ダンゲロス/IF   作:餅男

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第十一話 かつての戦い、今の戦い

「どうかね、友釣君?」

「他の生徒会メンバーにも確認してみましたが、やはりどの学年・クラスにも該当する人物はいないようです。制服も、ネットで検索してみましたが一致するものは……」

「となると……やはり“転校生”の可能性が濃厚か」

 

 番長グループから送られてきた画像を印刷し、それを生徒会の皆で確認した結果をド正義は聞いていた。

 

「さて、どうしたものか……!」

 

 包帯で顔の上半分は隠れているものの、硬く結ばれた口元からはド正義の苦悩が見て取れる。

 

 “敵”ではない別勢力としての“転校生”の介入は、この状況において極めて厄介であった。

 生徒会と番長グループの協力体制は当事者たちしか知らない極秘事項である。仮に長谷部が“転校生”に自分たちの殲滅を依頼したならば、やはり「ハルマゲドンで生徒会と番長グループが潰し合う」という前提で話を進めているはずだ。

 となれば、“転校生”は“敵”と同様に生徒会と番長グループの潰し合いから漁夫の利を得る戦略で動こうとするだろう。そして──双方が動かなければ、やはり陰から戦場を掻き回そうと動き始めるはずだ。

 そうなれば“敵”の正体を暴くどころでなく、生徒会と番長グループは秘密裏に戦況を荒らそうとする二つの勢力を相手にする事になる。迅速な対応が必要だ。

 

 そして“転校生”は魔人が数人がかりで襲いかかっても鎧袖一触の、まさしく別次元の強さを誇る怪物である。それが最低でも二人以上。邪賢王は番長グループのメンバーのみで何とかしようと考えているようだが、かつて“転校生”を殺した事のある鏡子が居るにしても大損害は避けられないだろう。それでは結局、互いのグループの壊滅を避けるために結んだ協力関係の意味が無くなってしまう。

 

 では大っぴらに生徒会と番長グループで共同戦線で“転校生”に挑めるかと言えば、これも難しい。

 ハルマゲドン開催中、“敵”がド正義たちを放っておくという事は無いだろう。何かしらの偵察能力で両勢力の動きは探る筈だ。その中でド正義と邪賢王が並んで“転校生”に挑めば流石に“敵”は自分たちの目論見が見抜かれている事に気付き、実力行使に出る。“転校生”との戦いで消耗した状態でのプロの対魔人部隊との戦闘は可能な限り避けたかった。

 

 それでは“敵”と“転校生”を衝突させられれば? 残念ながらこれも論外である。

 ド正義もこの案は一度は考えた。しかしこの場合、“転校生”への“報酬”のために用意されたと思われる天音沙希の命が問題となる。

 ハルマゲドン開催に話を持ってゆく段階で架神を唆し口説院を謀殺し、一ノ瀬も殺したと思われる連中である。仮に相手が“転校生”だと判明すれば、奴らは“転校生”との直接対決よりも容易な“報酬”の殺害を考えるだろう。過去の“転校生”が出現した事件の記録によれば“報酬”と思われる人物が死んだ場合、“転校生”はその場で帰ってしまうらしいのだ。

 この場合確かに“転校生”との直接対決は避けられるかもしれないが、何の咎も無しに“報酬”にされた少女を見殺しにできる程にはド正義は非情ではなかった。

 

 つまり、この状況を打破するには「“敵”に勘付かれないように迅速に番長グループと協力し、最低限の人数で“転校生”に仕掛け、天音沙希を救出する」という困難極まる三段跳びをしなければならない。

 

「………」

 

 ド正義は机上で指を組み合わせ、じっくりと考えた。やがて、口を開く。

 

「……友釣君。ちょっと、僕の携帯からバル君にかけてくれないか?」

「は、はい!」

 

 横で様子を伺っていた香魚は、差し出されたド正義の携帯を受け取ると操作を行い、ド正義に返した。

 

『はい、こちらバル。えらいことになりましたなぁ、ド正義さん』

「ああ、全くだ」

 

 ド正義は小さくため息をつくと、改めて電話の向こうのバルに言った。

 

「バル君、そちらの番長グループ一年の“駒沢”なんだが……」

 

 

 

 ダンゲロス/IF  第十一話 かつての戦い、今の戦い

 

 

 

 番長小屋の天井に吊られた裸電球が頼りない光で屋内を照らす。

 

