幕末・浪漫千香〜どんな時代でも、幸せになれる〜 作:秋藤冨美
一二月二七日。孝明天皇が、崩御した。しかしこれには諸説あり、暗殺や毒殺など現代でも囁かれているが死因は、天然痘とされている。混沌とした時代だったからこそ、真実が埋もれてしまったのかもしれない。
「天子様が、崩御なさるとは...!まだお若いのに! 」
近藤は家茂のときと同様、涙を流していた。土方はもう何も言わないほうが良いだろうと、机に向かって書類の整理を始めた。声を抑えない近藤の声は離れていてもはっきりと聞こえてくる程の大きさで、女中部屋に居た千香は思わず苦笑いしてしまった。すると、足音が部屋の前で止まり、誰か来たのだろうかと伏せていた顔を上げる。
「千香さん、失礼します。沖田です。 」
背中をピシリと伸ばし、着物の着崩れを素早く直した。
「沖田さん!?と、とにかく入って! 」
本来なら部屋で寝ているはずの沖田が訪ねてきた。どうしてだろうと思うも、それより他の隊士は見ていなかったのだろうかと心配になったので、また土方あたりに釘を刺してもらおうとぼんやり考えた。部屋に入って来た沖田は、にこにこと笑っていて、手に文を持っていた。
「千香さん。良い報せです。山南さんから文ですよ。 」
「え!山南さんから!?良かった。元気なんですね! 」
沖田から文を受け取りながら、千香は微笑む。すると、沖田が良かった。と言ったので、何がと聞くと。
「近頃笑顔が少なかったからですよ。やっと笑っている顔を見ることが出来てほっとしているんです。 」
「あ...。すみません。病にかかっとる沖田さんを心配させてしまうなんて。 」
「いいえ。良いんですよ。さ、文を読んでみて下さい。千香さん宛てなので。 」
どうしてこうも自分は周りに迷惑をかけてしまうんだろう。現代に居た頃はそんなことはなかったのに。この時代に来てから、誰かを頼ることが増えたからだろうか。
「はい。それじゃ、読みますね。 」
文の中身は元気にしていましたかと始まり、その後は山南の近況を知らせる内容だった。しかし、次の一文に目を通したとき千香は驚きのあまり文を落としてしまった。
「あ...。沖田さん。これ読んで下さい。私字、全部読める訳やないんで、自信無いんです。 」
首元に刀を当てられているかの様に強張った表情で、声を震わせた。沖田も千香のその表情で只事では無いことを感じ取り、緊張した面持ちで千香の落とした文を拾って読んだ。
「...。これは、不味いですね。折角伊東と山南さんを引き離したのに、伊東が山南さんの家を訪ねるなんて。文を千香さん宛てにしたのは、先を知っているからでしょうか。 」
「お、沖田さん、伊東に山南さんのお家の場所教えてませんよね。 」
「ええ。勿論です。...だとすれば知らせたのは恐らく、どこかで場所を聞きつけた伊東派の誰かか、或いは。 」
沖田は苦虫を潰した様な表情で、その先の言葉を言うのを渋った。千香は沖田の言葉に予想がつかないので、警鐘の様に煩い心臓を落ち着かせようと胸元に手を添えて小さく息を吐いた。
「...千香さん。私が今から言うことに決して驚かないで下さい。そして、いざというときはその相手と袂を別つこともあり得るということを念頭に置いて聞いて下さい。 」
「は、はい。 」
沖田の喉仏が下がるのを見た後、その揺れている瞳に目線を移したと同時に口を開いた。
「平助が、教えたのかもしれません。幹部は山南さんの家の場所を知らされています。近頃平助は伊東のところに入り浸っているのが目立つので、そう考えるのが妥当かと。 」
「で、でも、伊東派の人らの可能性も否めんのんでしょ? 」
「ええ。けれど、平助の仕業では無いと言い切ることも出来ない。このことは、近藤さんや土方さんに伝えておくべきでしょう。 」
