子猫と令嬢に愛された青年は、修羅場の海を懸命に泳ぎ続ける 作:ソノママチョフ
スマートフォンが鳴っている。
耕作はミーコに待つように伝え、画面を確認した。
相手の名前を見るなり、耕作は「まずい」と思っていた。
しかし切る訳にもいかない。
ミーコに背を向けるようにして、通話を始める。
「吉良さん? ごめんなさい、何度か連絡したんですが。返信がなかったので気になってしまって……」
静音の、鈴を転がすような声が流れてきた。
彼女の言う通りで、耕作のスマートフォンにはメッセージの着信履歴が数多く残っていた。
だがミーコのことがあり、耕作は今の今まで気づけなかったのだ。
耕作は女性経験に乏しい。
だがそれでも、直感で自分が危険な状況にいると気づいた。
慌ててミーコから距離をとり、小声で話し出す。
「こちらこそすみません。ちょっと帰宅直後から立て込んでしまって……」
「何かあったんですか?」
「いや、大したことは」
「コーサク、誰と話してるの?」
横からミーコが口を出してくる。
耕作は動揺した。
「あら? どなたかいらっしゃるんですか?」
静音からも追及が飛んでくる。
動揺はあっという間に頂点に達した。
「いやいやいやいや! ちょっと親戚の子が遊びに来てまして!」
「親戚?」
静音が訝しげな声を出す。
耕作は「しまった!」と思っていた。
静音は、耕作が親戚一同から疎遠になっていることも知っていたのだ。
「いや、今さら和解したくなったらしいんですよ! それで使いをよこしてきたんです! でも子供を使いにするなんておかしいですよね、何を考えてるんでしょうか! それじゃ、話し合わなきゃいけないんで! 詳しいことはまた明日!」
苦しいどころではない言い訳であった。
それでも耕作は強引に電源を切り、通話を終えると、スマートフォンを手にしたまま肩で息をついた。
ミーコが再び問いかけてくる。
「コーサク。今の相手、誰かニャ?」
「会社の人だよ」
静音には明日、謝るとして。
今はこちらの問題を片付けなくてはならない、それも早急に。
耕作は考え、ひきつった笑みを浮かべた。
「ふーん。でもそいつ、メスなんでしょ?」
「男だよ」
「嘘」
嘘じゃない。
と、言いかけた時。
耕作は、ミーコの雰囲気が変わっていることに気が付いた。
瞳が濁り、暗く沈んでいる。
「おかしいな、コーサクが私に嘘をついた。今までそんな事なかったのに。コーサクが嘘をつくなんて……ううん、コーサクは悪くない。誰かがコーサクに嘘をつかせたんだ。きっとそうだ、そうに決まってる……」
ミーコの周囲には冷気が漂っていた。
室温が急激に下がる。
部屋の環境は春から厳冬へと変わった。
ミーコから放たれる冷気は、それほどに凄まじいものだった。
耕作はミーコと周囲の変化に唖然としつつ、考える。
寒い。
とてつもなく寒い。
室温は間違いなく十度以上も下がっているだろう。
だがそれにしては、おかしなことがある。
耕作は床に置かれたグラスを見た。
ビールが激しく泡立っている。
いや、ビールが泡立つのは当たり前だが、この泡の沸き方は……。
「沸騰している!?」
耕作は戦慄する。
同時に背後のキッチンから、高い金属音が鳴り響いた。
耕作は振り返り、キッチンに目を向ける。
棚から食器が飛び出し、床に散乱しているのが分かった。
さらにそれらの中で、今も振動を続けている物体があることにも気がついた。
それは包丁だった。
耕作の背筋に、氷柱が立つ。
包丁は動きを次第に大きくして、ついには跳ねるように飛び上がった。
そのまま宙に滞空する。
耕作の部屋へ切っ先を向けると、凄まじい速度で突進した。
「速い……!」
とても避けられない。
耕作は包丁に刺し貫かれることも覚悟した。
しかし、その予想は外れる。
「コーサクに嘘をつかせたのは誰だ!」
ミーコが叫ぶと同時に。
包丁は耕作の脇をすり抜け、窓に激突したのだ。
跳ね返り、床に転がる。
だがすぐに振動を再開し、またしても浮き上がって窓に激突した。
跳ね返されては、また浮き上がろうとする。
その行動を繰り返していた。
異様な光景を見ているうち、耕作は包丁が窓を突き破って外に飛び出そうとしているのだと気づいた。
包丁を操っているであろうミーコを抱きしめ、耳元で話しかける。
「ごめん、ミーコ! 確かに相手は女の人だ、嘘を言ったりして悪かった!」
耕作の、必死な呼びかけを聞いて。
ミーコは口から呼気を吐きだし、耕作の腕の中で崩れ落ちた。
包丁も動きを止め、乾いた音を立てて床に落ちる。
耕作はミーコを支え、顔を覗きこんだ。
顔色はわずかに青白くなっていたが、それ以外は特に変わりなさそうである。
耕作は安堵した。
しばらくの後。
ミーコは口を開いた。
「許さないから……」
その呟きを聞き。
耕作は、全身から血の気が引くのを感じていた。
しかしミーコが続いて、
「コーサクに嘘を言わせるような人は、私は絶対に許さないから……」
と言ったので、多少なりとも落ち着けた。
どうも自分に対して怒っていた訳ではないらしい。
と、思ったのだ。
とはいえあの包丁を放置していたらどこに向かい、どんな惨劇を引き起こしたか。
想像するだに恐ろしい。
