夜。
「えーっと……、ここはこうで──こっちは──」
僕は自室の机に向き合い、今日秀吉に返してもらった写真の修復作業に取り掛かっていた。
作業道具は八枚の破片と化した写真の残骸とセロハンテープ。
大きめのものは割りと簡単に引っ付けられるが、中には極小なものもあって修復には慎重に慎重を重ねて行わなければならない。
バラバラであったものを一つにするという作業は、まるでパズルのピースを徐々に埋めていく感覚に似ていた。
「でも、ほんとよく似てるな、秀吉とお姉さん。まあ双子なんだから当たり前だけど」
上半分ぐらいの接着を完了した辺りで、ポツリとそんな言葉が漏れた。
今の所完全に見えるのは顔だけだけど、まるで映し鏡のように写真の中の木下さんは秀吉になりきっていた。
当然、双子だけあって木下さんも秀吉と同じぐらい可愛い。
気を抜くと何時間も見てしまいそうになる。
「おっと、いけないいけない。今は修復作業に集中しないと」
顔を振って雑念を払い再び机に向き直り神経を研ぎ澄ます。
これはこれで中々難しい作業だ。集中しないと。
と、そこに背後から扉をノックする音が聞こえてきた。
この時間、僕の部屋を訪れる人物といえば一人しか思い浮かばない。
「アキ君? 今少しいいですか?」
「姉さん? うん、いいよ。入って」
失礼します。と礼儀正しく僕の部屋に入ってきたのは、吉井玲……僕の姉さんだ。
「どうしたの姉さん?」
「はい。実はアキ君にお願いしたい事があるのです」
「お願い? 珍しいね。勿論いいよ。何なの?」
「明日、学校が終わった後でいいので書店によって買ってきてほしい本があるのです」
「本?」
「はい、これです」
姉さんがスボンのポケットからメモ帳の切れ端を出し僕に手渡す。
書店で買うものといったら漫画しか思い浮かばないけど、秀才の姉さんのことだからきっと僕では読めないような外国の書籍を買うのだろう。
えーと、どれどれ。
『狙え必中 気になる相手を一発撃沈!』
…………なにほん?
「………………何これ?」
「ただのお料理本ですよ」
「これのどこらへんが料理本なの!?」
「どこかおかしいのですか?」
「いやおかしいでしょもうタイトル的に! ていうか誰!? 誰を撃沈する気!? 大体なんだよ撃沈って! 一体これにはどんな料理が載ってるんだ!」
というかこの題名で料理本って辺りこれを作った作者は頭おかしいでしょ!
「何を言ってるのですかアキ君。大事なのは中身です。何事も見た目や名前だけで判断してはいけませんよ」
「落ち着くんだ姉さん。これに限っては名前だけで見限ってもいいはずだ」
「アキ君の言うことも一理あります。確かにタイトルはそれっぽくないですが、評価は確かなものですよ。私だってきちんと調べてるんです」
「えぇー」
試しにネットで検索してみると確かに悪い評判はそれほどない。
異性向け、特にデートなどのお弁当、菓子類の作り方が多く載っているらしく女性に絶大な人気を誇っているらしい。
今だに信じられないけど、斬新な題名が返って人を呼んでいるのだろうか?
「分かりましたか?」
「まあ、姉さんが薦める訳はなんとなく理解したよ」
「ではお願いしますね」
「うん。でも姉さん、ちゃんと料理の勉強もしてるんだね」
「勿論です。アキ君が勉学に励んでいるというのに姉さんが怠けているわけにはいけません」
「………………姉さんは料理より先に一般常識を勉強すべきだと思う(ぼそっ)」
「何か言いましたか?」
「な、なんでもないよ!」
「む、そう言われると返って気になります──おや?」
姉さんの視線が僕の下部付近、正確には机の上に広げられている写真(修復途中)に落ちた。
そして破片の一枚を手に取り口を開く。
「これは……どうしたのですか?」
「あ、ちょ……ちょっと事故があってバラバラになっちゃったんだよ。で今修復中なんだ」
「写真ならもう一度撮ればいいではないですか」
「できるならそれが一番なんだけど、そういうわけにはいかない事情があってね……」
「はぁ……よく分かりませんが、一度破れたものをここまで直すなんてよほどこの写真に思い入れがあるのですか」
「う……まあ」
思い入れというか、どちらかというとハングリー精神だけど。
「とにかく大事な写真だったんだよ」
「なるほど、これは秀吉君……? ではないですね」
「えっ!?」
今なんて言った?
姉さんから予想外な台詞が出て僕は思わず目を丸くした。
「おや、違いましたか」
「い、いや合ってるんだけど、姉さんどうしてこれが秀吉じゃないって分かったの?」
秀吉からは親ですら時々間違えると聞いていたのにめったに秀吉に合わない、そのお姉さんとはさらに面識のない姉さんがただ一見しただけで相違点を見つけるなんて。
姉さんの意外な眼力を見た気がした瞬間だった。
「んー、口で説明するのは難しいのですが……強いて言うのなら目ですね」
「目?」
目に個人の特徴なんて出るの?
