幕末・浪漫千香〜どんな時代でも、幸せになれる〜 作:秋藤冨美
八木為吉
「お客さん!起きて下さい!もう店じまいです! 」
激しく揺さぶられる感覚に目を覚ますと。作務衣に身を包んだ店員らしき人間が、怒りと呆れを含んだ顔で大きく溜め息を吐いている。
「え...。どういうこと...痛っ。 」
状況を把握出来ないままに、急に謎の頭痛が襲ってきた。脈打つ様に痛む頭を抱えていると、流石に店員も焦り出しこちらに駆け寄って来る。
「どないしたんですか!? 」
どう対応して良いか分からず、あわあわと慌てる店員に、大丈夫だという旨を伝えようと顔を上げると。
「為、三郎君? 」
その顔が、為三郎と瓜二つだった。どうして、と思いながらも、まずはここがどこなのかを知りたい。
「お客さん、それは曾祖父様の名前です。流石新選組ファンと言いたいところやけど。...とりあえず横になったほうが良えと思います。奥に蒲団があるんで、来て下さい。 」
「大、丈夫です。自分で何とかします。 」
「あかん!そないなんじゃ歩けもしいひんやろう!大人しゅう言うことを聞き! 」
断りの言葉を聞きもせず、店員は引きずる様にして奥の部屋へと連れて行った。
「あの。まだ名前言ってませんでしたよね。私、森宮千香と言います。先程は大変ご迷惑をおかけしてしまって、すみませんでした。 」
千香は漸く頭痛が収まり、蒲団から出て店員に深く頭を下げる。こんな歳にもなって、見ず知らずの人にこんなに迷惑をかけてしまうのはとても恥ずかしかった。
「気にせいで下さい。というか、あの状況で助けへんほうがおかしいでしょう。当たり前のことをしたまでですよ。 」
店員はほら、頭を上げて。と千香に促した。そして千香が顔を上げると、何故かその顔をじいっと見つめ。千香は何か付いているんだろうか、と目を瞬かせた。
「貴方、曾祖父はんの仰っとった
「為三郎君が言っていた...。 」
子母澤寛が昭和初期に為三郎に話を聞いた折には、女の話など出てこなかったはず。千香は顎に手を当て、ううむと考えこんだ。
「何や、為三郎君やなんてむちゃ馴れ馴れしい気するけど。まあ良えわ。...私は為吉と申します。 」
「為吉さん、と仰るのですね。先程は本当に本当に失礼を致しました。 」
「貴方、それほんまの話し方やないでしょう。共通語っていうやつつこうてますけど。 」
「な、何で分かるんですか。 」
為吉にいとも容易く言葉遣いを見破られ、動揺のあまりついいつものイントネーションで話してしまった。
「イントネーションが一緒やな。そのほうが貴方も話しやすいやろ。 」
すると、為吉はにこにこと笑った。なんだかほっとする笑顔で、千香のざわざわとした胸中を収めるには十分だった。
「実は貴方、いっぺん八木邸の中で倒れたんです。ほして、救急車を呼ぼうとしたら急に立ち上がってこの店の中に入っていかはって。椅子に座ったかと思ったら、すやすや寝始めたんです。どうしたものかと思って、放っておいたら閉店時間まで起きなくて。 」
笑いを堪えながら、千香に今までの経緯を話してくれた。もしかすると夢遊病の類いかと思われたのかもしれない。けれど、千香には倒れたなんて記憶も無ければ、その後立ち上がって椅子に座ったという記憶も無い。
「あの、ほんまに私倒れたんですか。八木邸に入ってからの記憶が無いんですが......。 」
ここで何の前触れも無く幕末に行っていたなどと口走れば、それこそ本当にヤバい人だと思われてしまう。
「...... それじゃあ、もし曾祖父はんが言うとったことがほんまのことやったら、貴方は......。 」
急に為吉の顔色が変わり、顔が青ざめた。
「もそやけどもて貴方、幕末にタイムスリップしとったなんて言おりませんですやろ? 」
千香は為吉の言葉に、柔く頷いた。
「仰る通りです。私、幕末にタイムスリップしてました。新選組にもおうて、色々見てきました。 」
「...そないなことが、あり得るんですね。そないなら私と貴方がここで会ったのは、きっと曾祖父はんから伝わる話を貴方に伝えるためでしょう。 」
為吉は真剣な表情を浮かべ、戸棚から木箱を取り出した。