幕末・浪漫千香〜どんな時代でも、幸せになれる〜   作:秋藤冨美

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三条制札事件

九月一二日深夜、三条制札事件が起きた。その背景には長州征伐に失敗して以来、幕府の権威が失墜したことにあった。そして今年になってから、幕府の申し立てが書かれた制札が引き抜かれる様になったのである。特に三条大橋の西詰北に立てられた制札が三度に渡って引き抜かれ、鴨川に捨てられたことから、新選組に松平容保公から制札の警備が命じられ、三条大橋他三箇所に置いていつでも犯人を捕縛出来る様、体制を整えていた。これは三日程前から、隊を分け警戒していた最中の出来事である。当日は、一番近いところにいた原田の隊が土佐藩士が現れたという報を聞き現場に駆けつけた。新井忠雄の隊が到着し包囲体制を作るも、浅野薫という隊士が戦乱を怖がり、大石鍬次郎の隊への伝達が遅れ、予定していた包囲体制が作れず退路を作ってしまい。結果、八人いた土佐藩士のうち五人を逃したのである。後にこのことで、臆病さを咎められ浅野薫は新選組から追放される。

千香は蒲団に入って横になっていたが、何処と無くざわざわしていた雰囲気に眠れずにいると沖田が起こしに来たので、訳を聞いて厨房に立っていた。

 

「それで、捕まっとる宮川助五郎さんとやらにご飯を上げれば良んですね。 」

 

「はい。明日には奉行所に引き渡しますので。 」

 

「まあ、こんな夜中じゃ奉行所の人らもしんどいですもんね。 」

 

千香は握り飯を握り終え、ふう、と息を吐いた。ゆらゆらと揺れる行灯の火が幻想的で、不謹慎にも綺麗だなあと思ってしまった。

 

「渡して来ますので渡して下さい。 」

 

「うーん。いいえ。私に行かせて下さい。拘束されとるでしょうし、何よりこういうことをしてしまったのも理由があると思うんです。ほんの少しでも、そのもやもやを吐き出せたら楽になるかなと。 」

 

「いいえ。貴方一人に行かせる訳にはいきません。もし何かあったら...。 」

 

千香は握り飯を乗せた皿を盆に乗せ、くるりと振り返った。そして、沖田の頬を両手で包んでいつかの自分がされた様な顔に変形させ。

 

「私は何も、新選組のことしか知らん訳やないんですよ。それにほら、宮川さんとやらも知らんとこに来て不安なかもしれんし。同じ四国出身やし、二人だけやったら話せることもあるかもしれませんし。 」

 

「男をあみゃくみてはいけぬぁい。 」

 

「もう、相変わらず心配性ですね。 」

 

顔を歪めながらも言葉を発する沖田の顔が酷く滑稽に見え、笑いを堪えるのに必死になってしまう。

 

「前にも言いましたが、私は貴方のことを...。それに平助だって心配しますよ。 」

 

「じゃあ、戸の前で待っとって下さい。ほんなら何かあっても、すぐ分かるでしょう?というか、他に見張りの方がいらっしゃるでしょうし。 」

 

「でもまずは土方さんに許可を得ないと。まあ、首を縦に振らないとは思いますが...。 」

 

「めんどくさいー。すっかり忘れとりました。 」

 

千香は、はああ、と大きく溜め息を吐いた。沖田はそれを見て、優しく微笑んで。千香の頭にぽん、と手を置いた。そして、藤堂よりもだいぶ高い沖田を下から見つめる形になり。

 

「平助には、味わえないだろうなあ。この感覚。小さくて可愛くて仕様がない。 」

 

「な、何言よんですか!へんた、いや。助平です! 」

 

沖田の唐突な甘い言葉に、千香はあわあわと慌ててしまう。

 

「さあて。それでは何とか土方さんを説得してきますから、千香さんは此処で待っていて下さいね。 」

 