耕作は考えると同時に、再び寒気を感じていた。
それにしても今のミーコの能力はなんなのだろうか。
調べておかないと、いつまた同じような目に合うか分からない。
耕作は深呼吸をして口を開いた。
「ミーコ」
「何?」
「よく嘘だって分かったな」
「そりゃ声が聞こえたからニャ」
なるほど。
と、耕作はミーコの猫耳を見つつ納得した。
猫の時と同様、聴覚は発達しているらしい。
「もう一つ、言わなければいけないことがあるんだが」
そう前置きしてから、耕作は告白を始めた。
「ミーコ。悪魔に魂を渡したら、レモンや唐辛子が敷き詰められた部屋に閉じ込められると言ったけど、あれも嘘だ」
「ニャ!?」
耕作は身構え、先ほどのような事態の発生に備えた。
しかしミーコの様子は変わりない。
冷気や、それ以外の異変も発生しなかった。
「怒らないのか?」
耕作は尋ねた。
「うー……ちょっと怒ったけど、私を心配したからそんな嘘をついたんでしょ? だったら大丈夫」
「じゃあ、さっきの嘘にはなぜあんなに怒った?」
「女のせいでコーサクが嘘をついたと思ったら、猛烈に腹が立ったんだニャ」
なるほど。
と、耕作は再び納得した。
「それと、どうやって包丁を操ったんだ?」
「頭が熱くなったら、勝手に動かせるようになって……」
「今でも動かせそうかな?」
「やってみる」
ミーコは答えると「う~」となにやら唸り始めた。
食器やその他の家具に至るまでを睨み、念力を込めている。
だが、どれもピクリとも動かなかった。
「ダメだニャア」
「いや、ありがとう。じゃあ……」
耕作はおもむろに立ち上り、パソコンに向かった。
そしてものすごく恥ずかしくはあったのだが、ネットできわどい格好をした女性の画像を検索し始めた。
ミーコは大人しく、耕作の行動を見ていた。
だが。
「コーサク?」
さすがに気になったのか声をかけてきた。
耕作は返答しない。
画面に集中し、様々な女性を眺め続けた。
ミーコの声色に、段々と剣呑な響きが含まれていく。
「コーサク、なんで……?」
そして、遂に。
耕作は背後から冷気を感じた。
「やっぱりか」
と思い、振り向こうとする。
だがそれよりも早く。
「コーサクを誘惑するな!」
ミーコの怒声が轟いた。
モニターが浮き上がり、天井に叩きつけられる。
耕作は大慌てでミーコの元に戻った。
彼女の身体を抱きしめ、落ち着かせる。
それから後。
自分の考えをまとめていった。
ミーコが見せた、物体を操る超能力。
その力の源泉は、おそらく嫉妬心にある。
先ほどのミーコは本人も言う通り、耕作が誰かのせいで嘘をついたという点に怒っていた。
誰かが自分と耕作の仲を引き裂こうとしたと、そう思ったのだ。
それが超能力の発動につながった。
怒りの対象が女だったという点も重要だと思われる。
実際、耕作がパソコンで女性を見ていただけでミーコは力を発動させた。
ミーコの、神様や悪魔によってかなえられることになった願いは、耕作に彼女を作るというものだ。
そしてミーコは今、自分自身が耕作と結ばれることでそれを成し遂げようとしている。
「願いを妨げる要素があれば排除しなければならない。この超能力も、そのために与えられたのだろうか」
耕作は暫定的に結論付けてみた。
あくまで想像に過ぎないが、真実と大きく外れていないようにも思える。
耕作の話を聞き、ミーコも自分の力をコントロールする方法を、なんとなく理解したようだった。
なんにしてもミーコを擬人化するだけでなく、やっかいな能力まで与えてくれたものだ。
神だか悪魔だか知らないが、やはりもう一度、話をしなければならないだろう。
彼らを呼び出す方法を、なんとしても見つけ出す。
それを最優先にしてこれからは行動しなければならない。
と、耕作は考えていた。
──────
「彼が嘘をつくなんて……」
ピンクを中心とした華やかな、ややもすると少女趣味とも捉えられかねない色調の家具が揃えられた部屋の中。
河原崎静音は、周囲の景色とは似つかわしくない、暗く青ざめた顔で呟いた。
彼女の手は今も、つながらない電話をかけ続けている。
どれだけの時間こうしているのか、彼女自身にも分からなくなっていた。
生気を失った表情で、彼女は思考を続ける。
耕作のことは、よく理解している。
彼が嘘をつくなど滅多にありえない。
なのにまさか、それが自分の身に降りかかるとは。
親戚の子が彼を尋ねてくるなどありえない。
それも分かっている。
ではあのとき聞こえてきた女の声は、誰のものなのだろうか。
自分が知る限り、彼の周りには自宅に上り込めるほど親しい女はいないはずだ。
そもそも女の影すら見えなかったのに。
いずれにせよ、嘘をついてまで傍にいさせようとする女だ。
危険きわまりないと言える。
今すぐにでも乗り込み、始末すべきだろうか。
……まだ早い、か。
耕作とは今日きっかけを作ったばかりだ。
彼の心が離れてしまっては、元も子もない。
穏便に済ますのか。
強行手段をとるのか。
決めるのは彼と話をしてみてからでも遅くはない……と、いいのだが。
「しょうがないわね」
静音はスマートフォンを床に叩きつけようとして、途中でその動きを止めた。
そして何処かの電話番号を引き出し、通話を始めていた。