幕末・浪漫千香〜どんな時代でも、幸せになれる〜 作:秋藤冨美
土方が、かの有名な新選組の掟である、『局中法度』を作って暫く後。新見錦が切腹した。その話は隊士たちを戦慄させ、法度の恐ろしさを物語る。もう少しで、芹沢や梅ももうすぐ殺されてしまう。と千香は心がざわついた。
「土方。何故新見を切腹させた! 」
夕餉を終え、皆各々微睡んでいる中、芹沢が怒りを露わにして土方へ迫る。法度が出来た当初は、また土方が勝手にやっていると思っていたが、腹心である新見をやられたとあっては黙っているはずもなく。
「新見副長は法度を破り、金策に走り女を侍らせる等士道に背いた。だからだ。 」
土方は有無を言わせぬ雰囲気でそう言い放つ。そこから、芹沢は自らも法度に縛られていることを悟り。土方へ掴みかかる手を下ろすと、暗いどんよりとした顔をして部屋を出て行く。部屋に居た他の隊士たちも物々しい雰囲気にそそくさと立ち去っていき。千香はその後ろ姿を見つめ、胸を痛める。もしかしたら既に自分の最期に、気がついているかもしれない。芹沢はただ乱暴なだけではなく、聡い人間であるからこそ。
「お前、芹沢に絶対言うなよ。言ったら最後、芹沢もろとも切り捨てる。 」
千香の視線に気が付いた土方は、去り際に耳打ちする。
「言いませんよ。御心配なく。 」
煩く脈打つ心臓を押さえつつ、それを悟られない様に返す。ここで。伝えなければ、二人とも歴史の通りに命を落とすだろう。
「総司。こいつが怪しい動きを見せたら知らせろ。 」
厳しい表情で土方はそう言い捨てると、去って行く。少しの間その場に沈黙が走った。
「森宮さん、貴方は芹沢さんが好きですか? 」
唐突に沖田が尋ねた。
「あんまり話したことはありませんけど、良い方だとは思います。 」
「...ああそうか。貴方は未来を知っているんでしたね。だから、あの人がこれまで何をしてきたのか見ずとも分かる訳か。 」
何を、言いたいのだろう。
「貴方の知る通りでは、芹沢さんはどんな最期を? 」
如何してそんなことを、聞いたりするのか。
「いえ。言い難いですよね。下手人を目の前にしちゃ。 」
「沖田さん? 」
沖田の顔が憂いを帯びた。
「私も、出来ることなら殺したくなんてありませんよ。でも、近藤局長が頷くなら仕方がない。貴方も判ってください。 」
「でも、でも、お梅ちゃんは! 」
すると沖田は開目し。
「し!誰か来るようです。 」
誰かが此方へとやって来る足音が聞こえた。
「あれ?千香こんなところにいたの。山南さんが呼んでたよ。 」
スタスタと藤堂が部屋へ入って来る。千香は、先程まで騒ついていた感情を必死に落ち着かせて。
「さ、山南さんが?どうしたんだろう。平助ありがとう。行ってくるね。 」
タタッと駆けて部屋を出て行く。その場に残される沖田と藤堂。
「あのさ。 」
藤堂が口を開いて。
「沖田さんは、千香のことどう思ってるの。 」
それは、真剣な眼差しで。
「森宮さんは、そうだな。妹、の様なものかな。少なくとも、お前の様な目では見てないよ。 」
藤堂を揶揄う様にクツクツと嗤う。
「俺、本気で聞いてるんだけど。 」
少しムッとして、返す。
「御免。でも、平助。俺たちはいつどうなるか分からない身だ。森宮さんを悲しませることはいけない。 」
「沖田さん、それって...。 」
藤堂は沖田が以前、やむを得ない事情で恋に破れたことを思い出し。
「だから。恋い慕う気持ちはあっても、決してその想いを告げてはならない。それだけは覚えておくように。 」
まるで自分に言い聞かせるかの様に、沖田は藤堂を戒める。
「ああもう、分かってるよ。それじゃ。 」
釈然としない思いを抱えつつも、藤堂は部屋を立ち去る。沖田は一人黄昏て。
