永遠のアセリア ~果て無き物語~   作:飛天無縫

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「んー」

【どしたの?】

「いや、城から町を見下ろしても特別いい気分になったりはしないな、と」

【それなんて七武海】

 

 あほらしいやり取りをしながらも、風を通じて眼下を探る作業を止めたりしない。

 興味をそそるもの、必須と思われるもの、片っ端から調べていく。

 とは言え、最初は面白かった作業も、ひたすら続けているとさすがに飽きが来る。

 

「やっぱりこれだけじゃ足りないな……」

 

 足をぶらつかせながら、匠はごろりと横になって呟いた。

 

 山を下りてすぐ見えた大きな町――城が見えたのでおそらく国の首都――に入ってから二日が経つ。

 イースペリアという名のこの国は、流通の様子を見る限り、交易は活発で経済的に豊かだ。統治者の手腕によるものか、国民の気風は穏やかで、匠も町を歩いている時に何度か親切にしてもらったことがある。

 

 ちなみに現在の匠は高校の制服姿ではなく、濃い色を中心とした動きやすいゆったりとした服装に変わっていた。

 これから行動するに当たって、真っ先に整えようと思ったのが恰好だ。それまで着ていたブレザーは、この世界の人々の服装に比べてかなり上等なものだ。生地の細かさ、縫い目の丁寧さ、ボタンなどの装飾、全てが段違いなのだ。さすがに目立つ。

 そんなわけで初日に手に入れたこの服はちゃんと服屋で買ったものである。ちょっとした裏技で金を調達したことを除けば何も問題はない。

 

 閑話休題。

 この世界に於いて、匠は完全に無知だ。世間に流れる噂どころか一般常識さえ知らない。風で周りを観察して覚えればいい部分もあるがそれだけで学べることではないので、どうしても人と話す必要がある。

 しかも、である。彼はこの世界の字を知らない。いや、店の値札とかに書いてある字を見たことはあるが、それが読めない。故に本を読むこともできない。【悔恨】の翻訳能力――契約者があらゆる生物とコミュニケーションを取れるように、全ての永遠神剣には未知の言語も自動で翻訳してくれる能力が備わっている――も、適用されるのは口頭での会話のみであり読解はできないのだ。

 公然と字が使われていることから、この世界の識字率はそれなりに高いのだろう。そんな中でいい歳をした匠が何度も「これ何て読むの?」などと尋ねていたら変な目で見られるに違いない。

 

 そんな事情があるので、この世界に来て最初にやることが『常識の勉強』だったのだが……現在、壁にぶつかっている状態である。

 

(さーてと、どうしたもんかね)

 

 昨日までは他人の会話を風で片っ端から拾いまくったり、風を通して人々の生活の様子を観察していたのだが、二日間の内の大半をそうしているといい加減飽きてくる。せっかく楽しむために訪れた世界だ。どうせ学ぶなら楽しく学びたい。

 

 そういうわけで、ちゃんとした会話ができそうな誰かを探しているのだが、これもこれで難航している。

 こちらの事情を知りつつ関われる人間がいるとは思えないし、誰彼構わず話しかけるのも難しい。匠は物怖じする性格ではないが、話すのが得意というわけでもないのだ。彼だって初めては緊張するのである。

 

 そういった考えの下、いい相手になりそうな人間を風を通じて探しているのだが、なかなか見つからない。やはりまずは一人で歩き回ってみるしかないか――

 その時、風の探査網が捉えた姿に目を瞠る。

 一人の少女だ。自分のほぼ真下にいる。町民のような簡素な服装で、その顔は焦りと緊張で満ちている。周りに、とりわけ後方に注意しながら早足で動いていた。

 

 がばっと勢いよく身を起こす匠に、【悔恨】は驚いて尋ねた。

 

【何々? 何か見つけた?】

「ああ、下、見ろよ」

 

 匠が腰掛けている場所のほぼ真下に、両開きの大窓から出られるバルコニーがあるのだが、そこへ【悔恨】が気付かない内にその少女が出ていた。

 手摺りに手をかけ、眼下に広がる城下町を涙ぐんだ瞳で見下ろしている。

 その姿を認め、匠が言わんとしていることを【悔恨】は察した。

 

「どうよ?」

【マーベラス!】

「だろ、だろ」

【行こ行こ!】

 

 会話の相手をあの少女に定めた匠と【悔恨】はその場――城の屋根から飛び降りた。

 風に意思を伝え、着地位置がちょうど少女の真後ろになるよう調節する。民家四つ分はあろうかという高さから落ちた匠の体は、着地寸前に二階から飛び降りた程度まで減速してから着地した。

 着地音に驚いたのか、勢いよく振り向く少女に匠は笑顔で話しかける。

 

「よう、助けがいるかい?」

 

 呆然とこちらを見る少女へ無造作に近付き、

 

「え……」

「ふーむ、状況を察するに、ここから逃げ出したいんだな? よっしゃ」

「ちょ、きゃあ!?」

 

 一方的に話しかけると、匠は断りなく彼女の体を抱え上げた。と言っても、こっそり胸や尻に手を伸ばしたりはせず、膝裏と肩を支える紳士的なお姫さま抱っこである。

 そこまでは少女も戸惑っているばかりだったが、その状態のまま匠がヒョイと手摺りに飛び乗るとさすがに焦りと驚きを露わにした。

 

「お、降りなさい! あなた、一体何をしようというのですか!?」

「あんまり騒いだらまずいんじゃないの? まあいいや、行くぜ」

「行くって、どこに――」

「あーらよっと」

 

【レッツゴー!】

 

 そんな彼女の様子をスルーすると、【悔恨】の声に後押しされるように手摺りを踏み切り、匠は虚空へ飛び出した。

 

