わたしのかんがえたさいきょうのせっちゃん 作:ワイマール拳法
「クラスの総意として、京都奈良修学旅行を選択いたしましたわ」
「京都、ですか」
雪広あやかの言葉に、ネギが懊悩とした。日本の有名な古都であるとしか、ネギは京都や奈良を知らなかったからである。
「あまり知らないので、先生として勉強しておかないといけませんね」
「な、ならば!」ネギの言葉に、あやかが猛然とアプローチをした。絶好のチャンスに、あやかは興奮していた。「わ、わたくしに是非とも協力させてくださいまし!」
「え、えっと……?」
あやかが、ネギの両手を覆うように握っていた。ネギは圧倒されていた。
「いいんちょ、ろこつー」
「ろこつー」
「黙らっしゃい!」
あやかは鳴滝風香史伽姉妹を一蹴した。「怒った!」「怒られた!」あやかはぷりぷりとしていたが、風香と史伽は無邪気に笑っていた。風香と史伽の姿に、あやかは嘆息した。どうやら冷静にはなったらしい。
「……」
ネギと修学旅行の下準備をするという好機に悶々としていたのは、あやかだけではなかった。宮崎のどかである。ネギに傾慕しているのどかとしては、巡ってきた千載一遇のチャンスを逃す手はなかった。
「うう……」
なかったが、のどかは奥手であった。
のどかは、積極的なあやかにすっかり萎縮していた。ちょこんと座ったまま、右顧左眄とするばかりである。臆病なのどかの背中に、綾瀬夕映が呆れていた。
「ネギ先生」
親友であるのどかの為に夕映は助太刀した。
「よければ、図書館探検部にお任せください。京都に関する文献をご用意します」
夕映は、近衛木乃香を一瞥した。了解したとばかりに、木乃香は破顔した。聡い木乃香は、夕映の意図を理解していた。「ぐっじょぶです」夕映が呟いた。
のどかは呆然としていた。よく分かっていなかった。
「せやえ、ウチらに任せなーネギくん」
「んな!」
思わぬ伏兵に、あやかが愕然とした。
「まー、このかでいい話よね」神楽坂明日菜が二人に同調した。明日菜は単純であった。「実家も京都だし」
「貴方はまたしても私の恋路を邪魔するのですかッ!」
「大袈裟よ!」
あやかは慟哭していた。腐れ縁からか、あやかの矛先はもはや明日菜に向けられていた。あやかに胸倉を掴まれ、明日菜が叫んだ。ネギの話となると暴走するあやかの姿に、明日菜は呆れていた。
「ネギ先生、学園長が呼ばれていますよ」
「あ、はいっ」
いつもの乱闘かと思っていた三年A組一同は、教室に入ってきた源しずなの言葉に腰を下ろしていた。あやかと明日菜の口論に腰の引けていたネギは、助かったとばかりに安堵していた。
「では、失礼しますね。しずな先生、あとはよろしくお願いします」
「ネギくん、バイバーイ!」
お辞儀しながら教室を去ったネギに、佐々木まき絵が能天気に笑っていた。不在となったネギの代役としてしずなが放課を知らせ、チアリーディング三人組を筆頭に弾かれるように帰っていった。他の面々も雑談するなど各々の放課後を過ごすようであった。
「のどか」呆然としているのどかに、夕映が囁いた。「これはチャンスです」
「えっ」
夕映の言葉に、のどかが赤面した。恋バナとあらば早乙女ハルナも三人の輪に入っていった。図書館探検部による包囲網が、既に敷かれていた。
「いいんちょには悪いけどさ、ここでネギ先生に急接近よ!」
「ええっ」
強引な夕映とハルナに、のどかは狼狽していた。木乃香は微笑んでいるばかりで、夕映とハルナの味方であった。孤立無援である。のどかは、もはやオーバーフローしていた。
