子猫と令嬢に愛された青年は、修羅場の海を懸命に泳ぎ続ける 作:ソノママチョフ
……いや、諦めるわけにはいかない。
打開策を見つけなければ。
耕作は恐怖と戦いつつ、なおも考えた。
突破口を見出すため今一度、部屋の中を観察する。
カーテンのかかった大きな窓が目に入った。
あの窓から逃げ出せないだろうか?
一瞬、そんな考えが脳裏をよぎった。
だがすぐに頭を振り、その考えを否定する。
ここは三階なのだ。
窓から飛び出すなど、自殺行為である。
それに逃げ出したところで、解決にはならない。
焦るあまり馬鹿馬鹿しい考えを抱いてしまった。
耕作は己のうかつさに怒りすら覚えた。
他の手段を探すため、視線を窓から外そうとする。
だが、その時。
窓から一つ、小さな音が聞こえてきた。
小石がぶつかったような音だった。
切迫した状況の中。
耕作は一瞬、その音に気を取られた。
雨が降ってきたのだろうか?
ただ音の大きさからすると、衝突したのは雨粒より大きな質量をもつ物体のようだったが。
と、考える。
静音にはその音は聞こえていなかった。
それだけ耕作に集中していたのだ。
しかし耕作が窓を見つめて訝し気な顔をしたので、なにか異変が起きたことには気が付いた。
何事かと、耕作と同じように視線を窓に向ける。
その瞬間。
窓から先のものとは比較にならない、すさまじい音が鳴り響いた。
しかもその音は、一回では収まらなかった。
雨粒などであろうはずがない。
機関銃で弾丸を撃ち込まれているかのような轟音が、炸裂したのだ。
音が発する衝撃は強烈だった。
窓だけでなく周囲の壁、さらには部屋中までもが激しく揺れ始めた。
「なっ!?」
衝撃のすさまじさに、耕作だけでなく静音までもが、窓と反対側の壁際まで飛びのいた。
間一髪の間をおいて。
窓は破砕音とともに砕け散った。
カーテンも吹き飛んだ。
強化ガラスが幾十、幾百もの欠片となり、大気中にばらまかれる。
そして光る物体が窓から飛び込み、広い部屋の中を一直線に貫いた。
物体は耕作と静音の中間地点の壁へ鈍い音を立てて激突し、停止する。
物体に目を向け、耕作は戦慄した。
それは包丁だった。
尋常でない勢いで壁に激突したため、刃が根元まで突き刺さっている。
耕作はつばを飲み込み、そして気が付いた。
「あれは、家の!」
そう。
包丁は、耕作が普段アパートで使っているものだったのだ。
ということは包丁を運んできたのは……。
耕作がそこまで考えた時。
部屋の中に様々な物体が、次から次へとものすごい勢いで飛び込んできた。
ハサミやカッターなどの刃物。
大きな石や釘、ブロック塀の一部らしきもの。
さらには大人用の自転車までもが。
窓枠を完全に粉砕し、壁を削り取り、文字通り弾丸のような勢いで部屋へ突入してきたのだ。
それら凶器は勢いのままに床や壁に衝突し、跳ね回った。
台風の真っただ中に放り込まれたような。
いやそれ以上の脅威が、耕作の周囲で発生した。
「しーちゃん、伏せて!」
耕作は静音に声をかけると、その場にうずくまった。
多少の怪我は覚悟して、とにかく頭だけは守る。
身体を縮めて丸くなり、嵐が去るのを待った。
だが凶器の群れは、耕作には襲い掛かってこなかった。
伏せている耕作の視界は、ほとんど無いといっていい。
それでもあらゆる方向から激しく物がぶつかる音が聞こえたので、凶器が暴れまわっているのはよく分かった。
しかし耕作にはかすりもしなかったのだ。
やがて全ての凶器が動きを止めたらしく、部屋には静寂が訪れる。
耕作は顔を上げた。
部屋中が破壊され、爆撃を受けたかのような惨状となっていた。
特に祭壇には自転車が突っ込み、原形をとどめないほど破壊されていた。
かつて窓があった場所にも、今は大穴が開いている。
夜の冷たい外気が流れ込み、部屋に充満していた甘い香りを吹き飛ばした。