「ひぃっ……!」

 

 少女は今度こそ驚愕ではなく恐怖を露わにし、ぎゅっと目を瞑って匠の首にしがみ付いてくる。

 

「おお、言われるでもなく捕まってくれるとは安心だ。そのまま大人しくしててくれよ」

「な、何を暢気なことを言っているのですか! このままでは地面に激突して――」

「しまわないよ」

 

 言うまでもなく、匠の体は緩やかに漂う風に乗り、落ちるどころか上昇していた。平行して自分たちの周りの空気を歪める。屈折率を変えることで周囲からは透明化し、同時にマナの変動を漏らさない小さな結界を張った。こうしてしまえば人間だろうがスピリットだろうが、直接ぶつかりでもしない限り空を飛ぶ二人はまず見つけられない。

 少女は目を丸くして周りを見渡すと、ようやく現状を認識したようだ。

 

「わあ……」

 

 その瞳を輝かせ、興奮が色となって顔から溢れているようだった。

 彼女の気持ちも分からないでもない。匠だって初めて風に乗って空を飛んだ時の――重力から解き放たれ、どこまでも広がる天空に舞い上がったあの感動は忘れられない。

 しかし、いつまでもこうして遊覧飛行を続けているわけにはいかない。

 

「おい、十分昇ったしここから下りるぞ」

「あ、はい」

 

 上がったからには下りなくてはならないのだ。

 

「町の端っこに下りるからな。しーっかり捕まってろよ」

「え、あの、すみません、できればさっきまでのようにゆっくr」

 

 にやりと笑った匠に不安を覚えたのか、少女は若干慌てたようにお願いしてきたが、もう遅い。

 体を傾けた匠は気流に乗り、町外れ目掛けて一気に滑空していったのだ。

 

「きゃああああああ!!!」

 

 猛烈な加速に耐え切れなかったらしく、少女が絶叫する。それが聞こえているにも関わらず、匠は重力が働くままに加速し続けた。

 

 

 

 

 

 城下町の端、正確には町を取り囲む城壁と古びた倉庫の間に向かってひたすら加速していた二人だったが、地上の石畳に激突する寸前に逆巻く風が二人を優しく包み、匠は軽やかな着地を決めてみせた。既に周囲に人がいないことは風で調べてある。

 

「ほい到着っと」

「は、はひ……」

 

 匠の腕から下ろされた少女はそのまましゃがみ込んでしまう。

 

「おいおい、しっかりしなよ。手ぇ貸そうか?」

「い、いえ、大丈夫です。立てます」

 

 どうやら先ほどの飛翔が衝撃的すぎて腰が抜けたらしい。しかしガクガクと笑う膝を抑えて何とか立ち上がる気概は大したものだ。

 

 ところで、先ほどから便宜的に少女と呼んでいるが、年の頃は匠とそれほど変わらないのではないかと思われる。おそらく二十歳前後あたり……振舞い次第では十台の末でも通じる。まあ見た目は若いので少女と呼んでも問題はないはずだ。

 質素な白いワンピースに身を包み、艶のある黒い髪を背中まで伸ばした美少女なのだから問題はない。ないったらない。

 

「大丈夫だって言えるなら平気か。じゃあ自己紹介といこう」

「あの、すみません」

「ん?」

「聞かないのですか?」

 

 どことなく不安そうに聞いてくる少女を見て――匠は返事の前にある術を発動した。

 

 肉体の内から繋がるマナ、少女の周りにあるマナ、そして少女自身のマナを見抜き、弄る。

 風術を見れば分かるように、神剣魔法に詠唱は絶対必要というわけではない。言葉を紡ぐことなく、ただ己が意のみを以ってマナと通ずる。真に必要なのは、現実に囚われない明確なイメージと、現実を覆さんとする強き意志。

 

「何を?」

 

 返事に乗せて思念を送り込む――『疑問を流せ』と。

 

「……いえ、聞かないならそれでいいんです」

 

 逆に聞き返した匠の言葉に、少女は不可解な顔をしながらも疑問を押し殺すように頷いた。

 成功――内心でほくそ笑みながら、何事もなかったように匠は尋ねる。

 

「まあいいや。俺の名前はタクミ。お前は?」

「私は、アズマリアと言います」

「アズマリア、か」

「はい」

 

(あずまりあ、アズマリア、アルファベットにするとAzmariaってところか)

【綺麗な名前じゃん。マリアって聖母の名前でもあるんでしょ?】

(地球ではな。しかし俺としては……)

 

「なあ、リアって呼んでいいか?」

 

【ちょ、おま、いきなりあだ名!?】

(そんじょそこらのやつにはできないことを平然とやってのける男。それが、俺)

【痺れも憧れもしませんから!】

 

「……へ?」

「俺としては、アズマリア、だと呼ぶ時にちょっと仰々しく感じるんだ。リアってあだ名なら通じる部分もあるし、だめかな?」

「え、や、す、り、と」

 

 さすがに意表を突かれたのか、少女ことアズマリアは妙な声を出す。

 と、そこで匠は首を捻った。何故か彼女はその場にしゃがみこんでおり、頭を抱えた体勢で呆然とした表情をこちらに向けていたのだ。

 何でそんな格好をしているのか、疑問を口に出そうとしたところで彼女は急に立ち上がる。

 

「ええいいですよはい私はリアということでそれでお願いします!」

「? ああ」

 

 まるで何かを誤魔化すようにまくし立てるアズm、いや、リアの気迫に圧されて、匠は何も言わず納得することにした。

 