「でもでも、やっぱりいいんちょさんも一緒に」
「甘い!」
のどかの言葉を、ハルナが一喝した。のどかは呻いた。
夕映が追従した。
「委員長さんは積極的ですからね。彼女も一緒となれば、きっと主導権を握られてしまうです。万難を排すべきです」
「でも……」
夕映の言葉にも、のどかは俯いたままであった。これ以上は厳しいかと夕映とハルナは
「ゴメンな」伏せられた木乃香の睫毛は、とても綺麗であった。「でも、のどかならきっと大丈夫や」
それは根拠のない言葉であった。それでも、のどかは温かいと思った。木乃香の言葉は、のどかの両手を包む掌のように温かかった。木乃香の言葉には、いつも力があった。のどかは何度も木乃香に励まされてきた。まるで魔法のようであった。
魔法であった。
身体と、心を癒す。
それが、木乃香の魔法使いとしての才能であった。非凡であった。天賦の才であった。
――このちゃん。
桜咲刹那は、狂喜していた。
○
「関西呪術協会?」
「うむ」
ネギの言葉に、近衛近右衛門が鷹揚に頷いた。近右衛門に促され、ネギは麻帆良学園理事長室のソファーにちょこんと腰を下ろしていた。ネギは緊張しているのか、お尻をむずむずとさせた。
近右衛門が好々爺然と微笑んだ。
「関東魔法協会と協力関係にある組織じゃ。京都にあるのでな、修学旅行のついでにネギ君に挨拶してきてほしいんじゃよ」
「ついで?」
仮にもネギは先生である。引率しなければならない先生が「ついで」で離れていいものか、ネギは不安になった。「安心せい」眉尻を下げたネギに、近右衛門が問題ないとばかりに微笑んだ。
「体験学習という名目で神社に宿泊させてもらうことになるのは、ネギ君も知っておるな?」
「あ、はい」それがなにか関係あるのかと、ネギは疑問であった。「えっと、カガビコノヤシロという神社でしたよね」
ネギの言葉に、近右衛門が頷いた。
「炫毘古社は関西呪術協会の総本山でもあるんじゃよ。神社としてカモフラージュしておるということじゃ。麻帆良が学園都市であるようにのう」
「なるほど……」
近右衛門の話に、ネギは得心したように頷いた。
「東と西で交換留学生の話も出てきておる。既にイスタンブールから魔法使いが留学しておるらしいしの。ネギ君の挨拶も、交流の一環と思ってくれればよい」
「わ、わかりました!」
ネギの返事に、近右衛門が微笑んだ。
「それとなにか困ったことがあれば、瀬流彦先生を頼りなさい。彼も魔法使いじゃ」
「え、瀬流彦先生が……?」
「左様じゃ。彼も呼んだんじゃが、まだかのう」
唖然としているネギを尻目に、近右衛門は実に呑気である。
――それにしても。
ネギは独白した。
まるでデジャヴであった。「困ったことがあれば協力するよ、ぼうや」ネギの脳裡には、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの姿が蘇っていた。
吸血鬼の真祖。
サウザンドマスター。
呪い。
十五年前の約束。「だが、約束は守られなかった」ネギの脳裡に、龍宮真名の言葉が残響した。ネギには知りたいことがあった。知らなければならないと、ネギは思っていた。
懊悩としていたが、やがてネギは決意した。
「あの、学園長先生」
「ん、なにかの」
ネギの言葉は決然としていた。重要な話であるらしいと、近右衛門は神妙に髭を撫ぜた。
