わたしのかんがえたさいきょうのせっちゃん   作:ワイマール拳法

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「記憶」

 京都、奈良修学旅行に参加する麻帆良学園本校女子中等学校の三年生が大宮駅に集合していた。

 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルと絡繰茶々丸、近衛近右衛門から相坂さよの修学旅行欠席の連絡を受けていたネギは、各班の班長と六班の桜咲刹那とザジ・レイニーデイを呼んだ。

 

「六班に欠席者が出ましたので、お二人を別の班に入れたいと思うんですがそれで大丈夫ですか?」

「ハーイ」

「だいじょーぶアル」

 

 元気いっぱいに返事をしたのは明石裕奈と古菲であった。他の面々も異存はないらしい。「無論ですわ!」ネギの力になれるならばと、雪広あやかは嬉々としていた。刹那とザジも無言で頷いた。

 

「桜咲さん、龍宮さんと仲いいっぽいし私の班でいいんじゃない?」

「えー」裕奈の言葉に、古菲は不服らしい。「私、刹那と勝負したいアル。一緒の班になるアルね」

「くーちゃんはほんとスキねー」

 

 柿崎美砂が欠伸をしながら古菲に呆れていた。美砂はどうやらまだ眠いらしい。

 古菲が少年のように笑った。

 

「修学旅行って修行のことじゃないアルか?」

「……」

「じょ、冗談アル……」

 

 古菲はしょんぼりとした。

 

「二人はどこがいいとかない?」

「私はどこでも」

 

 神楽坂明日菜の言葉に、刹那は鰾膠(にべ)もない。ザジも同意するように首肯するばかりである。明日菜は苦笑した。「それ一番困るやつ」美砂の言葉にはイヤに実感があった。

 

「お?」裕奈が笑った。「カレシと喧嘩でもしたかあ?」

「うるさい」

 

 美砂は憮然とした。図星であった。美砂は修学旅行のお土産で彼氏と他愛もない喧嘩をしていた。「お土産、なにがいい?」「別になんでもいいけど」彼女からのお土産であればなんでも嬉しいという話ではあったが、女としての心情は別である。

 

「もう二人ともいんちょの班でいいんじゃない?」

「さすがにそれはどうなの?」

 

 裕奈はテキトーであった。明日菜が呆れていた。

 

「私はそれがいいと思いますわ。もともと一緒の班だったのですから、別々にする必要もないでしょう」

「委員長さん、大丈夫ですか?」

「心配ありませんわ」心配するネギに、あやかは微笑んだ。「六人も七人もさほど変わりませんよ」

「もともと私は班長でしたから、なにかあれば私も協力します。問題はないかと」

「お二人がよければいいんですけど……」

 

 刹那の言葉にも、ネギは唸っていた。なにか懸念があるらしい。

 

「旅館の部屋、七人だと狭いと思うんです」

「あー……」

「なるほどねー」

 

 ネギの言葉に、明日菜と美砂が納得していた。

 ネギは参考に去年の修学旅行を確認していた。去年の記念写真によれば、ホテル嵐山の部屋は基本的に六人で若干の余裕があるという案配であった。七人ではきっと手狭である。「ちょっと確認してきますね」ネギは新田の下へ走っていった。

 

「ぐぬぬ」あやかは呻いた。「旅館は貸切ですから、余っている大部屋に変更できれば問題ないと思うのですが……」

「たぶん大丈夫っしょ」裕奈は楽観的であった。「サイヤク、ホテルまでに決まってればいいんでしょ?」

「ゆーな、さっきからテキトーすぎない?」

「えー?」

 

 明日菜が苦言を呈したが、裕奈はなおも呑気に笑っていた。

 

「ダメでも桜咲さんが私んトコで、ザジちゃんはいんちょのトコでいいんじゃないかなって思ってたからさー」

「それが無難よね」

 

