子猫と令嬢に愛された青年は、修羅場の海を懸命に泳ぎ続ける 作:ソノママチョフ
静音が去った後の、部屋の中。
耕作はベッドで横になりながら、周囲を見回した。
ちなみにミーコもベッドに横たわり、耕作に身体をすりよせている。
「ミーコ」
「なに?」
「これ、どうしようか」
耕作が目で指し示した情景は、惨憺たるものだった。
台風にでも襲われたかのように、ありとあらゆる家具、物品、さらには衣服までもが散乱していた。
二人がいるベッドにしても、普段の壁際から部屋のほぼ中央まで移動している。
さらに冷蔵庫が逆さまになっているのを見た時には、耕作も思わず絶句していた。
「うー……」
ミーコは両手の人差し指を突き合わせ耳も垂らし、困ったような唸り声をあげた。
惨状を引き起こした張本人なので、当然の反応ではある。
耕作は苦笑すると、ミーコの頭を撫で、優しく声をかけた。
「まあ、幸い今日は休みだし。二人でやれば、片付けも早く終わるんじゃないかな」
「ニャ!」
ミーコは嬉しそうな鳴き声を上げた。
耕作を抱きしめる腕に、力を込める。
さらに愛情に満ち溢れた表情で、首筋を耕作の胸元へこすりつけた。
ミーコはさらに身体をせりあげ、耕作に覆いかぶさる格好となった。
愛する男の顔を、真正面から見つめる。
「コーサク……」
「……ミーコ」
ミーコの瞳は潤み、頬は赤い。
息遣いも荒くなっていた。
発情の色が、全身で露わとなっているのだ。
わずかに舌を覗かせた可愛らしい口唇が、耕作に迫っていく。
耕作は唇を重ねられるよりも早く、口を開いた。
「交尾ならしないぞ」
「ニャ!?」
予想外の言葉を聞かされて。
ミーコは身体を起こし、抗議の声を上げた。
「なんで!? 今すっごく愛が盛り上がって、頂点に達した感じになったのに!」
「なんだそれは。静音さんが言ってただろ、ミーコと恋人になると、悪魔に魂を取られるのが確定するから駄目」
「そ、そんな!」
恋情の頂から、奈落へと突き落とされて。
ミーコは目に涙すら浮かべて耕作にすがりつき、懇願を始めた。
「じゃあ先っちょだけでいいから」
「駄目」
「じゃあ指二本だけでいいから」
「駄目」
「じゃあ、指の第一関節まで」
「駄目ったら駄目」
「そ、それならせめてキスだけでも……」
「それも駄目」
「なんで!?」
キスしたら俺が我慢できなくなる。
とは、さすがに耕作には言えなかった。
「とにかく駄目」
「生殺しだニャー!」
ミーコの悲痛な叫びが、部屋中に響き渡った。
耕作は黙ってミーコの頭を抱え、両手で抱きしめる。
そしてミーコの、尚も行為を迫り続けてくる声を聞き流しつつ、思考の海へ沈んでいった。
色々なことがありすぎた。
問題は解決しないどころか、余計ややこしくなった気がする。
しかしこれから自分がやらなければならないことは、はっきりしている。
ミーコの魂が悪魔に取られるのを阻止することだ。
そのためにも契約が完了する、つまりミーコと恋人になるのは避けなければならない。
とは言っても、どこまでミーコの誘惑に耐えられるだろうか。
この点については、自分でも全く自信がない。
いっそのこと、自分も地獄へ行く方法を探した方が良いのだろうか。
そうすればミーコが悪魔に魂を取られた後も、傍にいてあげられるかもしれない。
二人一緒なら、どんな環境でも少なくとも寂しくはないのではないか。
……馬鹿な考えだろうか。
「こんど静音さんに会ったら、どうすれば地獄へ行けるのか聞いてみようか。素直に教えてくれるとは思えないし、正直に言えばしばらくは会いたくないんだけどね……」
その声は小さすぎて、ミーコの耳にも届かなかった。
――――――
静音は帰宅すると、すぐに自室へと向かった。
部屋に入る直前。
つき従っていた加藤へ、声をかける。
「こんな時間に誰が来るとも思えないけど。来客があっても取り次ぎは不要です。誰一人、私の部屋へは入れないように」
「かしこまりました」
恭しく返事をする加藤に対し。
静音は、冷え切った眼光を浴びせた。