そんな千香の反応すらも愛でるかの様に、沖田は微笑んで副長部屋へと向かった。

 

「きゅ、急に言われたら、びっくりするがね。でも私、この時代の女の子の平均身長より高いはずやけん、小さいとは言われんはずなんやけどなあ。 」

 

...そういう問題では無いと思うのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四半時程経って、沖田が戻って来た。朝餉を作るのに影響が無ければ好きにしろとのことだった。明日早く奉行所に行くのだから寝かせろと。

 

「へー。珍しいですね。 」

 

「とのことですので、行きましょう。 」

 

宮川は隅の空き部屋に居るそうだ。視線の先に小さな明かりが見え、隊士が首をカクカクさせながら部屋の前に座っていた。

 

「ありゃ。寝てますね。まあ夜やし仕方ない。沖田さんに来てもろて丁度良かった。 」

 

「後でお灸を据えてやらないとな。 」

 

暗さも相まって、沖田の笑いながらも怒りの籠っている顔が恐ろしく見えた。

 

「さ。それじゃあ、行って来ますね。 」

 

「何かあれば、すぐに呼んで下さいね。 」

 

千香はこくりと頷いて、部屋へと足を踏み入れた。

部屋に入ると、一瞬誰も居ない様に見えたが目を凝らしてみると部屋の隅に宮川が居た。

 

「握り飯持って来ました。良かったら食べて下さい。 」

 

千香が盆を置いて声をかけると、虚ろな目をしていた宮川だったが、千香の姿を見とめぎろり、と睨んできた。

 

「あ。手え縛られとりますもんね。食べさせたほうが良えですか? 」

 

「...自分で食う、と言いたいところじゃけんど手が使えのおし。おんし、解いてくれんか。 」

 

ぼそぼそと呟く様な声だが、しっかりとした土佐弁が聞こえ。口を聞いてくれるのだと分かり、少しほっとした。

 

「流石に私に縄解く権限は無いです。すみません。ああでも久し振りです。土佐弁聞くんは。 」

 

「久し振り、だと? 」

 

「実は私、龍馬さんと知り合いなんですよ。ほんで伊予出身なんです。 」

 

「坂本さんと!?おまん新選組の人間ろう!一体どういうことじゃ! 」

 

「ええと、街で偶然会って。そんだけですよ。個人的に仲良えだけで。それより、握り飯食べるんですか?早よ決めんと、朝には奉行所連れて行くらしいですよ。 」

 

「食べる。 」

 

確かこの時23くらいだろうか。そんな歳になってまで、病気では無いのに誰かに食事を手伝ってもらうのは屈辱的なのだろう。酷く顔をしかめた。

 

「じゃあ、食べさせますね。 」

 

握り飯を持って、宮川の口へとやる。

 

「む。美味い。 」

 

「ふふ。そりゃあ、いっつも此処でご飯作ってますから。 」

 

「おんし、歳は幾つだ。 」

 

「二二です。歳取るんは早いもんですね。 」

 

すると、宮川は大きく目を開いて。

 

「嘘を吐くな。本当は一七、八ろう。 」

 

「いいえ!本当ですよ。若見えなんですかねえ。嬉しいこと。ありゃ、でもこの時代じゃ立派ないきおくれの部類じゃ。あはは。 」

 

「... 逃げはしやーせんから、縄を解いてくれ。食べにくうてかぇわん。 」

 

宮川は千香の様子に呆れ返った。しかし、千香はそれに気づくこともなく。

 

「ほんまですか? 」

 

「まっことじゃ。やき、はよぅしてくれ。 」

 

「分かりました。 」

 

千香は宮川の縄を解いた。手首を見て見ると、赤くなっており。痛そうだと思い、優しく手で包み込んだ。

 

「...何か訳があってやったんでしょう?それも多分、新選組とか幕府側からしたら不都合な理由で。でも、縛ったら痛いですよね。ごめんなさい。おんなじ人間なのに、何でこんなことになるんやろうか。 」