 はわわと、美砂はまた欠伸をした。「ねむ」美砂は目尻の涙を拭っていた。

 ネギが戻ってきていた。「別の部屋を借りられるように手配できたみたいです」ネギは満面の笑顔である。どうやら問題はなかったらしい。あやかが安堵していた。

 

「委員長さん、お二人をお願いできますか?」

「お任せあれですわ!」

「雪広さん、よろしくお願いします」

 

 刹那がすっかり上機嫌のあやかに頭を下げた。「……」ザジは仔猫のようにぼんやりと空を仰いでいた。

 

「一件落着アルな」

「よっしゃ解散!」

「かいさーん」

「アンタらねえ……」

 

 足早に班の下へ戻っていった能天気な三人に、明日菜は薄情者とばかりに呆れた。

 

「いいじゃないですか」あやかは姉のように破顔していた。「楽しんでいるのならそれが一番です」

「いや、イチバン楽しんでんのはアンタでしょ」

 

 明日菜はあやかを睥睨とした。あやかがネギの手をがっしり掴んでいた。「オホホホ」微笑んでいるあやかの肌には、どこか艶があった。

 あやかの隣でネギは苦笑していた。

 

「離しなさいってば」

「イヤです」

「イヤってアンタ……」

 

 幼児のようなあやかに、明日菜は勘弁してくれとばかりに深々と溜息をした。

 ネギとなると、あやかはすっかりポンコツであった。恥ずかしいので口にはしていなかったが、これでも明日菜は文武両道な親友を自慢に思っていた。もはや距離を置こうかなと明日菜は悩んでいた。

 明日菜の隣に、ザジが幽霊のようにふらりと現れた。ザジがあやかの首根をむんずと掴んだ。「ご無体な!」あやかが暴れたが、ザジは細腕にあるまじき怪力であった。

 瞠目する明日菜とネギを尻目に、ザジは無言であやかをずるずると連れていった。

 

「私達も戻りますか」

 

 実にマヌケな光景にも、刹那は悠然としていた。

 

「あ、うん」

 

 明日菜は生返事をした。

 苦笑していたネギも、新田の下へ戻っていった。ホテル嵐山に部屋の手配を頼んでいたのは新田らしかった。ネギが何度も頭を下げていたが、新田は携帯電話を片手に微笑んでいる。長年、女子中等部を相手にしてきた新田にとって、トラブルの対処は朝飯前であった。

 

「あ、桜咲さん」班の下へとぶらぶら歩きながら、ふと明日菜は刹那に笑った。「誕プレありがとう。お礼、まだだったから」

 

 昨日、明日菜は近衛木乃香から誕生日プレゼントを貰っていた。仔犬のぬいぐるみは、ネギと木乃香のプレゼントと一緒に木乃香から渡されていた。ぬいぐるみは明日菜のベッドにちょこんと置かれている。イメージしていた刹那のプレゼントとはギャップがあったので、より愛らしかった。

 

――でも……。

 

 問題があるとすれば、木乃香がぬいぐるみを明日菜に渡したときの表情であった。

 木乃香は、沈鬱としていた。

 だから、明日菜は刹那と対峙した。明日菜は、余計なお世話だと木乃香に罵られてもいいと思っていた。

 

「桜咲さんは、このかと暮らしてたんだよね?」

「はい」

 

 刹那は飄然としていた。それが明日菜は妙に癪であった。

 

「このかとなにかあった?」ほとんど言葉にならなかったが、それでも明日菜は刹那を(といただ)した。「このかと、なにがあったの?」

 

 明日菜の言葉に、刹那は微笑んだ。

 

「なにも」

 

 それはデタラメに結ばれた糸のように、歪であった。

 

  ○

 

 犬上小太郎が天ヶ崎千草から仕事を依頼されたのは、三月の下旬頃であった。

 小太郎と千草には長年の誼がある。先の大戦で両親を喪ったらしい千草に拾われ、小太郎はどうにか生きてきた。家族としてではなかった。ただの仕事仲間である。小太郎は千草を、千草は小太郎をともに断片的にしか知らなかった。

