「おまたせ姉さん。ご飯出来たよ」
出来上がったパエリアを両手に持って姉さんのいるテーブルまで持っていく。
僕の後ろには木下さんも追従してリビングテーブルの上にそれぞれ皿を並べていった。
その様子を座りながら眺めていた姉さんは、目の前にパエリアの入った皿を置いた木下さんに向けて声をかける。
「ありがとうございます優子さん。せっかく来てくださったのに何もお手伝いできなくて申し訳ありません」
「気にしないでください。好きでやってくることですから」
軽やかな口調とにこやかな笑みで答える。それから木下さんは回りこむように歩き姉さんの対面に移動した。
僕は姉さんの正面の席に腰を下ろし、木下さんはその隣に座る。
全員が着席すると、姉さんは眼下のパエリアに視線をやりながら口を開いた。
「今晩はパエリアにしたのですか」
「うん。冷蔵庫にいっぱい材料があったからね。あれ買ったのって姉さんでしょ」
「ええ。……ではこれは優子さんが?」
「はい。でもアタシなんて全然。ただ吉井君に言われた事をしていただけですから。調理も分担でやりましたし」
「そんなことないよ。木下さんすっごい手際よかったし。僕びっくりしちゃった」
ほとんど料理をしたことがないって言ってたのに、実際にキッチンに立つと木下さんはまるで使い慣れたペンで字を書くかの如く一つ一つの作業を完璧にこなしていった。
僕のした作業量なんて全体の3割にも満たない。
僕はあくまで隣から木下さんの補助をしただけで何かわからないことを教えたり指導したりするような出来事はなかった。
そう思うと本屋の前でえらそうに息巻いて『僕が教えてあげる』なんて言った自分が情けない。
結局、僕ができたのは調理の手順の説明だけだったし。
「あ、ありがとう……」
褒められたことが恥ずかしかったのか、木下さんは頬を染めて小さく呟いた。
「僕こそなんかごめんね。自分から誘っておいて結局大したことしてあげられなくて」
「そんなことないわよ。吉井君がいないとアタシ一人じゃ何も出来なかったんだから。寧ろ感謝してるわ」
「あはは、そう言ってもらえると嬉しいよ。僕も木下さんと一緒に料理しててすっごく楽しかったから。僕の方こそありがとうね」
「そ、そう。 ア、アタシも…………ちょっと、(楽しかった……わよ)」
「え……? ごめんよく聞こえなかった。なんて?」
「なんでもない! さあ、せっかく作った料理が冷めないうちに食べましょう」
「?? そうだね。いただきます」
「「いただきます」」
僕たちは手を合わせて目の前の料理に取り掛かった。
「……うん。お米の焦がし加減も絶妙でとても美味しいですね」
「本当ですかっ? 嬉しいです」
「ええ。それに味付けがアキ君の作るパエリアとよく似ています」
「そりゃあそうだよ。調味料と食材の配分を決めたのは僕だし。実際に作ったのは木下さんだけど」
「なるほど。少し優子さんが羨ましくなりました。私では中々上手くできず今だ練習中の身ですから、とてもこうはできません」
それは姉さんがちゃんとレシピ通りに作らないからだよ。
なんて感想は喉元で飲み込んで、僕もスプーンを手に取り一口食べる。
「……ど、どう、吉井君?」
不安そうに揺れる横目で僕を見ながら木下さんが控えめな調子で聞いてくる。
「うん。すごく美味しいよ。初めてパエリア作ったのに。やっぱりすごいね木下さんは」
「っ! 良かった……」
パァッと嬉しそうな微笑みを浮かべると木下さんもパエリアに手をつけ始めた。
それを見た僕は思わず持っていたスプーンを取りこぼしそうになる。
……うう、どうして女の子の笑顔ってこんなに可愛いんだろう。悪い事だと分かっていつつもその顔から視線を逸らせない。
おかげでせっかく作ったパエリアに目がいかなくなってしまう。
数時間前に木下さんの本性の一部を垣間見て、彼女がただの優等生でなくどちらかというと美波系暴力少女だと分かっていてもその笑顔は十二分に僕の胸を穿つ威力があった。
そんな感じでちらちらと見つめていると、正面から姉さんに声をかけられた。
「アキ君、食べないのですか?」
「えっ!? た、食べるよちゃんと! あはは」
いかんいかん。いつまでも見つめてたら木下さんに失礼だし姉さんにも不信がられる。
僕は胸の内の動悸を誤魔化すように、手を早く動かしてパエリアを口に運ぶ。
うん、やっぱり美味しい。
一口一口を運んでいくたび、口の中がなんともいえない幸福感に満たされる。
パエリアが好物というのもあるけど、何より女の子の手で作られたというのが僕にとって最高の調味料だ。
これだけでご飯三杯はいける。空腹は調味料と同じ理屈だ。
別に僕はフェミニストじゃないけど、もし目の前に高級食品であるキャビアと女の子の手作りのおにぎりがあったのなら僕は迷わずおにぎりに手を伸ばす男だと思ってる。