「では私も、あなたをタクと呼んでもいいですか?」

「なんだ、対抗して俺の名前を削るってか? 名乗ったばかりの人の名前をわざわざ削るとは横着なやつだな」

「会ったばかりの女の子にあだ名を付ける人に言われたくありません」

「女の『子』?」

「……なんですかその目は」

「いーえー、べっつにー?」

 

 リアのジト目を無視して明後日の方を向く。年頃の娘らしく歳を気にしているようだが、そういった心の機微はAKYの匠にとってからかいの種でしかない。

 

「とにかく――はじめまして、リアと呼んでください」

「ん。俺はタクミ、タクって呼んでくれ」

 

 リアが笑顔で差し出してきた手を、同じく笑って握り返す。

 どうやら彼女も複雑な事情を抱えているのだろうが、面倒ごとはむしろ望むところ。イベントに騒動は付き物だ。しかも関われた相手がこれほどの美少女なのは望外の幸運である。

 

(何はともあれ――)

 

 ――話し相手、ゲット。

 

 

 

 

 

   ***

 

 

 

 

 

 さて、無事に話し相手を得られたわけだが、ただ話すだけではつまらない。せっかくなので連れ立って町を歩いてみようと思い、リアを誘うことにした。

 名目は、初めて訪れた町の案内役としてである。

 

『この後って予定あるか? なければ町を案内して欲しいんだけど』

『案内ですか? ですが、私も町のことをよく知っているわけでは……』

『だいじょぶだいじょぶ、大まかにでいいんだよ。俺ってここに来るのは初めての田舎者なんだ。リアが分かる範囲で構わないからさ』

『では、僭越ながら、引き受けましょう』

 

 そんな会話をしたのが三十分ほど前のこと。

 倉庫の裏から出た二人は大き目の道を目指して歩き、多くの人で賑わう市場に辿り着いていた。

 

「ここを通るのは二回目だけど、すげえ人の数だな」

「私も、こんなにたくさんの人がいるとは思ってませんでした……」

 

 そして数歩歩く度に足を止め、屋台や店先に注目する――実は城下町をまともに歩いたのはこれが初めてである――匠に、リアはその都度丁寧に説明してくれている。

 その『御上りさん』ぶりが微笑ましいのか、時折クスクスと笑みを零すリアだったが、前をよく見ていなかったのか、横を通ろうとしていた人と肩がぶつかってしまった。

 

「きゃっ――」

「おっと」

 

 意外と強くぶつかってしまったようでバランスを崩して転びそうになったが、匠が素早く手を伸ばしてリアの体を支えてやった。

 

「あ……ありがとうございます」

 

 少し顔を赤らめながら礼を言って、リアは自分の足で立つ。

 そこで終わらせたりはしない。チャンスは逃さず活かさなければ。

 リアが自分の足で立てても、握った手を離さない。どうしたのかと目で問う彼女に、匠は何でもないように言う。

 

「この方が安心だろ? 案内させてる俺のせいで怪我でもされちゃ悪いからな」

 

 そして再び思念を送る――『安心しろ』と。

 

 数秒の間を置いて、リアは勢いよく俯いた。もちろん至近距離にいる匠にそんなことで顔色を隠せるわけがなく、耳の先まで真っ赤に染まっているのが見える。

 成功――またも匠は表情に出さず、心の中でほくそ笑む。

 

 そうやって手を繋いだまま歩き、広場で見つけたのは見世物をする一団。

 街頭パフォーマンスみたいなものだろうか。日本でも、都心の片隅などで観客を集める者もいることだし、国の中心だろう城下町でこういうことをやるのも不思議ではないのかもしれない。その証拠に、周囲には自分たちと同じような観客が集まっているが、彼らには疑問に思っている様子がない。これも日常の一部ということなのだろう。

 

「おー、やるもんだな」

 

 不安定な足場でバランスを取りながら、曲に合わせて御手玉をしている姿を見て一言漏らす。複数のことを同時にこなす難しさを知っている匠は、感心しながら見物した。

 その時、横にいるリアが表情を強張らせた。その視線は見世物に向けられていない。不思議に思って口を開こうとしたら先に話しかけられた。

 

「あの、タク、移動しませんか?」

「どしたよ?」

「いえ、その、えっと」

 

 これまでと急に変わった態度に疑問を覚えたが、彼女はもじもじするばかりで要領を得ない。匠が問いを重ねようとしたところで、

 

 ――くきゅ~

 

 鳴り響いた音は異様に耳に残った。

 音の出所は探すまでもない。何せ目の前でリアが慌てたように自分のお腹を押さえたからだ。口の端が釣り上がるのを止められず、遠慮のないニヤニヤ笑いを向ける。

 

「そーかそーか。思ったより自己主張の激しいやつだな」

「ち、ちがっ! 私は、その、ただ」

「はいはい、俺も小腹が空いたよ。何か食べようか」

「だ、だから違うんです! そんな目で見ないでください!」

 

 顔を赤くして必死になるリアの言葉を流し、彼女の手を引いてこの場を離れることにした。

 リアが空腹を訴えようとしたのではないことは分かっていたが、なんか面白いのでこのままで通すことにする。

 匠と【悔恨】だけでなく、こちらに視線を向けている周囲の人間も似たような思いを抱いているのだろう。即ち、萌え。

 

【天然なのかな?】

(たぶん)

【リア……恐ろしい子!】

 

 

 

 

 

 途中、果物屋に立ち寄って目に付いた果実を二個だけ買い、二人は高台にある公園に訪れた。

 公園に備え付けてあったベンチに深々と座り込む匠の横に、リアも静かに腰掛ける。

 

「いやー、楽しいね」

「はい……ですが、少し疲れました」

「もう疲れたのか? まだ歩き出して一時間かそこらだろ」

「あなたが引っ張り回したせいで気疲れしたんですっ」

 

