幕末・浪漫千香〜どんな時代でも、幸せになれる〜 作:秋藤冨美
藤堂と別れた千香は、重い足取りで伊東の部屋へと向かっていた。無意識のうちに、先程のやりとりが思い起こされてしまうからだ。何か、伊東を折れさせる手はないだろうか。伊東のことだ。必ず自分に利益が無いと首を縦に振らないだろう。だとすれば、何を言えば良いのか。
上手く話をしなければ、自分が未来を知っていることが露呈しかねない。そうすれば本末転倒だ。遥々江戸まで来たのが水泡に帰してしまう。
足を止めずに考えを巡らせていると、早くも伊東の部屋の前へと着いていた
。伊東に直接部屋の場所を聞いた訳では無かったが、千香はなんとなくの勘でこの部屋だと思ったのである。理由は他の部屋より広く、少し離れた場所にあるという点にあった。深呼吸をして、意識せずとも分かるほどに煩く脈打つ心臓を落ち着かせる。千香は大きく息を吸うと、声を発した。
「失礼します。森宮千香です。伊東先生いらっしゃいますか? 」
胸に手を当てながら、落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせる。
「どうぞ、お入りください。 」
中から声がして、千香は震える手を抑えながら障子を開けた。
「来ると思っていましたよ。まあ、少し予想より早かった様ですがね。 」
意地の悪そうな笑みを浮かべた伊東がそこに居た。千香は思わず目を逸らしそうになるが、グッと堪える。障子を閉めて正座の姿勢になると、千香も負けじと応戦する。
「人の動きが読めるなんて、伊東さんは凄いお人なんですね。まるで、私を監視している様な気さえしてきます。 」
棘を含んだ言葉をお互いにぶつけ合う。それからどちらともなく、本題に入っていった。
「それで?貴方がここまで来た本当の訳を聞かせていただきましょうか。ただ私の邪魔をするためだけに来たと言うには、動機が薄すぎる。他に何か目的があって来たのでしょうから。 」
伊東は見透かすような目で、千香を見た。
沖田とはまるで違う。沖田は千香に本当の妹の様に接してくれ、その一つ一つに温かいものが感じられた。しかし、伊東にはそれがまるで無い。人を見下し、あわよくば操ってやろうという邪心に満ちた目をしていた。この男は、一体どこまで気付いているというのだろう。自分が先の世から来た人間だということに、言わずもがな薄々勘付いているのやもしれない。はて、どうしたものかと千香が言葉を選んでいると、伊東がまたもや度肝を抜く様な言葉を発した。
「ああ。貴方が先の世から来たというのは既に承知していますよ。と言っても、それを確信したのは、貴方の顔を見た暫く後のことですが。...まあ、かと言って私が描く計画の邪魔をさせる気などさらさらありはしませんが。 」
え、と顔が固まった。どこでその情報を手に入れたのだというのか。
「ほらほら。また思ったことが顔に出ていますよ。こんな様子では間者なんて務まりませんね。...何故貴方が先の世から来たということを知っているのか。簡単ですよ。新選組の中で最も私に心酔していて、貴方に近しい人間が、文で知らせてくれたので。 」
...藤堂か。そこまで視野に入れていなかった。自分の知らぬ間にやり取りされた文が、今この結果を生み出していたのか。
「よって、貴方がこの部屋に一人で来た勇気は認めますが、私の企みを阻止するには最早手遅れ、という訳です。 」
「ッ...。無駄な足掻きだったというの...? 」
伊東の目があるのも忘れて、千香は下を向いて悔しさから歯を食いしばった。
また、だ。いくら歴史を知っていようとも、自分はこの時代に生きる人間では無い。結果は、何も変えられないのだろうか。誰の命も救えないというのか。
異分子の関与など、元々既に築かれた歴史の前ではこんなにも無力なのか。
「幸い、まだ貴方の知る歴史を私は聞いていない。貴方は未来を知るからこそ、私が入隊するのを阻もうとしたのでしょう。しかしながら、まだ確実に私の計画が上手くいくかは断言出来ません。...貴方の出方次第でどうなるか眺めるというのも、これまた一興。 」
まるで小さな子供が戯れるかの様な顔をしてみせた。全く、この男の真意が理解できない。どうしようというのだろうか。
「一先ずは、貴方も長旅でお疲れでしょう。心行くまでこちらでゆるりと過ごしていただいて結構ですよ。この件、どう転ぶかは、京に着いてからのお楽しみといきましょうかね。 」
伊東はクスリと、何も知らない者が見れば惚れ惚れする様な笑みを浮かべた。千香はそれに心底身震いし、早々に部屋を出た。
「平助...。いくら尊敬してるからって、そこまで話す?でも、人が良いから有り得るのかも...。 」
客間へと戻る最中、千香はそんな風にぶつくさ言いながら歩いていた。
部屋に入ると、眠ってしまわない様に努力したのであろう。藤堂が、蒲団を被らないまま横になりすやすやと寝息を立てていた。
「風邪引いちゃう。ちゃんと蒲団被って寝ないと駄目なのに...。もう。相変わらず可愛い寝顔。...本当に人を斬るなんて思えないわ。 」
藤堂に蒲団を掛けながら、千香は微笑んだ。
「まだ、何か出来るはず。運命は変えられる筈なんだから。なんとしてでも、伊東を止めなきゃ。 」
千香も既に敷かれたあった蒲団に入ると、決意を新たにした。