ポケモン二次創作短編集   作:rairaibou(風)

3 / 12
上の世界、下の世界。

 どこまでも透き通るほどの空の下で、質の良いものではないが自分のお気に入り――最も、それこそが良質なるものの正体かもしれない――の折りたたみ椅子に腰を落ち着かせて、チカチカと光る海面に糸をたらす事は私にとって無上の喜びであり、日ごろの疲れを癒す最適なパターンでもある。竿を握る手に波を感じ、それに獲物がかかるのを待つだけで一日を過ごすのだ。それを時間の無駄だと揶揄する人間も居るだろうが、得てして人間の最適のパターンは皆似通ってそのようなものだ。

 この広大な海にはまだ人の目にも触れていないであろうポケモンが数多く居ることだろう。そんな未知の世界にはどのようなポケモンたちが居るのか、そしてそれらが今まさに糸を通して自分と言葉を交わすかも知れぬと考えると心が躍るばかりで一日ぽっちでは時間が足りぬとさえ思う事がある。

 ふと、竿にコン、コン、とノックを感じた。私はおもむろに腰をあげリールに手をやる。過去に大物を釣り上げたときのような竿からの圧力を感じなかった、まあよくある事とそのポケモンとの会話を楽しむ。やがてポケモンが観念して糸先のボールに吸い込まれたのだろう、リールが軽くなった。

 リールを巻き終え、ボールを引き揚げる。最近は技術が進んで中のポケモンが透けて見えるボールを取り付けたものもあるようだが、私は昔ながらの不透明なものを使っている。過去にボールからハクリューが飛び出してきた時の感動を忘れられずに居るのだ。大した引きではなかったのでとんでもなく高揚している訳ではないが、まだまだボールを開くまでは分からない、吊り上げたコイキングが金色に光り輝いていた事もある。私はもう何万回と繰り返した手つきでボールを開いた。

「うーむ」

 反応に困ってしまった。ボールから出てきたのは『ケイコウオ』と言うポケモンだった。別に毒などをもっているポケモンでは無いし、特別気性が荒いわけでもない。むしろ気性に関しては穏やかな方だ。

 しかしこのポケモン、驚くほど特徴に欠ける。竿に圧力を感じなかった通りこのポケモンは特別力強いわけでは無い。それに吊り上げた事を喜べるほど見た目が素晴らしいわけでもない。例えばサクラビスのようなポケモンを吊り上げたとすれば、私と並べて写真の一枚は取るだろう。しかしこのポケモン相手にそのような感情は抱かない。

 特別醜いわけでもない、例えばヒンバスやコイキングであったら将来それらが成熟した姿を想像して物思いにふけることも出来るがそれも無い。一応ネオラントと言うポケモンに進化するがこれもまた、特に見るべきところも無い。したがって反応に困る。率直に言うと、面白みの無い生物なのだ。

 手尺で今吊り上げたケイコウオが今まで吊り上げたものの中で最大では無い事を大体悟ると、サッとそれを海に返した。そしてまた、椅子に腰をかける。

 

 

 

 ある休日の昼下がり、私はあまりなじみの無い町に居た。

 何時までたっても一人身の私を案じてか、それともからかってか、友人が「趣味の合いそうな女友達が居る」と勝手に昼食の場をセッティングしていたのだ。

 聞くところによるとポケモンと共に『ダイビング』をすることが趣味の女性のようだ。何とも『ダイビング』と『釣り』を同類の趣味と乱暴にカテゴライズしてしまうのが友人らしい。私は本物の海の中に興味があるわけではないのだ。

 海産レストランが待ち合わせ場所だった。そのレストランは店舗の半分ほどが海にせり出しており、店内には潮の香りが満ちている。レストランと兼業してダイビングに関する業務も行っているようで、彼女はそこのインストラクターらしい。仕事で海に潜り趣味でも海に潜るとは恐れ入る。