 それでもいいと思っていた。

 千草はまた家族を喪うのを恐れていた。小太郎は守られる存在となるのを恐れていた。

 だから、それがいいと思っている。

 小太郎は千草をファミレスで待っていた。小太郎の視界には仲睦まじい親子や家族の姿が厭でも入ってきた。孤独であった小太郎にとって、親という存在がどれほど大事かなど分からなかった。それでも小太郎は、千草にもあったはずの幼少や家族との団欒を想像していた。

 

――アカンなあ……。

 

 小太郎は感傷に浸ってしまっていた。頬杖をしながら、小太郎はテーブルにあるクリームソーダをずずずと啜った。仏頂面の小太郎であったが、不意にこつりと頭を叩かれた。

 

「あたっ」

 

 呻いた小太郎に、千草が笑っていた。

 

「近頃の子供は行儀がよろしおすなあ」

「うるせえ」

 

 無愛想にクリームソーダを啜った小太郎のぼさぼさとした黒髪を千草は愉快とばかりにぐしぐしと撫ぜた。小太郎はそれが不本意にも満更でもなかった。小太郎は既にほとんど空になっているクリームソーダを呷った。小太郎の頬は(あか)らんでいた。

 千草の隣には、イスタンブールにある魔法協会からの留学生であるフェイト・アーウェルンクスの姿もあった。

 小太郎も関西呪術協会で何度か会ったことがある。人形のような少年であった。千草がフェイトの指導を任されていなければ、まず縁はなかったはずである。

 

「あれはなんか隠しとるな」かつて千草がフェイトを評した言葉であった。「優秀なんが、癪やけどな」

 

 シートに凭れ、小太郎はフェイトを一瞥した。無色のような存在であった。

 

「んで、俺はなにをすればええんや」

「小太郎はバックアップ。主役はコイツや」

 

 千草は注文したフルーツタルトをフォークで崩しながら、フェイトを指した。

 千草の言葉にも、フェイトを悠然とコーヒーを堪能していた。

 

「バックアップぅ?」

 

 小太郎は露骨に口許を歪ませた。

 

「近衛木乃香の記憶に施された封印を解呪する」フェイトは、単刀直入であった。「それが僕の役目です」

「封印?」

 

 小太郎は怪訝とした。フェイトの言葉を、小太郎はなかば疑っていた。

 つまりは、関西呪術協会の長、近衛詠春の娘の記憶が改竄されているということである。

 

「ほんまかいな」

 

 小太郎の疑念が一言に集約されていた。

 関東魔法協会と関西呪術協会の間に、いまだ確執があるのは事実である。かつては木乃香を傀儡にしてでも関東魔法協会から利権を奪還するという派閥もあった。だが、タカ派として残っているのは、一部でしかない。彼らに強硬するほどの余力は残されていないのが現状である。

 千草の表情は苦々しかった。小太郎もあまり知らないが、千草もかつてはタカ派に属していたらしい。

 

「なら俺は邪魔が入らんよう露払いか?」

「せやな」

「つまらんなあ」

 

 小太郎は不満とばかりに唇を尖らせた。

 

「それで」フェイトの口調は淡々としていた。「桜咲刹那は何者ですか?」

 

 木乃香の記憶に施された封印の解呪を、千草に依頼したのが刹那である。かつてタカ派に属していた千草は、木乃香を傀儡にする為の呪薬や呪符を研究していたから問題はない。もし西洋魔術的な封印であったときは、フェイトの出番であった。

 

「このかお嬢様の護衛や。お嬢様の幼馴染でもある。京都神鳴流の剣士やけど、腕は並。正直、情報屋のが向いとるような小娘や」

「……」

 

 フェイトには興味があるのか判然としなかった。フェイトの瞳は粛然としていた。フェイトの手元にある、温いコーヒーのようであった。

 

