子猫と令嬢に愛された青年は、修羅場の海を懸命に泳ぎ続ける 作:ソノママチョフ
情景は一瞬にして凄絶なものとなった。
包丁やハサミ、角ばった石に釘の打ち付けられた木片、さらにはタンスの引き出しから自転車に至るまで。
様々な物体が紙吹雪のように宙を舞い、旋回し、壁や天井に激突していた。
全ての物体は速度を上げ続けて巨大な弾丸と化し、静音に突進する。
しかし同時に。
それら凶器の群れは、ミーコへも襲い掛かっていった。
「え!?」
耕作は、思わず声を上げていた。
凶器はミーコが操っているはずである。
だのになぜ、彼女にも攻撃を始めたのだろうか。
ミーコが超能力の使い方を誤ったとは思えない。
ということは、まさか……!
耕作が考える間にも、戦いは激しさを増していく。
凶器が部屋中のあらゆる場所で衝突し始めていた。
ミーコに突進していたハサミが分厚い本によって動きを止められる。
一方、静音を包囲した石や岩の群れは、毛布によって薙ぎ払われていた。
全ての物体が弾丸の速度を持ち、さらに意志を持っているかのように動き回っている。
お互いに衝突し、戦い、激しい攻防を繰り返す。
その目まぐるしさは、とても耕作の目で追えるようなものではなかった。
耳に届く音もすさまじいものとなっていた。
物体が宙を旋回する、風を切るような音。
凶器が激突する甲高い音や物体が砕け散る衝撃音。
それらの大音が、ひっきりなしに鳴り響いていたのだ。
激烈な戦闘を目の当たりにして、耕作も悟る。
間違いない。
静音も超能力を使っている、と。
異常なまでに強かった彼女の腕力、その正体も超能力によるものだろう。
だがなぜ、静音は超能力を使えるようになったのだろうか。
彼女の身体には、もう天使はいないのに。
しかも静音が使う超能力はミーコのそれと酷似している。
いや似ているというよりも、全く同じものに見えるではないか。
耕作が新たな疑問を抱いた、その瞬間。
「死ね!」
ミーコと静音は咆哮した。
冷気の突風が吹き荒れる。
室温が、一気に十度以上も低下した。
暖春から厳冬へと急激に変わった環境に、耕作は肌に痛みすら覚えていた。
そして彼は見る。
冷気の竜巻が、数を二つに増やしているのを。
これまでミーコの周囲で渦を巻いていた、白い霧のような冷気。
それが静音の周りにも発生していた。
「……やはり、同じ力!」
耕作は呟き、思い出す。
今日、静音自身が言っていたことを。
――私の魂が発揮していた力はあの子……ミーコさんが使っていた超能力と、ほぼ同じ属性を持っていたらしいの。
あの言葉通りなのだ。
静音が使っている超能力は、ミーコとほぼ同じものなのだろう。
しかし、そうだとすると……。
耕作の思考は、そこで中断する。
戦闘がさらに激しさを増したのだ。
どれだけの物体が宙を飛び、舞い、突撃し、そして防御しているのか。
もはや数えきれない。
間違いなく百や二百は超えているだろう。
弾丸が飛び交う戦場の最前線に匹敵するような、いやそれを上回る光景が耕作の眼前で展開している。
「すごい……!」
耕作は恐怖しながらも、どこか感嘆したようなため息をもらしていた。
そして、今さらながらに思う。
自分はこれほどまでに激しい戦いの至近距離にいながら、なぜ無事でいられるのだろうか、と。
落ち着いて周囲を観察する。
答えはすぐに分かった。
耕作の周囲では戦いが発生していなかったのだ。
台風の目のごとく。
荒れ狂う室内で、耕作の近くだけは唯一、平穏を保っていた。
凶器も一つたりとも飛んでこない。
まれに耕作めがけて突進するような動きを見せても、激突する直前で方向を変えている。
ミーコと静音は尋常でない戦いを繰り広げながらも、耕作だけは守っていたのだ。
そうと気づいた時。
耕作は戦いを止める方法を、一つだけ思いついた。
それはミーコと静音の中間地点、戦闘の最前線に飛び込む、というものだ。
二人とも耕作だけは傷つけないようにして戦っている。
であれば、耕作が二人の間に割って入れば、戦いを中断せざるを得なくなるだろう。
それから二人を説得する。
だがそれは、自分の身を危険にさらすことでもある。
耕作は恐怖し、足の震えを自覚した。
耕作はこれまで広い部屋の壁際にいた。
戦闘の中心からは距離を置いていたのだ。
だからミーコにしても静音にしても、彼を守れていたのかもしれない。
しかし最前線に飛び込めば、そうもいかなくなるだろう。
二人が凶器を操作しきれなくなれば、耕作は大けがを負うだろう。