 指定された座席に腰掛け、よく晴れているなと海面を眺めながら思っていると背後から女性の声。

「ケイーさんですか?」

 ええ、と振り向くと思っていたよりも小柄な女性が立っていた。背丈こそ低いが表情は凛々しく、誠に失礼ではあるが何故この女性に連れ合いが居ないのかと思ってしまった。

「始めまして、カヤです」

 カヤと名乗った女性は頭を下げると一つ笑顔を作った。私もそれに返す。

「始めまして、ケイーです。なんだか友人が勝手に物事を進めてしまって、申し訳ない」

「いえいえ、同じ事を私も言おうと思っていたところです。あの人ったら本当に自分勝手で」

 カヤはそこで一つ間をおいて

「普段は私の事を『海バカ』扱いするのに」

 とはにかんだ。あまり嫌そうではないように見える。事実嫌ではないのだろう。なぜならば私もその友人に『海バカ』扱いされているが、あまり嫌ではないのだから。

「私も『海バカ』ですからね。どうぞ座って、海のことでも話しながら食事を」

 意外かもしれないが、お互いに話が弾んだ。それもそのはずで私は『ダイビング』を少し齧っているし、カヤは『釣り』を少し齧っているのだろう。

 当然のことだがカヤは海に関して聡明な女性で、私の好奇心は彼女によって十分なほど満たされた。この女性と並んで釣りをしたいとも思った。最も、彼女が同じ感情を抱いているとは限らないが。

 食事も終わりかけた頃、お互いに好きなポケモンの話になった、以外にもこの話題にこれまで触れていなかった。

「私はハクリューですね、昔吊り上げたことがありましたが、あの時の竿の重さは未だに腕が忘れていませんよ」

「私はケイコウオ、かな」

 そのポケモンの名前が現れたことに、少し戸惑い、合いの手を直ぐに返す事が出来なかった。無言になってしまった私をカヤが不思議そうに見る。

「ケイコウオ」

 私はその時、何とかカヤの機嫌を損ねまいとケイコウオというポケモンのポジティブなポイントをひねり出そうとしたがどうしても思い浮かばず。名前を出したきりになってしまった。「いやー、あのポケモンは竿を引く力が手ごろで良いですよね、緊張せずにすみますから」などと言えるものか。

「どうしてです?」

 考え続けることが出来ず、私は謎解きを求める少年の様に彼女に聞いた。

 運の良いことに彼女はその問いに気分を害することなく答えてくれた。

「やっぱり、綺麗ですからね。この辺の海には多く生息しているんです」

 その返答は、意味が分からなかった。あのポケモンに対して綺麗などと言う感情は浮かばない。海にはもっと綺麗なものがあるだろうに。

「ケイコウオ、お嫌いですか?」

 表情に表れていたのだろうカヤは少し怪訝な表情で私に問うた、声色からは少し不安そうな様子も取れる。

「いや、その、決して嫌いと言うわけでは無いんですが。どうも」

 面と向かって問われると嘘をつけない私の性分が今回は裏目に出ている。

「意外でした、私はケイコウオに対して特に何かを思うことは無かったので」

 カヤは私の答えを聞いた後、少し考えて、

「ケイーさん、海の中からケイコウオを見た事は?」

「ありません、ダイビングの知識はありますが、実際にやった事は殆ど無いのです」

「それならケイーさん、私と賭けをしませんか?」

 彼女の瞳が光ったような気がした。

 

 たった少しだけ日が傾いて、海面が温かくなろう頃。十分に体をほぐした私はカヤに渡されたダイビングスーツに身を包んで、恐らくダイビング業務を行う場所であろうデッキの上に立っていた。

「心の準備は出来ましたか?」

 カヤが店の中から小型の酸素ボンベとゴーグルを抱えて現れた、その傍らには海イタチポケモンのフローゼル。そいつは俺と目線を合わせるといかにも興味がなさそうに顔を背けた。

「泳げないわけでは無いですし。彼に捕まっていれば良いんでしょう?」

 彼女からゴーグルを受け取りそれを装着する。

 フシュッ、と彼は鼻を鳴らした。予定にない仕事に苛立っているのか、それとも私に敵意を持っているのだろうか、だとすればその敵意は嫉妬からくるものかもしれない。

 カヤはポケットから小さな何かを取り出し、私の前で掌を広げる。そこには太陽の光を受けてまぶしいほどに光る小さな玉があった。それは純金製の玉で業者に売れば五千円ほどになるものだ。