「あの姉ちゃんなら、月詠のがよっぽどましやで」

 

 小太郎が不愉快とばかりに牙を剥いた。

 小太郎は刹那を厭っていた。

 月詠とは小太郎も何度か仕事をしたことがある。裏稼業に身を堕とした者は、常軌を逸した狂人であることが多々ある。月詠もまた「人斬り」という狂人であった。ただ、月詠は雑魚に一片の興味も示さない。強者を斬りたいという歪んだ純粋な欲望だけがあった。

 つまりは月詠もただの戦闘狂に他ならなかった。小太郎と同類であった。

 だが、刹那と会ったとき、小太郎は一目で確信していた。

 

――コイツは、ちゃうな。

 

 刹那は狂人ではない。ただの外道である。

 それは野性としての勘であった。

 黒々とした感情に沈む小太郎を尻目に、刹那は無垢とばかりに微笑んでいた。

 

「桜咲刹那です。よろしく、犬上君」

「ハ」

 

 小太郎は、もう嗤うしかなかった。

 ドブネズミのような女だと、小太郎は思った。

 

  ○

 

 三年A組一行は道中で多少のハメを外しながらも、京都奈良修学旅行一日目の京都清水寺見物を終わらせていた。縁を結ぶとされる音羽の滝の水を鯨飲したクラスメイト数名が、生活指導員鬼の新田教諭から大目玉を喰らうなどのハプニングもあったが、無事にホテル嵐山へ到着していた。チェックインしてからも、彼女達は大人しいという言葉を母胎に忘れたような有様である。バカレッドという屈辱的な汚名はあれど、意外と常識人の明日菜は騒がしいクラスメイトに嘆息していた。

 木乃香がクラスメイトの喧騒から離れ、ロビーの隅で消沈としていた。「ン!」鼓舞するように明日菜は自身の両頬をぺしぺしと叩いた。

 

「このか」明日菜にはなかば確信があった。「やっぱり桜咲さんとなにかあったんでしょ」

 

 明日菜の瞳は決然としていた。梃子でも動かないと木乃香は思った。

 木乃香は観念した。

 

「でも」木乃香が困ったように微笑んだ。「ウチにもよう分からんのや」

「分からない?」

 

 明日菜の言葉に、木乃香が頷いた。木乃香は困惑としていた。ともすれば明日菜以上に。なにが分からないのか分からないとばかりに、木乃香の思考は靄に包まれていた。

 

――なにかあるんなら……。

 

 木乃香の記憶には穿たれた大穴のように空白があった。木乃香が刹那と別離してしまった頃である。木乃香がただ幼少の記憶を忘れてしまったにしては、あまりにも不自然であった。なにがあったのか暴かれてはならないと、まるで隠されているようであった。

 なにかを木乃香はなかば恐れていた。

 

「ちょっとヘンな話よねー……」

「うん……」

 

 木乃香の話に、明日菜は唸っていた。

 魔法使いは必要とあれば記憶も消す。明日菜もすっかり忘れていたが、下手をすれば彼女はネギに記憶を消されていた。明日菜の脳裡にはネギへの激憤が蘇っていたが、問題はそれではない。

 木乃香も魔法を知ったから記憶を消されたのではないか。

 

――まさかね……。

 

 明日菜は否定していた。明日菜は他ならぬバカレッドである。どうせ外れていると、明日菜にはもはや確信があった。

 明日菜は勝手に凹んだ。

 

「ウチは友達やと思っとったけど、せっちゃんが一緒に暮らしてたんはもともとウチを護る為やった。きっとなにか問題でもあったんやと思う」

「問題って?」

「会われんようになってん、分からんのや」

 