いや、命さえも失うかもしれない。
彼女たちの戦いは、それほどに激しいものだった。
二人の間に割って入るべきか、否か。
耕作も決心しきれずにいた。
その時。
「しぶといわね! 捨て猫じゃなくてゴキブリだわ!」
静音が怒鳴り声をあげた。
果てしのない戦いに、苛立ちを覚えたのだろう。
耕作は、恐ろしい光景を目撃する。
部屋の一角に置かれた、巨大な天蓋付きのベッド。
それが浮き上がっていた。
「死ね!」
静音が怒声を上げる。
ベッドは声に従い、ミーコへ突進した。
「ミーコ!」
耕作は叫び、ミーコのもとへ駆け寄ろうとした。
しかし、とても間に合いそうにない。
ベッドは信じられないほどの勢いでミーコへ迫っていた。
だが、しかし。
「乳がでかいだけのバカ牛が!」
ミーコが吼えた。
その途端。
宙に浮かんでいた様々な凶器が、一斉に矛先を変えた。
静音の攻撃を阻止すべく、ベッドへ殺到する。
包丁が突き刺さった。
石弾が激突する。
さらには祭壇や自転車までもが、四方八方からベッドに攻撃を加えた。
機関銃の射撃のような、連続した爆裂音が鳴り響く。
ベッドは木っ端みじんに吹き飛んだ。
ところが。
バラバラになったベッドもまた、宙で動きを止める。
全ての破片が切っ先をミーコに向け、再度おそいかかった。
ミーコはひるまない。
鼻で笑ったような仕草を見せたかと思うと、再び様々な凶器を操り、応戦していった。
凄絶きわまりない戦いを見て。
耕作は決断する。
このままでは取り返しのつかないことになる。
自分が止めるしかない、と。
死ぬかもしれない。
少なくとも五体満足で済むとは思えない。
だが、ミーコと静音を助けるためだ。
であれば、命を捨ててもかまわない。
それが自分を、これほどまでに愛してくれた二人への、精一杯の恩返しだ。
耕作は一つ深呼吸をする。
両こぶしを握り、今だ残っている恐怖の念を取り払うため、頭を二度振った。
そして床を蹴り、戦場の最激戦区へと駆け出した。
すると、同時に。
彼の視界が真っ白に染まった。
「!?」
耕作は思わず足を止めた。
ミーコか静音が、新しい超能力を使ったのだろうか。
そんな考えが脳裏に浮かんだ。
だが、それは誤りだった。
「ニャ!?」
「え!?」
ミーコと静音も意表を突かれたような声を上げたのだ。
それは彼女たちにとっても予想外の出来事が起きている、その証左だった。
物体が床に衝突する乾いた音が、あちらこちらから聞こえてきた。
ミーコたちの超能力が解除、あるいは阻止され、凶器がまとめて落下したのだろうか。
あっけにとられつつ、耕作はそう考えた。
視界が白く染まった理由も判明する。
耕作たち三人の中間地点に、太陽のような、強い光の塊が現れていたのだ。
この光は……。
まさか!
耕作が悟った、まさにその時。
部屋中に美しく澄んだ、だがゾッとするような冷たさをも帯びた声が響き渡った。
「化け猫、それにそこの死にぞこない、少し頭を冷やすことね。耕作さんの身体を髪の毛一本でも傷つけてごらんなさい」
一拍の間を置いた後。
声は宣告する。
「生まれてきたことを後悔するような目にあわせてやるから」
その声に、耕作は聞き覚えがあった。
息をのむ彼の前で、光の塊は徐々に姿を変えていく。
人型になり。
白い衣をまとった少女となり。
背から白く輝く羽を生やし、やがて頭上に金色の輪を浮かべた。
現れた、神々しいばかりの美少女を見て。
耕作は叫ぶ。
「貴女は!」
「ああ……耕作さん耕作さん耕作さん! どんなに会いたかったことか!」
かつて耕作と恋仲になるため、静音の身体を支配した天使。
ジーリアが、そこにいた。
目に涙を浮かべ、歓喜の表情で耕作を見つめている。
耕作は事態の急変に、ただただ唖然としてしまう。
ジーリアにどんな言葉をかければよいのかも、とっさには思いつかなくなっていた。
その間に、情景は再び変化する。
室内が今度は黒一色に染まった。
「これは……!」
耕作とミーコ、それに静音も声を上げていた。
その声に呼応するかのように、部屋の様子はさらに姿を変えていく。
広がっていた闇が一隅に収束し始めた。
集まった闇はどす黒く丸い、不気味としか表現しようのない塊となる。
その塊もあっという間に形を変えていった。
人型になり。
黒いタキシード姿の男となり。
背中から禍々しい、虫のような翅脈が入っている羽を生やす。
「どうやら間に合ったようだな」
現れた男――悪魔は爬虫類を思わせる目で、場にいる全員の顔を眺め渡した。