「しかし、こんな事にそんな高価のものを使うとはいささか勿体無い気もしますねえ」

「たまーに、海の中で拾うことがあるんです。元手はただですから。もし失敗しても元々海にあったものがまた海に帰るだけです」

 カヤから提案された賭けと言うのは、賭けと言うよりむしろ子供の遊戯に近いものだった。

 彼女のポケモンと共に海に入った私に対して、彼女は金の玉を海に落とす、もし私がそれを見失うことなく拾い上げることが出来たら、金の玉は私のもの、もし見失ったら彼女にそれ分の対価を払う。まるで子供をプールに慣れさせるための遊戯だ。

 このデッキ付近の海は海底までしっかりと太陽の光が入る。太陽の光をギラギラと反射するあの玉を見失うわけは無いと思った。

「このボンベは簡易性で、五分ほどしか持ちません。制限時間のようなものだと思ってください。何も息を止めてまで金の玉を探すほど生活に困ってはいないでしょう?」

 彼女に合わせてハハハと笑う。手渡された酸素ボンベは筒を背負うような大層な物では無く、首に固定するだけの小ぶりなものだった。

「この子、ウィンディーネと言う名前なんですけど。ちゃんとこの子の手綱に捕まっていてくださいね、進みたい方向に手綱を引けばよほどの事が無い限りそれに従います。でも、優しくしないと機嫌が悪くなります」

 彼女の言うとおりウィンディーネの手綱を握ってみる。「よろしくウィンディーネ」と挨拶したが返答はまたもフシュッ、だった。

「それじゃあ、行きますよ」

 ボンベを口にくわえる。少し自由の利かない呼吸がそれを装着しているという実感を生んだ。

「目を離さなければ、必ずできるはずですよ」

 彼女のアドバイスを背にウィンディーネと共に海に飛び込む。一瞬視界が白い泡に支配され、それが散ると全体が見渡せるようになる。それほど深くなく、水はどこまでも見渡せそうなほど澄んでいる。太陽の光は海底まで届き、海底で蹲っているサニーゴの鮮やかな色がくっきりと見えた。

 ウィンディーネの手綱を手繰り、海面に顔を出す。カヤが掲げた金の玉が眩しくて、手でそれを遮りつつ場所を調整した。

「いきますよー」

 彼女に向けて親指を立てた片腕を海面に挙げる。

 カヤはそれを見てカウントを始めた。それと共に掲げた腕を下げる。

「サン、ニー、イチ」

 そして。

「ゼロッ」

 軽く手を振り上げて、それを放った。

 私が素早く顔を海中に鎮めると、ウィンディーネもそれに合わせて潜る。

 自分が思っているよりも遠くに放られて焦ったが、何のことは無い。光を反射してギラギラと主張する物が沈み行く様を見つけるのに一瞬と時間はかからなかった。

 たやすい賭けだな、と思った。これを賭けと呼ぶのならばギャンブルは成立しない。

 海底に落ちた金の玉はそれでもなお私の目を刺していた。そして、私とそれとの距離がもう体一つほどになった時。

 私の視界の端を、煌びやかな何かが通り過ぎた。もしそれがなんて事の無い、例えば明らかに人の手が加えられた煌びやかさなら私は気にも留めなかったであろう。しかし私はそれがそんなつまらないものでは無いという事を感じた。

 一瞬、目を放せば金の玉を見失うかもしれないと自分を制した。しかし次の瞬間には、そんな事は無い、少しくらい目を放したって見失うわけないだろう、時間はまだまだあるし、大体の場所は掴んでいる。少しぐらい遊ぶ時間はあるさ。と言う考えが浮かび、私はウィンディーネを留まらせ、そのほうに顔を向けた。

 その煌びやかなものは、ケイコウオの尾びれであった。それはキラキラと光を形作るだけではなく、その形を崩すようにフワフワと揺れ、ケイコウオが前に進む為にゆっくりと体をうねらせると、それに合わせて周りの水と共に踊った。

 釣りが趣味の者としてそれを知らないわけではなかった。ケイコウオが『海のアゲハント』と呼ばれている事は。しかし、何匹と言うケイコウオを吊り上げた結果、私はそれを誇張表現だと決め付けていたのだ。私が吊り上げたケイコウオ達はこのように尾びれを羽ばたかせたりはしなかったのだから。

 そのケイコウオを眺めていると、もう一匹のケイコウオが私の視界に現れた。それに目を向けようと頭を動かすと、一匹、また一匹と私の視界にケイコウオが現れる。カヤが言っていたようにここらへんはケイコウオが多く生息しているようだ。

