こんなにも劇的な出逢いというものがあるのか。背の高い男、『古書 ツノル(こしょ つのる)』は尻餅をついた状態で差し出された美女の腕と顔を呆然と眺めていた。
事の始まりは倉庫を掃除していた友人から古書を譲り受けたことだ。ツノルは古書や稀覯本を集め、販売することを生業としている。そのため、この本が100万円を下らない価値の付く本だということに気がついた。彼は慌ててそのことを伝えると「なら売れたらいいモン食わしてくれよ」と、友人はなんとそれらを気前よく突き出してきたのだ。
気の弱いツノルは100万円以上の価値のある本の束を両手で抱えて大事に運んでいた。が、それがチンピラに目を付けられる原因になったのだ。
あとは行き止まりにあれよあれよと追い込まれ、本を奪われ万事休すかといった瞬間だった。
「おいオッサン達。そこの兄ちゃん囲んで何やろうってんだ。ん?」
背後にあった塀から一人の女が飛び出してきたのだ。右手でコインを弾きながら見せる背中は小さいながらも絶対の自信が見て取れた。
チンピラが「どけよクソアマ」「おじさんにイジワルされてえのかぁ?」と言った瞬間だった。ピンといい音を立てて彼女の右手からコインが飛ぶ。
ツノルを含めた男三人の視線がコインに集まる。大きく弧を描いたそれが地面に落ちた瞬間、ドサリと音がした。
彼が慌ててチンピラに視線を戻すとそこには誰も居ない。代わりに彼女がその場所に立っていた。
「そこで寝てろタコ」
手をひらひらと振る彼女の視線の先には二人のチンピラが折り重なるように倒れていた。
二人を殴った?あの一瞬で?信じられない瞬間を目の当たりにしたうえ、チンピラが倒れた事によって緊張の糸が切れたツノルはその場でぺたんと尻餅をつく。
「おっと…兄ちゃん大丈夫か?」
彼に差し出された右手は少し赤くなっていた。申し訳なさで顔を上げたツノルは彼女の顔を見て息を飲む。健康的な肌の色に整った鼻立ち、大きな瞳の隣にある泣き黒子。形の良い眉も、長い睫毛も、潤った唇も。その全てがツノルの心を鷲づかみにした。
要するに一目惚れというやつである。
第二話 下心と意気地無し
チッ。チッ。チッ。時計が秒針を刻むリズムで彼女は舌打ちをしていた。ツノルはお礼がしたいと言って自身の拠点たる古書店にリョウを連れてきたのだが、彼はすっかり畏縮してしまっていた。その原因は言わずもがな、彼女の舌打ちである。
弱気で奥手であるツノルは他人の悪意に極端に弱い。たとえ彼女に何の悪意もなかったとしても舌打ちされれば縮み上がってしまうのが彼の常であった。彼はただ彼女に差し出したお茶の湯気を見ることくらいしかできないでいる。
一方でリョウはというと色んな物を興味津々に「聴いていた」。
きっちりと整理された本棚。小洒落たデザインの机と椅子。大きく、分厚い板を使ったであろう重圧なカウンター。古いタイプライターを彷彿とさせる骨董品レベルのレジスター。
彼と向かい合って座っている関係上能動的に動くことのできないリョウは音だけを飛ばしてそれらをじっくり聴いていたのだ。
しかしいくら興味があろうとやがて飽きはくる。一通り聴いてまわって意識を前に移した彼女はツトムが縮こまっているのに気がついた。
「そういや…お礼してくれるんだったよな」
「あっ、はいっ!」
ギシリと椅子を鳴らして前傾姿勢になり、腕を組む。すると彼女の豊満な胸が腕で押し上げられて強調され、ツトムは反射的に返事をしてしまった。
といってもツトムに礼のあてなどあるわけがない。本の虫である彼ができることと言えばただ本を差し出すくらいだった。