 木乃香の言葉に、明日菜は憤っていた。

 刹那は木乃香の護衛である。それはかつても変わらなかったらしい。木乃香になにか問題があれば、護衛であった刹那の責任が問われるのも当然かもしれない。それでも小学生にもならない子供の話である。あまりにも酷ではないかと、明日菜は憮然とした。

 

「離れてからウチも何度かせっちゃんに手紙で聞いたんやけど、返事は別の話ばかりで……」木乃香が悄然と俯いた。「だからきっと悪いことや思うて、忘れるようにしとったんやけど」

「でも、桜咲さんはまたこのかを護ってくれてるのよね?」

 

 木乃香が麻帆良から外出するとき、刹那が護衛として就いている。それはクラスメイトにとって周知の事実であった。明日菜も麻帆良の外で何度か刹那と会っているが、木乃香は彼女の護衛を避けている節があった。木乃香はほとんど麻帆良の外に出ていなかった。

 ともすれば、木乃香が刹那を避けていただけかもしれない。

 

「なら、もう問題はないってことじゃないの?」

「たぶん……」

 

 不断な木乃香に、明日菜は頭を悩ませていた。

 明日菜は単純な性格である。木乃香が刹那を避けなければ簡単に解決すると明日菜は思っていたが、それを口にするほど浅慮でもなかった。明日菜は当事者ではない。木乃香と刹那には明日菜にも分からないなにかがあるとも思っていた。

 それは事実であった。

 木乃香は刹那が変わってしまったと思っている。刹那を不気味に思っている。それは根拠もない木乃香の感覚でしかなかった。かつての刹那を知らない明日菜に分かるはずもなかった。もはや木乃香にとって、刹那はかつての幼馴染の皮を被ったなにかでしかないと誰に分かるはずもなかった。

 明日菜と木乃香に言葉はなかった。沈黙が重かった。

 

「お風呂、行こっか」

「うん……」木乃香は微笑んだが、儚かった。「せやな」

 

  ○

 

 木乃香は魔法を知ったから記憶を消されたと明日菜は推論していた。

 それはほぼ正鵠である。

 

「ま、なんも起こらんわな」

 

 ホテル嵐山専用駐車場に一台のバンが停まっていた。偽装されたバンにはホテル嵐山ハウスキーピング部と書かれている。バンには千草とフェイト、小太郎と刹那の姿があった。

 千草が運転席のシートに凭れ、嘆息していた。

 

「ただの修学旅行ですから」

 

 千草の言葉に、刹那が微笑んだ。

 西洋魔法使いであるフェイトが水の「扉」を介して木乃香と明日菜を監視していた。マリオネット然とした表情を崩さぬまま、フェイトは高等魔法であるはずの「扉」を御している。「あれはなんか隠しとるな」千草の言葉が脳裡に蘇った小太郎は、不愉快とばかりに牙を剥いた。

 

「私が天ヶ崎さんに協力をお願いしたのは、天ヶ崎さんならいつ記憶の封印が施されたか分かっているのではと思ったからです」

「見当ならついとるな」刹那の言葉に、千草が嘯いた。シートが軋んだ。「ウチがこのかお嬢様の世話役になる前やろ」

 

 千草は幼少の木乃香と面識がある。千草は木乃香の世話役を命じられていた。当時の千草にとって不可解な話であった。噂では京都神鳴流の幼い剣士が幼馴染として木乃香の世話役に就いているはずであった。千草は訝った。木乃香は関西呪術協会にとって要人である。派閥抗争の匂いがした。

 だが、千草は断れなかった。

 天ヶ崎家は千草の両親の死によって没落していたからである。さらに千草は女である。政はいつの時代も男の世界であった。千草は翻弄されるしかなかった。それでも千草は「天ヶ崎」を守らなければならなかった。

 ただ、結局は杞憂に終わった。

 詠春によって木乃香は早々に麻帆良へ送られていた。千草は世話役を数年で御免となったが、木乃香との縁という「パイプ」が生まれた。

 万事塞翁が馬である。

 だから、千草は堂々と暗躍をしている。

 

