たぶん5話くらいで完結です。
彼、『割斧 リョウ(わるふ りょう)』は一端のワルである。
腹が立つようなヤツはとりあえず殴り、喧嘩を売られればどんな相手でも必ず買い、気に入らなければ国家公務員が相手でも楯突いた。
しかし仲の良いヤツが窮地に立たされれば何をおいても助けに行き、荷物を抱えたおばあちゃんがいれば苦手な笑顔を作りながら手助けし、雨に打たれる捨て猫を見つければつい連れ帰って世話をしてしまう。
彼はとっても気が荒く、同時に優しいワルだった。
そんな彼も成人し、少し丸くなってきたある日の深夜。彼はある転機に立たされた。
彼は彼女になったのだ。
そうとも知らぬ彼女、リョウは布団の中で、胸のあたりが重いなと思いながら猫を退かそうと自身の胸を揉んでいた。
第一話 ワル、大地に立つ
彼であったリョウはワルである以外は体格がいいだけの健常者であったが、彼女となったリョウは盲目である。であるならば道を歩くためには白い杖、盲導犬、付き添いのいずれか、または複数を用意するのが当たり前である。
しかし彼女は時折舌打ちをするだけでまるで見えているかのように町を歩いていた。
「ほぉ~。見えない世界ってのも新鮮だなあ」
チチチ、と舌打ちをするたびに彼女の中にある世界が広がる。そして彼女の中の世界と現実の世界の差は音速ほどしかなく、それ故に何事もなく歩けていた。
彼女の頭の中には人の足音や衣擦れの音、風の動き、匂い、肌への刺激といった様々な受動的な外部からの影響と、自らが発する舌打ちの反射する音の能動的な影響で完璧な世界が作られていた。目で見ている訳ではないので頭の後ろ、自分の足下、意識すれば壁の裏側まで覗けてしまう体験はリョウに新鮮な気持ちを与える。彼女は好奇心の赴くままに町をブラついていた。
チチチ、コココ。様々な音を立てながら町を歩く美女がいれば道を行く人々の視線は自然とそちらへ向く。その彼女の格好が男物のジャージにニット帽で、その上ブラをしていないような動きの胸を揺らしていれば尚更だろう。
「おい、アレ見ろよ」
「スゲ…」
「ほう……ブラ抜きジャージですか」
「オイオイオイ、目に毒だわアイツ」
ゆさゆさ揺れる二つの果実。異常に耳が良いリョウであれば全部聞こえてそうなものであるが、彼女は完全に浮かれていたので聞き逃してしまっていた。と言うよりも誰かが何かを話している程度にしか認識していなかった。
これだけであれば「なんか痴女っぽい人が町を歩いていた」といった噂程度で済んでいただろう。ただ不運だったのが、現代では誰もが簡単に情報を発信でき、さらにその情報が彼女の幼馴染みに渡ったということだ。
■■■
「リョウ!リョーウ!居るでしょ!入るわよ!」
「ちょ、おま」
バーン!
リョウが町の散策に飽きて帰ってきた数分後、この後どうすっかなーと猫を撫でながら考えていたら不意にボロアパートの扉が開いた。
入ってきたのは彼女が彼だったころの幼馴染みである『治名 ナジミ(おさな なじみ)』。女性。
ナジミは部屋に入るなりリョウの顔を引っつかんだ。
「アンタ一人で外ほっつき歩いてるって友達からライン来たわよ!しかもブラもせずに!」
「へ…?へ…?もっとツッコむトコないか?俺に胸があるとか」
「ないわよバカァ!」
ベチーン!と胸を叩かれるリョウ。その初めての経験に「ぐおお」と涙目になりうずくまる。
そのあいだにナジミにあれよあれよと服を脱がされ、いままで見たことの無いようなサイズのブラを付けられた。
「チックショウ胸が痛てぇ…!おいナジミふざけんじゃねーぞ!胸が取れたらどうしてくれんだ!」
「アンタの胸だったらある程度取れたって平気でしょ!」
「イラネーから男に戻ったら全部やるよ!!」
「は?何アンタ。ひょっとして寝ぼけてんの?」
え?と見えない目を瞬かせるリョウ。ナジミの口ぶりではまるで女であるのが当たり前のように聞こえた。
数瞬の間会話が止まる。かまってくれなくて寂しいのか、猫がミャアと鳴いた。
「えっと、その」
「いや、いい。なんか俺、疲れてるっぽいから帰ってくれないか」
「…う、うん?確かに調子悪そうね…」
また明日の朝来るから、と言い残した幼馴染みを見送ったリョウはとりあえずその場で座り込んだ。
考えるのは当然、さっきの女であるのが当たり前だったような言い方について、だ。
リョウは考えるのは不得手だ。なのでとりあえず他の友人たちに聞いてみようと充電器に挿しっぱなしだったガラケーを手に取り、固まった。
「どうやって操作すりゃいいんだ?」
愛用のガラケーといえども、画面を見ずに操作するのは至難の業だ。なんとかなんねーかなーと振ったり耳に近づけたり手で触ったりしていると、舌打ちをしながら道を歩いていたような感覚を覚えた。
もう一度画面を触ってみると、まるで見ているかのように画面の表示を感じることができる。
「これだ!」
実際のところは肌が感じる液晶の熱や光量によって認識しているのだが、彼女にとっては些細な事である。
端から見れば画面を手で隠しながら文章を打つおかしげな状態で知り合いにラインを送った。
『俺って女だっけ?』
帰ってきた返答は。
『お前は体だけは誰よりも女の子してるから心配すんな。なお性格』
『お淑やかだったら完全にストライクゾーンだった。お前は死球な』
『お相撲さんより乳がでかい。つまり女。証明終了』
だった。リョウは愕然とした。
「つまり俺は最初から女だったのか…?まあいいや」
よくはない。だが彼女は深く考えることが大の苦手だったので普通に風呂に入って猫の腹に顔を押しつけながら寝ることにした。
猫がしょーがねーなーと言うようにミャアと鳴いた。
■■■
「これからどーやってくかなー」
リョウはフリーターだ。つまり生きていくためにはバイトをしなくてはならないのだが働く気が全く出なかった。
というのも散歩が楽しすぎるのだ。上を見なくてもどんな鳥が何羽飛んでいるかも分かるし足下に注意を向けなくても側溝や水たまりを楽に回避できる。運がよければ草むらで小銭まで拾えるというボーナス付きなのでリョウは散歩に夢中だ。
拾った500円玉でコインロールをして玩びながら近くの公園を歩いていると荷物が崩れるような大きな音を耳にした。
塀を隔てた向こう側。複数人の足音と怯えた声。何かが起こっていると確信したリョウは耳を澄まし、意識を塀の向こうに移した。
「やめてください!これは貴重な本なんです!」
塀のすぐそばから男の声。背が高いのか音の位置は高く、しかし腰が引けているのか声が震えている。
「出すもんだしたら考えてやるよぉ」
「考えるだけだけどな!ギャハハハ!」
何かを蹴る男と肩を揺らし歩く男。その声質は酒で焼けているのかひどいガラガラ声で、酔っ払っているのか滑舌がおかしい。人を見下した態度と相まって酷く不愉快だ。
リョウはワルである。それもとびっきりのステレオタイプだ。こんな場面に出くわして何もしないのは彼女の矜持が許さない。
チチチチチ。
背の高い男は不思議な音を聞いた。