子猫と令嬢に愛された青年は、修羅場の海を懸命に泳ぎ続ける   作:ソノママチョフ

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前編 二人の「カノジョ」
「てんし」と「あくま」


 その年の梅雨入りが宣言されてから、ちょうど一週間後の金曜日。

 そこかしこに緑が見え、テレビや週刊誌の「住みたい街」ランキングに載ることもある首都圏の住宅地にて。

 

 街はこの日も雨に見舞われていた。

 夜になった今も降り続いて、姿を現しているはずの月をも隠している。

 

 街の中心部からは少し外れた場所に長い坂があった。

 雨音と水の流れが続くその坂道を、一人の青年が小走りで登っている。

 

 青年は、やや癖のある髪をしていた。

 顔立ちは柔和で、まだ少年の面影が残っている。

 体格は成人男性の平均よりもわずかに大きい。

 全体的には由緒ある家柄の子弟を思わせる、穏やかで整った容姿をしていた。

 多くの人が良い印象を抱くであろう、好青年である。

 

 もっともそんな感想を本人に伝えれば、間違いなく苦笑が返って来るに違いない。

 彼は名家の生まれなどではない。

 それどころか今は天涯孤独の身であった。

 

 母親は青年が幼い頃、他界していた。

 以降、男手一つで育ててくれていた父親も、この年の初めに失っている。

 それも青年の目の前で、交通事故によって亡くなったのだ。

 

 父親は生前、青年には愛情をもって接してくれていた。

 ただし母親が亡くなってからは、女性というものの存在を、自分の周囲や家庭内からも消し去ろうとしていた気配があった。

 おかげで青年も男子校へ通わされたのに始まり、女性に縁のない生活を強いられていた。

 そのため青年は成長した今も、女性への接し方に悩むことが多々あった。

 

 父親は母親との馴初めについては滅多に語らなかった。

 ただ時折、ぽつりぽつりと断片的な事柄を伝えてくれたので、青年も当時のことをある程度までは把握できていた。

 二人の交際については双方の親族が大反対したらしい。

 結婚する時も駆け落ち同然だったようで、以降、父母は親族と絶縁状態になっていた。

 

 実際、青年も親戚という存在には会ったことがない。

 それでも実家の連絡先は教えてもらっていたので、父親が亡くなった際、青年は連絡をとっている。

 しかし葬儀への参列者や弔電等は、親族からは無かった。

 

 もっとも青年は当時、喪主を務めて慣れない仕事に忙殺されていたので、親族たちの非情さに憤慨する暇もなかった。

 それに葬儀が終わった後は新生活の準備もあり、彼らのことなど次第に忘れてしまっていた。

 

 

 

 

 青年が、道端の暗がりにある何かに気を惹かれた。

 一定のリズムで続けていた足運びを停止する。

 青年の黒い瞳に段ボール箱が映った。

 

 箱の中では、濡れそぼった白・茶色・黒の三色の毛並みを持った猫が小さな体を震わせていた。

 隣には雨で破れかけた紙も入っている。

 そこには「どなたかもらってください」と記されていた。

 

「これは間違いないな。完璧な捨て猫だ」

 

 情景を見て、なぜか納得したように青年は呟く。

 子猫と青年の視線が、交差した。

 

 子猫の瞳は右が黄色、左が青色だった。

 表情からは、助けを求めるというよりも威嚇しているような気配が感じられる。

 しかし青年は気にすることなく、優しく箱ごと子猫を抱え上げ、話しかけた。

 

「幸い俺のアパートはペット可だ。女気もない。そんな俺が新しい家族を作るとなると、まあペットを飼うしかない訳で」

 

 にこりと微笑み、口調を励ますようなものに変える。

 

「そんな俺に出会えたんだ。今までは不幸だったようだけど、おまえこれからはきっとついてるぞ」

 

 子猫は理解したのか、しないのか。

 依然として青年を見つめたままだった。

 ただ少なくとも、箱の中から逃げ出そうとはしなかった。

 

 

 ──────

 

 

 首都東京の、まさに中心部。

 数多くのオフィスビルが立ち並ぶ中。

 特に周囲の目を惹く、美しい、特徴的な外観をした建物があった。

 

 その建物は白と銀を基調とした色合いをしていた。

 双子のように並び立った二つのビルを、渡り廊下でつなげている。

 陽光を取り入れるため窓も多数、設けられていた。

 

 正門ちかくの目立つ場所には、青い、大きな看板が設置されていた。

 そこに記されているロゴは日本で五本、いや三本の指に入るであろう、名の知れた自動車メーカーのものである。

 