ああ、それにしてもパエリア美味しい。
スプーンを持つ手が止まらない。
「…………」
そんな感じに料理に向かっていると、姉さんがじっとこっちを見てる事に気がついた。
「ん……、何姉さん?」
「なんだか嬉しそうですね。アキ君」
「そ、そう……?」
「はい。何かいいことでもあったのですか?」
「うぐっ……、そ、そんなことないよ。僕はいつも通りだって!」
「……そうですか」
口ではそんなこと言っても、目は全然納得していないと言わんばかりに僕を凝視する。
ぐっ、姉さんは僕が異性と親しくする事を嫌っているからなぁ。
おまけに姉さんと木下さんは今日が初対面だ。姉さんが妙な警戒心を抱くのも無理はない。
これは僕と木下さんの仲を見定めているのだろう。
どう説明すればいいか考えていると、姉さんの視線は、ゆっくりと僕から木下さんへと移って行った。
「優子さん。優子さんはアキ君とはどういう関係なのですか?」
「か、関係っ!?」
「はい。秀吉君とはお勉強会や海へ行った時などよく顔を合わせますが優子さんとは初対面ですから、姉として弟が女性を家に連れてきたとなれば、その関係性が気になるというのはごく普通のことです」
おかしい。姉さんが言うと全然普通に聞こえない。
「べべ別にっ。アタシと吉井君はただのっ! ただの──」
「ただの?」
「──ただの……」
木下さん顔を赤くして小さく口を開けたまま僕を見て、
「……どんな関係なんだろ?」
おかしな問いを投げかけてきた。
「えっと。普通に友達じゃないかな?」
「そうなんだけど、でもこれまでほとんどまともに顔を合わせる機会なかったじゃない。今日ほど話をしたこともなかったし。……アタシ達って友達なのかな?」
「そりゃあ秀吉のお姉さんだし、秀吉は友達だから木下さんも友達だよ」
「その理屈はなんか変でしょ。それだと玲さんもアタシの友達ってことになるじゃない」
「あ、そっか」
あれ? じゃあ僕達ってどんな関係なんだろう。
うーん、僕として友達だと思ってるんだけど、そう言われるとなんか自信がなくなっちゃうな。
こうして一緒にいるのも偶然放課後で木下さんの秘密を知っちゃったからで、
それで……あっ!
それだ!
「わかったよ。僕と木下さんの関係」
「えっ? 何?」
「脅迫犯とその被害者だ」
「ふんっ」
「ぐひっ!?」
ぐあっ!? あ、足が……! 木下さんの足の踵が僕の足を床に縫い付けて痛ぁ!?
「ごめんなさいい。よく聞こえなかったわ。今なんて言ったの?」
「だ、だから脅し脅される(ぐぎぃっ)友達! 僕と木下さんは何のやましいこともない正真正銘ただの友達です!」
「…………」
「あがぁっ!?」
踏んだ足をさらにぐりぐりと圧し付けられる。
おかしい。僕は何一つ間違った事は言ってないはずなのにっ!
「どうしたんですかアキ君。顔が苦痛に歪んでいますよ?」
「な……なんでもないよ。ちょっと貝の殻で口の中を切っただけだから……」
「そうですか。それで、結局お二人は友達ということでいいんですか?」
「う……うん。ね、木下さん」
「ええ」
「……なるほど、わかりました。いろいろ個人的な疑問はありますがそういうことしておきましょう」
「?? 疑問って何さ?」
「言ってほしいのですか?」
「気にはなるけど、何その不吉な前フリ」
「はい。アキ君の返答次第では姉さんは大切な家族の一人を失ってしまいます」
「言わなくて結構です!」
「そうですか」
一体何を言う気だったんだ姉さんは……。
「あの、すみません。アタシちょっと飲み物入れてきますね」
「あ。いいですよ優子さん。私が入れますから」
「ありがとうございます」
「アキ君はいいですか?」
「いいの? じゃあ僕のもお願い」
「はい」
姉さんは配膳用のトレーにコップを3つ置いてキッチンへ歩いていった。
それを後ろから眺めつつパエリアを食べていると、突然横から服の袖を引っ張られた。
「ん?」
「吉井君。なんで玲さんって執拗に吉井君の交友関係を気にしてるの?」
さすがに姉さんの詰問攻めがおかしいと思っていたらしい。
「姉さんは僕が異性と一緒にいることを禁止してるんだ。最近はちょっとマシになったんだけど、木下さんは初対面だから警戒してるんだと思う」
「禁止って……どうして?」
「それは……姉さんが僕のことを愛してる……から」
「?? それって別に普通じゃないの」
「一人の異性として」
「………………」
可愛そうな人を見る目を向けられた。
「おまたせしました。……おや、どうかなさいましたか?」
「……なんでもないです。ありがとうございます」
若干苦笑い気味にお茶を受けるとる木下さん。
うん、その気持ちはよーく分かるよ。
確信した。やっぱり姉さんと木下さんは同じ姉という種族でも違う世界の住人だ。