幕末・浪漫千香〜どんな時代でも、幸せになれる〜 作:秋藤冨美
いざ副長部屋の前に立つと、自然と呼吸も整っており。想像していたよりも随分と落ち着き払っていた。その状態に内心驚きつつも、千香はいざ、と正座をして大きく息を吸い込んで言った。
「土方さん。今よろしいでしょうか。 」
少し間を置いて。
「森宮か。入れ。 」
何か作業をしているのだろう。感情の無い淡々とした声で、返事が返ってきた。
「失礼します。 」
右手で戸を右膝の所まで開け、左手で最後まで開けた後、部屋へと入る。また右手で右膝の所まで閉めて、左手で最後まで閉める。
土方の方へ向き直ると、案の定机に向かっていて何かを書いている様だった。どう切り出そうかと考えていると、先に土方が口を開いて、
「それで、何の用だ。 」
と手を止めず言った。
「...山南さんのことでお話が。 」
千香はその背中がピクリと動いたのを見た。そして、筆を置いて千香の方へ向き直ると複雑な顔をしていた。やはり、心の中では言い過ぎたかと反省しているのやもしれない。
「近頃、色々あって体調を崩しがちなのは土方さんもご存知だと思います。そこで相談なのですが、山南さんにお休みをいただくということはできませんか。 」
「休み、だと? 」
何を言いだすんだと、土方は千香に訝しげな顔を向けた。
「はい。このままでは山南さんは、隊務をこなせなくなるかもしれません。唯でさえ今は体調を崩して、巡察にも参加が難しい状態です。きっとその内、新選組での居場所を失ってしまったと思うのではないでしょうか。そして何より、伊東甲子太郎。土方さんはこの男に参謀という役職を与えるつもりですよね? 」
「お前...。そんなことまで...。 」
千香の口から飛び出す言葉の応酬に、土方は顔を青くして驚きを隠せない。けれども千香は、そんなことに構っている暇はないのだ。今は何より、土方に山南の長期休暇を与えさせなければ。
「この男が、山南さんに要らぬ心労をかけることは間違いありません。山南さんほど優れている人物ならば、弱っている心につけこんで、手篭めにしようと企むでしょう。それに関しては、私が伊東の入隊を阻止出来なかったことに責任があります。ですが! 」
千香は土方の瞳を捉えて、キッと睨んだ。
「今迄の山南さんを本でしか知らない私より、実際に共に暮らしてきた土方さんならば解るはずです。山南さんが今どれ程心細いか。どれ程不安を感じているか。 」
「...だから、お前はあの時伊東を入隊させるまいと必死に江戸まで行ったという訳か。 」
土方も瞳を逸らさず、千香の言う言葉の訳を理解して。千香も土方に大きく頷いた。
「山南さんだって、人間です。いつも自分の意見が認められなかったり、味方が居ないと感じると心が病にかかります。武士だからと言って、いくら精神を鍛えたとしても耐えられないことだってあるんです。 」
千香の膝の上に置いてある手が、ギュッと着物を握り締めた。
「そんなことは言われずとも分かっている。けどな、ここで折れる訳にはいかないんだ。山南さんには悪いがな。 」
土方が鬼の、面を被った。と千香は勘付いた。組のためなら、一人の人間の命が失われようとも、厭わない。そこまで考えると、カーッと頭に血が上って、
「ふざけんじゃないわよ!!あんたは山南さんが死んだって良いって言うの?組のためなら、仕方ないって。昔から、江戸の頃からの仲間でしょう!それを蔑ろにしてまで組を大きくしようだなんて、今迄死んでいった隊士たちになんて説明する訳?私は山南さんの幸せを願っているだけなのよ。なのに、あんたは山南さんの居場所を奪って尚且つ命まで取り上げる気なのね。 」
今迄出してはいけないと思っていた感情が渦巻いて、千香の中を駆け巡った。もしこんなことを言ってしまえば、殺されてしまうかも、と抑えていた言葉がどんどん溢れ出して来て、止められなかった。
「てめえ!!副長になんて口聞きやがる。 」
土方も当然それに怒り狂い、千香を壁際まで追い詰めて手を頭の上で押さえつけた。土方が未だ嘗てないくらいの恐ろしい顔をしたので、千香も少し怯んでしまった。
「総司!来い! 」
大きな声で土方が沖田を呼んだため、千香は外に声が駄々漏れになってるけど大丈夫なのかなと、状況に見合わない思考を働かせた。
「はい。どうしま、...え。 」
そそくさと部屋に入ってきた沖田の視界に映ったのは、只事ではない様子の二人で。
「此奴を蔵に入れておけ。 」
土方は恐ろしい顔で沖田にそう命じると、机に座ってまた筆を動かし始めた。その移り変わりの早さに千香もボーッと見つめていたが、やがて沖田に促され蔵へと向かった。
「全く。一体何を言ったらこうなるんだ。 」
蔵の扉を閉めながら、沖田は溜め息を吐いた。蔵の中はまだ昼間なので、窓から差し込む光で明るかった。
「...山南さんに、お休みをくださいって言ったら、こうなりました。 」
あはは、と力無い渇いた笑いを浮かべて千香は答えた。
「...そうですか。まあ貴方のことだから、土方さんの勘に触ることを言ったのでしょうね。部屋から聞こえてきた怒声が何よりの証拠。でもまあ、土方さんの言うことには私も従わねばなりません。申し訳ないのですが、此処で何日か頑張ってもらうしかないです。 」
沖田は千香が皆まで言うのを待たずとも、何となくどういう経緯で千香が蔵に閉じ込められる羽目になったのかが分かっていた様だった。
「私が、土方さんに酷いこと言ったんですもん。寧ろ、これくらいで済んだのが奇跡です。...山南さんのことお願いしますね。 」
「はい。分かりました。それでは私は隊務があるので、此処で。 」
最後に沖田が、この様なことになって止められたのは自分だけだったのに申し訳ないと言われ、千香がいいんですというやりとりがあって二人は別れた。ガシャンと、重厚な錠が閉められるのを聞いて千香はへたり、とその場に座り込んだ。
「あーあ。これからどうなるんやろ私。 」
また一つ、溜め息の数が増えていく。