 広場を離れてから相変わらず市場を歩き回ったのだが、何故か先ほどに比べてリアは酷く緊張していたらしく見るからに疲れていた。しかしそんなリアの様子を匠は華麗にスルーした。

 突っ込むと面倒なことになりそうだったから、ではない。出会ったばかりで深く関わると面白みが薄れるからである。

 

「ところでタク、コチの実を買ったのはいいのですが……」

「ん?」

「どうやって食べるのですか?」

「こうやって」

 

 手に持った実を服で軽く擦り、そのまま噛り付く。硬めで瑞々しい食感に、爽やかな甘みがある果物だった。皮も噛んでも特に苦味はなく、すんなり飲み込むことができる。

 林檎の皮と梨の果肉と言えば分かりやすいだろうか。甘い物好きの匠は一口で気に入った。

 だが、匠が食べる姿を見てリアは酷く驚いたらしい。

 

「こ、このまま食べるのですか?」

「なんだ、皮は嫌いか? 別に毒ってわけじゃないだろ。これくらい普通だ」

 

 匠としては特に意味も込めずに言ったのだが、リアは特別な何かを感じたようだ。意を決したように手に持った実を見つめると、皮を服で擦り、大きく口を開けて勢いよく噛り付いた。

 が、勢いがよすぎたのか、歯を実に食い込ませたまま口を閉じられなくなった。

 

「あ、あぅ! うあううぅ!」

「慌てるな。噛み切れない時は実の方を動かすんだ。これはけっこう硬いからパキって割れるだろ」

 

 涙目になるリアの横から手を伸ばし、彼女がくわえているコチの実を動かす。案の定あっさり割れて、辛うじて口に入る大きさにはなった。

 頬をパンパンに膨らませて懸命に咀嚼する姿はまるでハムスターのようで実にかわいい。

 

【く、は……萌えっ】

 

 頭の中で【悔恨】が悶える声が響くのをよそに、匠も再びコチの実を齧る。近くにゴミ箱がなかったので、勢いで種もへたも飲み込んでしまった。

 食べ終わって果汁でべたつく指を舐めて服の端で拭いたところで、リアはどう処理したのかと気になって横を向くと、なんと彼女も舐めた指を服で拭いているところだった。しかも種やへたも見当たらない。

 ……食べたのか。どっちも飲み込んだのか。

 

(こやつ、見かけによらぬわ……!)

 

 まさか実といっしょに食べてしまうのが一般的なわけではないだろう。匠自身は気にしない性格だから飲み込んでしまったが、リアまでそうだとは思えない。現に皮を食べることにさえ驚いていたのだ。

 できる――若干の戦慄を覚えながら匠は口を開いた。

 

「うまかったな。今まで食べた果物の中で上位三つに入るぞ」

「本当ですか? 私、このコチの実が大好きでよく食べるんです。気に入ってもらえて嬉しいです」

「コチの実っていうのか。今まで住んでたところになかったな」

「タクはどこからやって来たのですか? イースペリアは初めてだと言っていましたが」

「俺? あっちの方」

 

 西の山脈の方を指差す。この世界にやって来て初めて降り立った場所がその方向にあるので、嘘は言っていない。

 

「ひょっとして山越えしてきたのですか?」

「まあね」

「……その格好で?」

「まさか。持ってきた荷物のほとんどはこの町で売ったんだよ。これからの資金源にしようって思ってたからさ」

 

 もちろんそういった事情を知らないリアは、匠が山脈の向こうからやって来たのだと脳内補完をしたようだ。

 そんなリアに匠は平然と話を合わせる。持ってきた荷物、つまりそれまで着ていた服は町で売ったのではなく処分したのだが。

 

「そうだったんですか……では、タクは出稼ぎのためにソーン・リームを出たのですか?」

「いや、違う。俺には稼ぎを待ってる人なんていないんだ」

「っ! すみません、嫌なことを……」

「いーよいーよ。要するに自由ってことだからね。で、ここは一つ旅でもしてみようかと思ったんだ」

「旅、ですか」

「ああ、俺はこの世界のことを知りたいんだ」

「世界……」

「そ。俺はまだ何も知らないようなものだからさ。この世界での自分のやるべきこととか。とりあえず、やりたいことの一つとして旅をしようって思ったわけ」

 

 重ねて言うが匠は嘘は言っていない。今後の動きを決めるためにも、この世界のことをきちんと知らなければならないのだ。それは常識に始まり、世間の噂、各国の政治など必要な情報は数多い。それらを学ぼうとすることを『旅』と表したのも、あながち外れていないだろう。

 

「私も――」

 

 そんな匠の言葉に何かを感じ入ったらしいリアがおもむろに口を開く。

 

「私も知りたいです。世界の広さ、自分がいることの意味、色んなことを」

「そっか……じゃあ、俺はリアより一足先に色々見てくるよ」

「ふふ、ちょっと羨ましいです」

「そんで、次に会った時に、俺が見てきたものをリアに教えてやるよ」

「え?」

 

 さらりと放たれた匠の台詞が意外だったのか、リアは変な声を出してこちらを見た。

 

「なんだよー、リアはこれっきりの付き合いだと思ってたのか?」

「あ、ですが、私たちは……」

「ふっふっふ、逃がしはせぬぞ~、おぬしは既に運命に囚われておるのじゃ~」

「ちょ、やめてください、手の動きが怪しいですよ」

 

 両手を向けて指をワキワキと動かす匠がかなり気持ち悪かったようで、リアは座ったまま大きく身を引いた。

 思うに、こういう怪しい動きを見せられて警戒しない女性はいないのではないだろうか。

 

