ダンゲロス/IF 作:餅男
「……イヤァ、それは確かに君の友も悪いが、君にも歩み寄る余地がある」
「………」
「確かにその通りだ。だが考えてみ給え? 君が生まれる前からその樹は有ったのだ。その頃の『その樹の樹液を吸う権利』は誰にあったのかね?」
「………」
「そうだろう? 君だって永遠に生きられる訳でもない。ならば如何に美味い樹液であったとしても、それは友と分かち合うべきだと小生は思うがね」
「………」
「おお、チヨ。そういえばお前も似たような……」
深夜の旧校舎、鵺野は真剣な表情で眼前の机に停まる一匹のクワガタに語りかけていた。よく見れば、そのクワガタの後ろに何匹かのクワガタが並んでいる。
そのシュールな光景を見つつユキミは黒鈴に言った。
「……森のクワガタ達に人(?)生相談を受けているんだそうだ」
「うん……何となく分かってきた」
眠そうな眼を更に眠そうにしつつ黒鈴が答える。“転校生”と言っても眠くもなれば腹も減る。時刻は既に零時を過ぎた。彼女もかなり眠くなってきているようだ。
「黒鈴、魔人学生に動きがあるとしてもおそらくは早朝からだ。今は寝ておけ」
「ふぁぁ……でも、ユキミは?」
「俺は大丈夫だ。お前が起きたら少し休むさ」
「そう……それじゃ、おねが……すぅ」
既に眠りかけだったのだろう。言葉を終える前に黒鈴は寝息を立て始めた。ユキミは窓に近づき、音もなくカーテンを外すと彼女にかけた。粗末なカーテンだが、そのまま寝るよりはマシであろう。
「……む?」
その時、窓から一匹のクワガタが飛んできた。鵺野がそちらに顔を向ける。
「………」
「……ほほう」
鵺野の目が細まる。人生相談──この場合、クワガタ生相談と言うべきなのだろうが──ではない気配を感じ、ユキミは鵺野に尋ねた。
「ヌガーさん、何かあったんですか?」
「校舎側から武装した三人の女性がまっすぐ向かってきているそうだ。魔人小隊で間違いあるまい」
「……!」
さらりと答える鵺野の言葉に、ユキミは表情を引き締めた。
彼女らが迷わず向かってくるということ、それは魔人小隊の索敵能力者によって既に自分たちの存在が知られているという事だ。
しかし、鵺野は涼しい表情で言葉を続けた。
「ただ、どうも連中は我々が“転校生”である事までは気付いていないようだ……すまない、相談の続きはひと仕事終えてから聞かせてくれたまえ」
そう言うと鵺野は眼前のクワガタに頭を下げ、ひょいと椅子から立ち上がった。慌ててユキミが言う。
「ヌガーさん、自分が行きます」
「ユキミ、君の能力の本領は黒鈴にふさわしい『餌』が見つかってからだ。ひとまずは小生に行かせてくれたまえ」
「しかし……」
「退くべきところは弁えている。操作系や精神系の能力者であれば迷わず下がるさ。それに……」
尚も言い募ろうとするユキミに、鵺野は微笑むと腰に吊した箱を撫でた。
「森のクワガタたちに触発されたのか、小生の友らも随分と気炎を上げていてね。少し“遊ばせる”としよう」
ダンゲロス/IF 第十六話 「鵺野蛾太郎」
深夜の森を駆ける三つの影。素早く動き、動きを止め、周囲を伺い、再び動く。
「旧校舎まであと500m、このまま展開しつつ校舎まで」
「了解」
「了解」
esの指示に随行する二人の隊員が答える。彼女らはesが文字通り適当に選んだ小隊員で、其々の能力は「銃口を上に向けるだけで
「(名前、何だったっけ……まあいいや)ここからはコードで呼ぶ、お前がA、お前はB、私はCで呼称しろ」
「「了解」」
二人の隊員は揃って応えた。esはレシーバーに手を添えると本隊へと通信を開く。
「こちらes、旧校舎まであと500。対象の動きは?」
『明滅しているから断定はできないが、数分前に確認した時点では動きなし』
通信機越しのイズミノの声にesは頷く。零華の推測通り、旧校舎に籠っている迷子の生徒か。
とはいえ、相手も魔人である。油断をすれば思わぬ反撃を食らうのが魔人同士の戦いだ。esら魔人小隊メンバーはそれを無数の実戦とシミュレートで経験している。
そう言う間に距離は残り400m、月明りだけが照らす森をesらは進み、止まり、身を隠した。
「そろそろ旧校舎が見えてくる。校舎到着後は分散して相手の逃げ場を奪いつつ包囲」
「了解」
「了かはぎょっ」
固いものを貫くような破砕音と共に、Aの身体ががくんと崩れ落ちた。
「A?」
esは彼女の状態を確認した。見れば、彼女の被っていたヘルメットに大きな穴が開いており、そこから砕けた頭蓋の破片が見える。
どぼり、とAの足元に大量の血が流れ落ち、彼女の脚の間から血まみれの黒い物体が飛び出してきた。
「げ……」
その黒い物質は翅を広げ、再び空中へと舞い上がった。
「迎撃態勢ーっ!」
esがそう言う前にBは既にアサルトライフルを構え、黒い物質に向けて乱射していた。飛来する銃弾をスイスイと躱し、嘲笑うようにカチカチと顎を鳴らす。
「あれは……!?」
──クワガタだ! どういう理屈か分からぬが、対魔人戦闘用に強化されているヘルメットすら貫通する速度と強度を持つクワガタが、Aの脳天から尻穴までを貫いたのである!
