子猫と令嬢に愛された青年は、修羅場の海を懸命に泳ぎ続ける   作:ソノママチョフ

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ゆずれないもの 二

 室内が、昼に転じたかのように明るくなった。

 耕作は身体を起こし、光の発生場所へ顔を向ける。

 ミーコも目を開いた。

 

 莫大な量の光は、二人の背後で発生していた。

 倒れた静音の身体が、光の塊へ変化していたのだ。

 あまりの光量に、耕作は思わず手を目の前にかざした。

 ミーコは耕作にしがみついたまま牙をむき、威嚇する様子を見せる。

 

 光の塊は今回も白い衣をまとった少女になった。

 羽を最大限に広げ、立ち上がる。

 そして目を血走らせ、こめかみに青筋を立て、口を開いた。

 

「やってくれたわね、この化け猫」

 

 天使の恫喝に対し、ミーコよりも早く耕作が反応する。

 ミーコを守るようにして天使の前に立ちふさがったのだ。

 

「静音さん、それが貴女の本当の姿なんですか」

「はい。こんな形でお見せすることになるとは、思っていませんでしたが」

 

 天使は頬を薄く朱に染めながら答えた。

 しかしすぐに表情を引き締めると、毅然とした口調で耕作に願い出る。

 

「耕作さん、そこをどいて下さい。先ほども言いましたように、私はその化け猫を殺さなければなりません。使命と、そして私と貴方の未来のために」

「お断りします」

 

 天使は眉間に皺を寄せた。

 

「なぜですか?」

「ミーコを殺させる訳にはいきません」

「こういうことを言うのは心苦しいのですが。耕作さん、私を止められるとお思いですか?」

 

 天使の言葉は静かながらも、有無を言わせぬ迫力があった。

 だがそれでも、耕作は怯まない。

 

「……無理かもしれません。でも今の静音さんは相当ダメージがあるように見えます。ミーコだけは、なんとか逃がしてみせますよ」

 

 普段と同じ、落ち着いた様子で耕作は答えた。

 

 だがその発言には、根拠などなかった。

 さらに言えば、耕作はミーコを助けられる自信も、本当はもっていなかった。

 

 天使が持つ力の強大さは、十分に理解させられた。

 その力を前にして、自分にどれほどのことができるとも思えない。

 そしてなにより、ミーコが大人しく逃げるとも思えない。

 

 とはいえ、最悪の状況は脱したのだ。

 ミーコが期待に応えてくれた以上、今度は自分がやらなければならない。

 なにがなんでも、ミーコだけは助けてみせる。

 

 耕作はそう思い、天使に対峙していたのだ。

 その決意の前には、自信の有無は問題にすらならなかったのである。

 

 命がけで恋敵を守ろうとする、耕作の姿を見て。

 天使は説得を始めた。

 

「耕作さん、よく考えてください。そこの化け猫が悪魔と交わした契約は、死ぬことで解除されます。それ以外、方法はないんですよ?」

「駄目です、お断りします」

「なぜですか?」

 

 耕作は答える前に、一拍の間を置いた。

 そして半ば自分に言い聞かせるようにして、心情を告げていく。

 

「俺の幸せは、ミーコが幸せになることです。今ここで死んでも、ミーコが幸せになれるとは思えません。……たぶん、俺の我がままなんでしょうけど。でもミーコが不幸なら、俺も不幸です」

 

 耕作の言葉を聞き、天使の顔は鬼面へと変化していく。

 他方、ミーコは喜びのあまり目を潤ませ、彼の名を呼び、後ろから抱き付いていた。

 少女の温もりを背中で感じながら、耕作は断言する。

 

「だから俺自身のためにも、ここをどく訳にはいきません」

 

 天使の心中で、嫉妬が激しく暴れ出す。

 彼女の髪は比喩でなく逆立っていた。

 

 だが同時に。

 彼女の内では、耕作に対する愛情もまた、身を焼き尽くさんほどに燃え上がっている。

 耕作の言葉には少年の純粋さと、青年の覚悟が混在していた。

 その響きに、天使はまたも魅了されていたのだ。

 