「何にしても、世の中が平和な内にささっと回っちまおうと思うんだ。そんなに長くはかからないよ」

「分かりました。タクの漫遊譚を楽しみにしていますね」

 

(まんゆうたん……難しい言葉をさらっと使うな)

 

 そういった難しい言葉を日常的に使う環境に身を置いているのだと思われる。自分の見立ては間違っていなかったことに匠は満足だった。

 

 そもそもリアに目を付けた理由は、多分に匠の個人的な見解と趣味が含まれる。

 その軽装と城内での拙い動きを見た限り、侵入した曲者とは思えなかったので、どこぞの貴族の御令嬢だと匠は予想した。

 城内に町民の格好でいて、しかも周囲を警戒しながら早足で動いていた。これだけでも面白そうな匂いがぷんぷんすると言うのに、バルコニーに出た途端に涙ぐんだのである。楽しもうと考える匠が興味をそそられない理由はない。

 決め手となったのは彼女の髪だ。綺麗なロングヘアーは正義――本当に趣味でしかない。

 

【何にしても、黒髪ロングの美少女とお知り合いになれたのはラッキーってことだよ、うん!】

 

 訂正。匠だけではなく【悔恨】の趣味でもあったようだ。

 

 それはさておき、思考を巡らせる。

 市場の雰囲気を見た限り、世の中にはそれほど大きな乱れはないようだ。

 敵対国間の緊張はあれど、人々の表情は穏やかで、乱世を思わせる雰囲気はどこにもない。

 

 戦争とは、様々な方面で影響を及ぼすものである。

 社会が繁栄するためには貿易は不可欠であり、その様子を表す物価を見ればおおよその傾向が分かる。妙な奇抜さを狙っていたりぼったくりでもない限り、商品の価格が適正に近ければ、それは市場が経済的に安定しており、戦争の影響を受けていないことを意味するのだ。

 先ほど匠が買ったコチの実など、硬貨一枚で二個買うことができた。日本で考えれば、握り拳大の小さな梨二個を百円玉一枚で買えた、と言い換えれば分かりやすいだろうか。安いように見えればそれだけ多く入荷していることになるので、物資の流通もスムーズなのが分かる。

 つまり今のところはどの国も、睨み合っているけど動く様子はない小康状態だということだ。

 

 近い内に戦争が始まるのは間違いない。ならばその前にせめてイースペリアの周辺の国の情報を集めておきたいところだ。ここは大陸の北寄りに位置する国らしいので、まずは大陸北部を歩き回ることにしよう。

 そんな風に脳内で今後の方針を考えていた時である。 

 

「すまない、少しよろしいか?」

 

 きびきびとした動きで公園にやってきた軽鎧姿の男――おそらくこの町の警備兵――が話しかけてきた。

 青と赤の二人のスピリットを伴っていたが、匠たちに話しかける前に少し離れた場所に待っているように言い含めたようで、スピリットたちはやや離れた所で待機している。

 

「何かご用?」

「うむ。実は人を探しているのだ。高貴な姿をした女性を見かけなかっただろうか? 美しい黒髪を伸ばしたお方なのだが」

「兵士ってそういうこともすんの? 知らなかったな」

「はは、実質的な防衛はスピリットの仕事だからな。我々が他の仕事をするのは当然だろう」

 

 兵士の言葉を聞いて匠は少し驚いていた。表情や口調から察するに、彼はスピリットを特に蔑視している様子がない。

 

 戦いを本領とするスピリットは、一般人からは非難される傾向にある。それはさほど不思議なことではない。どんな世界であっても戦争の尖兵となり、戦いのみに生きることが常識として叩き込まれるスピリットは、絶大な力を持つが故に力を持たない人からは忌避される。

 当然だ。持たざる者は、持つ者を決して理解できないのだから。そういった理解できないものをただ『怖いから』というだけで排斥するのが人の性なのだから。

 しかしこの兵士にはそんな雰囲気が感じられない。匠が思う常識とこの世界の常識にはズレがあるようだ。いずれその辺りの実情も調べておこう。

 

「それで、どうだろう。見なかっただろうか? 君とそう変わらないはずの年齢……うん?」

 

 そこまで言ったところで兵士は匠の隣で俯いたままのリアに目を向ける。

 美しい黒髪、そう変わらないはずの年齢……ばっちり当てはまる要素があった。しかも兵士の視線を感じてないわけではないだろうに、彼女は顔を上げようとしない。

 つまり、そういうことなのだろう。

 

(しゃーない、ここで台無しにされたくないからな)

 

「なあなあ、兵士さん」

「ん?」

 

 二人の間に割り込むように顔を出して注意を引く。今度はリアではなく、この兵士のマナを見抜き、弄る。

 

「別に、俺たちのことなんて気にしないでいいだろう?」

 

 言葉に乗せて思念を送る――『気にするな』と。

 

「……そうだな。気にしないでいい」

 

 成功だ。呆けたように、しかし確かな意識を持って兵士が復唱する。

 

「ここら辺を探さなくてもいいんじゃないか?」

 

 さらに続ける――『他所を当たれ』と。

 

「……そうだな。ここら辺を探さなくてもいい」

 

 またも兵士は復唱する。既にリアのことなど眼中にない。

 そこで気付いたが、隣のリアが俯かせていた顔を上げていた。呆然とこちらを見ているが、今作業を中断するわけにはいかない。フォローは後回しだ。

 

「もう行っていいか? 俺たちデートの最中なんだ」

 

 最後の思念を送る――『見逃せ』と。

 

「……ああ。行っていい」

 

 最後まで成功すると、匠は重い腰を上げて「行こうぜ」とリアを促す。はてなマークを浮かべていたリアも慌てて立ち上がり、二人は悠々と公園を出た。

 