静音は壁際で呆然として、立ち尽くしていた。
どうやら彼女も無事らしい。
耕作はそれを見て取って、安堵のため息をついた。
すると同時に。
部屋の中に最後の、そして最も特徴的な物体が飛び込んできた。
その物体は耕作の目には最初、青く丸い、巨大な球のように見えた。
回転しながら飛び込んできた物体は、部屋の中央で動きを止める。
その瞬間、耕作は物体の正体に気が付いた。
「あれは確か、俺が使っている毛布……?」
青い物体は、耕作が就寝時に使っている毛布だったのだ。
今は毛糸玉のように丸くなっている。
毛布は続けて形を崩したかと思うと、高く、天井まで飛び上がった。
しかし耕作の目は、もうその動きを追ったりはしない。
先ほどまで毛布があった場所にたたずむ、一人の少女に向けられていた。
少女は黒と白を基調とした、上下そろいのブラウスとスカートを身に着けていた。
流れる髪は腰に届くほど長く、白・茶色・黒の三色で彩られている。
頭の上には二つの突起物、猫耳が生えていた。
美神の愛娘とでも称すべき完璧な美貌の中、黄色い右目と青い左目が耕作をとらえ、涙をにじませた。
「コーサク!」
「ミーコ!」
お互いに呼びかけるやいなや。
二人は共に笑顔を浮かべ、駆け出していた。
しかし抱擁は阻止される。
鈍く光る物体が、二人の間を豪速で通過したのだ。
危険を察し、二人は足を止める。
部屋の一方の壁から、心臓に響くような重低音が聞こえた。
包丁が先ほどとは別の壁に突き立てられたのだ。
包丁はまたしても根元まで壁に食い込んでいた。
その様子を見て、耕作は振り返る。
静音が顔を般若に変え、仁王立ちしているのが目に入った。
耕作は息をのみ、考える。
壁に埋まった包丁を引き抜き、さらにあれほどの威力で投げつけるとは。
やはり静音の腕力は尋常ではない。
ミーコに攻撃されて無事で済んだのも異常だ。
耕作が無傷だったのは理解できる。
ミーコが守ってくれたのだろう。
だが静音には容赦しなかったはずである。
頭を伏せていたので見えなかったが、静音はどのようにしてミーコの攻撃を防いだのだろうか。
耕作は一歩、後退して静音を見つめる。
静音は耕作の、疑わし気な視線に気づいているのかいないのか。
背筋の凍るような眼光をミーコに向けたまま、微動だにしなかった。
他方ミーコも髪を逆立て牙を剥きだし、静音に勝るとも劣らない恐ろしい表情を見せていた。
美女と美少女が、今まさに戦いを始めようとしている。
しかし戦端が開かれる前に。
扉を叩く大きな音が彼女らの耳に届いた。
「お嬢様! ご無事でございますか!?」
声の主は加藤だ。
騒動を耳にして主人の安否を確かめに来たのだろう。
鍵がかかっているため中には入れないので、必死に扉の外から呼びかけてくる。
静音が扉を一瞥した。
苛立ちを隠そうともしない、ひび割れた声を出す。
「加藤さん。今夜は私の部屋からどんな物音がしても手を出さないように、と、命令しておいたはずだけど?」
「ですがお嬢様、今の騒ぎは一体……!」
「まあいいわ。他の人たちにも改めて伝えて頂戴。今夜これから私の部屋でどんな物音がしようが、どんな騒ぎが起ころうが、手出しは一切無用、とね」
加藤は答えなかった。
主人の命令と肉親への愛情がせめぎあっているのだろう。
静音が冷淡きわまりない口調で、再度命令した。
「加藤さん、返事は?」
長い無言の時が過ぎた後。
加藤は答えた。
「……かしこまりました」
「もちろん警察への通報も無用よ。分かっている?」
「もちろんでございます」
「じゃあ結構。早く下がりなさい」
「お騒がせしました。ご無礼をお許しください、お嬢様。……失礼いたします」
部屋の外で加藤は必死に表情を消し、頭を下げている。
耕作には、そんな光景が見えるような気がしていた。