子猫と令嬢に愛された青年は、修羅場の海を懸命に泳ぎ続ける   作:ソノママチョフ

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悪魔は提案する

 悪魔は、以前と変わらぬ外見をしていた。

 耕作よりも年上、二十代後半ほどにみえる。

 身長も耕作より高い。

 

 黒い髪を胸に届くほど長くのばしている。

 顔立ちは整っており端正と表現しても良い。

 ただし顔色は青白く、血が通っているようには見えなかった。

 

 目には不気味な、情を感じさせない光が灯っており、ある種の爬虫類を思わせた。

 背に生えている羽は昆虫のような翅脈がありながらも、全体としては蝙蝠に近い外観をしていた。

 

 ミーコは戦闘態勢を保ったまま悪魔に対峙する。

 牙を覗かせ、威嚇の声をも上げた。

 

 悪魔は鼻で笑う仕草で、ミーコに応えた。

 さらに両手を開き、おどけたような声を出す。

 

「おいおい。俺はおまえの恩人だぞ? そう構えなくてもいいだろう」

「恩人?」

「忘れたのか? おまえが人間になれたのは誰のおかげだ?」

 

 ミーコは眉間に皺を寄せ、唇も歪めてみせた。

 顔と態度で不満をあらわにしたのだ。

 

 もっとも、悪魔の言う通りではある。

 ミーコは彼のおかげで人間となり、耕作の恋人になる資格を得た。

 この点については彼女も感謝せざるを得ない。

 

 しかし悪魔は契約の際、ミーコに曖昧な情報しか与えなかった。

 さらには「カノジョ」は一人よりも二人、多い方が耕作も喜ぶ、などという今となってはでたらめとしか思えないことも言っていた。

 半ば騙すようにしてミーコに契約を結ばせたのだ。

 そのおかげで彼女の魂は将来、悪魔が手にすることとなってしまった。

 

 ミーコは耕作と恋人になれるのであれば、魂などくれてやっても良いと思っている。

 だが耕作はミーコの将来を憂い、今も悩んでいるのだ。

 当然ながら彼は悪魔に良い感情など持っていない。

 

 耕作が不快に思う相手となれば、それが誰であれ、ミーコにとっても敵となる。

 彼女は悪魔に痛烈な言葉を叩きつけた。

 

「感謝はしてる。でも、コーサクの敵は私の敵だ!」

 

 敵意をむき出しにしたミーコを見て、悪魔は唇の片端を上げる。

 酷薄な、見る者を凍りつかせるような笑みが面上に現れた。

 

「あの男への思慕は、以前よりも深まったようだな。結構なことだ」

 

 満足げに告げると、悪魔は自分の長髪を指先で絡めとり、うっとりとした目で眺めた。

 自己愛に満ちたその所作を見て、ミーコは鼻白む。

 悪魔は黒髪をひとしきりいじくり回すと、ミーコに向き直った。

 

「本題に入るとしよう。今日はおまえに、一つ提案をもってきた」

「提案?」

「あの男にとっても良い話だ」

 

 あの男。

 つまり耕作のためになる話だと、悪魔は言っている。

 その言葉の魅力にミーコは逆らえなかった。

 目の前の相手が信用ならないのは重々承知していたが、それでも彼女は話を聞こうとした。

 

「どういうことかニャ?」

「契約を解除してやろう」

「え?」

「おまえが同意さえすれば、その瞬間に契約は消滅する。おまえは元の猫に戻り、魂も守られる」

 

 悪魔の話を聞き、ミーコは一瞬、呆然とした。

 彼女にとって予想外の申し出だったのだ。

 

 契約が消滅し、魂は守られる。

 これはミーコにとって悪い話ではない。

 

 だが猫に戻ってしまえば、耕作の恋人になる可能性も消滅するのだ。

 それは彼女にとって悪いどころではない。

 最悪の話であった。

 

 ミーコは激怒した。

 まなじりを吊り上げ、部屋中に怒声を轟かせる。

 

「何を言い出すかと思えば、ふざけるな!」

「短い期間ではあったが、人間としてあの男と暮らせたんだ。これ以上の高望みはやめておけ」

 

 悪魔の態度は依然として居丈高である。

 しかし声音には諭すような、穏やかな響きが込められていた。

 

 だからと言って、ミーコが説得を受け入れるはずもない。

 