「そう、ですよね。 」
嫌な汗が止まらない。藤堂が、裏切ったというのだろうか。先程より煩くなった心臓が、頭痛まで呼び起こしそうだ。
「今から私はこのことを近藤さんたちに伝えてきます。千香さん、気をしっかり持って下さいね。 」
「私も行きます。沖田さんを一人で出歩かせたって知られたら、土方さんに怒鳴られそうなし。 」
平常心を装って、何とか笑みを作る。沖田は今にも泣き出しそうな千香の頭に手を置いた。
「我慢しなくても良いんですよ。泣きたいときには泣けば良い。せめて私の前では、本音を言って下さい。 」
「は、い。 」
救えたはずの山南が、伊東に目をつけられ。しかも、山南の家を教えたのは藤堂かもしれない。言いようのない不安と恐怖が千香の胸を占めた。自分の力では及ばないところまで来てしまったのだろうか。
「沖田さん。もう、どうしたらっ、良えか、分からん。...私、私は、 」
千香の頬を伝う涙を拭い、沖田は千香を抱き寄せた。
「大丈夫です。きっと平助はそんなことしませんよ。 」
髪を撫でながら、優しく囁いた。次第に千香の涙がおさまってくると、身体を離しいつものように両頬を両手で包んで顔を歪ませ。
「まだまだ、ですよ。これから辛いことや苦しいことは沢山あります。けれど、千香さんならきっと乗り越えられます。今度のことだって、近藤さんも土方さんも、私も付いている。何も心配することなんて無いんですよ。 」
「ふぁい。 」
「あはは!相変わらずの間抜け面ですね! 」
「ひょっとお、おきたひゃん!ひゃめてや! 」
「はいはい。さ、行きましょう。 」
千香はやっと解放された頬をさすりながら、沖田の差し出された手を取り立ち上がった。
「大丈夫、ですよね。沖田さん。 」
「ええ。大丈夫ですよ。 」
いざとなると不安になってしまう。けれども、沖田から言葉をもらうと不思議と勇気が湧いてきた。副長部屋へ向かいながら、沖田の背中を見つめていると胸にぽっと火が灯った様に感じた。部屋へ着くと、土方が千香を小さく睨んだが沖田がそれを制した。
「という訳です。どうしますか。 」
沖田は土方に文を渡して、経緯を話した。土方は暫く黙り込んでいたが、口を開き。
「今まで伊東と伊東派の奴らの動向を山崎と島田に探らせていたが、これからは藤堂も同様だ。少しでも怪しい動きを見せたら斬る。 」
「お、おいトシ!千香さんの前でそんな...。 」
「分かりました。仕方、ありませんよね。 」
千香は迷いのない凛とした声で、頷いた。小さく手が震えていたが、それさえも隠して。
「千香さん、無理しないで下さい。 」
沖田が千香を気遣う様に声をかける。けれども千香は、笑顔さえ見せた。
「私は、大丈夫ですよ。もし本当に平助がやったんなら、何も言うことは無いです。士道に背くまじきこと、やと思いますし。 」
「そりゃあ、後腐れが無くて心強い。さあ、もう総司は寝ろ。森宮は世話、ちゃんとしろよ。 」
さあ帰った帰った、とでも言う様に土方は千香たちの方へ手をひらひらとさせた。
「分かりました。それでは、失礼しました。 」
未だ座り込んだままの沖田を置いて、千香は障子に手をかけた。それを急いで沖田が追いかけ、二人揃ってそそくさと部屋を出た。足音が遠のいてから、それを待っていた近藤は、
「トシ、本当にこれで良いのか。千香さんあの様子じゃ、本当は大分無理をしているだろう。 」
「言い訳あるか。みすみす平助を殺すつもりなんざ無えよ。何とか伊東だけを潰す策を考えるさ。 」
「トシイイ! 」
「ああもう煩わしい!まとわりつかないでくれ! 」
万華鏡の中の景色が変わる様に、また大きく歴史が変わった。