そして、「どういう理屈か分からぬ」という事は、魔人能力という事である。esは周辺を素早く見回しつつ本隊に通信を送った。
「こちらes! 襲撃を受け、ええっと、隊員一名が死亡! 強化されたクワガタを操る能力と思われる!」
結局Aの名前は思い出せなかった。緊張したイズミノの声が返ってくる。
『こちらイズミノ! 『リクィド・スフィア』に反応あり! 近い!』
「な!?」
相手がこちらに近づいてきている? 何故だ? 相手は旧校舎から全く動かないままの、魔人学生だったのではないのか?
焦燥と混乱でパニックを起こしそうなesの耳に、透き通った声が届いた。
「ふむふむ、どうやら小生たちを完全に把握している訳ではないようだ」
咄嗟に声の方向へと視線を向ける。
そこには、何とも場違いな男が立っていた。まるで大正の書生のような袴姿の──
esは迷わず引き金を引いた。肉体強化された魔人相手でも致命傷を与え得るように製作された対魔人弾である。一発当たれば重傷、数発着弾すれば即死の筈であった。
しかし──
「……良い判断力だ。言葉が能力のトリガーになる事もある。『まず殺す』という姿勢は非常に正しい。君たちは良い訓練を受けているね」
その銃弾の雨を書生風の男は避ける素振りすら見せず、全弾を正面から食らい──そのまま立っていた。
「しかし、こうして直接攻撃しかしてこないとなると……『精神攻撃系や操作系、あるいは状態異常系の能力者ではない』という事だね。いや、実に都合がいい。アレは小生たちも手を焼くのでねえ」
Bが男の背中に銃弾を撃ち込む。しかし同じだ。男は傷ついていないどころか、着弾の衝撃で身を揺らしてすらいない。
esは眼前の男の正体に勘付き始めていた。魔人小隊の訓練で頭に叩き込まれた緊急時のフローチャートを高速で思い出してゆく。
【作戦行動中の想定外の事態に対して・銃火器無効編】
・作戦行動中に銃が通用しない魔人と遭遇しました。
Q1.本当に銃弾は命中していますか? (幻影・幻覚系の能力の可能性はありませんか?) → A.はい。命中しています。
→Q2.対象は命中時に何か所作を行っていますか? (統計上・バリヤー系の能力者の9割は発動時に動作を行います) → A.いいえ、行っていません。
→Q3.着弾時、相手の皮膚や装飾に変化はありますか? (肉体強化・及び変質系能力者は多くの場合、皮膚や装飾に変化が表れます) → A.いいえ、変化はありません。
→貴女の前に出現した魔人は“転校生”、もしくは其れに準ずる強力な能力者である可能性が極めて高いと思われます。全力で逃亡し、対“転校生”要員に助けを求めましょう(逃亡が困難な場合、情報を漏らさぬように舌を噛み切って自害しましょう)。
「……まさか!?」
その存在自体は教わっていた。過去の断片的な交戦記録を見たこともある。しかし、対魔人戦闘のエキスパートとはいえ情報系能力者であるesが本物の“転校生”と遭遇したのはこれが初めてであった。
同時に彼女は思い出してしまう。不意に“転校生”と遭遇した場合、過去のケースから算出される生還率は───
「作戦中断、分かれつつ本隊に撤退! 全力で逃げろ!」
「りょ、了解!」
Bに指示を出し切るのを待たず、esは無駄と知りつつも横なぎに銃弾をバラ撒きつつ男に背を向けた。
「そして敵わぬと見れば迷わず撤退を選ぶ……か。見切りの判断も悪くない。君らのようなのが数十人も居るとなると、『この世界』の魔人小隊は中々に手強いようだ」
距離を離している筈なのに、まるで耳元で囁かれているかのように男の声が届く。気休め程度に後方に弾を撃ちつつesは走った。
その後方から迫る翅音あり。クワガタだ!