 彼女はさらに、耕作の柔和かつ整った顔立ちや、精悍な体躯を見つめ直し、その全てに酔いしれた。

 情熱のおもむくまま、視線を愛する男の瞳へ向ける。

 

 そして。

 天使は耕作の瞳の奥に、あるものを見つけていた。

 

 

 

 

「……?」

 

 耕作が、訝し気な表情を浮かべる。

 天使の様子が急におかしくなったからだ。

 

 目を見開き、頭を両手で抱えている。

 うつむいた顔は、濃く深い陰で覆われていた。

 口からは「そんな、まさか……」といった呟きが漏れている。

 その様は「絶望」という言葉の、生きた見本と言ってもいい。

 

 耕作は不審に思うと共に、天使に対する警戒を解き、声をかけようとした。

 天使はその動きを遮るかのように、顔を上げる。

 

「耕作さん、それとそこの化け猫。二人とも動かないでください。大丈夫です、危害は加えません」

 

 天使は右の掌を耕作とミーコに向け、目を閉じた。

 数瞬の後。

 耕作は、またしても天使の身体が光りだしたように感じていた。

 

 だがそれは、誤りであった。

 身体を発光させていたのは、耕作とミーコだったのだ。

 二人から発した白色の光は、部屋の中で半球を形作る。

 やがて収束し一点に集まると、一筋の光線となって天井を突き抜け、直上へと進んでいった。

 

 深夜ではあったが、耕作のアパートから天に向け闇を貫いた光線を、多くの人が目にしている。

 もっともほとんどの人は「今の現象はなんだろう」と疑問に思いつつも、すぐに忘れてしまっていたが。

 光線は、やがて天に飲み込まれて消えた。

 

 再び天使の身体が輝きだした。

 光の塊と化した天使は、しばらくすると黒いパンツスーツを身につけた美女、河原崎静音へ変化する。

 その身体はミーコによって破壊される前の美しい姿を、寸分の狂いもなく再現しているかに見えた。

 

 しかし静音は、変身が終わるや否や床に片膝をついてしまった。

 咳き込んだ口から、血が零れだす。

 

「この化け猫が……完全に修復するには、まだ時間がかかりそうね」

 

 口元から出た血が首筋へ流れ、一筋の赤い糸となって落ちていった。

 青白い肌に映えたその朱によって、静音の美貌も凄惨で妖艶なものへと引き立てられている。

 

「大丈夫ですか?」

 

 耕作も今は、先ほどまで命を懸けて対峙していた相手ということも忘れ、静音の身体を気遣っていた。

 静音は疲労しているにもかかわらず、精一杯の笑顔を浮かべる。

 耕作は安心すると共に、問いかけた。

 

「ところで、さっき俺達になにをしたんですか?」

「今はまだ、知る必要はありません。いずれ時が来ればお話し致します」

 

 静音は身体の埃を払うような仕草を見せ、立ち上がった。

 ハンカチを取り出し、口元をぬぐう。

 

「その化け猫に負わされた傷の影響で、今日はもう、これ以上は力を使えそうにありません。残念ですが引き上げます」

 

 と、静音は耕作に告げた。

 負け惜しみなのかもしれないが、彼女の口調は毅然としており、悔恨の情など感じさせないものだった。

 

 静音は耕作に向けて一礼すると、踵を返し玄関に向けて歩き出した。

 ドアを開けたところで動きを止め、振り返る。

 

「耕作さん、私は必ず貴方を手に入れてみせます。待っていてください」

 

 静音は凛とした表情で、最愛の男を真っ直ぐに見据えていた。

 その姿を、耕作は素直に美しいと思っていた。

 そして一瞬、惚けてしまっている。

 もっともその様子に気づいたミーコが、静音に向けて唸り声をあげると、すぐに我に返ったが。

 

 ドアが閉じ、静音は去っていく。

 彼女の足音が消え車が遠く走り去るまで、耕作とミーコは一言も口をきかなかった。

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