、心地よい感動だった。三度も負ければ、耐性も突くのかもしれない。

 それよりも、ここまでなれるのかと、トレーナーというものは、ここまで強くなることが出来るのかと、感動しきりだった。

 結局リョウヘイは、再びチャンピオンロードを抜けることは出来なかった。今は資格が無いのだ。

 しかし、チャンピオンロードを去る決心は出来た。彼女ほどのトレーナーを産んだホウエン地方に、俄然興味が湧いてきた。少なくとも、今より強くなるために、これ以上ここに居る必要はないのだ。

 強くありたい。そう思ったのだから。

 つるを伝って秘密基地を降り、そこからホウエンの海を眺めた。とりあえず、家族にいろいろ報告しなければならないだろう。

「ひとまず、一旦家に帰るとして」

 不意にボスゴドラの彼女のことを思い出した。彼女は、地元に帰って、ポケモンレンジャーになると言っていた。

 そうか、とリョウヘイは呟いた。

「ばあちゃん。強がってたんだなあ」

 ホウエンの海風は、挑戦者を歓迎した。


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