「……父さんがエヴァンジェリンさんを十五年前に封印したって、本当ですか?」
「知っておったのか」
近右衛門の言葉に、ネギが首肯した。
エヴァがネギと接触しているのは、近右衛門も把握していた。だがここまでネギが知っているとは予想外であった。「うーむ……」顎鬚を弄ぶようにしながら、近右衛門は唸っていた。
「本当なら数年で解放されるはずだった」
確認するようなネギの言葉に、近右衛門は無言で頷いた。
「けれど、解呪はされなかった。サウザンドマスターが十年前に死んだから。でも、それだとおかしいんです」
「おかしい?」近右衛門の眉根に、皺が刻まれた。「どうしてじゃ?」
「六年前、僕は父さんに会っています。村に現れた悪魔を、父さんが倒してくれたんです。僕を助けてくれたんです。僕の杖は父さんが僕にくれたものです」
ネギの話に、近右衛門は瞠目した。
だが、近右衛門は納得もしていた。近右衛門は、六年前にネギの住んでいた小村が悪魔に襲われ、誰かによって悪魔が撃退されたことを知っていた。疑問は、誰が悪魔を撃退したかであった。村は壊滅的であった。村民もほとんどが悪魔によって斃されていた。
それも、ナギが撃退したとなれば話は単純である。
だが――、
「生きていたなら、何故ナギはエヴァンジェリンとの約束を守らなかったのか」
聡明な近右衛門は、ネギの疑念を洞見していた。悄然としながら、ネギは近右衛門の言葉に頷いた。
「ナギは実に奔放な男だった」近右衛門の言葉は懐かしむようであった。「だが、誠実な男でもあった。儂もあやつが嘘をついていたとは信じられんよ」
近右衛門はネギに微笑んだ。近右衛門の笑顔に、ネギが安堵したように嘆息した。
「でも、それだと、父さんは……」
「うむ」
ネギもまた聡明であった。
ナギが嘘をついていなかったとすればという仮定から導かれる結論を、ネギは既に直視していた。十歳の少年としては、驚異的でもあった。
――ナギは本当に生きていたのか?
黙考しながら、近右衛門は顎髭を撫ぜた。
ナギに会ったというのが、嘘か夢幻であれば話は簡単である。だが、ネギという少年もまた誠実であった。近右衛門は、この前提を最初から除外していた。
「うむむ」
「うむむむ」
ネギと近右衛門は二人して唸っていた。実の祖父と孫のようで微笑ましい光景でもあったが、二人は大真面目である。理事長室は静寂としていた。女子生徒達の喧騒も届いていなかった。
「あのー……」
沈黙を破ったのは、瀬流彦であった。
瀬流彦が、扉の奥から顔を覗かせていた。実はノックをしていたが、没頭していた近右衛門から返事がなかった。なにやら深刻な話をしているようだと、瀬流彦は長々と遠慮をしていたらしい。
瀬流彦は苦笑した。
「入っても大丈夫ですか?」
○
翌日の放課後である。
のどかの前には、彼女自身の弱気な姿が映っていた。のどかは、女子トイレの鏡と対峙するように佇んでいた。京都と奈良について勉強するネギに協力するという約束が、目前に迫っていた。「これはチャンスです」夕映の言葉が、のどかの脳裡にリフレインした。
のどか自身もチャンスだと思っていた。臆病なままはイヤであった。
「よ、よーし!」
頬を紅潮させながら、のどかは髪紐とヘアピンでポニーテールにした。のどかは朝から肌身離さず、放課後にようやっとイメチェンを決心していた。
「――江戸時代には、実際に二〇〇件以上の飛び降りが記録されています」
「な、なるほどー……」
