子猫と令嬢に愛された青年は、修羅場の海を懸命に泳ぎ続ける 作:ソノママチョフ
「それは二十粒ほどの小さな種だ」
「種?」
耕作の問いに、ベルゼブブは首肯を返した。
ベルゼブブが見つけた、小さな種。
それは硬い焦げ茶色の殻で覆われた、一つ一つが指先でつまめる程度の大きさしかないものだった。
見る限りは植物の種としか思えないだろう。
だがその種は、地獄の最下層という過酷きわまりない環境を生き延びていたのだ。
どうやってここまでたどり着いたのか。
なぜ、これまで無事でいられたのか。
ベルゼブブはその種に疑問と多大なる興味を抱いた。
そこで種を全て回収し、懐へと納めた。
ベルゼブブはやがて地獄の最下層からの脱出を果たす。
すぐにサタンの元へ向かい、膝をつき、改めて服従を誓った。
だが種については黙していた。
その日からベルゼブブは種の研究を始めた。
過酷な環境を生き抜いた秘密を解き明かすために。
そして試行錯誤を繰り返し、数多くの失敗を積み重ねた末、彼はついに目的を達成した。
「種が秘めていた力……それは他者の感情を魔力に変換するというものだった」
「感情を魔力に変換?」
耕作は再び問いかけた。
両隣ではミーコと静音が、神妙な顔でベルゼブブの話に聞き入っている。
「そうだ。人間にも分かりやすく説明してやろう」
ベルゼブブの低く重い、しかしよく通る声が部屋中へ浸透していった。
魔力とは。
悪魔や天使が魔法、あるいは超能力と呼ばれる不思議な力を使う際、燃料となるもののことだ。
基本的には悪魔や天使、個人個人の体内に蓄積されている。
彼らはそれを消費して宙に浮いたり火の玉を作ったりといった奇跡を起こす。
つまり魔法を使う際には本来は代償が必要となるのだ。
「ところがその種は他者の感情、喜怒哀楽などを取り込み変質させ、魔力へ作り替えることができた」
感情は心の中にあるものだ。
使えば消費するといった類のものではない。
ある意味、無限に湧き出てくるものとすら言える。
無限に発生する感情を、燃料へ変換する力。
それは「無」から「有」を生み出すもの、とすら言えるだろう。
その可能性は計り知れない。
「種が自然に生まれ出でたものなのか、誰かがなんらかの意図をもって作り出したものなのか、それは今も不明だ」
だが仮に、何者かによって作り出されたのだとしたら。
種が地獄の最下層に放置された理由についても、ある程度は想像がつく。
「種の力は、作成者が想定していた以上のものだったんだろう。だからその可能性と危険性を恐れて、地獄の底に捨てたのだ」
と、ベルゼブブは述べた。
だが種は過酷きわまりない環境をも耐え抜いた。
種の力となったのは、やはり他者の感情であろう。
サタンによって地獄の最下層へ落とされた悪魔たち。
彼らの恐怖や憤怒、あるいは絶望といった負の感情を取り込み、力に変えていたのではないだろうか。
と、ベルゼブブは考えている。
種の秘密を解明した後。
ベルゼブブはさらに長い時間をかけ、種を改良していった。
その可能性を最大限に引き出し、己の力とするため。
強力な魔道具に作り替えていったのだ。
ベルゼブブはやがて、満足できるだけの試作品を三つ完成させる。
その能力はどのようなものなのか。
ベルゼブブは得々と説明を始めた。
「種を何者かの体内に埋め込むと、種はその人物……まあ宿主とでも言おうか、そいつの身体と完全に同化し、願いをかなえるための魔法を発動させる。その際には、宿主の感情を魔力として使う」
「……」
「だが種が使える魔法は一粒につき一つきりだ。最初に使った魔法を、その後も延々と使い続ける。もっとも宿主の感情が高まるようなことがあれば、その時は魔法の効果もより高くなる」
ベルゼブブの話を聞き、耕作は戦慄する。
彼は理解したのだ。
種が持つ能力の可能性と、底知れぬ恐ろしさを。
種は感情を力に変える。
そして人間が抱く感情は、当人の願望と深いかかわりがある。
大抵の人間は願いがかなえば喜ぶし、希望に沿わないようなことがあれば悲しむか憤るだろう。
ということは、種は宿主の願望が強くなるほど力を増していくことになる。
さらに言えば人の願望や欲望には際限がない。
可能であれば全てを手に入れたいと思う、それが人間なのだ。
例えば幼い子供がスポーツを始め、プロ選手になる夢を抱いたとする。
そして実際に夢をかなえたとして、それで満足するだろうか。
勿論そういう人物も皆無ではないだろう。
だが多くの場合、より上を目指していくはずだ。
日本一の選手になりたい。
さらには世界一の選手になりたい、という欲が出てきて当然である。
権力を求める者となれば、この傾向はより顕著になる。
歴史上に現れる独裁者の中には、権力欲の果てに自国だけでは収まらず隣国をも併呑した者が数多くいる。
世界制覇までをも目指した例もあるのだ。
だが多くの場合、願望はやがて本人の能力を追い越し、実現不可能なものとなる。
そうなると多くの人は自分の夢に見切りをつけ、欲望を封じ込め、妥協点を見出す。
あくまで夢を追い求める者もいるかもしれない。
だがその場合、結局は挫折する羽目になる。
独裁者が野望の果てに自滅するのは歴史上によくみられる事例だ。
だが、願いが強くなるに従い、自分の力も増していくとしたら?
