「提督、おはようございます」
いつもとは違う冷たい声で起こされる。目を開けばそこには凛とした表情で佇む加賀、そしてその後ろでにこやかな笑みを浮かべる赤城。
見慣れない光景に一瞬戸惑いながらも「ああ」と思い出す。
加賀との約束で今日一日秘書艦になってもらっているのだ。忘れていた訳では無いのだが、寝ぼけた朝の脳ではいつもと違うことを処理しきれず混乱してしまう。
「ん、窓閉めてくれたのか」
夏の夜は毎年窓を開けっ放しにして寝てしまう。その度に秘書艦になった艦娘達に閉めてもらっていた。一部閉めてくれなかった者もいたが。
「ええ、鍵も閉めておいたので気にしないで大丈夫ですよ」
「さすがだな赤城」
赤城が褒めてほしそうに胸を張っている。加賀は凛としてはいるが褒めてほしいのだろう、心做しかいつもより表情が柔らかい。
二人に礼を言い、着替えるために簡易更衣室へと……
「……あれ、なくなってる?」
あるはずの簡易更衣室が丸々消えていた。不自然な空間が元あった場所にポッカリと空いている。
「更衣室でしたら明石さんが改良したいとの事で取り外していましたよ」
急に?なぜこのタイミングで?事前に連絡はあっただろうか?
様々な疑問が頭をよぎったが、それを考える間もなく加賀がテーブルにコーヒーを置いた。
赤城と加賀が二人俺の対面に座り、三人でテーブルを囲む。いつもより人の多い執務室も悪くはない。
「提督、朝ご飯も食べた方がいいですよ。いつもコーヒーだけで済ますなんて体に悪そうです」
「ん?そうか?そんなことも無いと思うが」
俺が朝食をとらない主義だとどこで知ったのか。まあ、元秘書艦達であれば誰でも知っているか。そのから情報を仕入れたのだろう。
コーヒーの味はいつもと変わらなかった。
「ところで、着替えなくてよろしいのですか?」
コーヒーを飲み終え、赤城が三人のコップを洗いに行ったところ、加賀がいつまでも寝巻き状態でいる俺を見かねて指摘した。
たしかに簡易更衣室が消えていたせいで着替えるのを忘れてしまっていた。
クローゼットからいつもと同じ軍服を取り出し、着替える場所を探す。
「大丈夫ですよ、私たちは別に気にしませんから」
「あ、ああ、そうか……?」
加賀がそういうのなら別に構わないが、それはそれでいいのだろうか。
堂々と着替えるのもアレなので部屋の隅で素早くコソコソと着替えた。案外なんとかなるものだ。
加賀と赤城はお互い向き合ってテーブルの上に並べられた書類に目を通す。黙々と作業する姿は様になっており、まるで何年間も秘書艦として練度を高めてきたみたいだ。
俺も二人に追いつくために書類に向き合う。昨日よりも量は多いが、三人だからなのか早く終わる気がする。
「……そう言えば最近、出撃や遠征が少ないような気がしますが大丈夫なのですか?」
書類に目を通しながらも加賀が口を開いた。
加賀の言う通り最近、我が鎮守府は出撃等が少ない。
「…………ああ、ここらの海域は既に安全が確保されているからな。俺たちの仕事は今はあまりないのさ」
「でも遠征で資材を蓄えていた方がいいのではないのですか?」
赤城が当然の疑問を口にする。
出撃がないのであれば遠征で資材を貯めておくのが効率的で一番いいのだろう。
「確かに赤城の言う通りだな。けど、まあ、別に遠征は必ずしなければならないわけじゃない。だったらうちは資材に余裕はあるし、遠征はしなくても大丈夫だろ?そっちの方がみんな鎮守府にいられるし、コミュニケーションも取れる」
「……そういうものですか」
少し間を置いて加賀が答えた。
「優しいですよね、提督って」
書類を手に持ちながらも視線はこちらに向けたままの赤城は「ふふっ」と上品に笑った。
「……ほら、そういうのはいいからさっさと仕事終わらせるぞ」
正直に言われると恥ずかしい。それを誤魔化すように俺は二人を書類の方に集中させるよう仕向けた。
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ガヤガヤとした喧騒。今日も食堂は大盛況だ。