夕映の淡々とした解説に、ネギはただただ圧倒されていた。
ネギに協力する一行は、図書館島の地下二階の一角に集まっていた。地下二階であれば、地下三階ほど罠もない。図書館探検部以外の一般利用もできないことになっている。邪魔も入らない、絶好の環境であった。
ネギと図書館探検部の他に、明日菜の姿もあった。暇だったかららしいが、もはやネギの保護者である。修学旅行前に完成させたい原稿があると、ハルナは参加していなかった。
協力というが、ただの口実である。
訪れる観光地もほとんどが有名である。ちょっと調べればそれ相応の情報が得られる。いつもはスルーされる蘊蓄をこれ幸いと披露しながら、夕映はネギとのどかが二人っきりになれないかと機会を窺っていた。だが、のどかはネギの隣で夕映の話に感心していた。イメチェンしてきたときは一歩前進かと思ったが、これでは前途多難である。
――ハルナもいないですし……。
無責任なハルナに、夕映は呆れていた。
「あの、綾瀬さん」質問があるとばかりに、ネギが挙手をした。「カガビコノヤシロについてなにか知っていますか?」
「カガビ……って私達が泊まるところよね?」
ネギの言葉に、退屈していた明日菜が反応した。
スケジュールでは、完全自由行動日が終わったら炫毘古社に集合して宿泊することになっている。明日菜が修学旅行のパンフレットを抓んで、ぺらぺらと弄んでいた。
「それがどーしたのよ」
「あ、いえ、ちょっと……」
「炫毘古社は神社であると同時に、アカデミックな研究機関でもあります。宿泊できるのも、麻帆良学園都市と協定を結んでいるからですね」
「けんきゅーきかん?」
「はいです」
明日菜の言葉に、夕映が頷いた。
「有名なものでは陰陽道ですが、日本古来の呪術や占術に関する史学研究をしています」バカレッドの為に、夕映は補足した。「つまりはおまじないや占いです」
「なんだかオカルトねえ……」
呪術という言葉は実に眉唾であったが、魔法使いが身近なだけに明日菜は否定できなかった。
「アスナさんのいつもしている恋占いがオカルトなのは否定しませんが」
「うるさい」
「かつては呪術や占術、魔術も学問のひとつでしかなかったです。高名な学者が錬金術師でもあったように、です」
「なるほどねえ」明日菜は相槌をしていたが、ほとんど分かっていなかった。「でもちょっと意外かも」
「意外?」
「夕映ちゃん、まほーとかあんまり信じてないかなって」
「魔法、ですか」
夕映が唸った。
迂闊だとばかりにネギが狼狽していた。のどかが怪訝としていた。
――あー……、いやでも、普段のアンタのほうがウカツじゃない?
明日菜は訝しんだ。自覚はあるのか、ネギが言葉に窮していた。
「んー……、信じているというよりあったらいいなと思っています。神秘というか、ロマンですね。実に興奮するです」
「だよねー、あったらいいよねー……」
夕映はまさに興奮していた。ジュブナイルやファンタジーに憧れているのどかも、「ハリー・ポッター」や「ダレン・シャン」の世界観を幻想していた。二人は恍惚としていた。
すっかり没入してしまった本の虫に、明日菜は苦笑した。
「このかはなにか知らない?」
「え……」木乃香は上の空であった。「あ……、なんや、アスナ?」
「だからカガビ……」
「カガビコノヤシロです」
「に、ついてなにか知らないかなーって。どーしたのよ、ぼーっとして」