 しかしどうだろう、それらのケイコウオはそれぞれ違う姿を私に見せていた。一匹は光を小さく反射し、一匹は強く反射した。一匹はゆっくりと尾びれをくねらせ、もう一匹は私が吐き出した気泡をサッと素早くかわした。

 私が今まで見てきたケイコウオは、全て陸に揚げられていた状態であった。尾びれは水と踊ることも無く、重力に負けた尾びれは垂れ下がっていた。それも私はそれらを決まって上から眺め、つまらないと感じていた。

 しかしどうだろう、海の中から彼らを見るとそれぞれが違った美しさを私に見せた。否、彼らは初めから皆に平等に見せていたのだろう。私が勝手に一点からしか眺めていなかっただけの話。

 私は感動しながらも、同時に後悔と気恥ずかしさを感じていた。私の了見の狭さにだ。

 しばらくケイコウオ達を眺めていると、このような場を提供してくれたカヤに感謝せねばと思った。そしてそう思ったとき、何故私がここにいるのかを思い出した。

 そうだ、金の玉を捜さなければならない。名残惜しくも目を海底に向けると。私はひどく焦った。

 金の玉が全く見えなくなっていたのだ。そんな馬鹿なと思った、アレほどにまで強い光だったでは無いか。

 まさか、何かの陰に隠れてしまったのだろうか。しまった。

 私はしばらく海底を探ったが、それを見つけられそうな気配は無かった。やがて右手で握った手綱が何かに引っ張られたかと思うと。ウィンディーネがもう時間切れだと言わんばかりに私を眺めていた。きっと彼には私がさぞ滑稽に映っているのだろう。

 私は観念し、彼と共に海面にあがる、その途中何匹かのケイコウオとすれ違ったが、彼らはそんな私に対しても平等に美しかった。

 海から顔を出し、ボンベから口を離して空気を吸う。自由な呼吸に少し安心した。

「どうでしたか」

 デッキに上がった私に向けてカヤが微笑む。はじめは本当にただの賭けだろうと持っていたが。今思えば彼女にはこうなることが分かっていたのだろう。彼女のほうが私に比べて幾分か大人だ。

「色々と、思い知らされましたよ」

 ボンベを外して、ゴーグルをずりあげる。鮮明に見えたカヤの表情は本当に楽しそうだった。

「私の勝ちですね」

「分かっていたんでしょう」

 ウィンディーネがデッキに上がる、彼が体を震わせると何とも器用に私にだけ水しぶきが散った。

「一万円分のディナーを奢ってくださいな」

 突然出た金額に私は少し混乱した。

「金の玉は五千円でしょう」

「それだとプラスマイナスゼロじゃないですか。あなたは五千円得をするはずだったんですよ」

 少し考え、ああそうだと納得する。こんなことも分からないくらい私は動揺している。

 目の前でニコニコするカヤを見て、私は少し恩返しがしたくなった、このような素敵な体験をさせてもらったのだから。しかし同時に、彼女の無邪気な表情に対してすこし仕返しがしたいとも思った。

「分かりました。一万円分、ディナーを奢りましょう」

「やった」

「今度は私の町に来てくださいな。いい雰囲気のレストランを知っています」

「楽しみです」

「ただし」

 ただし、の言葉にカヤが首をひねる。

「釣りの後です。私と一緒に釣りをしましょう、道具は私のサブを貸してあげます。釣りが気に入ったら一式を奢ってあげましょう」

 彼女がそうしたように、私も彼女を私の世界に招待しよう。最も、彼女が私のように動揺するかどうかは分からないが。

「私、釣りってやったこと無いんですよ」

「大丈夫、私が教えてあげますから。案外楽しいものですよ。彼らと会話するのは」

 お互いの間に少し沈黙が流れた。

「あの」

 カヤが顔を赤らめて。

「連絡先、交換しませんか。その、決してそう言う意味ではなくて。その、そのほうが都合が良いじゃないですか。それで、それで」

 身振り手振りで何とか言葉を続けようとする彼女には、先程までの余裕が無いように見えた。

 私はそんな彼女を見て、思った。

 友人には感謝しなければならない、と。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。