「仕事熱心な兵士だったな」

「え、ええ」

 

 戸惑った顔でちょこちょこ振り返るリアを他所に、匠は堂々とした態度だった。己の術の効果に絶対の自信を持っているのだろう。兵士が疑問を持たずこの場を立ち去ると確信しているのだ。

 

「でも空気は読めてなかったな」

「え?」

「デート中の男女二人組に声をかけるなんて無粋もいいとこじゃないか」

「で、デートってそんな……!」

 

 匠の言葉を聞いて、途端にリアが顔を赤くした。

 おそらく匠の言葉に照れたのだろう――それを見逃す匠ではない。

 可能な限り素早くリアのマナを見抜く。再び弄るために彼女の内部へ感覚を伸ばす。

 

「それじゃ、デート、の続きと行きましょうか、お嬢さん?」

 

 わざと強調した言葉に載せて思念を送る――『意識しろ』と。

 

「え、ええ、そうですね、よろしくお願いします!」

 

 にやにやと笑いながら放った匠の言葉を聞いて、リアは顔を赤くしながらも恥ずかしさを振り切るように大きな声で返した。

 

 とりあえずアクシデントは乗り切れた。やはりこういったイベントは一つ一つ重ねていくからこそ面白い。

 匠は好物を食べるのは先でも後でもない。端から少しずつ食べてなるべく長く味わうタイプなのである。

 

 

 

 

 

   ***

 

 

 

 

 

 その後、二人は再び町へと繰り出した。

 もう一度市場に行って、屋台覗きを続けたりしてリアを質問攻めにしたり。

 そこで彼女に買ってもらったネネの実のジュースは、桃とそっくりの味がした。

 アクセサリー屋に並ぶ品は、精度は地球のものには及ばないが、どれも目を楽しませる。

 そうやってあちこちを歩き回った。

 

 そして―― 

 

「とーちゃくー」

 

 再びリアを抱えて城に戻ったのは、太陽が沈み始めた頃だった。

 やはり城に住んでいるらしく、送り先を聞いたら出た時とは違うベランダを指定してきた。同じように姿を眩ませる風で身を包み、空を飛んでここまで来たのだ。

 

「ここでよかったんだよな」

「ええ、ありがとうございます」

 

 出発時ほどのスピードはなかったこともあり、匠の腕からリアは危なげなく降り立った。

 心構えもできていたのだろう。むしろ楽しんでいたのかもしれない。

 しかし……唐突に空に目を向けてボーっとしているのは如何なものだろう。

 

「どうかしたか?」

「ひゃい!? な、何でもありませんよ!?」

 

 声をかけてみても、びくりと肩を震わせるだけで何でもないと言う。何か妄想でもしていたのだろうか。

 それはそうと、忘れない内に仕上げを施すことにする。

 

「そうそう、今さらだけど一つお願いがあるんだ」

「何ですか?」

「俺のことは誰にも言わないでくれよ。バレたら面倒なことになるし」

 

 この部分は念入りに思念を送る――『誰にも言うな』と。

 

「分かりました。今日のことは私の胸にしまっておきます」

「ありがとう、助かるよ」

 

 これも成功――匠は安堵の笑顔を浮かべた。

 

「じゃあ俺はもう行くぜ。今日は楽しかったよ、ありがとな」

 

 やることは全て終えた。疲れが溜まっていたこともあり、すんなり別れようと踵を返す。しかし、ベランダの手摺りに手をかけたところでリアが呼び止めた。

 

「あの、タク!」

「ん?」

「私も、とても楽しかったです。ありがとうございました……さようなら」

 

 振り返った匠が見たのは、手を少しだけ上げて寂しげに微笑むリアの姿。

 そうじゃない。別れの時はそういう表情じゃなくて――

 

「違うだろ」

「え?」

「こんな時はこう言うんだよ――またな」

「……っ! はい、またいつか!」

 

 匠の言わんとすることを理解して、リアの顔がパッと明るくなる。

 勢いに任せて、昼に使ったものと同じ弄りを追加。

 

「ああ、またデートしよう」

「でっ……!」

「なっはっは、それじゃ」

 

 表情は変えずに顔色だけ赤くなるリアを見て匠は満足する。そこから後ろ向きに軽く跳び、手摺りに腰掛けると勢いのままに体を倒してベランダから落ちた。

 もちろんそのまま落下するのではない。風を操作して自分の体をベランダの真下に移動させると、ベランダの底に両足を当てる。足の裏に集中させたマナに『吸着』の意志を込めて、それを維持すると、匠はまるで忍者のようにベランダの底に立ったのだ。

 

「タクっ!?」

 

 リアが慌ててベランダから見下ろしてくるが、その視界に匠の姿は映らない。さぞかし不思議に思っていることだろう。分からない者からすれば瞬時に消えてしまったように見えるはずだ。

 そしてリアに見つからないようにベランダの底を歩き、姿が見えない角度に移動すると再び風に乗ってその場を離れた。

 

 何故わざわざこんな風に姿を隠したのか……なんのことはない。ただのかっこつけである。

 しかしかっこつけを侮るなかれ。別れが印象的であれば相手のことを忘れられなくなるものだ。リアの意識に強烈なインパクトを与えただろう。

 

 

 

 

 

 で、その後。

 

「あー疲れた」

【お疲れさま。充実した一日だったじゃないのよ】

 

 大胆にも、イースペリア城の最も高い屋根でぐったりと横になりながら匠は独り言つ。

 【悔恨】の労いの言葉を聞いて、目元を手で押さえながらも小さく笑った。

 