熱でもあるのか、と明日菜は木乃香を心配した。「なんでもないえ」明日菜を安心させるように、木乃香は微笑んだ。まるでお見合いの話をしたときのようだと、ネギは思った。
「ならいいけど……」
「えっと、炫毘古社やけど……」やはり木乃香の言葉はどうにも空元気であった。「ウチの実家や」
「マジ?」
明日菜は唖然とした。
「あー……、修学旅行が実家ってフクザツよねー」
「……うん」
嘘だなと、明日菜は思った。もっと別の問題に木乃香は悩んでいると、明日菜は直感していた。木乃香と十年来の親友である明日菜には分かっていた。
それでも木乃香の実家の話となると、明日菜はいつも躊躇していた。
「なるほど、ご実家でしたか」二人の間に、夕映がにゅるりと入ってきた。突然であった。明日菜は仰天した。「納得です」
「心臓止まるかと思った」
「大袈裟やわー」
「んで、納得ってなにが?」
「炫毘古社の神主が近衛詠春さんという方だったので」
「もしかしてお父さんですか?」
のどかの言葉に、木乃香が頷いた。「スゴイですねー」ネギはのどかと二人して感心していた。実に呑気である。明日菜は呆れた。
明日菜はネギの頬をむにゅむにゅと玩んだ。
「アンタの為に集まってんのよ。ちゃんとしなさいよ」
「す、すみません……」
「アスナはイジワルやなー」
微笑んでいる木乃香に、明日菜は安堵した。
この話はこれ以上するべきではないと、明日菜は思っていた。夕映は怪訝としていたが、炫毘古社の話を無理にしようとはしなかった。夕映も木乃香の友人である。明日菜の意図が分かったのかもしれない。
図書館探検部のサポートもあり、ネギの下準備は順調に進んでいった。ラッキースケベがなければ、ネギはただただ優秀であった。あまりに早々に終わったので、ついでとばかりに明日菜の勉強会に移行してしまった。
明日菜は絶望した。
「今日はありがとうございました」
ネギが夕映とのどかに微笑んだ。ネギの笑顔は、薄暮に包まれていた。
「と、とんでもないですー……」
恐縮とばかりに、のどかの頬は夕日のように染まっていた。
ネギは夕映とのどかの三人で、図書館島から寮への道を歩いていた。明日も新聞配達のアルバイトがあるからと、明日菜は木乃香と先に帰っていた。明日菜は疲労困憊であった。「ネギくん、待っとるえ」木乃香は夕食の準備をするらしい。
好機だと夕映は確信した。気分は、仔を千尋の谷に落とす獅子さながらであった。
「おっとハルナに呼ばれていたのを忘れていたです。用事があるので先に失礼します。ネギ先生のどかをお願いします」
夕映のセリフは棒であった。どうやら芝居の才能はないらしいが、ネギは色恋沙汰にまるで鈍感であった。「わかりました、綾瀬さん」無垢なネギを背に、夕映は足早に退散した。
獅子というより脱兎であった。
「ゆ、ゆえー……」
残されたのどかは、雨に濡れた仔犬のようであった。
「行きましょうか、のどかさん」
「は、はひぃ!」
乙女にあるまじき悲鳴であった。恥ずかしかった。それでもネギはただ微笑んでいる。たったそれだけである。それだけでも、のどかは無性に嬉しかった。
のどかにとってネギは眩しかった。年下でも関係なかった。
のどかの脳裡に、ネギの姿が去来した。
大階段から落ちたときに助けてくれたネギの姿。「詳しいんですね、宮崎さん」二人っきりの図書館。崩れた本棚。屈託のないネギの笑顔。「宮崎さんから離れろ!」人質にされたときに助けようとしてくれたネギの姿。覚悟したネギの凛々しい表情。
――あ、あれ……?
