病み夜の鎮守府   作:天寝子

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約束

 少しだけ開いた窓から夜の涼しい風が吹く。閉めたカーテンがゆっくりと揺れ、その静けさを際立たせてくれる。

 夜のこの時間は好きだ。寝る前のほんの一時、一瞬しか味わえないこの時間。

 ラフな格好に着替え、ベッドに入り、天井を見上げる。

 今日はいつも感じる視線がない。やっぱり俺の自意識過剰だったのだろうか。

 そんなことを考えていると、次第に重たくなった瞼が自然と閉じる。完全な暗闇の中、俺は眠りに落ちた。

 

 *

 

「提督〜、起きてー」

 

 体を揺さぶられ、徐々に意識が覚醒していく。目を開けると爽やかなエメラルドグリーンが目についた。にひひ、と小悪魔のような笑みを浮かべて俺の寝顔を伺っていた鈴谷だ。

 時計は午前6時を指す。まだ少し寝ていたい衝動を抑え、布団を思いきり引きはがす。

 カーテンはいつの間にか開いており、夏の朝の太陽が射し込んでいる。

 

「ん、鈴谷。窓閉めてくれるのはありがたいが、ちゃんと鍵も閉めてくれよ」

 

 同じくいつの間にか閉まっていた窓、その鍵が閉まっていないことを注意する。

 朝のコーヒーを入れに台所の方へ離れていた鈴谷が「んー?」と可愛らしくこちらに顔を向ける。

 

「あ、ごめん。鍵閉めてなかったっけ?次からは鍵も見るよ」

 

「窓を閉めたら鍵も閉めるだろ普通……」

 

「はーい」と気の抜けた返事で答え、コーヒーに砂糖をいくつか入れていた。鈴谷は結構な量の砂糖を入れるが、俺はあまり入れない。その事を知っている鈴谷は手際よく用意する。

 ゆっくりとこぼさないようにカップに集中する鈴谷の気を逸らさないように遠回りにクローゼットまで歩く。

 中には何着も同じ軍服が並び、その中のひとつを無作為に手に取る。

 別に鈴谷がいるから、と恥じる訳では無いが彼女も女性だ。男の着替えなど見たくはないだろう。

 そういう気遣いから明石に作ってもらった簡易更衣室で着替える。

 

 いつもの服装に着替え、ソファに座る。テーブルの上に置かれたコーヒーを喉へ流し、眠たげだった脳を完全に覚醒させる。鈴谷はまだ砂糖が足りなかったのか、「苦ぁ……」と舌を出してその苦さをアピールする。

 

「……ほら砂糖入れとけ」

 

「んー、いつもと同じだけ入れたはずなんだけどなぁ……。寝ぼけてたかな?」

 

 受け取った砂糖を全て注ぎ、口へ運ぶ。今度は大丈夫だったようで、苦いなどの文句は出てこなかった。

 鈴谷も寝ぼけるんだな、と笑う。「私だって寝ぼけますー」と頬を膨らませて対抗する鈴谷はどこか子供らしく見えた。

 

「さて、今日も一日がんばりますか」

 

 重い腰を上げ、机につく。用意された書類の量は心做しか昨日より少ない。もちろん、勘違いなのだろうが、気持ちだけでも少ないと思えれば楽だ。

 珍しく手伝っている鈴谷を見る。黙々と作業する姿は昨日、ソファでだらしなく寝転んでいた人物とはまるで別人。

 

「なにさー。私だってやる時はやりますー。それに今日は早く終わらせたいじゃん?」

 

「なんかあるのか?」

 

 細く艶のある指を顎にあて、「んー」と考え込む。

 本当に考えたのかと疑問に思うほどの速さで返事がくる。

 

「気分?」

 

「気分かよ……」

 

「あ、じゃあ提督と一緒に遊びたいから」

 

『じゃあ』とついている時点でそれは今思いついたことだろうに。

「にひひ」と笑う鈴谷を見ているとそんなことはどうだっていいと思える。

 

「さて、やるぞー!」

 

 いつになくやる気の鈴谷のおかげで今日の仕事は早く終えることができた。

 

 □□□□□□□□□□□□□□□□

 

「……ん?」

 

 仕事を終え、昼過ぎ。これから昼食でもと考えていた頃、何となく背後の本棚が気になった。理由をあげるならただの勘だ。本当に何となくなのだ。

 

「何してんのー?」

 

「いや本棚が気になってな」

 

 俺がそういうと鈴谷はソファで伸びをしたあとに、

 

「あー、そういうのたまにあるよね。なんかふと前読んだ本がまた読みたくなったり」

 

 と続けた。

 鈴谷の言葉に納得し、「ああ、そういうやつか」と思わされ一番近くにあった本を手に取り表紙の絵を見た。

 

「たしかにな。こういうの見てたらまた読みたくなるな」

 

「でしょー?」

 

 手に取った本をあとで読むために机の上に置き、席を立つ。

 

「お、やっと鈴谷と遊んでくれるのかなー?」

 

「まあな。どっか移動するか」

 

 そういうと鈴谷は込み上げてきた笑みを抑えきれない、という様子で俺の腕へ抱きつく。

 柔らかな感触が腕に当たるが、鈴谷はその反応を見て楽しむタイプだ。変に反応をすることはない。

 

