「それって結城君に、ここを辞めてもらうってことですよね」
この言葉が頭から離れてくれなかった。この会話を最後に俺は我慢できなくて外に出てきてしまっていた。結局腕時計も回収出来ずに。
訳も分からず、頭が混乱したまま家に帰ってきた。突然のクビ宣告。
そこからさらに追い打ちをかけたのは家の冷蔵庫を開けた時だった。八月の最終日にまりなさんとここで打ち上げをした時に飲んだアルコール飲料がまだ残っていて、今も覚えているまりなさんの笑顔が今の俺には苦痛だった。
ベランダに出て空気を吸ってみたけれど、俺は心も目の前も真っ暗なままだった。この暗闇は墨のように粘っこく、取れにくい。
ベランダから見た月は、半分だった。月に詳しくないから分からないけれど、上弦の月か下弦の月、どっちかなんだろう。
これから満月になるのか、それとも新月になるのか、どっちかなんだ。
気持ちの整理がつかず、真っ暗なまま一週間が経過した。あの会話を聞いた後でも休みなくCiRCLEで働いている。ただいつもと違う点は、いつ直接クビ宣告されるのかと言う恐怖と、仕事にかける情熱がまるっきり無くなったことだ。それと、腕時計は今も物置に置かれたままだ。
まりなさんを見る目も変わったかもしれない。あの会話の後、まりなさんはやたらと昼食に誘ってくるようになった。より笑顔で接してくるようになった。
もうすぐクビになる人間にどういう風の吹き回しだ。
「結城君。最近元気ないみたいだけど……悩み事?」
ほら、こんな感じ。元気が無いのはあなたのせいだろう。俺の暗闇は増幅する。
現在は営業終わりでフロア清掃をしている。テキトーに箒を左右に動かしているだけなのだけれど。
「本当に何があったの?私で良かったら話聞くから、ね?」
まりなさんが箒でテキトーに左右しておる右手をぎゅっと掴んできた。今の真っ暗な俺にはまりなさんがどんな表情で手を掴んでいるのか分からない。声は少し震えていたように感じる。
「何でも言って?私も一生懸命考えるから」
もう我慢できないかもしれない。暗闇の増幅量が多すぎて溢れてしまいそうだ。俺のいないところでクビを決定しておきながら、本人に伏せておくなんて考えられない。何が話を聞くなのだろう。まりなさんに掴まれているジャケットの袖のしわが深くなっていく。
暗闇が溢れた。
「聞きましたよ。まりなさんとオーナーの電話」
「え?」
溢れた暗闇は容赦なくまりなさんにも降りかかる。取れにくい黒色が。
「俺、クビなんでしょ」
「あ……。それはね、結城君」
まりなさんは慌てて物事を整理し、伝えようとしている。でも、俺にはまりなさんの言葉など聞く気にもなれなかった。
「その件なんだけど……実は、私ね?か」
「俺のどこがいけなかったんですかね」
確かに一回下らない理由でまりなさんの有給を貰ったこともあった。だけれどそれを補うほどの、いやそれ以上の貢献をしたはずだ。一度も遅刻していないし、客とトラブルになる事なんて一度も無かった。それに、
「今まで行われたイベントも失敗無く無事に終えれました」
「うん。あの時は本当に助かったし、それ以外のイベントも成功してる。だから私は感謝してるよ?」
感謝していると言う癖に、あっさりと一人の人間を辞めさせる事が出来るなんてどうかしている。
「まりなさんだけはちゃんと見てくれてるって思ってました」
「え?」
俺は、今までで一番粘っこい暗闇を。
「以前よりも利益も上がったし、知名度も少しは上がりました」
まりなさんにぶつけてしまった。
「今まで一生懸命やって来たのに、いきなりクビなんておかしいじゃないですか!それにクビなら直接言えばいいじゃないですか!それなら『結城君なら信頼できる』だなんて上辺だけの言葉、言ってほしく無かった!」
こんな事なら……。
「もう、どうでも良い。CiRCLEなんて潰れてしまえば良いんですよ」
真っ暗な俺にでも、分かるくらい。まりなさんの表情が変わった。
まりなさんは目にたくさんの涙をためていたから。
「君にそんな事を言われたくない!!」
そして、
「君の顔なんてもう見たくない!!もう二度と来ないで!!」
俺の視界が横にぶれた。
頬を叩かれた。
頬も痛かったけれど、心の方がその何十倍も痛かったと思う。
その痛みはまだ残っていて。
その痛みで俺は、
長い夢から、覚めた。
次話は10月22日(月)の22:00に投稿予定です。
新たにこの小説をお気に入りにしてくださった方々、ありがとうございます!
この15話を持ちまして前編が終了しました。次回から後編がスタートします!
最後の「長い夢から、覚めた」と言う言葉にえっ?と思った方、いますか?
良かったらプロローグをもう一度読んでみてください。きっと最初に読んだ時と違う見え方になると思います。誰との「写真」なのか今なら分かると思います。
後編からはこの物語の核であり、見どころでもあります。これからもこの作品をよろしくお願いしますね。
では、次話までまったり待ってあげてください。