幕末・浪漫千香〜どんな時代でも、幸せになれる〜 作:秋藤冨美
水がかかる感覚に重たい瞼を開けると、桶を手にした土方が眼前に見えた。どうやら、夢ではなかった様である。ぼんやりとする頭を働かせ、自分の置かれている状況を把握した。後ろに回された腕は柱に縛り付けられており、安易に抜け出せないようになっていた。他には、薄暗い中に蝋燭が一つポツリと置いてある。察するに此処は蔵だろう。となれば、自分はかの有名な『鬼の副長』に監禁されてしまったのだろうか。
「おい。お前は何者だ。口を割らない限り、此処で尋問をしてやる。痛い目を見たくなきゃ、さっさと喋るんだな。」
こんな状況でも、焦ることなく冷静な自分に少女は驚きつつも、愉しみを覚えた。
「えーと、此処は壬生浪士組の屯所ですよね? 」
「門の所に書いてあるからな。 」
「そして、貴方は、土方歳三。通称鬼の副長。 」
「ほう。それで?お前は誰の差し金だ?大方予想はつくが。 」
土方は眉をピクリとも動かさずに淡々と続ける。
「私は、間者じゃあないです。ただ、此処を見学しに来てただけで。 」
「しらばっくれんじゃねえ! 」
またもや水をかけられる。証拠こそ無いが、少女は決して嘘は言っていないのだ。不当な扱いを受ける謂れは無い。
「じゃあ、私が間者である証拠は?それが無けりゃ、私のことを疑うのは御門違いってもんでしょ。 」
訳も聞かず強引に罪を負わせようとしてくる土方に少しイライラした様子で少女は言い放つ。
「まずその着物!異国の物だかなんだか知らねえが、怪しい。それに、紅色の箱。あんな妙な箱見たことねえ。何より壬生浪士組の屯所はなあ、お前みたいな#童__わっぱ__#が気安く入っちゃならねえ所だ。京の人間ならそれくらい百も承知なんだよ! 」
少女は勢いで捲したてる土方を心底軽蔑した表情で見つめ、溜め息をついた。
「...説明しても信じてくれなさそうなんで、名前だけは言っておきます。森宮千香と申します。ちなみに今年で一九になるので、童と呼ばれるのは不快です。...もう弁解は諦めたんで、煮るなり焼くなりお好きにどうぞ? 」
土方が口を開こうとした時、ガラリと引き戸が開き光が差し込んで来る。数分振りに感じた日の光に眩しさを覚え、千香は目を細めた。
「土方さん。近藤さんが呼んでます。」
目を凝らしながら、顔の判別を試みる。月代に、浅黒い肌。ヒラメの様な顔にも見えた。記憶違いでなければ、新選組の中でも特に有名なあの人物ではないだろうか。
「そうか。総司、俺が戻るまで此奴見張っとけ。目ぇ離すんじゃねえぞ。 」
そう言い捨てると土方は蔵を出て行った。千香の目には狂いは無かった様である。身の危険が遠のき、ほっと息を漏らした。土方と二人でいると命がいくつあっても足りそうに無いとさえ思う。
「土方さんには内緒ですよ。 」
人差し指を口元に当ててそう言うと、沖田は千香の縄を解いた。
「土方さん、時々こうやって充分な証拠が無くとも屯所に入った人を捕縛するんです。気が立っているのでしょう。此方にはいい迷惑ですよ。 」
「すみません...助かりました。 」
千香はその場に正座し、自由になった手を添えて頭を下げる。沖田は素早く千香を立ち上がらせると、早口で言おうとするが、
「お気になさらず。さ、早くお逃げなさ... 」
そこまで言うと沖田はピタリと動きを止めた。千香は、何?顔に何か付いてるの、と不思議そうな顔をした。すると申し訳なさそうに眉を下げて、
「すみません。女子の貴方に傷を負わせてしまった様だ...。 」
自身の手を千香の左頬に手を当てた。千香はその言葉に、成る程。と納得する。
「いいんですよ。元々私が怪しい態度を取ってしまったのが悪いんです。それよりも、髪を切られてしまったほうが余程...。 」
そこまで言うと、何故かぽろぽろと涙が溢れてくる。さっきも泣いたのになんでまた、と自分の感情が分からなくなってしまう。人前では泣きたく無いのに。
「怖かったのでしょう。近藤さんに事情を話してみますから大丈夫ですよ。何も心配はいりません。 」
沖田は溢れて来る涙を止めるべく、千香の頭を優しく撫でた。
「すみ、ません。 」
止めたいと思っても、なかなか止まらず。いつのまにか沖田に抱き寄せられていた。その体温に安心したのか、千香は眠ってしまう。
「やれやれ... 。 」
子供をあやすようにして千香を抱きかかえると、沖田は自室へと向かった。