「なんというか、あまり秀吉君に詳しい訳ではないですが、あの子は何があっても常に冷静に周りを見る事ができると思うんです。感情の波が安定しているといいますか」
「ああ、分かるかも。秀吉は基本的にポーカーフェイスだし」
「はい。でもこの写真の秀吉君はすごく何かに焦らされている気がして、それが私の中の秀吉君像に当てはまらなかったんですね。ぶっちゃけて言えばただの勘なんですけど」
「へぇ」
改めて半分だけ直っている写真を見直すと、確かにここに写っている秀吉(木下さん)は何かを急いているに見える。
気づかないと気づけないというか、普通に見るだけでは絶対に分からないような違いがそこにあるようだった。
「なんかそう考えるとほんとにそれっぽく見えるよ。すごいよ姉さん。僕見直しちゃった」
「ふふふ。それほどでもないですよ」
口ではそう言ってるけど顔は少し嬉しそうに微笑んでいた。
「でも、アキ君の特徴ならもっと分かりやすいですよ」
「へ、どゆこと?」
「はい、姉さんも興奮してしまうようなブサイクな顔をしている人は世界中を探してもアキ君だけです」
「さっきの僕の台詞が台無しだよ! 返して! 数行前の僕の気持ちを返して! ていうかブサイクな顔に興奮するって何!? そういう趣味なの!?」
「アキ君」
「何!」
「そんなに見つめられるとムラムラしてしまいます」
「変態! 変態! 変態!!」
せっかく姉さんの意外な長所が分かってちょっと見直したのにどうして性格はこんなに残念なんだ!?
この人は良い所もあるはずなのに、素が変人の所為で全部無意味と化している。
結局、暴走した姉さんを部屋を追い出してから写真の修復作業を完全に終える頃にはすでに日付を跨いでしまっていた。
「ああぁ~~、終わったーー……」
座ったまま大きく伸びをする。
達成感からか肩の辺りからパキポキと骨の軋む音が妙に心地よかった。
数時間前までバラバラの紙切れと化してた写真だったものはなんとか一つの形に収まっていた。
「でもやっぱり元のやつと比べると粗暴だなぁ」
見栄えはお世辞にもいいとは言えない写真を手に取って見上げる。
結局、完璧に修復とはいかず、要所要所でテープを貼るときにいくつがミスをした所為で所々歪に歪んでしまった。
でもまあそこらへんは仕方ない。元通りにならないのは最初から分かってたし。
それよりも今は憂いを忘れ全身を満たす達成感に身を委ねてしまいたかった。
「うん、これはこれで悪くないし」
座ったまま首を回して壁に立てかけてある時計に目を向けると、すでに草木も眠る深夜になっていた。
「うわっ。もうこんな時間か」
予想以上に時間が経過していたことに驚く。
よほど集中していたのか不思議と一度も眠気が襲いかかってくることはなかった。
あと数時間で登校しなければいけないことに溜息を吐きつつ眼下の写真をぼんやりと見下ろした。
「木下優子さんか……」
割とAクラスとは接点が多かったけど不思議と木下さんと話す機会はほとんどなかった。
無意識にそれを普通と思っていたし、今までそれに対して疑問を抱くようなこともなかった。
だから、一昨日書庫で木下さんが現れた時は心のどこかで木下さんのはずがないと勝手に思い込んで、あろうことか告白までしてしまった。
今思い返すと顔から火を噴くほど恥ずかしい。
木下さんにしてみればはた迷惑もいいところだろう。写真を破り捨てるのも致し方ない。
「謝ったら、許してくれるかな……」
一応お詫びを用意するとは言っても、それとこれとはなんだか別問題な気がするし。
正直現状じゃ面と向き合っても僕が関節を外されて悶え苦しんで終わるビジョンしか思い浮かべない。
普段は優等生然とした木下さんだけど、時々仮面が外れたように凶暴になるらしいし(秀吉談)。
やっぱり抜本的解決が必要だよね。協力してくれた二人の為にも、僕の命の為にも。
「……ふわぁ……」
大きなあくびが漏れ出る。
慣れない考え事をした所為か、はてまた集中が切れて疲れが出たのか途端に眠気が襲ってきた。
「……いいや。明日のことは明日考えよう」
僕は本能に身を委ねることにし思考を放棄して誘われるようにベッドへ歩み寄る。
ベッドで横になり毛布を被り部屋の照明を消す。
この眠気なら一度目を瞑ればすぐに落ちるだろう。
「はぁ、何で僕こんなに悩んでるんだろう……」
心地の良いまどろみの中で最後にボソっと呟く。
自分の生命の危機というのも勿論あるが、正直そんなのFクラスで過ごす中じゃ日常茶飯事なのでそれほど驚く事でもない。
じゃあ他に何があるのだろうか。これまでの行動を振り返り考えてみる。
そうして、意識が落ちる間際……いつかの書庫の記憶が脳裏を掠めた。
記憶を失う寸前。
彼女は今にも崩れてしまいそうな体を懸命に支えているように見えた。
小さな顔に大きな瞳、その整った顔立ちは夕焼けのように真っ赤に染まっていて、瞳は涙を堪えるかのように潤んでいた。
そして、その口元はまるで感動を飲み下すような小さい、けれどとても嬉しそうな笑みが浮かべられていた。
ああ……そうか。
きっと僕は、もう一度あんな見惚れてしまうような表情が見たいんだ。
モヤがかかったようにぼんやりとする頭で、ふとそんなことを思いつきながら僕の意識は今度こそ闇の底に落ちて行った。