「……と、言う訳だ。分かってもらえただろうか?」

「そんな事になっていたなんて……」

 

 白金翔一郎が一通りの説明を終えると、両性院男女は半ば呆然と呟いた。

 その反応は当然であろう、ド正義が生徒会長に、邪賢王が番長になってからの希望崎学園は「正義の生徒会VS悪の番長グループ」という構図のイメージが定着していた。それがいつの間にか生徒会の魔人がテロリスト指定されていて、更に抹殺しようとする外部の敵勢力に対して番長グループと協力して立ち向かおうとしているなど想像の範疇外にも程があるだろう。何しろ説明している翔一郎自身、ド正義が自身の目を潰すまでは全く信じていなかったのだから。

 

「とはいえ、ここまではあくまで状況の説明だ。両性院、君にとって、そして我々にとっても重要な問題についてはこれから対策を練る事になる」

「そ、そうです! 沙希は大丈夫なんですか!?」

 

 ハッとして両性院は聞いた。そもそも彼がここに来た理由は、天音沙希の現状を映すヴァーミリオン海我の絵と共に彼女を助ける手立てを求めてきたのだ。

 しかしそれを聞かれた翔一郎はすぐには答えず、チラリと壁に掛けられた粗末な壁時計を見た。時刻は18時半を指している。

 

「……両性院、当初は君に『とある理由』で我々に協力してほしいと思っていた。しかし“転校生”の襲来に早急に対応しなければならない現状、その理由は薄まっている」

「理由……ですか?」

「まあ、そこは今はいい。肝心なのは、君がここに残るかどうかだ」

 

 翔一郎はそう言うと真っ直ぐに両性院を見た。

 

「君にはまだ選択肢がある。ひとつは我々を信じてここで学校から離れ、ハルマゲドン終了まで安全に待つという選択。もうひとつはこのハルマゲドンが完全に終了するまで学校から出る事を諦め、我々と共に死ぬかもしれない戦いに身を投ずるという選択肢だ」

「……!?」

 

 そう言われ、両性院は何故翔一郎が時計を見たのか理解した。番長小屋は学園の敷地の東端にある。ここから19時までに正門まで行くには既に徒歩では間に合わない。自転車でギリギリ、番長グループが使用するハーレーに乗せてもらえば何とかという所。そして、その判断までに許される時間は僅かだ。

 

「……両性院、おどれは帰れ」

 

 頭上からの声。見上げてみれば、邪賢王が鬼のような形相でこちらを見下ろしており両性院は思わず飛び上がりそうになった。

 

「天音沙希……彼女はええ娘じゃ。ワシらのような魔人の中でも更にはみ出し者連中にも、あの子は分け隔てなく接してくれよる」

「そうですなぁ。あの子は“魔人”だとか“不良”だとか、そういうの関係なしにその“人”を見てくれます」

 

 邪賢王の言葉に傍らのバルも同意する。

 

「彼女の命はワシらの命に替えても守る。おどれがおっては逆に足手まといじゃ。とっとと帰らんかい!」

 

 邪賢王の荒げた声で小屋の壁が震える。

 両性院は自分の心臓がきゅっと縮むのを感じた。全身から汗が噴き出し、邪賢王からの「圧」で押し潰されそうな錯覚を覚える。

 

「僕は……!」

 

 しかし、両性院は両脚に力を籠めると顔を上げ、真っ直ぐに邪賢王と視線を合わせた。

 

「僕は、残ります」

「足手まといじゃと言っとろうが!」

「だったら捨て石にしてもらっても構いません!」

「……!」

 

 常人ならば失禁しかねない程の迫力で怒鳴る邪賢王に、両性院は拳を握り締めて言い切った。

 その顔には邪賢王に対しての恐れこそ浮かんでいるが、同時に「絶対に退かない」という決意が宿っていた。

 中性的な外見通りの繊細な少年かと思ったが、存外骨はあるらしい。視線をぶつけ合う二人の姿を見て翔一郎は思った。

 

「僕は……僕は、沙希を守るためだけに子供の頃から彼女と一緒に居ました。ここで彼女の件を戦う力がある他の人に任せるのは確かに正解なんでしょうけど、そうすれば僕はきっと一生後悔します」

「両性院……」

「お願いします、邪賢王さん!」

 

 両性院はそう言うと頭を下げた。

 

「……好きにせえ」

 