「色恋に身を焦がす暇なんて、無いんだよ。俺はこの新選組のため、近藤さんのために力を尽くすだけだ。 」
そして三日が経ち、九月十六日となり
今日は芹沢たちが粛清される日。
先の政変の労いとして、島原の角屋で酒宴を開き気分良く酔わせたところに奇襲を掛けるといった手筈で。目を覚ますと、両手で顔を覆う。結局言えなかったと。体を起こし、ぼんやりとする頭で考えた。普通なら明日死ぬなんて急に言われても信じられる筈もない。しかし。蒲団を畳み、井戸へ顔を洗いに出て。部屋へ帰るとちょっと良いところに出掛けるときのために、近藤が買い与えてくれた振袖に腕を通す。
「今ならまだ、間に合う。 」
髪は前々から興味があった日本髪に前日から結ってもらっていたため、龍馬に買ってもらった簪を挿し、持ってきていた化粧品で薄く化粧を施す。桃色の紅をさし、もう一度鏡で全身を確認して。逸る気持ちを抑えつつ、梅がいる部屋へと向かう。部屋の前に立つと、大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
「失礼します。森宮です。入ります。 」
芹沢の返事を待つが、帰って来ず。
「芹沢さん?開けますよ? 」
スーッと襖を開けたが、そこに二人の姿はなく。
「嘘...。もう、間に合わないの? 」
途端に力が抜け、膝から崩れ落ちた。
「あれ。千香。芹沢さんならもう出たよ。何か用でもあったの? 」
偶然通りかかった藤堂が声を掛け、下を向いたまま何も言わない千香の元へ駆け寄る。すると、千香の目からぽたぽたと雫が零れ落ち、畳に染みを作っていき。
「ち、千香? 」
藤堂は何か自分の不手際で泣かせてしまったのかと焦る。
「涙が、...止まらないの。訳は言えない。ごめんね。 」
拭っても拭っても、止め処なく溢れてきて。
「言わなくても、いいから。今は思いっ切り泣いてよ。 」
千香を引き寄せ、落ち着かせようと頭を撫でる。
「うう、ふっ...う...。」
この件、分かっていたのは自分だけ。自分にしか助けられなかったのだ。藤堂には、芹沢たちを暗殺することは言ってない。それに、沖田は近藤に従うだろう。
芹沢と梅に対する罪悪感が、千香の心に黒い染みを作る。沖田に、想いを告げてはいけないと制されてはいたものの、目の前で千香が泣いているところをみたら、藤堂もやはり男で。
「俺は、千香が好きだ。千香が泣いてたら、側に居て少しでも痛みを分かち合いたい。千香が悩んでたら、一緒に悩む。俺は、どんな時もお前と一緒に生きたい。 」
「わ、たしも。 」
しゃくりあげながらも、千香はそう答えて。本来なら、自分のことなんて気にする暇など無い。けれども、酷く誰かに縋りたい、と思った。それも、淡い恋心を抱いている藤堂が相手なら尚のこと。
「これから、ずっと一緒だぞ。 」
頬を赤らめ、藤堂が言う。
「うん...。 」
漸く涙が治ると、千香は状況を理解した。いざ我に戻ると、余りにも恥ずかしい状態だったのだ。
「あの、平助?そろそろ行かないと...。 」
先ずは体の密着を解こうと、藤堂に促す。
「そ、そうだな。 」
パッと体を離し、立ち上がる。
「皆を待たせちゃう。行こう? 」
改めて千香の装いに目をやると。
普段着のままでも充分魅力的だが、絢爛な着物に流行りの化粧を施しており、思わず見惚れてしまう。
「平助?おーい。 」
返事が無い藤堂の目前で、手のひらをぶんぶんと振る。
「っ、あ。御免。千香があんまり綺麗だから、見惚れてた。 」
ぽろっと溢れでた言葉に、千香は頬を林檎の様に赤らめ。
「も、もう!行くよ! 」
藤堂の手を取り、屯所を出る。角屋への道のりを歩くうちに千香は、段々と冷静さを取り戻し。まだ、芹沢たちは殺されてない。ぎりぎりまで諦めるものか!と自分を奮い立たせた。