「断る! 私はコーサクの恋人になって、ずっと一緒に暮らすんだ!」

「おまえがそう願ったとしても、あの男はどうなんだ?」

「なに?」

「おまえが猫に戻ることを望んでいるんだろう。違うのか?」

 

 ミーコは絶句してしまった。

 悪魔の言葉が冷水となって降り注ぎ、怒気を一瞬にして鎮火させてしまったかのようだった。

 

 ミーコは考える。

 悪魔の発言は間違ってはいない。

 実際、耕作は静音に対し、ミーコを猫に戻す方法はないかと聞いていたのだ。

 この事実は変えようがない。

 

 だがしかし。

 耕作は同時に、ミーコを完全な人間にする方法はないか、とも聞いていたのだ。

 それを思い出し、ミーコは覇気を取り戻す。

 傲然と胸を張り、悪魔へ答えた。

 

「違う!」

「ほう? どう違うんだ?」

「コーサクは、私を心配しているだけだ!」

 

 耕作は、ミーコの魂が悪魔の手に渡ってしまうということについて嘆いている。

 そして彼女が人間になりきれていないことについても、悲しんでいた。

 このままではミーコは、いま平穏に暮らせないばかりか、将来は地獄に落ちなければならない。

 だから彼女を救うために猫に戻すという選択肢も考えている。

 

「でもそんな心配は、私が吹き飛ばしてみせる!」

 

 黄色い右目と青い左目に、決意の炎を燃え上がらせて。

 ミーコは断言した。

 

「コーサクの悩みは、私が解決する! そしてコーサクを、世界一しあわせにしてみせる!」

「おまえが解決するだと? どうやって?」

「……それはまだ分からないけど。でも、きっとやってみせる! だからおまえは引っ込んでろ!」

 

 これ以上ないほどの勢いで、ミーコは悪魔の提案を拒否した。

 

 悪魔は眉間に皺を寄せる。

 顎を上げ、傲然とミーコを見下ろした。

 続いて発せられた声には、低く冷たい、聞く者の心臓を握りつぶすような威圧感があった。

 

「思い上がりもほどほどにしておけよ、小娘」

 

 悪魔は一歩、足を踏み出した。

 足下から墨をぶちまけたような、黒い染みが床に広がっていく。

 周囲にも、どす黒い瘴気が立ち上り始めた。

 

「俺が契約を解除するなど、本来はありえないことなのだ。それを……」

 

 瘴気は次第に勢いを増していった。

 部屋中が闇に覆い尽くされようとしている。

 

 異様な光景を目にしながらも、ミーコは怯むことなく戦闘態勢を取った。

 姿勢を低くして激突に備える。

 彼女の周囲では冷気が渦を巻き始めていた。

 春から厳冬へと、室温が急激に下がっていく。

 

 その時。

 悪魔が、なにを思ったのだろうか、急に足を止めた。

 目を細めてミーコの様子を観察する。

 やがて小さく舌打ちを漏らすと、右手をひるがえした。

 

 ほとんど間を置くことなく、キッチンから包丁が飛び出してくる。

 凶器は空を切り、ミーコに向け豪速で突進した。

 

 ミーコは即座に反応する。

 超能力を発動させ、眼前で包丁を弾き返した。

 高い金属音が鳴り、凶器は天井に深く突き刺さる。

 

「貴様!」

 

 ミーコが叫ぶ。

 冷気が彼女の怒りに同調し、勢いを増して台風と化した。

 さらにはナイフやハサミといった凶器があちこちから飛び出し、悪魔を包囲した。

 

 自身を取り囲む凶器の群れを、悪魔は無感動な目で眺めていた。

 視線をミーコに戻し、問いかける。

 

「小娘、おまえの身体に起きた変化は人間になったことと、物体や熱を操る超能力を得たこと。その二点で間違いないな?」

 

 悪魔からは不機嫌な様子が消えていた。

 発言からも、事実を確認する以上の意図は感じられない。

 

「それがどうした!」

「よかろう」

 

 悪魔は頷き、一歩退いた。

 部屋中に拡散していた瘴気も急速に引いていく。

 

「今日は引き上げるとしよう。しばらく時間を与えてやる。提案についてもう一度、よく考えておくんだな」

 

 悪魔は宣言し、再び身体を変化させていった。

 

「待て!」

 

 ミーコの静止も間に合わなかった。

 あっという間に、悪魔は闇の塊に変貌する。

 続いて拡散し、辺りを再び黒一色に染めたかと思うと、次の瞬間には消滅した。

 部屋には光と、日常が戻っていた。

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