 その姿をしばらく見ていた後、邪賢王は諦めたように首を振った。翔一郎はその様子に頷くと、口を開いた。

 

「分かった、両性院。それは君の選択だ。苦しい戦いになるが、今の決意を最後まで忘れないでくれ」

「……はい」

「では、君が残るのならば改めて説明させて貰う。まず現在囚われている天音沙希だが……とりあえずの所、連中が彼女を傷つける事は無い」

 

 彼女の生殺与奪が完全に握られている状況ながら、翔一郎はそう断言した。両性院が尋ねる。

 

「何故、そう言い切れるんですか?」

「両性院、君は“転校生”についてどの程度知っている?」

「え? ええっと、“転校生”が起こした事件についてワイドショーで言っているのを見た程度ですけど」

「まあ、そんな所だろうな」

「……ワシ等はかつて“転校生”と戦った事がある。あの天音がミス・ダンゲロスに選ばれた学園祭の日じゃ。ド正義達が連れてきた生徒会役員と一緒に、ワシと番長グループの手練れが希望崎大橋に現れた“転校生”を迎え撃ったんじゃ」

「ええっ!?」

 

 翔一郎を補足するように言った邪賢王の言葉に、両性院は思わず驚きの声をあげた。番長小屋に来て数度目の驚きである。確かにあの日、ミス・ダンゲロスのコンテスト会場に出席予定だった生徒会長が急遽欠席していたが、そんな事情があったとは。

 

「で、でも、こうして邪賢王さんが生きているって事は……その“転校生”には勝ったんですよね?」

「勝った……とはとても言えんな」

 

 両性院の問いかけに、邪賢王は渋い顔をした。

 

「あの時、ワシはグループの中でも戦闘系能力持ちの達人級を何人か連れて向かった。それはド正義も同じだったようじゃ。しかし……“転校生”には全く通用せんかった。何と言うか、アレこそ『別次元の強さ』っちゅう事なんじゃろうなあ。どうも相手は対象を引き寄せる能力を持っていたようじゃが、まず最初にド正義がそれで引き寄せられ、一撃で沈んだ」

「会長が!?」

「ああ。まあ、何故かあいつはド正義は殺さずに悶絶させただけじゃった。問題はそこからじゃ。ワシ等の拳、蹴り、刀、砲丸、ロケットパンチ……その一切を“転校生”は避けずに食らい、全くダメージを受けとらんかった」

「ロケットパンチ……」

 

 両性院の脳内で、制服姿の学生が巨大ロボットのロケットパンチを直立不動で受け止めるイメージが浮かんだ。信じ難いがおそらくはそんな感じなのだろう。

 

「逆に“転校生”の攻撃は……いや、アレは攻撃とも呼べんかったな。そいつが軽く手を振っただけで刀が折れ、首は飛び、軽く触れただけで胴体に穴を開け……かく言うワシ自身、情けない話じゃがボロ雑巾のようにブン投げられた舎弟を受け止めようとしただけで吹き飛ばされて重傷じゃ」

「ちょ、ちょっと待ってください! ド正義会長がやられて、邪賢王さんが重傷で……じゃあ、どうやって“転校生”は倒されたんですか!?」

 

 当然とも言える疑問を両性院は投げかけた。ダンゲロスの最強戦力と目される二人が一蹴された時点で、状況としては既に「詰み」の筈だ。そう聞かれた邪賢王は少しだけ眉をしかめた。

 

「……そこにいる仲間の鏡子じゃ」

「鏡子さん?」

「ああ、あいつが転校生を殺してくれた。鏡子がおらんかったら、“転校生”は学内に乗り込んで何人殺しとったかも分からん」

 

 その言葉に、両性院は思わず遠くの木箱に座っていた鏡子を見た。視線を受け、いつもの真意の読めない微笑みを浮かべたまま彼女は答えた。

 

「昔の話よ。それに……今は『殺せない』から」

「……『殺せない』?」

 

 どういう意味なのだろうか。一度魔人になった者は、それこそ能力喪失能力でも食らわない限りは生涯能力は消失しない筈である。

 両性院は鏡子の言葉の意味を考えようとしたが、その方向を変えるように邪賢王が言った。

 

「結局、その戦いを生き延びたのはワシとド正義、崩落した橋の落下に巻き込まれて逆に助かった生徒会の範馬……そして鏡子だけじゃった」

「俺は万一に備えて学内で守りを固めていたが、多分それも“転校生”の前では無意味だったろう。俺も死んでいたかもしれない」

 