 

「おんし...。一体、どっちの味方じゃ。 」

 

宮川は千香を得体の知れないと言った風な目で見た。それに千香は微笑んで。

 

「私はただ、皆が仲良(なかよ)に暮らせる様になって欲しいだけです。どっちの味方とか無いです。ほやけん国中で争いよるん見たら、辛いです。 」

 

宮川は千香の手を優しく下ろして、言った。

 

「おんしみたいに心の優しい人間ばあが居たら良かったがけんどなあ。けどその考えは命取りじゃ。それにおんしは仮にも新選組の人間ろう。戦が起こった時、女やきいの一番に狙われやすい。 」

 

「ほうなんですよね。前にもそういうこと言われました。...ということは、自分の身は自分で守れるくらいに鍛えたら良えってことですかね! 」

 

「... あほらし。まあこがなんじゃ、襲う気も起きんか。 」

 

食べかけていた残りの握り飯を一口で頬張ると、宮川はそっぽを向いた。千香はえ、今何と?と暫く固まっていたが、我を取り戻し。

 

「お、襲うって何ですか?お金欲しいんですか? 」

 

「その歳じゃったら生娘でも無いろうに。 」

 

「え。じゃあ、やっぱりそういう...。 」

 

宮川の発言に顔に熱が集中してしまう。それにしても、この時代の男は皆襲うだの何だの言う様な気もするが。

 

「やめだやめ。わしは寝る。ほら、はよぅ縄で縛れよ。 」

 

「は、はい。 」

 

何が何やら分からないまま、千香は宮川の縄を元の様に縛った。

 

「飯も食ったがやき、はよぅ出て行け。誰か部屋の前で待っちゅうがやろ。 」

 

「分かりました。あ、名前言ってませんでした。私、森宮千香って言います。また会えたら良えですね。宮川助五郎さん。 」

 

「ああ。わしが生きちょったらな。 」

 

「ほんなら、失礼します。 」

 

千香が部屋を出た後、宮川が呟いた。

 

「へごな女子(おなご)だな。また会えるとしょうえいなあ。色々話したい。 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「千香さん。何もありませんでしたか。 」

 

部屋を出て早々、沖田が千香の元へ駆け寄って来た。

 

「...はい。ほんで何も聞けませんでした。 」

 

「何ですか今の間は。 」

 

「実は、襲うとか何とか言われて。でも、その気が失せたとか。よう分かりません。 」

 

「...まあ、分からなくも無いな。 」

 

千香の全身を見て、沖田は気の毒そうに笑った。千香は何故沖田が笑ったのだろうか分からず、首を傾げる。

 

「さて。握り飯もあげたことですし、明日も朝早いので寝て下さい。 」

 

「はい。...その口振りやったら、沖田さんは寝んみたいな感じですけど。 」

 

「はい。少しすることがあって。 」

 

すると千香は、首を大きく横に振って。

 

「いかん。寝て下さい。病気なんやし、明日しんどいですよ。 」

 

「いや、でも今日中にやってしまいたいので。 」

 

「ほんなら私も付き合います。沖田さんのすることとやらが終わるまで。どうせ今からやったらようけは寝れん思いますし。 」

 

「いけません。貴方まで起きていてもらうのは申し訳ない。 」

 

千香は沖田の着物の袖を掴んだ。

 

「終わるまで離さん。 」

 

「困りましたねえ...。分かりました。でも眠ければ寝て下さいよ。一応蒲団は敷いておきますから。 」

 

千香とのやりとりの末に折れた沖田は、しぶしぶ自分の部屋へと千香を招き入れた。最初の内はしっかり起きていたものの、千香が先に寝てしまい沖田が千香を蒲団へと運んだが、その寝顔を見ているうちにいつのまにか寝てしまった。そして翌朝、藤堂がその場を発見し軽く修羅場と化したのは言うまでも無い。

 

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