「ひっ……!」
esは本能的に身を伏せた。その直上をクワガタのツノが通過する。あと一瞬遅ければ身体のどこかを貫通していただろう。再び身を起こし、走り出す。
少し離れた場所を走るBにesは視線を向けた。彼女の方にも別のクワガタが迫ってきているようだ。
だが、Bが素早く細い木の陰に身を半分隠すとクワガタは彼女の身体を紙一重で掠め、夜の闇に消えた。
更に別のクワガタが飛来、しかしこれもBの身体には当たらない。彼女の能力「ちょっとした物陰に隠れるだけで弾が当たらなくなる能力」に依るものだ。
「……ふぅむ。防御系か」
男は小首を傾げると、手元の小石を拾い上げた。
「ならば……これでは?」
そう言うと男は「ひょい」といった風に軽く小石を投げた。
「ぎゃあっ!」
その軽く投げられた筈の石は全く勢いを落とすことなくBが隠れていた木に当たり、そのままあっさりと彼女ごと貫通して彼方へと飛んで行った。
「B!」
叫ぶesは知る由も無かったが、この時に鵺野が行ったのは「木を壊すイメージで投げる」であった。彼女の能力が限定的な防御系能力であると看破した鵺野は、Bを直接狙わずに石を投げたのである。果せるかな、彼女は「木を壊そうとした石」の巻き添えとして死んだのだ。
とはいえ、何故Bが死んだのかを呑気に考察できる状況ではない。esは必死に逃げつつレシーバーを手に叫んだ。
「こちらes、現在撤退中! 旧校舎に居たのは魔人生徒じゃない! “転校せ……」
瞬間、esの手の甲が深く切り裂かれた。彼女の肉を削ぎ落したクワガタのツノが赤黒く月明りに照らされている。
「うあぁっ!」
堪らずesはレシーバーを手落した。拾い直せば再びクワガタに襲われる。そのまま彼女は逃げる。翅音が近い、一つ、二つ、三つ、四つ。
後方から男の声が響いた。
「ハナ」「ぐあっ!?」
一匹目のクワガタがesの左腕を裂いた。体のバランスを崩しつつ、それでも逃げる。
「キヨ」「ぎいっ!」
二匹目のクワガタがesの右腕を裂いた。両手は既に使えない。ぶらりと手を下げつつ更に逃げ──
「チヨ」「ぐうっ!」
三匹目のクワガタがesの左脛を裂いた。大きくよろめき、バランスが崩れる。
「フミ」「がぁっ!」
四匹目のクワガタがesの右腿を裂いた。獣めいた叫びと共に四肢から血を流しつつ、esは転がるように倒れた。
歩み寄る音が聞こえる。手足を懸命に働かせようとしながらも、esの身体は仰向けになった虫のように動けなかった。
「先程の指示から見るに、君が小生たちの抹殺のために送られた三人のリーダーだね?」
学生帽の下で涼しげに微笑む顔がesを見下ろしていた。整った顔の美青年である。しかし、今のesには死神の顔以外の何物でもない。
「……殺せ」
眼を閉じ、esは言った。フローチャートには自害を薦める文章があったが、それを彼女は良しとは思わなかった。ここで自分が少し時間を稼げれば、本隊が“転校生”対策のために使える時間が少しでも増えるのだ。あえて心臓を狙わずに手足を傷つけて無力化させたのは、自分から情報を引き出すため。その程度は容易に理解できた。
果たして彼女の予想通り、男は言った。
「いや、まあ、殺すのは殺すのだけどね。折角ならば死ぬ前に色々と教えて欲しいのだよ。死出の旅路に立てる義理もあるまい?」
「………」
「言っておくが、放っておいても君は失血死は免れない。救援が駆けつけているとしても、間に合う距離ではないだろう」
「……?」
「ラージ・ギール」で隠れて侵入してきた自分たちの事が把握されている。この男はどこまで自分たちの事を知っているのだ?