 “剣の悪魔”とも呼ばれる学内最強の剣士である翔一郎があっさりと自身の負けの可能性を認めた事で、両性院は改めて“転校生”の恐ろしさを実感した。

 

「その後、ワシ等は“転校生”について徹底的に調べた。次に希望崎に“転校生”が襲来した時、同じ轍を踏まんようにな。連絡は取っておらんかったが、それはド正義も同じの筈じゃ」

「学園祭の日、そんな事が……」

 

 確かに学園祭から数日後、生徒会役員の“事故死”についての告知はあった。だが、自分を含めた希望崎の生徒の大半はそんな死闘があった事すら気付かなかったのだ。

 

「まあ、プロでもないワシら学生程度では知れる事にも限度はあったがのう……じゃが、それでも“転校生”の依頼と“報酬”について知る程度はできた」

「“報酬”?」

 

 嫌な予感が両性院の背筋をぞわぞわと這いあがってゆく。

 

「ああ。“転校生”っちゅうのは、やらかす事は色々あるが……共通しとるのは、最後に生きた人間を何処かに持ち去るっちゅう事じゃ」

「……まさか」

「“転校生”が仕事をすれば一人の人間が必ず消える。どうも仕事が終わる前に死んではいかんらしい。昔の事件では、現場の近くに居た魔人でもない一般人が死んだらいきなり“転校生”が帰ったっちゅう事もあったようじゃ」

「じゃあ、沙希が!?」

「ああ、じゃから逆に言えば長谷部の『依頼』……おそらくは、ハルマゲドンに関わる魔人を殺す事とかじゃろうが、それを終えるまでは少なくとも天音沙希は殺されんという事じゃ」

「で、でも、沙希が“報酬”にされたって言うなら尚の事急がないと!」

「落ち着かんかい、両性院! 放っておくとは言っとらん。じゃが、二人以上の“転校生”相手に無鉄砲に突っ込んでも学園祭の時と同じように何人殺されるか分からん上に、天音を助けられん羽目になるかもしれん。それでは何にもならんのじゃ!」

「……!」

 

 焦る両性院に邪賢王の怒声が浴びせられる。両性院は歯噛みし、顔をうつむかせた。

 

 

「……ならば、まず『番長グループだけでどうにかする』という発想を捨てる事だな」

 

 

 突然、そこに第三者の凛とした声が響いた。

 

「!?」

 

 その場の一同が一斉に声の方を向いた。

 長く伸びた前髪で瞳を隠した小柄な少年と共に立つ、顔に包帯を巻き杖を手にしたド正義がそこに居た。

 

「生徒会長!?」

「ド正義、何でおどれがここにおるんじゃ!?」

「我々も番長グループ構成員の能力を多少は把握していたのでな……とある『ツテ』で協力をお願いして、ここまで彼に連れてきてもらった」

 

 そう言いつつド正義はバルに少しだけ視線を送った。携帯を片手に頷くバル。

 

「そ、その……生徒会とは協力するって聞いていたので……マズかった、ですか?」

 

 ド正義の横に立つ少年、番長グループ構成員“静かなる駒沢”は遠慮がちに尋ねた。彼を確認し、邪賢王は唸った。

 

「……なるほど、駒沢の『I.Z.K』を使ったっちゅう事か」

 

 

 “静かなる駒沢”こと駒沢の能力『I(いつから居たの?).Z(ぜんぜん).K(気付かなかった)』。自身の存在を希薄化する事により、周囲から一切認識されなくなる隠密系能力である。駒沢が走る、跳ぶなどの激しい動きをしない限り、能力発動中の彼を敵が認識するのはほぼ不可能となる。

 また、この能力の特徴として駒沢の身体に(間接的にでも)触れていれば周囲にも存在の希薄化を共有できるという点がある。希薄化させた状態での不意打ちなどは不可能だが、一緒に歩く程度であれば問題はない。

 

「しかしド正義よ、何もわざわざおどれ自身が来る事は無かったじゃろうが」

「作戦を立てるにせよ、まずは僕自身が試してみないとな。これで番長グループに気付かれるようであれば、別の方向で作戦を考えねばならなかった。時間こそかかったが、この方法を使えば生徒会と番長グループの直接的な連携は可能だ」