「あの、稀覯本には興味ありますか?」
「きこうぼん?」
「は、はい。歴史的価値があったりする珍しい本の事です。気に入った物があれば言っていただければ…」
うーん、と周りを見回して唸るリョウ。珍しい物に興味が無いという訳ではないが、活字は大の苦手だ。国語テスト赤点の常連であり難しい話を読むとあっという間に寝てしまうくらいには。
舌打ちをして聴いてみたところ周りの本はハードブックや変わったサイズの本ばかりで、唯一読めるコミックの類いは期待できそうにない。
「無いな」
「えっ……」
リョウの発言にしゅんとするツトム。なんか悪いこと言ったかなと彼女は気まずそうにお茶を口に含んだ。
ぬるくなっていたお茶を飲み干したリョウは立ち上がり、大きく伸びをする。
「お茶ごっそさん。礼はいらねーわ」
そう言って出口へと歩いて行く彼女。ツトムは呼び止めようとしたが、そんな勇気は出なかった。せいぜい腕を数センチ上げた程度。
「そういや」
出口から一歩踏み出した彼女が指で差す。
「そこの本棚の一番下の段に何かあるぜ」
そう言って彼女はどこかに行ってしまった。
見送るしかできなかったツトムは肩を落とし、ため息を吐く。
「なんて意気地無しなんだ、僕は」
もう一度ため息。気を取り直そうと茶器を片づけようとした矢先で先ほどの言葉が頭を過ぎった。「何かあるぜ」いったい何だろうか。
本棚を見てもなんらいつもと変わりない。亡き祖父から譲られたままの姿だ。
からかわれただけだったのかな。そう思ったツトムはまたもため息を吐いて茶器を片付け始めた。
■■■
「リョウ!私今日来るって言ってたわよね!なんで居ないのよこのスカポンタン!」
「アイテッ!」
リョウはボロアパートに帰るなりナジミから一撃を見舞われた。
「ケータイも持ってってないし杖も置きっぱなし!あんた自分が盲目だって自覚してんの!?」
「あんまり」
「このバカはホントにもう!ホントにもうっ!」
そして地団駄を踏む彼女。リョウはこいつどうしよっかと猫に聞いた。ミャア、らしい。
「おまけにまたブラしてないでしょ!」
「付け方わかんなくて」
「がああっ!この万年赤点不良痴女!いいかげんブラくらい一人で付けなさい!」
スポーン!とジャージを脱がされたリョウはまたもやブラを着けられた。
「あんたね。一応、い・ち・お・う、女の子なんだからもう少し警戒心ってのを持ちなさいよ」
「喧嘩だったらいつでも買う心意気でいるぜ」
「ちっがーう!男!男に対して無防備を晒すなって言ってんの!」
そういえば今は女だったな…とリョウは自分の大きな胸を揉んだ。不思議なことにいくら揉んでも興奮はできそうにない。
揉みながらリョウは言った。
「なあナジミ。もし俺が男だって言ったらどう思う?」
「は?私に対するイヤミかしら。そんな胸がでかくて可愛い男がいるわけないでしょ!!」
ベチーン!と胸を叩かれる。リョウはまたもや「ぐおお」とうめきながらその場にうずくまった。
「とにかく!出かけるときは!ブラをちゃんとして!付き添いをつけなさい!」
帰る!!
そう吐き捨てて胸が平坦なナジミはボロアパートから出て行った。
一分ほどうずくまって胸の痛みがやっとこさ引いてきたリョウは散歩と喧嘩で腹が減っていたのでインスタント麺に湯を入れた。はだけたジャージから見える胸には未だに鈍い痛み。暴力女め、と悪態をつく。
インスタント麺ができるのを待っている間にあぐらをかいた足の間に収まった猫が満足そうにミャアと鳴いた。
「あ…そういやアイツの名前聞いてなかったな」
古書店の男を思いながらの一言は猫のあくびにたやすくかき消された。