 地上部分は二十階にも至り、地階も三階まで築かれている。

 四階には社員用の食堂が設けられていた。

 そこは昼休み時ともなると、スーツや作業着を着た社員達でごった返し、大変な喧騒を見せる。

 

 忙しなく会話を続ける者。

 トレイに料理を乗せ空席を探す者。

 それら様々に行動する人々の中に、窓近くの席で向かい合う、男性二人の姿があった。

 そのうちの一人は、子猫を拾ったあの青年である。

 彼は対面にいる銀縁メガネをかけた肥満気味の男に、笑いながら話かけていた。

 

「それでさあ、ミーコが可愛いんだよ。昨日も俺のベッドに入ってきて。あいつのためにちゃんと寝床を買ってやったのに、俺の隣がいいって……」

「うるせえぞ耕作(こうさく)! 何回目だと思ってるんだ、その話!」

 

 銀縁メガネの男が怒鳴りつけるようにして会話を遮った。

 青年──耕作は、意に介さない風で答える。

 

「何回目って、今日はじめてだが」

「そうじゃねえ。昨日も、一昨日も、その前も、似たような話をさんざん聞いたわ!」

「そうだっけ、忘れてたわ」

 

 耕作は、あっけらかんと答えた。

 銀縁メガネの男は苛立たし気にラーメンをかき混ぜる。

 

「大体おまえがその子猫を拾ったのは何ヶ月も前だろう。なんで最近になって急に惚気だしたんだ。口を開けばミーコ、ミーコって」

 

 質問されても、耕作はすぐには答えなかった。

 カレー皿へスプーンを置き、手を組み、神妙な顔をする。

 それから後、逆に問いかけた。

 

良太(りょうた)、一月ぐらい前に何か大きな事件がおまえに起きなかったか?」

 

 銀縁メガネの男──良太は、首を捻り悩む素振りを見せた。

 だがそれも、わずかな間のことだった。

 すぐにだらしない笑みを浮かべる。

 

「俺と香奈(かな)たんが付き合い始めた」

「たんって言うな、気持ち悪い。そこでだ、わが友よ。俺がミーコについて語るのを止めたら、ここで何が起きるであろうか?」

「俺が香奈たんの素晴らしさを延々と話すことになるな」

 

 なるほど、それが原因か。

 と言って良太は何度も頷いた。

 耕作は忌々しそうにカレーを口に放り込む。

 その姿を見て、良太はわざとらしくため息をついた。

 

「しかしなあ、耕作よ。友人の惚気話に対抗するためにペットの惚気話を持ち出したりして。空しくはならないのか、おまえは」

「空しい」

 

 耕作は即答した。

 

「だったら、おまえも彼女を作ればいいだろ」

「作れるもんならとっくの昔に作ってるわ。非モテ同盟結成していたくせに、この裏切り者」

「というかだなあ……おまえ見栄えはいいじゃないか」

 

 もしこの場に十人の女性がいるとして。

 耕作と良太、どちらかと付き合わなければならないと言われたら、九人までは耕作を選ぶだろう。

 良太はそう言って、友人を励ました。

 

 もっとも最後に、

 

「まあ香奈たんは絶対に俺を選ぶけどな」

 

 と言って、結局のろけてしまっていたが。

 

「最後のを言いたいだけだろ」

 

 言い返しつつ、耕作は考える。

 

 自分でも、容姿はそれほど悪くないはずだという自信はある。

 ただの自惚れかもしれないが。

 

 しかし女性を前にすると、どう対応していいか分からなくなってしまうのである。

 この性分のおかげで、これまでの人生、彼女を作るチャンスをことごとく潰し今に至ってしまっていた。

 女性と良い雰囲気になったり、好意を寄せられてるのではないかと思うことも何度かあったのだが。

 結局、うまくいっていない。

 

「いっそダメ元で、秘書課の河原崎(かわらざき)さんにでもアタックしてみたらどうだ」

 

 良太の提案に、耕作は渋い顔を見せた。

 

「そんな残酷なことを言うなんて。それでも友人かおまえは」

「美人だし、性格もいいって評判だろ」

「我が社の、創業者一族の御令嬢に特攻して失敗したら、俺の社内での立場はどうなるんですかね」

「知らん」

 

 友人の温かい返答を聞き、耕作は毒気を抜かれたような顔になる。

 しばらくして肩をすくめると、コップに残っていた水を一気に飲み干した。

 

「ま、俺にはミーコがいるよ。それに今は不満なんかない」

 

 負け惜しみとしか言いようがない台詞を告げて、耕作は立ち上がる。

 良太もやれやれとばかりにため息をついてから、席を立った。

 

 

 ──────

 

 