「(ここと教員棟を歩きで何度も往復するのはちょっと……)」

 

 駒沢は内心で思ったが、それを口に出すのは流石に控えた。

 ふと、ド正義は邪賢王から両性院へと顔を向けた。

 

「両性院男女君……だったか?」

「え!? あ、はい」

「君の決意は聞かせてもらった。やや無謀な決断だとは思うが、もう学校に出るには間に合わない。危険な戦いになる。危ないと感じた時は、迷わず逃げ給え」

「ド正義、おどれ何時から小屋の中にいたんじゃ?」

「そうだな、大体お前が『足手まといじゃ!』と言った辺りからか。相変わらず演技が下手だな。両性院を心配するのは分かるが、それならもっと自然に……」

「おどれがそれを言うか? 虹羽から聞いたが、ワシら用に用意された貯蔵庫の前で……」

 

 両性院はまるで旧来の友人のように言葉を交わす『希望崎学園を二分する不倶戴天の敵』のはずのド正義と邪賢王の姿を驚きと共に見た。

 その時、壁時計が鈍い音を立てた。短針が「Ⅶ」を示し、小屋に19時の到来を告げる。ハルマゲドン開幕である。

 ド正義は邪賢王への指摘を中断すると、改めて周囲に言った。

 

「……まあ、それは後にしておこう。“転校生”対策のために、僕は来た」

 

 

 

 ──同時刻、旧校舎。

 

「おい! もう19時を過ぎたぞ、まだ来ないのか!?」

 

 焦りをとっくに超え、怒りを撒き散らしながら長谷部は怒鳴った。

 

「………」

 

 ユキミはそれを聞き流しつつ外を見た。暗闇に、何やら黒い小さな影が飛んでいるのが目に付く。甲虫だろうか。

 

「どうしてくれるんだ! ハルマゲドンが始まって、シェルターに入り損ねてしまったじゃあないか!」

 

 どうも今回の依頼人は『完全に安全な場所から顛末を眺めようとする』面倒なタイプだったらしい。この手の依頼人は自身がリスクと罪悪感を負おうとしない──数十人の魔人を殺そうと企む張本人にも関わらずだ。

 しかし、それをユキミは軽蔑しない。軽蔑というのは自分より『やや下』の同種の存在に抱く感情だ。人間が虫を見て軽蔑するだろうか? つまりはそういう事なのだ。

 とはいえ、ハルマゲドンが始まったというのに『もう一人』が姿を見せないのも奇妙な話である。イライラと歩き回る長谷部に一応のフォローを入れようとした時、窓に一際大きい影がかかった。

 

「ふむ……依頼人殿、それであれば集合時間を契約時に明記しておくべきであったな。申し訳ないが、『はるまげどん』の開始時間しか小生は聞かされておらぬ」

「な……!?」

 

 落ち着きある、澄んだ高い声が旧校舎の教室内に響く。 

 窓から突然現れたかと思えば淡々と指摘を行うその人物の姿に、長谷部は絶句した。

 

 それは、まるで大正文学の世界からそのまま出てきたかのような黒衣の男だった。

 頭には古めかしい学生帽、スタンドカラーの白シャツの上から濃い藍色の着物を纏い、濃緑色の袴に焦げ茶色の編み上げブーツ。更にその上から黒いマントを羽織り、腰には「花」「清」「千」「文」と書かれた和紙製の小箱が吊り下げられているが、中からは何が居るのかゴソゴソと音がしている。

 

 長谷部が言葉を失っている間に、その男は窓から降りるとスタスタと歩み寄り、彼の手にあった契約書に眼をやると何処からか出した万年筆ですらすらとサインを書いた。

 

「これにて契約完了。依頼に入らせていただく。小生の名は鵺野(ぬえの)蛾太郎(がたろう)。気軽に『ヌガーさん』と呼んでくれて良いぞ」

「ヌ、ヌガー先輩!?」

「……驚きました。まさかヌガーさん、貴方が来るとは。貴方はこの手の“報酬”には最近興味がないと思っていたんですが。」

 

 素直な驚きを表情に浮かべつつ黒鈴とユキミが言う。

 

「確かに小生にとっては魅力の薄い報酬だが……貴殿との『よしみ』という物だよ、ユキミ」

 

 “転校生”の中でも屈指の実力者と称される男、鵺野蛾太郎はそう言うと薄く微笑んだ。

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