「おおかた、このかお嬢様が怪我したから術で治してもうたんとちゃうか?」千草が刹那を一瞥した。「アンタ、まだガキやったしな」

「遠からず、ですね」

「で、実際はどうなんや?」

 

 小太郎に睨まれ、刹那が困ったように微笑んだ。

 

「川に溺れたお嬢様を助けたようとして、バレてしまったのです」

「だから、なにがや?」

「私の正体」剣呑な小太郎にも、刹那は柳に風であった。「私は烏族の鬼子です」

「へえ」

 

 小太郎が感嘆したように嗤った。刹那はつまらない女であったが、鬼子となれば話は別であった。小太郎は戦闘狂としての血が疼いていた。

 千草は黙考していた。

 刹那は詠春に拾われた娘という話である。刹那が烏族の鬼子という事情を、詠春も把握していたはずである。鬼子が災禍を齎すというのは、東洋呪術において常識とされてきた。長として関西呪術協会を改革してきた詠春は、それを旧弊として打破したかったのかもしれない。

 だから、詠春は刹那を重用した。

 問題はそれからである。

 木乃香を頭首にすべきというタカ派の、いわば前身である派閥はかつて彼女を次期頭首として教育すべきと主張していた。血筋を尊ぶ旧態依然とした派閥は、詠春よりも近衛家の直系である木乃香を尊んでいた。時期尚早であると派閥に反対していた詠春は、呪術や魔法の存在を秘匿していた。

 だが、刹那がそれを破ってしまった。

 

「子飼いのアンタが長の期待を無下にしてもうたんか」

「幼い頃の話ですが、面目次第もありません」

 

 千草に嗤われ、刹那は眉尻を下げた。

 だが、刹那の言葉はどこか軽薄であった。

 

「なら、近衛木乃香の記憶を封印したのは近衛詠春ですか?」

「はい」

 

 フェイトの言葉に、刹那は飄々と首肯した。

 

「ほーん」衝撃的ではあったが、千草は納得もしていた。「なるほどなあ」

 

 タカ派は掃討されていない。まだ生きている。千草にはそれが妙であったが、氷解した。近衛木乃香の記憶を封印したという瑕疵を、他ならぬ詠春が負っていた。

 

――なら、誰がタカ派を弱らせたっちゅう話やけど、ま、この小娘やろな。

 

 千草は刹那を睥睨した。「情報屋のが向いとるような小娘」千草の言葉に確証はなかったが、刹那は京都神鳴流とは名ばかりの小癪な女である。千草は確信していた。

 千草が木乃香の世話役だったなど、刹那にとってただの口実であった。千草がかつてしていた研究も、刹那は把握していた。

 刹那の野太刀は、もはや千草の喉元にあった。

 千草はそれを自覚していた。千草は嘆息した。

 

「長が封印したんなら、どうしてアンタが解呪するんや?」

「お嬢様も……」ふと、刹那は嬉々として微笑んだ。「このちゃんも、もう十五や。知ってもええと思うんや」

 

 まるで子供のような刹那に、千草は呆然とした。

 だが、千草には解せなかった。

 詠春の意思であれば刹那は暗躍する必要もない。言外にこれは刹那の独断でしかない。刹那の目的が分からなかった。それは小太郎とフェイトも同様であった。

 刹那は木乃香が理外の理を知るべきだと思っている。木乃香の裡にある強大なチカラを知るべきだと思っている。木乃香のチカラは刃のように磨かれるべきだと思っている。

 刹那はなおも童女のように微笑んでいた。

 

  ○

 

 刹那は壊れている。

 だから、存在すべきではないと刹那は思っている。

 死ぬべきであると思っている。

 木乃香に殺されたいと思っている。

 木乃香が彼女自身のチカラで殺した唯一の存在。

 それになりたかった。

 刹那は、愛する者の心に(のこ)りたいと願っていた。


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