 耕作の住むアパートは、最寄りの駅から住宅街を通っている一本道の坂を登り切ったところにある。

 築二十年は経っているという代物だ。

 だが古さの割に全体的には小奇麗な外観をしている。

 壁面も白色で丁寧に塗られていた。

 またペットの飼育も許可されており、そのため防音対策も万全であった。

 

「ミーコ、帰ったぞー」

 

 帰宅した耕作が、玄関の扉を開けるや否や。

 三毛猫──ミーコが部屋から駆け出してきた。

 甘えるように鳴き、耕作にまとわりつく。

 数か月前のみすぼらしい姿が嘘のように、毛艶もでて美しくなっていた。

 

 ミーコは身体をさかんに耕作へこすり付けていた。

 やがて耕作が手にしているレジ袋に興味が移ったらしく、それを嗅ぎまわる。

 耕作が中から刺身のパックを取り出すと、瞬時に飛びついた。

 

「いたたたた! やめろ、やめろって!」

 

 抗議の声を上げてはいるが、耕作の顔は笑ったままである。

 彼はミーコを抱えて部屋へ入って行きながら、

 

「毎日ミーコに出迎えてもらえる俺は、幸せだ」

 

 と、改めて思っていた。

 

 

 

 

「ご馳走様でした」

 

 食事を終え、耕作は挨拶する。

 と言ってもミーコの他、室内には誰もいない。

 だが「挨拶はきちんとするように」と、父から厳しくしつけられていたので、一人でもその習慣は守っていたのだ。

 ちなみにミーコはかなり前に食事を終えて、今は耕作の膝の上でまどろんでいる。

 

 ミーコの首筋を撫でながら、耕作は昼間の会話を思い出していた。

 女性と付き合うとどういう気持ちになるのだろうか。

 嬉しいものなのか。

 楽しいものなのか。

 耕作には漠然として分からない。

 

 しかし良太は香奈と出会い、変わった。

 それまでの彼は神経質で、しょっちゅう不機嫌そうな顔をしていた。

 だが今は、世界の幸福を独り占めしているかのような笑みを四六時中うかべている。

 

 耕作はその笑顔に可愛げなどは感じない。

 どちらかと言えば小憎らしいとすら思っていた。

 しかしその満面の笑みを思い浮かべているうち、耕作はふと、独り言ちていた。

 

「俺も彼女がほしいなあ」

 

 それからぼんやりとベッドに本棚、それから机とイスにパソコンが並んだ特徴も色気もない、殺風景な部屋の中を眺めていた。

 

 しばらくの後。

 耕作は誰かに見つめられているように感じていた。

 周囲を見回す。

 目を下に向けた時、膝の上から耕作へと向けられている、ミーコの視線に気が付いた。

 

 ミーコの黄色い右目と青い左目に問いかけられているように感じ、耕作は慌てて言い訳めいたものを口にする。

 

「あ、違うぞミーコ。彼女が欲しいって言ってもミーコに不満があるわけじゃない。そもそもミーコは家族な訳だし。家族と彼女は別腹、じゃなかった別物で……」

 

 話を続けるうち、猫に弁解している滑稽さに耕作も気が付いた。

 わざとらしく咳払いした後、ミーコを床に降ろし夕食の後片付けを始める。

 

 その姿もミーコはじっと見つめていた。

 

 

 ──────

 

 

「コーサクは食事をくれるし、気持ちのいい暖かいベッドで寝かせてくれるし、先にフワフワのついた棒で遊んでくれるし、愛してくれる……」

 

 その夜。

 ミーコはベッドの中で耕作に抱き付きながら、考えていた。

 もっとも子猫の思考なので、実際はここまでハッキリとしたものではなかったが。

 

「コーサクは私が欲しいものは、なんでもくれる。なんでも。でもコーサクは何も欲しがらなかった。今日までは。……『カノジョ』ってなんなのかな? コーサクが欲しがるぐらいなんだから、手に入れるのがすっごく難しいものなんだろうけど。でも、私が『カノジョ』を手に入れれば……」

 

 暖かく、愛情に溢れた温もりの中。

 ミーコはただ耕作を想い続ける。

 

「『カノジョ』をプレゼントしたら、きっとコーサクは喜んでくれる。もっと愛してくれる! ……でも私が手に入れる必要はないんだよね。『カノジョ』がコーサクのものになれば、それでいいんだ。どうかコーサクが『カノジョ』を手に入れられますように……」

 

 その願いは、ミーコが眠りに落ちるまで続いた。

 

 

 

 

 朝の訪れのような眩い気配を感じ、ミーコは目を開ける。

 途轍もない光を発している白い塊が、目の前に浮かんでいた。

 