痛みの中でesは怪訝に思った。男は言葉を続ける。
「さて……君たちは何人居るのかね?」
「………」
「ここへ潜入してきた目的は?」
「………」
「では、君の能力は?」
「………」
「……ふぅむ。困ったものだねえ」
男は心から困ったように頭を掻いた。
「小生は手加減は苦手なのだよ。この場合、尋問、ないし拷問をすべきなのだろうが……君を一撃で殺しては意味がない。さて、どうしたものか……ふむ?」
男はふと、周囲に視線を向けた。仲間だろうか? それにしては辺りに自分たち以外の人影は無い。
だが、男はまるで間近に誰かいるかのように頷いた。
「ふむ、ふむ……いやあ、そこまで諸兄らに頼むのは気が引ける……む、そうかね? まあ、助かりはするが……」
少し揉めたようだが、最終的には姿なき提案者の意見を男は受け入れたようだ。身を屈ませ、esの身体に触れる。
「お待たせしたね。小生の“仲間”が協力を申し出てくれたので、これから拷問させていただく。出来れば、その前に話をしてくれると小生にも君にも良いと思うのだが……」
「………」
「……で、あろうね」
「!?」
esの沈黙を予想していたように男は頷き、紙を破るようにesの服を破り始めた。
強靭な繊維で作られた防弾ジャケットがあっさりと引き裂かれ、その内側の下着も指一本であっさりと破かれる。瞬く間にesは一糸纏わぬ姿で草むらに仰向けの状態にさせられた。両手足の傷から血はどくどくと溢れ、草や地を汚す。男の言う通り、このまま失血死は免れまい。ならばその死ぬ瞬間まで、どんな凌辱を受けようとも沈黙を保つまでだ。
そう決意するeaを無感情に見下ろしつつ、男は言った。
「どうも勘違いしているようだね……おそらく、君の予想しているような事にはならないだろう。君が余程特殊な性癖を持ち合わせていたなら、話は別だが」
その時、esは男以外の気配を感じた。カサカサと草を分け、何かが自分に接近してきている。それも多数。esは首を傾け、周囲を見ようとした。
「……!?」
無数の目が自分を見ている。それにesは気付いた。無機質な小さな瞳が、じわじわと寄って来る。
「な!?」
それは、クワガタだった。
一匹二匹ではない。少なくとも数十匹のクワガタが自分を包囲している。視界に入らない場所にも接近してきているとすれば、あるいは百匹以上。それが全裸の自分に近寄ってきていた。
「ヒッ……!」
咽の奥から意図しない悲鳴が漏れる。その様子を見下ろしつつ、淡々と男は言った。
「クワガタムシ、特にオオクワガタの大顎というのは極めて強靭でね。更にこの森のクワガタは魔人の気にでも当てられたのか、更に輪をかけて強い。人間の皮膚程度なら容易に貫く程にね」
「え……あ……!」
ぷつり、と最初のクワガタの大顎の先端がesの肌に触れた。やがてそれは二匹目、三匹目と、小さな痛みが無数に身体に加えられてゆく。
「ひっ、あっ……!」
「小生は“さでぃすてぃっく”な性癖は持ち合わせていなくてね。正直痛ましいと思うのだよ。どうだろうか?」
男のこの言葉は、最終的に殺す相手とはいえ最低限の気遣いなのだろう。それは理解できたが、esの黙秘の意志は「この時点」ではまだ抵抗を考える程度の強度を残してしまっていた。
数秒後、esは自分の決意を猛烈に後悔する事になる。
「………!」
「……そうかね。ならば仕方ない」
男は首を横に振ると、手を掲げ、指を鳴らした。
「 あ ぎ ゃ あ っ ! 」
抑えようもない絶叫がesの口から迸った。
「痛い」という情報に埋め尽くされた脳の中で、何が起きたのかesは辛うじて理解した。自分の身体に大顎のツノを引っかけていたクワガタが、一斉に噛んだのだ。
その痛みを例えるならば「全身の肌に無数の錆びたホチキスを当てられ、一斉に針を立てられた痛み」とでも言えば良いだろうか。そんな経験をした事がないので、それもあくまでesのイメージなのだが。
「さて、もう一度」
「 ひ ぎ ゃ あ っ ! 」
指がもう一度鳴る。聞こえる筈のない筋線維を噛み切られる音を、esは確かに聞いた。
クワガタがゆっくりとツノを外す。全身から血を流しつつ、esは自分が激痛の中で死にかけている事を自覚した。男の顔が近づく。
「……どうかね? 話をしてくれるつもりになっただろうか?」
「ア……アァ……」
esの口から苦悶の声が漏れる。男は首を横に振った。
「そうか……それは残念だ。君から情報を得るのは諦めるとしよう。君は“仲間”の提案通りに膣内からクワガタに胎内を食い破られて悶死する事になるが、そこは我慢してくれたまえ」
そう言うと、男は音もなく立ち上がりesに背を向けた。思わずesの唇が動く。
「ま……待って……」
男の足が止まった。振り向き、確認するように言う。
「……制止したという事は、小生に何か話があるという解釈で良いのかね?」
「あ……!」
「言っておくが……小生ならば、君に痛みを感じさせずに“眠らせる”事ができる」
その言葉に嘘は無いだろう。そして──その言葉が、今のesには果てしなく甘美に聞こえた。
震える声で、esは懇願した。
「お、お願い……せめて、普通に、殺して……」
「……良いだろう。しかし、それは小生の問いに君が教えてくれればだ」
男は優しげに微笑み、esに再び尋ねた。
「さて……君の命が消える前に、まずは君たちの目的から聞かせて貰おうか?」