海外から来た艦娘達もこの大所帯に慣れたようで国境を越えて色んな艦と関わりを持っているのは喜ばしい。
駆逐艦の子たちは相変わらず仲良く揃って食べている。
一方戦艦たちは姉妹艦で固まって食べているところが多い。できれば姉妹艦以外とも食べてほしいのだが、彼女達の事情をとやかく言うのは余計なお世話だろう。
「――――提督!」
「ん、ああ、すまない。少し考え事をしてた」
今日俺が一緒に食べているメンバーは赤城、加賀、蒼龍、飛龍だ。正面に一航戦の二人、両隣に二航戦の二人だ。
「ちょっと!無視は酷いんじゃない?」
「無視をしていたわけでは……」
隣の蒼龍が箸を握りしめ左右の手を上下に振って大げさに怒ってみせる。いつもならこういう行動を制する加賀だが、今日だけはなぜかそれをしない。
「で!提督の好みのタイプは?誰!誰なの!」
蒼龍、飛龍の二人がずいずいと寄ってくる。左右からの圧迫に肩身が狭くなるが、真ん中に座っているために逃げる事はできない。
やはりこういった話は場を盛り上げるには最適なのだろう。目を爛々と輝かせた蒼龍と飛龍が顔を寄せてくる。
対面の赤城は食事の手を止めて完璧にこちらの話を聞く体勢だ。よく見れば隣の加賀は食べているように見えて箸を止めている。
加賀でもこういう話は興味があるのか、と少しの感動を覚える。
「好み……」
「そうそう!元気な子とか、明るい子とか、笑顔が可愛い子とか!」
興奮気味に身を乗り出し、蒼龍はさらに顔を寄せる。息がかかるくらいの距離まで近づいても下がろうとしないので俺が後ろに下がると飛龍に捕まった。
「逃がさないよ?」
「……逃げようなんて……」
「提督、独り身ですよね?確か。年齢的にも結婚を考えてもいいのでは?」
年齢的、なんて言われたが俺はまだ20代後半だ。まだ結婚には早い……はずだ。
珍しく赤城に逃げ道を塞がれ、覚悟を決めざるを得ない。
「あー、えーっと……」
視線が俺に集中する。蒼龍たちだけでなく、後ろの軽母組から端は駆逐艦の子たちまで全員の視線が俺へと集中しているような気がする。
さすがに考えすぎなのかもしれないが本当にそんな気がするのだ。今周りを見渡すなんてことはできないが、確信がある。
とりあえず、飛龍の腕の中で自分の好みを言うのは恥ずかしいので姿勢を正す。
「一緒にいて楽しければ誰でもいいな」
沈黙。この場の時間が止まったんじゃないかと思ってしまうくらいの。
重い沈黙を破ったのは蒼龍。蒼龍の明るい声がその場の時間を動かした。
「他には?」
「他……」
「誰でもいいなんてちょっとズルいですよ」
もう一度飛龍に捕まり、腕の中に収められる。今度は結構な力を入れて抱きつかれたため上手く離れることは出来ない。
再び喧騒を取り戻したはずの食堂は俺へ視線を集めることで再び時間を止めた。
「別にそんなに深く考えないでもいいのに。んー、ほら可愛い子とかあるしょ?」
「ん、む」
実際好みについて考えることなんて一度もなかった。そもそもの話今の今まで置かれた環境のせいで恋愛とは縁遠い人生だった。そんな男に好みとは些か難しい質問なのではないだろうか。
「……素直な子かな」
「素直な子、ですか?」
今までずっと食事を続けていた加賀がその手を止めて口を開いた。
「ああ。回りくどいより素直な方がいいだろ?」
「ええ……まあ……。それなら私は――――」
納得したのかしてないのかわからないような声。小さく言葉を紡いでいたが、段々と小さくなったせいで上手く聞き取れなかった。
それを聞き取ったのか隣の赤城はいつものように笑っていた。加賀の言葉が気にならないわけではないが、無理に詮索するのはよくない。自分の好奇心で動くのは愚策だ。
俺の話を聞いていた蒼龍と飛龍は何かを考え込む時間を数秒使った後、すぐに元に戻った。
「ありがと!」
そう言って飛龍は腕の力をさらに強めた。
さすがに耐えきれないので蒼龍に協力してもらいどうにか解放された。
この日から俺の日常は少しずつ音を立てて崩れていく。