欲望に比例して、より強大な力を得られたならば?
そんなことが可能となれば、その人物はやがて神にも届くような力を得るかもしれない。
ベルゼブブが求めていたものは、それだった。
無限の力を彼は欲していたのだ。
試作品を完成させた後。
ベルゼブブは自らが種を使う前に、まず誰かで効果を試そうと思いついた。
しかし地獄の住人に使うのはまずい。
他の悪魔に力を与えたりすれば、ベルゼブブの強敵にもなりかねない。
やはり人間界にいる、弱小な存在で試してみるのが良いだろう。
と、ベルゼブブは結論を出した。
「それでなぜ、ミーコを選んだんだ?」
耕作が険しい顔で問いかけた。
つまりベルゼブブはミーコを実験台としたのだ。
その事実によって、耕作は強烈な怒りを呼び起こされていた。
ベルゼブブは鼻で笑うような仕草を見せ、答える。
「理由は簡単だ。そこの小娘の願いは、おまえに恋人を作りたいというだけのものだった。それならば力を得たとしても大きな問題とはなるまい」
激しい出世欲や強烈な権力志向の持ち主に種を使えば、世界を覆すような事態にもなりかねない。
それでは悠長に実験を見守る訳にもいかなくなる。
ベルゼブブはその点を危惧していた。
「それに……」
ベルゼブブは視線をジーリアに向けた。
天使からは鋭い刃のような、殺気に満ちあふれた視線が返ってくる。
ベルゼブブは唇の端を上げ、嘲笑うような声をも出した。
「そこの天使がおまえの周りでウロチョロしていたのが見えたからな。種が天使に対抗して、どの程度の力を発揮するのかも分かるとなれば、これは好都合だ」
己の実験によって他者にどんな影響が及ぼうがかまわない。
観察対象としては、むしろ喜ばしい。
ベルゼブブの言葉からは彼が他者に向ける、残酷な感情が透けて見えていた。
耕作の怒りが、さらに激しく燃え上がる。
激情の赴くまま両こぶしを握り奥歯をかみしめ、ベルゼブブを睨みつける。
だがベルゼブブは神話にも名を残す大魔王だ。
耕作の眼光などに怯むはずもない。
涼しい顔で話を続けていった。
ミーコと契約し彼女に種を埋め込んだ後。
ベルゼブブは実験の経過を見守るため、あらかじめ種に仕掛けておいた通信手段を使い、定期的に様子を探っていた。
結果は満足できるものだった。
種はミーコの願いをかなえ、彼女を人間にし、さらに恋敵を退けるための超能力をも与えた。
発動した魔法も時と共に強さを増していった。
「そういうことか」
耕作は心の中でつぶやいた。
ミーコの超能力が次第に強くなっていった理由が、これではっきりした。
あれは彼女が胸に抱く、耕作への愛情がより深まったので、それに応じて強さを増していったのだ。
ミーコの学習能力が異常なまでに高かったのも同じ理由だろう。
彼女を人間にした魔法がさらに力を発揮し、身体を成長させたのだ。
ミーコは耕作を愛すれば愛するほど、より強く、賢く、美しくなっていく――。
「しかし問題が二つあった」
ベルゼブブの様子が、嘲り笑うようなものから一変した。
苛立たし気に髪をかき上げ、ミーコを見つめる。
ミーコは牙を剥きだした。
「問題? なんのことだ!」
「種が魔法を発動する順番に狂いがあった」
「……ニャ?」
ミーコは威嚇する姿勢を崩さないながらも、眉をひそめた。
耕作と静音も緊迫感を保ちつつ、怪訝な表情を見せる。
ベルゼブブは彼らの様子を眺めやったのち、苦虫を嚙み潰した表情で語り始めた。
先にも述べた通り。
種は宿主の願いをかなえるため、魔法を一つだけ発動させる。
つまり今回で言えばミーコの願いをかなえるために三つの魔法が使われるはずだった。
ただし種がどのような魔法を発動させるかについては、ベルゼブブにも分からなかった。
種が宿主の願いを受け入れ、それを実現させるのに最もふさわしい魔法を選択し、実行する時。
そこにベルゼブブの意志が介入する余地はなかったのだ。
だがそうなると、種が同時に魔法を使えば、三つが三つとも同じ魔法を選択してしまうかもしれない。
それでは願いをかなえるためだけでなく、実験という面からもあまり喜ばしくはない。
と、ベルゼブブは考えた。
そこで彼は、三つの種が段階を踏んで魔法を発動するように調整をした。
具体的に言えばミーコが耕作への愛情を深めるにつれ、それに応じて順次魔法を発動させるようにしたのだ。
こうすればミーコの願いが実現に近づく度に、その状況に最もふさわしい魔法が使われるだろう。
ところが。
「種は小娘を人間に変えると、すぐに物体や熱を操る超能力をも与えていた」
二つの魔法がほぼ同時期に発動した。
しかもその後、ミーコの愛情は高まり続けていったにもかかわらず、三つ目の魔法はまだ使われていない。
ベルゼブブは調整を失敗していたのだ。
こうなると実験についても想定できない要素が大きくなってくる。
ベルゼブブにとって、これは頭の痛いところであった。
「そして俺が想定していなかった、もう一つの問題は」
ベルゼブブは言葉を切った。
視線を耕作の隣に居る、女性へと向ける。
それからゆっくりとした動作で、右手人差し指を彼女に突き付けた。
「河原崎静音、おまえが生き返ったことだ」