 廊下へ出ても離れない鈴谷は艦娘達の注目の的だった。すれ違う艦娘達全員が鈴谷の方へ目を向ける。羨ましそうに見つめるものや、同じように抱きつこうとするものもいたが、鈴谷の「今日は私のー」という一言でみんな諦めてくれた。

 

「……提督、そのように艦娘に手を出すのはよろしくないかと」

 

 暇つぶしに中庭へと思って足を運んだ矢先、先にそこにいた加賀から注意を受けた。隣にいる赤城はなぜか笑っている。

 

「ああ、すまん。ほら鈴谷、離れろって」

 

 少しムッとした表情を見せたあと「はーい」と素直に離れてくれた。加賀は離れたあとも不機嫌そうに口元を歪めていたが、いつも通りと言われればそんな気がしてくる。

 相変わらず隣の赤城は笑っていた。

 

「提督、仕事の方は終わったのかしら。もし終わってないでこんなところに出歩いてるのなら――」

 

「大丈夫ですよー、今日は鈴谷のおかげで早く終わりましたから」

 

 離れろ、と注意されたことを根に持っているのか、鈴谷が少し煽るように対抗する。いつもより口をへの字に曲げ、加賀は「そうですか」と強めに言った。

 

「加賀さん、こういう態度ですけどただのツンデレですよ。あまり気にしないでくださいね」

 

 静かに笑っていた赤城がようやく口を開いた。笑いすぎたのか、お腹を抑えている。

 赤城の言ったことに加賀は「違います」と頬を赤くして怒る。本気なのかツンデレなのか俺には区別がつかない。こういうとき相手の心が分かれば、なんていう風に思ってしまう。

 

 赤城が横によけ、少しだけ空いたスペースに座らせてもらう。隣にはすかさず鈴谷が座り、加賀と火花を散らしている。

 

「そう言えば提督。昨日、暁ちゃんに何をしていましたか」

 

 冷たく、暗い瞳がこちらを覗く。これは怒っている目だ。前にも一度注意を受けたはずなのにそれを忘れてまた……なんて怒られて当然だ。

 加賀の瞳には俺が約束を守らないろくでなしに写ったのだろう。

 

「すまない。……加賀から注意を受けたというのに……」

 

「えぇ、だと言うのに提督はそれを守ってくれなかった。私は酷く傷つきました」

 

 重い声。その声からは本当に加賀が傷ついたことが心の奥底まで伝わってくる。

 

「正直、あのようにされるのは…………不快です」

 

 不快。言われるかもしれないとは心のどこかで感じていた。

 けれど面と向かって言われるとやはり、きつい。

 心臓が潰されそうになるほどの罪悪感。加賀の期待を裏切ってしまったという自責の念。

 

「まあまあ、加賀さんも落ち着いてください。提督にだって言い分はあるんですから。ね?提督」

 

 その言葉は優しく俺へ手を差し伸べているように聞こえた。けど、なぜか俺はそれを優しいとは思えなかった。

 

 間に挟まれた鈴谷は所在なさげに中庭に生えた草や花に視線を向けている。そんな様子を見てさらに申し訳なさが込み上げる。

 

「……いや、俺に言い分なんてないさ。加賀の注意を――」

 

「そうですか。では明日一日私を秘書艦に置いてください」

 

 加賀がそういうといの一番に反応したのは鈴谷だ。大声で「は?!」と言ってしまうほどに驚いている。

 

「不思議なことではないでしょう?提督の行動を一日見ます。それで反省してるかどうかを判断します。勿論、赤城さんも一緒にです」

 

 冷静に……いや冷酷に淡々と告げる加賀の瞳は暗い。

 対する鈴谷はベンチから立ち上がり、加賀に対し怒声を浴びせる。こんな鈴谷を見るのは珍しい。

 

「鈴谷、よせ。……加賀、それで君が俺を許してくれるというのなら俺は喜んでそれを受け入れよう」

 

「待ってよ提督!それは――」

 

 何かを言いかけた鈴谷に加賀が言葉で遮る。

 

「ありがとうございます。では明日、私と赤城さんが一日秘書艦です」

 

 その声は先程まで違い、重さや冷たさはなくなっていた。

 

 □□□□□□□□□□□□□□□□

 

「提督、秘書艦は鈴谷だけでいいじゃん」

 

 夜、いつまで経っても機嫌を治してくれなかった鈴谷がまだ執務室に残っていた。本当ならとっくに自室へ帰っているはずの時間帯。そんなことがどうでも良くなるほどに鈴谷は怒っているのだ。

 鈴谷の言い分もわからない訳では無いが、艦娘との交流を第一に考える俺としては加賀の意見は捨てられない。だからと言って鈴谷の言葉を無視していい理由にはならないが。

 

「鈴谷には後日埋め合わせをするよ」

 

「うっ……あ、そっ、それなら別に…………ってそんなんじゃ釣られないったら!あ、でも埋め合わせはお願い」

 

「……仕事抜きで遊んでやるから」

 

 俺がそう言うと鈴谷は下を向いてしまう。どこまでも譲らない俺の姿勢に諦めたのだろう。プルプルと震える手がまだ怒りが残っていることを告げている。

 俯いたままの鈴谷は小さな声で何かを呟いていた。が、俺にはそれを聞き取ることは出来なかった。

 

「なんでも」

 

「言うことを、だな。わかってるさ。その日一日は鈴谷の言うことに従うよ」

 

 俺がそう言うと鈴谷はゆっくりと顔を上げて「にひひ」と笑った。

 その笑顔を見るのはなんだか辛かった。

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