記憶になかった。のどかは困惑した。夢だったかもしれない。
首筋が熱かった。のどかはそれを恋だと錯覚した。頬を高潮させながら、のどかは俯いていた。
――う、うう……。
まるで熱病のように、エヴァに噛まれたのどかの首筋はいつまでも熱かった。
○
ネギは困惑した。木乃香の隣に刹那とあやかの姿があったからである。
ネギは、明日菜に内緒で木乃香と一緒に誕生日プレゼントを探す予定であった。ネギは、明日菜を喜ばせたかったのである。明日菜の親友であるあやかの姿に、もしやバレたのではないかと早合点な性格のネギがパニックになるのも無理はなかった。ましてや刹那もとなれば、ネギはさらに疑問であった。
「私もアスナさんには内緒ですわ」安心させるように、あやかはネギに微笑んだ。「癪ですが、アスナさんとは長年の付き合いですから」
あやかも明日菜にプレゼントを渡すつもりらしい。あやかはネギに同行した。
夕映の努力は不憫にも水泡と帰していた。
「えっと、桜咲さんは……?」
「私はお嬢様の護衛です。お嬢様が麻帆良から外出なさるときは私も同行致します」
「カッコイイ……」
ネギは子供らしい純真無垢な瞳を爛々と耀かせた。刹那の凛とした物腰に、ネギはジャパニーズサムライの姿でも幻視したのかもしれない。ネギは、ヒーローショーを観劇した少年のように興奮していた。
「でも、どうして麻帆良ではしないんですか?」
「魔法の本」の件で図書館島を探索したときにも刹那の姿はなかったはずである。
ネギの疑問にも、刹那は微塵も表情を崩さなかった。
「必要ないからです。麻帆良では学園長が私とは別に護衛を雇っていますから」
「へー……」
ネギは感嘆した。当然ながらネギは刹那が護衛であると知らなかった。お見合いに護衛と、近右衛門は随分と木乃香に過保護らしい。
「行きましょうか」
あやかが先導するように歩いていた。原宿は雑然としていた。
木乃香はまたお見合いの話のときのように悄然としていた。ネギは心配であった。それはどうやらあやかも一緒なのか、彼女の視線は木乃香を慮っているようであった。
木乃香が縁談を反故にしたとき、仲裁に奔走したのが刹那だとあやかは知っていた。それ以前に、あやかも木乃香の親友である。中等部に進学したばかりの木乃香が悩んでいたのも、あやかは知っている。木乃香は、京都から上京してきた幼馴染の刹那と再会したばかりであった。
渦中にあるのは、いつも刹那であった。
だが、あやかが弟の話をしないように、木乃香の実家について彼女も明日菜のようにほとんど知らなかった。
かつてあやかは明日菜に励まされた。かなり強引であった。結果論かもしれない。それでもあやかは明日菜に救われた。癪であるが、感謝もしていた。
今の木乃香に必要なのは、かつての明日菜のように無遠慮な存在かもしれない。
――それにしても……。
かつての明日菜は寡黙であった。ニヒリズムのようにスレていた。ただマセていただけかもしれない。それでも子供らしからぬほど明日菜は達観としていた。ネギが当時の明日菜を知ったら別人と疑うかもしれない。
――本当に、ヘンなオンナですわ。
あやかは笑った。
○
「……」
刹那は真剣であった。刹那の前には、愛らしいぬいぐるみが並んでいた。
「意外ですね……」
「意外ですわ……」
刹那の姿に、ネギとあやかが呟いた。随分と失礼であるが、二人にはただただ意外であった。刹那が物色しているぬいぐるみのコーナーは、女子中学生である明日菜のプレゼントとしては子供っぽかった。刹那は意外にも趣味が幼いらしい。呆然とする二人を尻目に、刹那は黒の仔犬のぬいぐるみを購入していた。
刹那は童女のように笑っていた。
「お嬢様、神楽坂さんは喜んでくれますでしょうか」
「え……」木乃香は微笑んだが、彼女の眉尻は下がっていた。「あ……、ええんとちゃうかな。かわええと思うえ」
「よかった」
木乃香の言葉に、刹那は嬉々として微笑んだ。
木乃香は困惑としていた。
微笑む刹那は、まるで子供の頃のようであった。木乃香と刹那が山奥の屋敷で暮らしていたあの頃である。木乃香と刹那はただただ友達として遊んでいた。あの頃の刹那に戻ったとなれば、木乃香は純粋に喜んでいたはずである。
――違う。
それは漠然とした感覚であった。木乃香の勘でしかなかった。
刹那は子供の頃に戻ったのではない。鉛色に曇ったような刹那の瞳は、まるで囚われていた。刹那は、夢のような思い出とかつての木乃香の姿に妄執していた。
――せっちゃん……。
木乃香にとって、刹那はいつまでも不気味であった。
○
仔犬のぬいぐるみは、明日菜と木乃香、ネギの寮部屋に置かれた。
子供の頃、木乃香が屋敷で飼っていた仔犬にとても似ていた。