「まあ、成果は十分だな。今日だけで色んなことが分かった」

【私としてはモーナムの味も知りたかったんだけどね】

「うるせー。緑の野菜にはいい思い出がないんだよ。ピーマンとかブロッコリーとかニラとか、嫌いなものは嫌いなんだ」

【あはは、リアが買おうとしなくてよかったね。あの子の好物だったら匠にも勧めてきたよ】

「リアか……まあ、あいつと仲良くなれたのは上々だろ」

 

 本来なら、リアがあそこまで匠に心を許すことはなかっただろう。切羽詰っている状況で頼ることになったとは言え、今日初めて顔を合わせた人間をすぐに信頼できるほど単純でいられる歳ではなかったはずだ。

 それが何故あのように好意的に接してくれたのか。

 

 フォースと呼ぶ力がある。目には見えないエネルギーを感じ取り、制御して操作する能力のことだ。

 無論ここで言うエネルギーとはマナのことであり、永遠神剣の担い手であれば須らく身に付く能力なのだが、それを発展させたものの一つとして、このエネルギーの流れを読んで操ることで人の心の動きを誘導する心操作(マインドコントロール)が可能となる。

 匠が昼間、公園で尋問してきた兵士に使った力だ。軽い調子で言ったあの言葉を兵士の心に植え付け、その言葉の通りに行動させるように思考を促したのである。だからこそあの兵士もあんなにあっさりと帰ったのだ。

 

 その心操作を、匠はリアにも行っていた。

 聞かないのかと聞いてきた彼女に逆に問いかけることで疑心を有耶無耶にし、安心だと口にした言葉を彼女の心に潜り込ませて本当に安心させた。

 挙句の果てにデートだと強調する度に、彼女の心を揺らして恋心をくすぐったのだ。

 最後に、二人が交わした約束という秘密の共有によって連帯意識を助長させ、匠は仲間だという考えを強く植えつけた。

 このように何度もフォースを使うことで、リアが抱いた印象を好意的なものへ変化させた……身も蓋もなく分かりやすく言えば、惚れさせたのだ。

 

【けどさ、ここまでする必要ってあったの? もうちょっと軽めでもよかったんじゃ】

「この国に長居するわけじゃないしな。いざ頼ろうとした時に、忘れられてた、だと意味ないから。後はこの繋がりをどんなタイミングで生かすか、だ」

 

 どんな世界だろうと、そこが人の生きる世なら幅を利かせるのは金とコネである。ある方法によって金の問題はどうとでもなる匠だが、コネの方はそうもいかない。匠はそのコネこそが欲しかった。

 いずれはこの世界の歴史に関わる予定だが、物語の主要人物より先にゲストが出しゃばるのはよくない。それは避けたい匠は、永遠神剣の力を大っぴらには使わず『ある程度の立場にいる者』との個人的な繋がりを作っておきたかった。そこでリアである。

 私的な理由で外に出たがっているお嬢様を懐柔しておけば、いざという時に使えるカードになり得る。使うタイミングを間違えなければ大きな効果を発揮するだろう。

 

 知る人が知れば、外道の所業だと匠を謗るかもしれない。

 しかし匠は罪悪感を覚えたりはしなかった。

 

 彼はエターナルだが、元は普通の人間である。だからこそ感情の動きを軽んじていない。

 多くの神剣が運命操作によって自分の契約者を引き寄せるが、何もかもが定めた通りに動いてくれたりはしない。生きる者には必ず感情があり、それが揺らぐと途端に自分勝手に行動するのだから。

 なので、自らの望む運命を引き寄せるには感情も操作する必要がある。その典型的な例が悠人と瞬だ。互いを憎み合わせることで、憎悪を抱くことを疑問に思わせていない。

 以前、匠が内心で吐き捨てた『躾のなってない』という言葉は、憎悪の感情に向けられたものであり、感情を操ること自体は否定していないのだ。

 

【いやー、それにしてもいいもの見せてもらったよ。初心な女が照れて赤面する姿は萌えだね! しかも長い髪が俯いた表情を隠して、その隙間から見える真っ赤な頬っぺたと言ったら……これはもう惚れるしかないっしょ!】

「お前は満足でも、俺はそれどころじゃなかったよ……だー、頭いてー」

 

 上機嫌に捲くし立てる【悔恨】をよそに、匠はグロッキーであった。

 慣れない真似をして気疲れしたということもあるが、本当に頭痛がするのだ。

 

 このフォース、扱いが恐ろしく難しい。何しろ空間に浮遊する手付かずのマナと違い、人間の魂に相当するマナを弄るという非常に繊細な操作なのだ。

 匠の技量を以ってしても操るのは至難を極めるものであり、半日もの間ずっと気を張って何度も行使したことで彼の脳はきりきりと痛んでいた。使えばこのように必ず頭痛に悩まされるのは分かっていたのであまり使いたくなかったのだが、今日一日の辛抱と思って頑張ったのである。

 

 そんな匠だが、こうして城の屋上でぐでーっとしている今も完全に気を抜いてはいない。風によって周囲の様子を探る程度の警戒はしている。城には多数のスピリットが常駐しており、神剣の気配がすれば文字通り飛んでくるだろうから。

 【最後】の存在はこの世界に来た時から隠しっぱなしだが、今はさらに念を入れて【悔恨】の力を大幅に押さえ込んである。現在の匠はそこらのスピリットよりも弱い力しか引き出せないが、その代わり一般人の如く薄い気配しか纏っていない。直接目視されなければ見つからない自信があった。

 それでも絶対とは言い切れないのでこうして警戒を続けている。この状態での戦闘はさすがに御免だ。

 ――と言っても、別に今の状態で戦っても負ける気はしないのだが。

 