 その存在にミーコは驚き、さらに別の異変も感じていた。

 ミーコは布団の中にいるはずなのに、部屋の中を見渡せていたのだ。

 急いで耕作を起こそうとしたが、身体が動かない。

 

 唖然とするミーコの前で、光の塊は徐々にその形を変えて行く。

 人型になり。

 白い衣をまとった少女となり。

 背から白く輝く羽を生やし、頭上に金色の輪を浮かべた。

 

 少女は「てんし」と名乗った。

 布団の存在などないかのようにミーコの額に手を添え、さらに語りかける。

 

「おめでとう。あなたの相手を思いやる純粋な心を、神様は愛されました。願いをかなえて下さるそうです」

 

 頭の中に直接響いてくるような、不思議な声だった。

 ミーコが聞いたことのない単語が、話の中には含まれていた。

 にもかかわらず、ミーコは話の意味を完全に理解できていた。

 

 話し終ると少女は再び姿を変え、光の塊に戻る。

 段々と明度を落としていくと、最後は蝋燭の炎のようになり、そのまま消えてしまった。

 

 

 

 

 ミーコは呆気に取られていた。

 しばらくして我に返ると、少女の去った部屋の中で狂喜する。

 

 願いがかなう! 

 コーサクは「カノジョ」を手に入れられる! 

 コーサクの役に立てたのだ! と。

 

 喜びを爆発させ、部屋の中を駆けずり回ろうとした、その時。

 ミーコは、まだ身体が動かないことに気がついた。

 

 次の瞬間。

 部屋の中央に今度はあらゆる光、色彩を飲み込んでしまったかのような闇の塊が現れたのを目にする。

 

 その塊も徐々に形を変えていった。

 人型になり、黒いタキシード姿の男となり。

 背中から禍々しい、虫のような翅脈が入っている羽を生やした。

 

 男は「あくま」と名乗った。

 やはりミーコの額に手を添え、語りかける。

 

「おまえの美しい魂を俺に渡せば、願いをかなえてやろう」

 

 その声も頭の中に直接ひびいてくるようなものだった。

 しかし先ほどとは違い、ミーコは言葉の意味を漠然としか理解できなかった。

 

 ミーコは先刻の少女の言葉を思い出す。

 そして、既に願いはかなえられたのでその必要はない、と男の申し出を断った。

 

 男は再度、ミーコを誘惑した。

 

「神がおまえの願いをかなえるのは、承知している。その上で俺も願いをかなえてやる。つまりそこに寝ている男は『カノジョ』を二つ、手に入れられるのだ。多いほうが男も喜ぶのではないか?」

 

 ミーコは考える。

 確かに欲しいものが手に入るのなら、一つよりも二つの方が耕作も喜ぶだろう。

 そのためならば自分の魂など──魂の意味も漠然としか理解できなかったが──惜しくはないと。

 

 決断は早かった。

 ミーコは男と取引することにした。

 

 男は喜び姿を変え、闇の塊に戻る。

 光の時とは異なり、闇は消えることなく四方八方へ広がっていった。

 部屋全体が闇に包まれると同時に、ミーコは深い眠りに落ちていった。

 

 

 ──────

 

 

 翌朝。

 耕作はミーコの様子に異変を感じていた。

 と言っても、具合が悪そうに見える、というような類のものではない。

 むしろいつもよりも元気にすら見えている。

 

 それでも耕作は、ミーコの仕草に違和感を覚えた。

 歩く時の足の、微妙な角度の違い。

 あるいは鳴き声の、わずかな高低の差。

 そういった普段との小さな差異に、耕作は気づいたのだ。

 実はまだミーコは眠っていて、その身体を誰かが操っているのではないか、などという考えすら耕作は抱いていた。

 

 ただし先にも述べた通り、病気には見えない。

 明らかに異常な行動をしているという訳でもない。

 話しかければちゃんと反応するし、じゃれついてもくる。

 ミーコを可愛がるあまり心配性になっているのかもしれない、とも耕作は思っていた。

 

 それでも不安はぬぐいきれない。

 早朝にもかかわらず近所の動物病院に連絡をとっている。

 しかし返答は、

 

「とにかく一日、様子を見て下さい。それでも心配だったら明日つれてきて下さい」

 

 というものだった。

 実際、客観的にはどこにも異常は見られない訳で、アドバイスの仕様がないのだろう。

 

 適当な理由をつけて会社を休んで側にいようか、とも耕作は考えた。

 だがそれを実行してしまうと、社会人失格であろう。

 耕作も諦めざるを得なかった。

 

「じゃあミーコ、行ってくる」

 

 言い様のない不安を抱えたまま。

 耕作は、部屋を出た。

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