「こんど裏切ったら、容赦しないわよ」
剃刀で切りつけてくるような言葉を受け、加藤は大量の冷や汗を流す。
最敬礼をすると、扉が閉まってからも尚しばらくの間、顔を上げなかった。
「そろそろのはずだけど……」
個室としては広すぎる部屋の中央で、静音はスーツ姿のまま何かを待っていた。
照明は落とされており、全てが闇の中にある。
やがて部屋の片隅に、蝋燭の炎ほどの、ごく小さな光が現れた。
その光はあっという間に、光量と大きさを増していく。
四方八方を明るく照らし出すと、姿を変え、翼を生やした少女となった。
少女の外見は、静音の正体である天使と同じぐらい美しかった。
年齢は十代後半ほどに見える。
彼女は翼を羽ばたかせて浮き上がると、ゆっくりと移動し、静音の前で着地した。
静音が顔をほころばせ、声をかけた。
「お久しぶり、サラサ。お元気そうで何より」
「ああ、まったくもってしばらくぶりだ」
サラサと呼ばれた天使は、微笑みながら答えた。
しかしすぐに笑みをおさめると、片眉を上げて怪訝な顔を見せる。
「君も元気というか、そんな姿になっているとは。人間と同化したのか、それは」
「これについては、またの機会に説明するわ」
静音はサラサへ椅子に座るよう勧め、自身はベッドに腰かけた。
それから後、改まった口調で語りかける。
「それより私が依頼した件について、報告を頂けるかしら」
「随分と性急だな。まあいいだろう、ジーリア、それでは……」
ジーリア。
それは、静音の正体である天使の名だ。
ところが静音は本名を呼ばれたにもかかわらず、しっくりこないような、妙な違和感を覚えていた。
ごくわずか、眉間に皺を寄せる。
サラサも静音の様子に気づいた。
「どうかしたのか?」
再び怪訝な顔で問いかける。
しかし静音は頭を横に振り、問題ないという意志を示した。
腑に落ちない気持ちを残しつつ、サラサは報告を始める。
「分かった。それではジーリア、依頼のあった二人が死後どうなるかを知りたい、ということだったな」
静音は首肯する。
サラサの言う二人とは、当然ながら耕作とミーコのことである。
静音は二人の情報を集めて光と化し、天国にいたサラサへ送っていたのだ。
彼らが死後、どのような運命を辿ることになるのか。
それを調べてもらったのである。
「まず、君が言うところの化け猫だが。魂は悪魔に取られるから地獄行きだな」
予想通りの返答を聞き、静音は唇の両端を上げた。
「やはりね。でも、悪魔との契約はまだ終了していない。今すぐ死んだとしたらどうなるのかしら?」
「君が分からないとは思えないが」
「天国の正確な判断を知りたいのよ」
静音の問いは、あの時もし耕作が説得を受け入れ、ミーコが殺されるのを許していたとしたらどうなったか、ということでもある。
サラサは肩をすくめ、答えた。
「今すぐ死んでも悪魔によって化け猫、つまり妖魔にされてしまっているからな。地獄行きだ」
「契約が終了しようとしまいと関係ない、ということね?」
「そうだ」
サラサは断言し、さらに説明を続けていく。
ミーコは悪魔に擬人化された時点で、その身に邪悪な力を帯びた存在となってしまっていた。
俗に妖魔と呼ばれるその存在は、悪魔の眷属でもある。
彼らは天国からすると不浄な生き物となるので、受け入れる訳には行かない。
つまるところミーコの魂は、どうあがいても地獄に落ちるのである。
ミーコが耕作の恋人になった場合は、魂は契約通り、死後すぐに悪魔のものとなる。
その前に死ねば、しばらくは地獄をさまようこととなるだろう。
しかし結局は、数多くいる悪魔、いずれかの手に落ちるはずだ。
違いはその程度にすぎない。
説明を聞き終えると、静音は深く頷いた。
彼女にとっては、しごく当然の話であった。
しかしこの事実を耕作に伝えれば、ミーコが殺害されるのを先刻以上の覚悟で阻止しようとしただろう。
だから伏せておいたのだ。
得心したような静音の姿を見て。
サラサは再び口を開いた。
「では続いて、吉良耕作という男だが……」
静音の心臓が、大きく跳ね上がった。