 そうやって中途半端にボーっとしていると、屋根のすぐ下、城の最上階に二つの気配を風が捉えた。巡回警備中の兵士か。

 特にやることもなかった匠は彼らの会話を盗聴しようと、風に耳を傾けた。

 

 ………………

 …………

 ……

 

「よう、お疲れ」

「ああ……」

「どうした? なんか暗いぞ」

「戦争、起こるんじゃないかと思うとさ……」

「ああ、最近ラキオスとバーンライトの緊張が高まってるらしいしな」

「たぶんダーツィも動くんだろ? イースペリアは大丈夫かね……」

「辛気臭いこと言うなって。俺たちには女王様がついてらっしゃるじゃないか」

「……そうだな。俺たちには陛下がいらっしゃる」

「そういうことだ。心配ならスピリットたちに喝を入れに行ったらどうだ?」

「差し入れでも持って行けと? まあ考えておく」

「はは、じゃあな、お先」

「あいよ、また明日」

 

 ……

 …………

 ………………

 

 話はそこで終わり、二人は別れていった。

 

「この国の女王は随分と人望があるんだな」

【町の様子を見れば頷けるよ。みんな笑顔で暮らしてるもん。妖精に対しても寛容らしいし】

「それもそっか。にしても……」

 

 先ほどの男たちの会話や、これまでに風で拾った町民の声を思い返す。

 

「その女王、名前は何ていうんだろうな?」

【みんなして『女王様』とか『陛下』とか言ってて、肝心の個人名が分かんないね】

 

 世間の情勢から国産のスープまで、今日一日で実に様々なことが学べたわけだが、匠も【悔恨】も、未だにイースペリアを治める者のことが分からないのだ。判明しているのは、女王と言われるだけあって性別が女であることだけ。

 

 リアに聞くにしても、匠はあくまで『初めてイースペリアに来た田舎者』を装っていたのであり、この世界の一般常識にあまりに疎いとさすがに誤魔化し切れなくなりそうで憚られた。

 いくらフォースで人心操作が可能だとは言え、匠の力は万能ではない。使う度に頭が痛む(比喩ではなく本当に痛い)能力なのだし、怪しまれるような行動は自重したのだ。

 

「気になるな」

【気になるね】

「【う~ん」】

 

 二人揃って漏らした疑問の声は、誰に聞かれるでもなく夜風に溶けて消えた。

 

 

 

 

 





【こんちゃーっす、【悔恨】です!
 前回予告した通り、匠と私の視点からお送りしました。どうだったかな? 視点が変わると内容もけっこう違って見えると思わない? リアがあんな風に感じていた時、匠はこんなことを考えていたっていうギャップがあってさ。

 それじゃお待ちかね、解説タイムだね。
 最初に来るのは、本編の最初にあった私と匠の会話。
 あれね、『ONE PIECE』(尾田栄一郎/ジャンプコミックス)に出てきた台詞に対して言ったのよ。熱くて笑える展開だから好きなんだよね、あの漫画。
 何巻だったかな~、アラバスタって国が舞台になった時に出てきた台詞だったわ。クロコダイルっていうキャラが言ったのは覚えてるのよ。
 まあ、本当にこの最初の部分だけだからあんま重要なところじゃないね。

 次に、本編で説明してるけど、今回の匠はフォースを使ってます。
 この能力は『スターウォーズ』(原案:ジョージ・ルーカス)に登場した一種の超能力。念動力(サイコキネシス)から始まって念話(テレパシー)予知(プレコグニション)とか色々な力があるもので、その中の一つに心操作(マインドコントロール)があるのよ。匠が使ったのはそれね。
 『スターウォーズ』に登場するジェダイの騎士が使うこのフォース……原作ではリスク無しにほいほい使ってるように見えるけどね、匠の様子を見れば分かるように扱いがめっちゃ難しいんだわさ。当然と言えば当然。ジェダイにしか使えない術なんだから、そうじゃない匠が使おうとするのも無理があって当たり前だもん。
 しかも術式を作れたまではいいのに、いざ使ってみたら一般人にしか通用しないのよ。これも考えてみれば当然だけどね。マナの動きに敏感な人からすれば自分の中のマナを弄られるのって違和感バリバリだろうし。分かりやすく言えば、相手の内蔵や血管の配置を気付かれないように弄るみたいなもんかな。そんな能力だから、匠も心操作を開発しただけでフォースは丸投げしちゃったんだ。

 今回リアに使ったことでヒロインフラグが立った! とかいう伏線なら面白いんだけど、そこんとこどうなのよ作者? え、話を振るな? それくらい考えてやってよ。
 とにかく、前回私が言った『何がおかしいのか?』っていう問題の答えは『展開の都合が良すぎる』ことでした~。

 そして終わりのところでベランダの底に足をくっつけたのは忍者の技……分かるかな?
 そう、『NARUTO』(岸本斉史/ジャンプコミックス)です。チャクラを足の裏に集中させることで、壁だろうが天井だろうが吸着させて足場にしちゃう技よ。原作での主人公たちはこれで木登りをしてたんだ。
 匠の場合、集中させたマナに『吸着』の意志を込めるっていう作業が一段階プラスされるんだけど、やってることは同じね。これに使うマナは少なくてもいいから、力を封印している今の匠でも問題なくできるんだ。
 以上、説明おしまーい。

 さて、次回予告、行きます。
 ようやく会えた契約者。でもなんか考えていたのと違う。
 言うこと聞かない。マナも集めない。挙句の果てにバカ呼ばわりされて……
 頭に来たからちょっかい出してみれば今度は邪魔される。
 契約した時は考えもしなかった……どうしてこうなった!
 誰のことだか分かるかな。

 もっと早く話を進められればいいんだけど、中々うまくいかないわね。
 それじゃ次回で会いましょう、ばいばば~い】

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